────「ああ最悪だ。失せろよ」














開口一番にそう吐き捨てられて、僕はどうすれば良いのかわからなかった。戸惑う僕を見て、そいつは憎々しげにこちらを睨み舌打ちをする。返答に困る僕を、ひどく邪魔者のように睨みつけて、そいつは額を膝につけた。

「……ここ、は?」

真っ暗闇。ぴちゃんぴちゃんと等間隔で落ちる雫の音。そして、闇だというのにはっきりと姿が捉えられる"そいつ"。
不可思議な事態に僕がまず把握したかったのは、この場所についてだった。だが、なんとなくは予想していたがそいつは一切口を開かない。床に座り込んで、顔を伏せている。

「……ねえ…っ!」

再度同じ質問を投げ掛けようとしたところで、突如体を起こしたそいつに胸倉を掴まれた。一瞬の息苦しさに声が喉の奥で詰まる。
苦しいがための薄目でそいつを見れば、蒼い瞳だというのにぎらぎらと燃え盛るように、正面から僕を射抜いていた。

「黙れ。失せろって言ってるだろ」

「……そう言われても、……この場所が……どこか…わからないんだよ」

「チッ!!」

外面だけ臆せずに答えれば、そいつはまた舌打ちをして僕を突き飛ばすように解放した。なにをそこまで苛立っているのか、そいつはがしがしと皮膚が剥がれるのではないかという勢いで頭を掻いている。元々乱雑だった髪がさらに乱れていく。これを彼女らが見れば、少し怒りながら整えてくれるだろう。

「ここはお前の内面世界だよ。わかったか平和ボケの能無しが」

「内面…って……」

「言葉通りだ。その程度理解しろよ」

なにがそこまで気に触っているのだろうか、語気を荒らげるそいつはどこか焦っているようにも見えた。だが、そんなことを口にしようものならそいつは暴力的になりそうで、わざわざ痛い思いはしたくないから言葉にはしない。
それよりも、そいつはここが内面世界だと言った。内面世界、つまるところは心象世界だろうか。そんな場所が存在していたことに驚きだが、それならもう一つ疑問は浮上した。

「………僕の内面世界に……どうして、もう一人"僕がいる"んだ」

そう、怒り散らしていたそいつの正体は他でもない僕。──ハイドランジア・グリーゼだった。












**










「へえ、それは災難というべきかなんと言うべきか」

腕を頭の後ろに組みながら隣を歩くジブリールをじとりと見つめれば、へらへらと表情を崩した。
昼上がりで仕事を終えたミーアは、ジブリールとともに大通りを散策している。何故ジブリールと一緒になのかと言えば、なんの因果か偶然に遭遇したからだ。
この際だからと共に行動し、エドワードが帰ってきたこととそれによる行動制限を話せば、からからとジブリールは笑った。

「まぁそういうわけだから、事情把握よろしく」

「おっけー、おばあちゃんと…多分言っても頭に入らないだろうけどゼノにも伝えとく」

「ありがとう。…ところでジブリールは大通りになにしに来たの?」

「あー、ちょっと鞄が欲しくてね」

「鞄?」

こくりと頷いたジブリールは、丈夫なのと付け加える。
鞄、鞄といえばいくつか雑貨店があるがそこに案内でもしてあげようか。そう提案すれば失礼なことに──

「えっ、ミーアさんが優しい!怖いなぁ!!」

と自身の肩を抱いて大袈裟に怖がったものだから、放置してやろうかとするとちゃっかりと着いてくる。
道中も飽きないのかぺちゃくちゃと絡んできて、ゼノラックスもエリザベートもゼロもハイドランジアもいないせいで饒舌になっているのか、全く口を閉ざすことはなかった。
程々に相手をして歩いていけば、ようやく雑貨店が見えてくる。案内は終わったから、とそっと離れようとすればわかっていたかのようにガシッと腕を取られてにんまりと口が三日月形に歪められる。そのままぐいぐいと店内に引っ張られるものだから結局行動を共にすることとなった。

「で、鞄ってどんなのがいいの?丈夫なの以外で、ほら、デザインとか」

「それなりに大きくて背中に背負えるやつがいいな」

「だったらリュックサックは?」

「うーん、リュックサックでもいいんだけどさぁ。ここのデザインってちょっと扱いづらそうで。ほら、こうやって紐と留め具で二重に覆う型のやつばかりでしょ?これはちょっと嫌なんだよね」

「注文が多いなぁ」

リュックサックはお気に召さなかったらしいジブリールは、あれもダメこれもダメとぶつぶつと店員の耳に入れば不快に思われること必至であろう批評を続けながら店内を練り歩く。
そんな彼の仲間だと見られるのは少し気が引けたので間を開けながらその後ろを着いていっていると、とある棚の前で足を止めたジブリールがおっと声を上げた。

「これはいいね」

「…スクールバッグ?それ、学生用のだよ」

「それは知ってるよ。でもほら、おれもまだ学生で通らない?」

「えぇ」

普通に肩に背負うのではなく、持ち手を片方ずつ肩に通すリュックサックのような背負い方でくるりと回ったジブリールは謎の自信があるのか満足気だ。
学生で通るか通らないかで言えば、ジブリールの容姿ならば十分通る。だが、何故学生でもないのにわざわざと突っ込もうと思ったがたまたまその鞄が気に入ったのだろう。突っ込んでも野暮にしかならないと思い言葉は飲み込んだ。

「さて、ミーアさんはこれからなにするの?」

「うーん、特には決めてないんだよね。昼上がりだけども、どうしようかなって」

「家には帰らないんだ?」

「帰ってもいいけど…どうせなら出歩いてなにかしたいでしょ?」

「へぇ、へぇ…なるほどねぇ」

演技がかったように顎に手を当ててふむふむと頷くジブリールがなにかを思案しているのは明確だ。どうせロクでもないことを考えているのだろうな、と思ってしまうのは彼の素行からするとある程度仕方がないだろう。

「よし、なら甘味巡りでもしてみない?おばあちゃんが気に入ってる菓子がいくつかあるんだよ、教えてあげる」

「え、なに?餌付けでもする気?」

「むしろそれぐらいで餌付けになっちゃうの…?」

逆に呆れられてしまった。
だが甘味は悪くない。人間、疲れた時は甘いものに限る。…疲れていない時でも食べているとかそんなことは言わない。
鼻歌でも歌い出しそうなほどには陽気なジブリールに連れられて何件か回るが、なるほど、センスが良さそうなエリザベートが気に入っているというだけあってどれも美味しい。
特に美味しかった物はエドワードと、こっそり食べられる機会があるかもしれないのでゼロ用にも買っていく。
そうこうしていればいつの間にか日が傾いていた。ジブリールは饒舌に加えて話が上手い、ここまで話題が尽きることなく話し続けていたものだから、いつもは流れが遅く感じる時間が経つのもやけに早く感じた。

「夕暮れといえば、何時ぞやを思い出すね」

「あー、あの時のジブリールは怪しさしかなかったよ」

「酷いなぁ。夕日をバックにしてたからかなり画が映えていたと自負してたんだけど」

ジブリールと2度目に会った時のことが鮮明に思い出される。
警戒こそはしていたが、夕焼け色に照らされた彼の髪は、夕暮れの海のように風に揺られて波打っていてとても綺麗だと思った。そんな褒め言葉を万が一にも口に出したが最後、面倒臭そうな絡みをされそうだから本人には絶対に言わないが。
今の彼も、あの時のように夕焼け色に染まっていて、思い出を呼び返す為に僅かに伏せられた睫毛がどこかノスタルジックに瞬いた。

「お、そうだ」

「んー?」

「まだ時間はある?ちょっと幻想を見に行こうぜお姉さん」

「なにそれ、ナンパでもしてるの?」

「あれ?女の人ってこんな感じのこと言われたら嬉しいんじゃないの?おばあちゃんは笑ってくれてたんだけどなぁ」

エリザベートはきっと、微笑ましさで笑ったんだろう。ジブリールは時々言動や価値観がズレていることがある。それは経験と実践、観察の伴わない知識だけしか身につけていないからであろう。ゼロのように消極的で非行動的であればそれが表に現れることも少ないが、ジブリールのように行動的な性質だとそれ相応に露呈してしまうのだろう。
けれども悪くない気分だ。いや、気取るのはやめよう、楽しい気分だ。だから着いて行ってみたいと素直に心が踊った。

「それじゃ、エスコートしてくださる?」

「うわ、ノッてくれるのはいいけどその口調は合わなさ過ぎて気持ち悪いよ。即刻やめることを推奨するよ…」

「あのさぁ…」




:
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夕陽の中を導かれて連れていかれた先は時計塔だった。白い外壁のアンティークな外装をした建物内にある長い螺旋階段を登っていけば、小さく開けた空間に出る。
そこからは街を一望することができ、茜色に染まった城や城下町がよく見えた。自然の夕焼け色の中にちらほらと人工的な光がまばらに浮かんでいて、なるほど幻想を見に行くという言い回しの意味がここに来て納得することができた。

「綺麗でしょ、時計塔なんて目立つ建物のくせに人は全然来ないからわりと穴場。…ゼノは景色の良さが理解できなかったみたいで全く興味を示してくれなかったけど」

「時計塔なんて登ろうと思うことがないからなぁ。うん、でも確かに綺麗」

「でしょ」

手摺に体重を預けて楽な体勢を取るジブリールは、子どものような混じりっけのない笑顔を見せた。

「一人で街に繰り出した時はよく此処に寄ってるんだよね」

「そういえばずっと思ってたんだけど、騎士に顔バレしてるかもしれないのにそんなに堂々と外に出てて大丈夫なの?いくら型式番号を隠してるとはいえ」

「ん?あぁ、それは大丈夫。騎士の巡回シフトは常にリークしてもらってるから、そこは避けて移動してるからね」

「へ、へぇ…」

巡回シフトまで把握済みなのか。中々に筒抜けである。
でも、それを教えてもらえばゼロも外出できるかもしれない。少し検討してみようか。

「うん、ゼロさんも気をつければ外出できると思うよ」

「うぇ!?なんでゼロのこと考えてるってわかったの!?」

「いや…ミーアさん、かなりわかりやすいよ。ゼノの次くらいには」

「えぇ…」

「いやいや、悪いことではないよ。一般的に素直は良いことなんでしょ?」

褒められているのか貶されているのかわからない。それなりに顔や態度に出さないように気をつけてはいるのだが、そこまでわかりやすいのだろうか。
うーむ、と複雑な気持ちで唸っていれば、ジブリールがからからと笑い声をあげた。

「むっ、なにさ」

「あはは!いやごめん、同年代の友達ってこんな感じなのかなってさ!」

「…?」

怪訝な顔で見るも意に介さずひとしきりげらげらと大口を開けて笑っていたジブリールは、次の刹那には打って変わって色の無い横顔を見せた。

「同じような身体構造をしているのに、みんな異星人に見えて仕方がない」

「えっ?」

独り言のように呟かれたそれは、ミーアの頭脳では意図を理解するのに苦しんだ。
思わず素っ頓狂に聞き返したそれは、ジブリールには拾われずに消える。

「人間人間って言うけれど、俺には自分と同じ種族には思えなくていつも世界で一人だけのような気がする」

どこか詩的な言い回しにも思えるそれは再度横槍を挟むのも無粋なような気がして、意味を得られないながらもその言葉の裏の真意を汲み取ろうと耳を傾ける。

「だからどうにも大切だと思えない。…でも、これでも少しはマシになったんだ、まだ出会ったばかりの頃は自分の異常性を理解して歩み寄ろうとはしていたけれども、そんなのは誤魔化し誤魔化しのガワだけでおばあちゃんもゼノラックスも、結局はいつでも切り捨てていいと思える存在でしかなかったから」

「…でも、今は」

「今は、…大切だと思い込むようにしてる。きっと、それが本来の感情だから。そのおかげか、なんとなくだけど親近感だとか親愛だとか、そう呼べるかもしれないものが胸に燻ることがある。だから、その成果を他にも活かしたくて元のおれが思いそうなことを必死に考えて、それをトレースするように振舞ってる。でも、脳はいつもその乖離に小さな混乱を起こしていて、折角自分の異常性が改善されつつあるのにいつおれがあの二人を切り捨ててしまうのか内心怖いんだ」

表情は少しも変わっていないのに、瞳の色がどこか悲しげに見えた。それ以上にどことなく、気のせいかもしれないが全身から怯えも覗かせていて、怪我をしているわけでもないのにひどく痛々しかった。

「昔は知っていたんだ、人を大切に思う感情。でも、クソみたいな実験場での死んだ毎日を経験してからは他の人間が自分と同じ存在だとは思えない。…たとえばネズミ。可愛い一面だってあるけど実験動物の扱いだ。そう、それと同じ、それと似たような感覚。自分とは決定的に異なる存在だと、だからある程度は冷淡になってもいいと、そうじゃないだろ、違うだろって頭では理解しているのにどうしてかそう認識してしまう」

「…」

「自分と同じ思考をしているように思えない、自分と同じ感覚を有しているように思えない、自分と同じ生命だと思えない、自分と同じ自分と同じ自分と同じ、…生き物とは思えない。本当にみんなはおれと同じように思考能力を持っているのか?本当におれが感じるものを相手も感じることができるのか?そんなところまで変に疑ってしまって、おれだって考えすぎの頭おかしい奴だってことはわかってるんだよ?でも、根付いちゃったモノは簡単には取り除けなくてさ……正直、キツいなぁ」

理屈ではわかっているのに感覚がそれを否定している。それがどれほど苦しいことなのかミーアには想像がつかなかったが、不安げに揺らいだ瞳を見ていれば並大抵のものではないことはいくらミーアとて簡単に理解できる。

「ねぇ、ミーアさんにはあの夕日が何色に見える?」

こちらを振り向いて浮かべた自嘲のような笑みは、きっと彼にも答えなんてわかりきっているはずなのにそれを確信できないような諦めと猜疑が混ざっていた。