「この先、生体反応も熱反応も多い。戦闘してるな」

通路から出てすぐ、多数の反応を感知した。バートリーと桔梗色に制止を呼び掛け様子を探ると、罵声や悲鳴が聞こえてくる。
迂回しようかとも考えたが他に道はなく、通路をまた戻ることも危険なので相談することにした。

「北東に向かうにはあそこを通るか通路を戻るかの2択だ。前者は戦闘に巻き込まれる可能性が高い、後者は応援の研究員が来る可能性があって、そいつらに見つかるとおれらで対処しなきゃいけなくなる」

「…ごめんなさい、わたし、戦闘能力はないの…」

「うん、まぁそれはわかってる。…で、問題はオマエなんだけど……」

桔梗色に目をやる。こいつはやはりと言うべきか言葉が通じていない。こいつに差し込まれていた管から漏れた薬品を少しだけ分析したが、どうやら記憶を消す成分が多量に含まれていた。それの影響で言語機能にまで支障が出ているのようなのだ。
一応簡単なジェスチャーは理解しているみたいだが、言葉が通じないというのはかなりのネックだった。
桔梗色を抱えて行動するのは危険性が高いが、それでも一時の感情に動かされたとはいえおれが手を差し伸べたのだからここで捨て置いていくなんてことはできない。

「どうしたい、バートリー」

「……わたし、どっちを選んでもきっと足でまといになると思うの」

「バートリーはまず戦闘要因とは数えていない。だから、足でまといを前提に考える。……それでこいつなんだけど」

桔梗色を指差す。

「こいつ、バーサーカーみたいなんだよね。確かバーサーカーは戦闘特化だったはずだ。…戦える?オマエ」

「………」

無言だ。ジェスチャーでどうにか伝えようと試みるが、流石に無理があったのか伝わっている様子はない。
そうこうしてるうちに時間も経っていく。これ以上停滞しているのはそれこそ危ない。

「バートリー、選んで」

「………通路には戻らないわ。あの戦闘区域を抜けて、出口に向かいたいわ!」

「おっけー。バートリー、おれから離れないでね」

バートリーがしっかりと頷く。正直戦闘区域に突っ込んで無事に済むかはわからないが、最悪はおれが全てカバーすればいい。むしろそうすることを前提で視野に入れる。
程なくしてその戦闘区域に到着した。物陰から様子を伺って、戦況を把握する。

「研究員は銃と魔素を持ってる。研究員は5人、脱走者は3人、電気が走ってるけど、あれは研究員の魔素………って、ちょっと!!?」

戦況を把握してると突然、桔梗色が飛び出して行った。バートリーもおれも引き留めようと腕を伸ばしたが凄まじいスピードで駆けて行ったそいつは背を向けている研究員の首を落とす。鮮血が舞い、他の研究員も異変に気づいた。
桔梗色に銃が向けられる。バートリーが思わず飛び出そうとしたが、それは引っ掴んで阻止する。

「あいつ…!!」

「ジブリール…!あの子が…あの子が…!!」

「ちょっと黙ってね、バートリー…」

おれの服を掴んで訴えるバートリーの口を塞いで、桔梗色と研究員を見る。脱走者どもは研究員が桔梗色に気を取られた隙を見て逃走したようだ。従って脱走者どもが桔梗色に標的を押し付けた今、桔梗色が研究員のターゲットとなる。
銃が乱射されるが、桔梗色は人体で出せるとは思わない身体能力でそれを回避していく。電気の駆け巡る床を蹴り、目にも止まらぬ速さで縦横無尽に駆け抜け、柔軟な身のこなしで弾を躱す。しかし、空中に飛び上がってしまった。

(…犬だ)

スローモーションのように時間が遅く流れる世界で脳裏に過ぎったのは適性検査の時に相手をさせられた犬。
おれはあの時、飛び上がって回避もままならなくなった犬の着地の隙をついて殺した。桔梗色は、今まさにあの犬となっていた。重なっていた。
研究員も馬鹿ではない、桔梗色跳ぶように誘導したのだろう。
銃口が桔梗色に向けられる。しかし空中では落下する他ない。
銃の引き金が引かれる。発砲音が耳に届いた。バートリーが息を呑む気配が伝わる。
そして、赤い血飛沫が雨のように降った。



「えっ…」

研究員の首は綺麗に切断されて血を噴き出していた。1人、また1人と切り裂かれ、そして崩れ落ちる。瞬く間に全員を処理した桔梗色は、血が付着した頬を拭ってこちらを見た。

「…よくやった!」

駆け出したおれは、桔梗色の肩を叩く。そいつは至極不思議そうにおれを見たが、おれとしては有難かった。
まさか、こいつがここまで強いとは。バーサーカーが戦闘向きということは理解していたが、あの人数を数分も掛からずに処理することができるなんて!
加えて、こいつが持っている魔素。空中から消えて研究員の目の前に現れた瞬間移動。
おれが"死角"を使うのならばこいつは”視覚”を使う。対象の視界内に瞬間移動する魔素。相手が多数であればあるほど、その脅威は倍増する。
実際、2人目の首が撥ねられたあとに研究員は銃を振り回していたのだが、桔梗色が瞬間移動するごとに撃つものだから同士撃ちをしていた。

「…お、良いもの持ってる」

研究員の白衣から零れていた紙切れを拾うと、どうやら施設内の見取り図のようだった。管制室、保管室、待機室や休憩室と書かれたそれは、出口もしっかりと記入されていた。研究員用入場ゲートと書かれたそれは、ここからさほど遠くはない。
脱出の希望が鮮明に見えてくる。おれは自然と笑んで、ラストスパートをかけてその場所へと向かった。



「……最悪だね、ロックがかけられてる」

研究員から奪ったカードリーダーを通しても反応しない。どうやら管制室の方から封鎖されたようだ。出口の目の前まで来て出られないとは。
バートリーがゲートの周囲を回って調べるが、特にめぼしいものもなく。おれらは立ち往生するしかなかった。

「多分、ここを開けるには管制室に行って解除しなきゃなんない」

「そんな…でも、危ないわよ」

「……うん、そうだね」

管制室の場所自体は知っている。しかし、そんな重要な部屋ともなれば研究員どもが集まっていることだろう。そこにわざわざ向かってロックを開けるのはまさに無謀に近い行動だというのは誰の目にもわかる。

「だから、おれが行ってくるよ」

「…え?」

「おれが1人で管制室に行って、この扉を開けてくる。管制室はここからなら距離も近い」

「そんな…!無茶よぉ!」

バートリーが止めに入る。彼女の言っていることは正論だ、無謀無茶でしかない。それは、おれが一番よくわかっている。

「でもね、最善策がこれなんだ」

「最善って…」

「なにも成功率が高いイコール最善策じゃない。おれが模索した限り、どの行動も無謀の範疇に入る。つまり、元々の可能性が限りなく低いんだよ。だったら、その低い中からより高いものを選んで行動するしかない。……おれが考えた中では、管制室に行ってどうにかすることが一番生存率も脱出率もある」

そう、死にに行くようなことに変わりはない。でもおれらには取れる行動は少ないから、どこかで無茶はしなければ。
近くで身を潜めることができそうなところを探して、そこに尚も反対を唱えるバートリーを抱えて連れていく。
当然、バートリーは抵抗の意を見せたがいくらなんでもおれとバートリーでは体格の差が大きくて封じ込めることは簡単だった。
鑑賞用らしい小さな鉢植えの乗った棚の後ろにバートリーを隠して、桔梗色を屈ませる。

「いい?バートリーのことしっかり見ててね。あと、オマエも動かないこと。ここならそうそう見つからないから」

伝わっているかは相変わらずわからないがそう言い含めると、おれは駆け出した。

(ロック解除自体はすぐにできるはず。問題は部屋に蔓延ってる職員をどう排除するか)

遠くの戦闘音にも気を配りながら疾駆する。きっと、管制室では戦わなくてはならないからここで余計な力は使いたくなかった。多少の遠回りは覚悟してルートを選んだおかげか道中で鉢合わせするということはなく、管制室のすぐそこまで近づくことができた。

(それはいいんだけど…)

やはり、研究員の出入りが激しい。一先ず離れて狭い通路に身を潜めたのはいいがバレずに侵入するなんて出来るはずもない。内部にも生体反応が多数ある、単騎で突入したとして数の暴力に押しつぶされるだけだ。

(正面突破ができないのなら、最初から対抗しに行かなければいい)

火災による一酸化炭素中毒を防ぐためか、顔全体を覆う防護マスクを装着している研究員が多かった。そのうちの誰か、誰でもいい、研究員がおれの通りに来た瞬間、襟首を掴んで引きずり倒して首を絞める。服も頂戴するのだから、刺す訳にはいかない。ここに狭くて暗い通路があってよかった。
絶命した職員の服を剥ぎ取って、こちらの通路にはそうそう人は来ないだろうが念の為さらに奥に死体を隠す。
その場で手早く着替えると、量産型の研究員と全く変わらぬ出で立ちとなった。

(これで、とりあえず入ることはできる。問題はどう対処するか)

窓では限界がある。何発かは喰らう覚悟で挑むしかないか。この場における最善は、きっとこれだ。
死なないように、五体を動かすことができる状態で突破するのを目標に決めたその時だった。

「っ!?」

管制室に意識を集中させていたからか背後への注意が疎かになっていた。不意打ちのように後ろから感じた寒気に振り向けば、ずんぐりとした巨体がこちらを見下ろしている。
焼け焦げた布を身にまとったそれは、呆気に取られるおれの首を掴むと軽々と持ち上げた。

「ぐっ…このっ…!!」

急速に意識が薄れていく。痛いと言うよりも苦しいその感覚が皮肉なことに覚醒の手助けをしていた。
なんとか手を離させようとするが腕力は明らかにおれの方が劣っている。苦し紛れに分析をするとどうやらバーサーカーのようで、それは力勝負なんか挑んでも負けるに決まっていると納得させられた。
まさか管制室に踏み入る前に死ぬなんて、なんてザマだ。白黒に点滅を始めた視界に、走馬灯が浮かぶ。
その走馬灯には母さんが出てきて、彼女の穏やかな笑顔はいつもおれに安心感を与えてくれていたなとふと思い出させてくれた。
──ああ、母さんだけが、おれが見てきたモノの中で唯一綺麗だと思ったモノだったな。

「…ぐっ、……っ……」

半分冥土に行きかけていた意識が引き戻される。不意に重力が体にのしかかってきたかと思えば壁に叩きつけられた。首の圧迫感は消えたが代わりに背に衝撃が響く。投げ飛ばされたと推測できたのは地面に落ちてからだった。
銃撃と怒号、そして爆発の音が混ざり合う。おれにも熱風が浴びせられて、その服を焼く熱さに身動きもロクに取れず蹲るしかなかった。
耐え忍んでいるとすぐに音が離れていく。方向的に管制室に向かったようだった。
おれはというと酸素がまだまともに運ばれておらず、座り込むので精一杯の状態だ。なんとも情けないと自嘲してみる。
おれが息を整えている間に管制室の方でも一悶着があったらしい。悲鳴が沢山聞こえて、爆発音は遠ざかっていった。

「あいつ……あいつが…爆発の主か……」

そういえば見たことがあると思ったらスラムに居たな。あの日、母さんが本を持ってきてくれた時に連れていかれた奴だ。だいぶ体格は変わっていたが、面影は残っていた。
きっと、収容の際に手違いがあってあいつは脱走したのだろう。バーサーカーだから思考能力も奪われて、本能的な破壊の権化と化してしまった。それでこの施設内を暴れ回ったんだ。
酷い目には合わされたが、あいつが脱走していなかったら今でもあの無機質な部屋の中でなにが変わるわけでもなく過ごしていたのだと思うと感謝はしなくもない。

「……酷い目には、合わされたけどね……ほんと」

根に持つのはもう仕方がない。おれはそういう性格みたいだから。
さて、体調もマシになってきたからそろそろ管制室に行こうか。あいつが暴れ倒してくれたおかげで、内部の生体反応も激減していた。これなら窓で一気に始末できる。
唯一の懸念は爆発によってコンピュータが壊れていないかだが、それはもう祈るしかない。壊れていたらほぼ詰みということで諦めだ。

「ぅ……ぅぅ……」

「痛い…いたい…うでが、うでが…わたしのうでが……」

「どいつだあいつを逃がしたのは……クソが!」

壁という壁は崩れ、機械からも煙が出ている。極めつけに、研究員達は言葉にするのも無残な状態で骸となっていた。辛うじて生きている者も身体が吹っ飛ばされていたりと無事とは言い難い。

(…おれが捕まった時、爆発させられなくてよかったな)

生きている研究員はもうとっくに逃げたか対処しに行ったかのどちらかだろう。きっと、ここの研究員どもは見捨てられたのだ。
助けを求めるように這いずってくる者や手を伸ばしてくる者を無視して機械の損傷を確認する。

(やっぱ、大半は壊れてるな。でも、これと…扉の開閉装置はなんとか生きてるか)

煙を噴いてはいたものの、どうにか作動させることはできそうだった。完全に壊れてしまう前にゲートのロックを解除しておく。これで出られるだろう。
一先ずの目的は果たした。あとはバートリーたちの元へと帰ればいいだけ。激戦覚悟だったが、思わぬ増援によってすんなりと達成することができた。

「……ん?」

床に転がったモニター、そこに映されている景色を見ておれは思わず足を止めた。
壊れた家屋にぽつぽつと点在する人間。どれも服とは呼べない布を纏っていてやせ細っている。

「これ…スラムじゃん…」

おれが生まれ育った場所。おれの故郷であり世界であった場所。
監視されていることは気づいていたが、こんなものまるで箱庭だ。
瓦礫に埋まっていたキーボードを掘り起こしてキーを叩く。場面が移り変わっていくが、どれも懐かしいおれのスラムの映像だった。
ファイルを漁る。すると、すぐに情報は出てきた。

「魔素持ちを育成する”隔離所”。競走状態にすることで人間を追い詰め、魔素を発現させることを目的とする。魔素持ちを発見し次第即時確保後適性検査を行う。……………ふはっ」

飛ばし飛ばしに読み終えておれは、乾いた笑いを抑えきれなかった。

あぁ!面白くて面白くて堪らない!今がどんな状況かとか、ここは何処かとか、何をしていたのかとか、そんなことわかっているけれどそれでも、高笑いが止まらなかった。

「あっははははは!!ふはっ、ははははははは!!!こんなの、こんなのってさ!あははっ!!こんなの!おれらは生まれた時からずっと実験動物だったんだ!!ははははははは!!!あっははははは!!!」

笑いすぎて涙が出てきた。なんてくだらなくてお茶請けにもならないような話なんだ。
なんて単純で、なんて残酷で、なんて茶番なんだ。なんて三流で、なんて馬鹿らしくて、なんて絶望的なんだ。なんて、なんて、なんて、なんて、なんて、なんて、なんてなんてなんてなんてなんてなんてなんてなんてなんてなんてなんてなんてなんてなんてなんて───あぁ、なんて!!

「どれだけ救われないんだよ!あっははははは!!結局、おれは人間として生きてこれてはいなかったし、ここから先も人間としてなんて生きれないんだ!!ずっとずっと、飼い殺しにされる運命だったんだ!!なんて笑い話、なんて茶番劇!!あっははははは!!!!」

がくん、項垂れるように背を曲げる。
おれの着ていた白衣を掠めてそれは、床のタイルを抉った。

「あら、自暴自棄になっていたみたいだから楽に始末できると思ったのに」

斜め後ろ、管制室の扉がある位置から楽しげな靴音が陽気に響いた。
ゆらりと顔を向けると、そこには白衣を纏った研究員の女が腕を組んで立っている。こちらを見下したゴミを見るような瞳には心底反吐が出そうになった。

「でもアナタが今言った通りよ?どう?反抗する気は失せた?」

くすくすと、愉快そうに優位に立っていることを確信した耳障りな笑いはひどく不愉快で、おれは一切の戸惑いもなく女に向けて窓を開ける。

「あら!そんな手が通用すると思って?アナタを改造したのは他ならぬ私、そんな私が引っかかるわけないでしょう?」

「……死ねばいいのに」

「まぁ!さっきまで笑っていたのにいきなりそんな冷たい目を向けるなんて…やだ!アナタの目、素敵よ。氷のように冷ややかで、絶望的で、全てを侮蔑する瞳。あぁ、とてもとても欲しいわ」

「あはっ…変態かよ」

頬を赤く染めて興奮したように早口になる女が気持ち悪くて仕方がない。
嘲てやれば、さらに嬉しそうに身悶え始めた。声を弾ませながら視点の定まらない瞳で歓喜する女には鳥肌が出る。
理解できないし、そもそもする気すら起こらない。どうしようもないような存在というものが今、目の前にいる。

「ねぇ、どうしてそうやって刃向かうの?我が国の為に働けるのよ?名誉だと有難く受け取りこそすれ、反抗するなんて自分勝手よ?」

ぱしゃん、頬に水をぶつけられる。あの女の魔素は『水流水禍』。その名の通り水を操る魔素だ。先程おれを掠めてタイルに撃ち込まれたものも水の弾丸。水を操るというと抽象的だが、単純でいて応用力の高いそれは極めてシンプルな脅威となる。

「国の為に働くことが名誉?はっ、戯れるなよ」

「あら、至って本気よ。我らが至王、リュミエール様はね?国民のためにいつもいつも身を粉にして働いていらっしゃるの。他国は物資を狙って戦争ばかり、そんな中でこの大国が襲撃も受けずに平和でいられるのは誰のおかげだと思っているのかしら。勿論、この国がどれだけ平穏かは知っているわよね?見てはいなくても、当然解っているでしょう?」

「あっはは…おかげさまでね!」

耳障りな言葉をこれ以上記憶したくなくて、剣を窓から射出する。
女の死角、頭上からの攻撃だったが勘づかれて水の弾丸により弾かれた。

「まぁ、野蛮ね」

「野蛮なのはどっちだよ。わざわざ人間を改造してくれちゃってさ。そんなに手駒が欲しいんなら機械の純正アンドロイドを使えよ」

「あら、そうはいかないのよ。説明しなくとも何故だかわかるでしょう?考えなさい、とっても合理的じゃない。僅かな尊い犠牲で大勢の国民は死ぬまで戦乱に巻き込まれることもなく死ぬことができる。まさに理想、理想の王政による王国よ」

「…………り、そう…?」

「ええ、そうよ理想的で────」

得意気に鼻を鳴らして語った女の左腕は、まるで地に降る雨粒のように。まるで、葉から滴り落ちる雫のように。ぼとりとタイルに落ちた。

「─────え?」

一瞬、何が己の身に起きたのか飲み込めずにあどけない表情を見せて、左腕が切り離されたのを理解するとその顔を醜く歪める。

「ひっ……う、う、きゃああああああ!!!!!」

女の左腕があった場所には、白刃が血を纏って佇んでいた。不自然に宙から生えたそれがおれの魔素によるものだと理解るまでに数秒。
もう無い腕の断面を押さえて苦悶に喘ぐ女を冷めた瞳で見つめる。

「そんなもの、理想じゃない。だって、”おれの”理想なんかじゃない。別に正義感がどうこうじゃない、そもそも正義感とかいうものは知識では知っていても実感はできていないから」

「う、ひっ……!!」

ぺたりとへたりこんだ女を見下ろす。女は怯えながらおれを見上げる。その顔にはさっきまでの余裕は消え失せていた。

「なんで"おれが"そんな目に合わないといけないの?おれは、国の為だの王の為だの、知ったこっちゃないんだよ。"おれが"犠牲に選ばれている時点で、もう既に"おれの理想"ではない。わかる?」

「………っ……アナタのそれは、ただの自分勝手よ!豊かで平和な国の為に、大多数の国民の為に少数が犠牲になるのは仕方がないことでしょう!?」

「自分勝手で何が悪いの?国は国民のものだけど、おれはおれのものなんだよ。おれの人生で自分勝手を貫いてなにが悪い。それに、こんなシステムいつかは瓦解するさ、豊かで平和な国?笑えるね、立派なディストピアに他ならないのに。多数の為におれに犠牲を強いるって?」

「アナタ、ブレインでしょう!?どれだけ理に適ったシステムか理解できないの!?!?」

「それが真に理に適っているか適っていないかなんてどうでもいいんだよ。焦点は”おれが”犠牲にならないといけないってことだよ」

そこまで言えばようやく意図を掴めたようだった。
女が信じられないと目を見開いてわなわなと震える。

「アナタ……自分が被害を被るのが嫌なだけじゃない!!!!なんて勝手、なんて自分至上主義、なんてエゴイストなの…!」

「エゴイスト結構。生憎と、おれはアンタが頭をいじってくれたせいで他者を大切に思うとかができなくなったんだよ。それどころか同じ人間とすらも思えない。そんなの、エゴイストにしかなれないでしょ?……皮肉な話だよね」

他者を大切だと思えない、他者を軽んじてしまう。そんなおれに、多数のためが通用すると?
通じるわけがない、他者がどうでもいいということはつまり自分が大切なのだ。そんな相手が自己犠牲理論など聞く耳を持つわけがない。
だから、この女はそもそもその理論を話して諭そうとすること自体が間違っているのだ。おれがこうなったのはこいつらのせいなのに、本当に皮肉としか言えない。

「だから───ぐっ…」

右肩に激痛が走る。傷口を見るよりも先に水の弾丸に射貫かれたというのはわかった。
さらに攻撃が降りかかりそうだったのでその場を退いたが、やはり予想は正しかったらしい。おれが立っていたタイルは無数の穴が開いて割れていた。

「おしゃべりが大好きねぇ。でも、そのおしゃべりのおかげで私の為すべきことを把握したわ」

「…へぇ?」

「アナタは危険分子よ。このまま逃げられると、我が国の安全が脅かされるわ。だから排除しないと、我が王に合わせる顔がない」

「………」

「だから、死になさい。アナタがテロリストとなるその前に、殺すわ」

女の足元に薄く拡がっていた水の膜が持ち上がったかと思えば、徐々に分裂して水の弾丸が作られる。
女が右腕を横に伸ばすと、無数の弾丸は一斉におれに向けて射出された。
硬い音を散らしながらそれらはタイルを抉っていく。おれが走り抜けたタイルを一歩ほど遅れて破壊していく弾丸は、一度身に当たれば骨さえも砕いて貫通するのだろう。未だ血がとめどなく流れ落ちるおれの肩のように。

「我が王の邪魔は絶対にさせない。もとより、アナタ達が脱走したのは私たちの不手際によるもの。だったら、私が落とし前をつけないと。せめて、アナタ一人は抑え込んで見せるわ」

「…!!」

いきなり、足が動かなくなった。走っていた勢いのまま動かそうとして、前のめりに頭から倒れ込む。
足首になにかが絡みついているような感触に目を落とせば、水がロープのようにうねりながらおれの足首を掴んでいた。
水のくせに、まるで本物の枷のように固くて解けない。
この水の枷は女の足元に滞っている水溜まりに繋がっていて、おれは完全に捕えられたのだと悟るまでに時間は要さなかった。

「私の左腕を無くしやがったことだけは褒めてあげるわ。でもアナタ、知識だけはあっても実戦経験が無さすぎよ。悪いけれど、完封することはそう難しいことじゃないの」

「……………で?おれを殺す?」

「当然よ。脱走者はまだ多くいるでしょう。でも、アナタを作ったのは私、失敗作の責任は製作者が取らないといけないわ。安心して?綺麗に殺してあげる。アナタ、顔は悪くないから死体は保存しておいてあげるわ」

「うわぁ、最悪だなぁ。………勝手に作っておいて、いざ思う通りに動かなければ失敗作か。自分勝手なのはどっちなんだか。大義を掲げていれば己の身勝手さが誤魔化されるかと思ってたら大間違いだよ」

「個人の身勝手と集団の身勝手なら、集団の方が優先されるのよ。それが人の世の常よ。世界というものは、個人の欲と思いが重なってできているの。個人は個人と繋がって、より良く思いを擦り合わせて生きていく。人間というものは社会生物、社会は人の集まりによって形成されるの。だから、その社会に入ることのできない個人の思いは淘汰されていく。国だって同じこと。私は我が王の思いに合わせて、異端のアナタを排除する。これが人間、集団の意思による身勝手は許されても個人による我儘は許されないのよ」

「……人間って、そんなのだったかなぁ。あーあ、汚い、汚れてる。馬鹿らしい、結局皆様エゴイスト、あぁ、…死ねばいいのに」

「その全てに失望した目が好きよ。最初に会った時よりもずっとずっと深い闇に染まって…。私は全てを嫌った瞳が大好き。だって、私だって全てが好きじゃないんだもの。親近感を覚えるわ」

「王様のことが大好きなくせに」

「それは集団のリーダーだから。我が王は確かに素晴らしくて合理的だと思うわ。顔も悪くないし、頭も良い、国のことを本当に考えているわね。でも、私は私がリーダーになれないのだからその他全てが嫌いよ」

「ははっ……子どもかよ」

なにをそんなに誇れるのか、すました顔をして高々と語ってみせるこの女が嫌いだ。人間という生物はおれが理解するまでもなくどうしようもない生物群なのだと思い知らされるから。
バートリーや桔梗色と出会って、自分と同じ種族だと思えないなりにも歩み寄ろうとしていた自分が馬鹿らしく思えてくるから。
人間というものはどれだけ手を尽くしても救えない存在なのだと、おれに思わせないでくれ。ますます乖離して、もう戻れなくなってしまう。

「ねぇ、不完全なくせにそんなにもがいても苦しいだけでしょう?全てを諦めてしまえば楽になれるわよ」

「…………」

とん、と左胸を人差し指でつかれる。まとわりつくような声は、おれの脳髄を侵食しようと染み込んでくる。

「アナタ、まだまだお子様でしょう?だって、成人もしていない。そんなアナタが知識だけを持ったとしてなにができるの?ここから逃げてなにを成せるの?ブレインにするためにアナタの脳をいじったから、アナタ自身も自分のどこかしらに異変が出ているのは気づいているでしょう?その異変がどの程度のものでどんな影響を及ぼしているのかは私にはわからないけれど、きっと、苦しいでしょう。まともに生きられず自暴自棄になるぐらいなら、ここで楽に殺されて永遠に怠惰を貪りなさい?」

「─────…………」

息が知らずのうちに止まった。胸に置かれていた指先がおれの額へと移動する。かすかに飛散する冷たい水飛沫は、それすらもおれの心を埋め尽くすようだった。
抵抗の素振りを見せなくなったおれに、女の整った顔には支配が完了したとでも言うような醜い笑みが浮かべられる。
ああ、確かに死んでしまった方が楽なのかもしれない。元より、正常な状態でのおれは生きる意味も見出せず死にたがっていた。今のおれは性格に異常が出てしまったから生きようと足掻いていただけで、きっと正常なおれならとっくに自殺していただろう。
バートリーと桔梗色に関しては、おれに付き合わせて振り回しただけで申し訳ないと思う。でも、おれは死んでもいいと思ってしまった。
どうせこの世界なんて汚れているし人間は信用できない生物だ。その考えはスラムで生きていた頃から変わってはいない。人間なんて利己的なもの、上辺で誤魔化してはいるけれどいざ己が窮地に立たされれば平気で他者を生贄として差し出す。生きるために、おれもスラムではそうしていた。本では、所謂聖人君主のような人間もいたけれど自己犠牲までして他者を救おうとする人間なんているわけがない。そんなものは架空の生物だ。
──はぁ、そうやって生きるのにも疲れたなぁ。だから、殺されるのならそれでいいや。

「そう、最初から従順にいればいいのよ。アナタ達アンドロイドは私のような研究者の助けなしでは役に立てないの。だから─────え?」

「……………えっ…?」

不意に、耳障りな声は間抜けな疑問へと移り変わった。
顔に幾度も降り掛かっていた水飛沫も途切れて弾丸が形作られていたそれが形状を保てずにタイルの上で弾ける。その音に伏せていた瞼を開いて、映った色におれは思わず驚愕を漏らしてしまう。
だって、ここでは見ることがあるはずもない鮮やかな桔梗色。色のない世界で唯一に生命溢れるそれはひどく際立っていた。
動作によって生まれた風に靡くその髪も、髪の隙間から覗く強い瞳も、例えるならばそう、空に浮かぶ太陽のようで。こんな状況だってのに綺麗だと思ってしまった。それは色だけじゃなくてそいつの瞳がこの先の希望を見つめるようにきらきらと輝いていたから。おれにはないその光に、目が眩んでしまいそうだった。──久しぶりに、心がこんなに動いたような気がする。

「───ああっ!!!!!!」

女の腹を貫いていた刃が横に一文字に引かれる。それだけで女の胴体は千切れてしまいそうに不自然に傾き、どばどばと一瞬で失血死するのではないかという量の血液が流れ落ちる。女は悲鳴を上げながら床に倒れ込むと、自分を瀕死に追い込んだ奴を睨みつけた。

「くっ………この……げほっ…未完成バーサーカーの風情で………!!」

口から血を吐きながらも気丈に恨み言を吐く女に見向きもせずに刀を鞘に納めると、桔梗色はおれの腕を乱雑に掴んで歩き始めた。

「お、おい…」

おれが声をかけるとちらりと振り向いたが、また前方に視線を戻すとずんずん進んでいく。
助けられたのに礼も言わないのは嫌だったので「ありがとう」と背中に投げ掛けるも、桔梗色は反応も返さずに管制室を出ようとする。



「あっははははははは!!!!!!!」

空気を裂くようなその甲高い笑い声は、おれの背筋を瞬時に凍らせた。
嫌な予感を感じて桔梗色の裾を強く引っ張って足を止めさせる。おれの強ばった表情に流石の桔梗色も渋々といった様子で静止した。

「ここから出ていく気?ふっざけんじゃないわよ、私をこんな目に合わせておいて!!絶対に許さない、アナタたちだけは絶対に殺してやる!!許さない許さない許さない!!!!!」

震える手で白衣からなにかを取り出す。それを見せつけるように掲げてきたのでわかったが、なにかのスイッチだった。
ヒュー、ヒューと喉から掠れた空気が漏れる程度には虫の息だというのにまだそんな余力があったのか。

「元々、脱走事故が起こった時点で爆破処理する予定だったのよ!だって、未完成の兵器を外に放流するなんて危険でしかないじゃない!!!本当は合図が出てから、でも、アナタたちは許せない!!!だから…!!!」

耳を劈くようなサイレンが響き渡る。アナウンスが、あと30秒で爆発すると繰り返し告げる。

「30秒だって!?くそ、時間がない!!」

ここからおれの足で全力疾走するとしてもまず間に合わない。どう足掻いても絶対に出られない。
脳裏に過ぎるのは爆音と熱風。施設ごと爆発させることのできるような爆弾なら、確実に死ぬ。それは免れない。

「どうする、どうする…!?」

こうして焦っている間にも時間は過ぎる。焦っているから解決法が浮かばないのではない、いくら思考しても解決法自体がないのだ。
折角助けてもらったのに、おれだけじゃなくて桔梗色も巻き添えになってしまう。最悪だ、最悪の結末だ。
もう桔梗色に謝ることしかできなかった。半狂乱になりかけながらも桔梗色を見上げる。

「桔梗色…おれのせいで…ごめ───ちょっ!?」

腹に回った圧迫感と足が浮き上がった浮遊感。桔梗色の小脇に抱えられたと気づいた瞬間には顔面に痛いほどの風がぶつかっていた。風圧によって涙が滲む瞳を薄く開けると、激流に押されていくように白い壁が後方へと流れていく。角を曲がってくぐり抜けて。ぐんぐんと進む桔梗色は、迷いなく出口のゲートへと向かっていく。
そして、ものの数秒でゲートへと辿り着いた桔梗色は、驚いているバートリーも抱えると扉の開いたゲートへと弾丸のように突っ込んだ。桔梗色が踏み込んで前方へと飛ぶ。その直後に鼓膜が破れそうな程の爆音と共に熱風が肉薄する。
その熱風がブーストとなって吹き飛ばされたおれ達は、受身も取れずに土の上へと転がった。懐かしい草の匂いの余韻に浸ることも出来ずに熱風と激しく飛散する瓦礫から身を守りながら、これが落ち着くのをひたすら待つ。無限にも思えたその時は、あちこちから訴える身体の痛みがその存在を主張し始めるとともに終わりを告げた。

「ジブリール!ゼノラックス!!」

悲鳴にも似たバートリーの呼び掛けに、手を上げることで返す。ところでゼノラックスというのは桔梗色のことだろうか。なんて、呑気に思考を飛ばしてしまうのは緊張の糸が緩んできたからだろうか。

「二人とも大丈夫!?」

遠慮がちに触れられた腕に頷いて見せれば、安堵したような溜め息を漏らした。
全身が重くてこのままずっと寝転んでいたいが、まだ安全になった訳ではない。仕方なく起き上がると、バートリーはその大きくて涼しげな瞳に涙をたっぷりと浮かべながらおれを見ていた。

「あはは……バートリーは…大丈夫?」

「わたしは、貴方達が守ってくれたから平気よぅ!!ごめんなさい…なにもできなくて……」

「気にしないでよ……あぁ、あいつは…?ええと、桔梗色…じゃなくて……ゼノラックス」

「あの子ならほら、そこよぅ」

バートリーが指さした方向を見れば、きょろきょろと周囲を見回して警戒をしている桔梗色が立っていた。桔梗色も服のあちこちが焦げていたりと無事とは言い難い姿だったが、おれが見ているのに気がつくとこちらに寄ってきておれの目線に合わせるように膝を曲げる。

「えぇと、桔梗色……ありがとう、助けてくれて。正直、絶対助けなんてないと思ってた」

「ゼノラックスって呼んでちょうだい!……ゼノラックスね、貴方が管制室に向かって少しした後走っていったの。わたしも追おうと思ったのだけれどわたしが行っても足でまといにしかならないから……二人とも、本当に生きていてくれてよかった…」

「───……………うん、本当にありがとう二人とも」

バートリーが零した"生きていてくれてよかった"この言葉がどれほどおれの胸に響き渡ったか、きっとわからないだろう。こんなおれの存在を認めてくれるということが、どれだけ他者と乖離してしまったおれを救ってくれたか、きっとわからない。
バートリーもゼノラックスも、やっぱりおれとは全然違うように見える、感じる。でも、そんなおれが誰かを大切に思うという普通の人の真似事をしようと思ってみたのは、この二人が切っ掛けなのは確かだった。
そう思い込んでいるだけの紛い物だとしても、大切にしてみようと思ったのはきっと、きっと間違いではないはずだ。

「あのね、ゼノラックスっていう名前はジブリールが管制室に行っている時に考えて───って、ジブリール!?」

くらりと歪んだ世界は、それでも安心感に満ちていた。真っ暗な視界も、受け止められた感触が心地よくてなんの恐怖も抱かずに意識を飛ばすことかできたのだ。
人に魅せられるという味わったことのない感覚はこういうものなのだと。じんわりと胸が暖かくなるようなものなのだと、実感することができた。

─────ああ、母さんといた時のようだな。