「───と、まぁ…その後色々あったけれども運良くレジスタンスに保護してもらえて今に至るってわけ」

「………スラムとかが存在しているなんて、知らなかった」

「そもそもスラムって言ってもあそこは人間牧場みたいなものだったし、まぁ情報規制されてるからね。一般人が踏み入らないように谷だの山だのの奥の立ち入り禁止区域の先にあったみたいだし。…一度、レジスタンスでの暮らしにも慣れてきた頃に見に行ったことがあるんだけどさ。……おれが育ったそこも研究所も、跡形もなく燃やされて残骸だけが散らばってた。きっと、もう使えなくなったから"片付けた"んだろうね」

「ジブリール……」

僅かに口角を上げて一見は穏やかな表情を作りながら語る彼の瞳は、前を見ているようで過去を静かに弔っているようだった。
彼がなんでもないように語った過去は、ミーアに衝撃と悲痛を与えるには十分すぎた。それと同時に、このエルドジアムという国への大きな不信感と恐怖心が湧き上がってくる。
スラムなんて知らなかった。情報がこんなにも知らないうちに規制されているなんて知らなかった。偽りだらけの国、豊かで平和だと思っていたこの国が実は虚偽に塗れていただなんて。

「なんでミーアさんがそんな顔をしてるのさ。ちょっぴりスリリングな冒険譚のつもりで話したかっただけでシェイクスピアのような悲劇でも披露したかのような空気にするつもりなかったんだけどなぁ…」

胸に燻る感情が顔に出てしまっていたのだろう。呆れたような困ったような笑顔でジブリールは頬を掻く。
ジブリールは、本当にどうしてミーアが当人よりも哀しんでいるのかわからないらしい。それも彼の欠如させられてしまった感情のせいなのだろう。人間というものは共感の生物だ、しかしジブリールはミーアが自分の話を聞いてここまで心を動かすだなんて想像していなかったようで、そんな反応すらもさらにミーアの心を痛める。

「まぁ、色々あったしさ……人間をおれと同じ生物だと思えないし他者を大切にも思えないけどさ、おれもそれなりには頑張ってるんだよーってぐらいに思っておいてよ。ちょ、ちょ、やめてやめて、そんな泣きそうな顔をしないで!」

自分のことなのに他人事のようにへらへらと笑う姿が見ていられなくて、いつの間にか視界が滲んでいた。そんなミーアに動揺して、ぼやけた視界越しにも明確に捉えられるほどにジブリールが慌てふためく。
きっと、彼にはその程度のことなのだろう。エリザベートやゼノラックスと出会って、彼らに心を動かされて、そして彼の思う普通の人間のようになろうと苦しみながらも彼は日々邁進しているのだろう。それをミーアが馬鹿みたいに悲しむ必要はないし、ミーアの反応が過敏すぎるだけなのだろう。
それでも、それでもやはり悲しいのだ。馬鹿みたいと思われようとも、仲の良い相手がそんな目に会ってきたのだと考えるとそれだけで苦しくなるのだ。

「………………少し話がずれるけどさ、ジブリール…なにかあった?」

「え?」

泣いたところで迷惑をかけるだけなのは自明の理だったので話を逸らしてみる。
ぐしぐしと目を擦って問うたそれに、ジブリールは素っ頓狂な疑問を零した。

「だって、なんか…波がちょっとだけ不安定な気がする。波…うーん、上手くは言えないんだけど…なにか悩んでる?」

「えー…?おれが過去話するのって、そんな風に思われるほど変なの?」

「まぁジブリールみたいなタイプはおいそれと自分の過去を話すようには見えないけど…。そうじゃなくて、なんとなく勘で思った」

そう、ただの勘。でも嘘偽りはない。
たまに、人の感情を機敏に感じ取れる時がある。その感じ取り方は本当にただの直感だったりなんとなくの雰囲気だったり表情だったりと様々だが、自慢ではないが大抵的中するのだ。わりと便利なスキルだと自負している。
ジブリールについては、今日会った時からなんとなく感じていた。だが、一緒にいる時間が長くなるにつれてはっきりしてきたように思う。初めはなにかあったのかな程度にしか伝わってこなかったが、今は悩み事がある程度にはわかる。そして、今この時点でそれを話そうか話すまいか曖昧に躱してこちらを探っていることもどことなく感じた。

「……………」

「…………………」

「………………………」

「…………………あーやだやだ、なんで変に目敏いのかなぁ。まぁ結論から言うと大正解、ちょっと悩んでる。外出だってその気分転換にと思ってさ」

オーバーリアクションでやれやれと言うように腕を上げたジブリールは、ミーアの無言の問いかけに根負けした。
まだ話しにくそうではあったが、打ち明けてくれる気にはなったらしい。金糸を靡かせて再び夕焼けに目をやりながら、ジブリールはミーアにもわかるように気を使いながら言葉を組み立てていく。

「んー……まぁ率直に言うとゼノのことでさ」

「ゼノラックスの…?」













:








「おかえりなさい、ミーア」

「おうミーア、おかえり」

「ただいまゼロ、兄さん」

帰宅したのはすっかり日が落ちた後だった。エドワードにはどこに行っていたのかと根掘り葉掘り聞かれたが、のらりくらりと誤魔化していく。
ミーアを待っていてくれていたらしくすぐに夕食が始まったが、兄とご飯を食べる懐かしさに浸りつつもミーアの面持ちがどこか上の空だというのはこっそりと様子を見ていたゼロはすぐに気がついた。
なにかあったのだろうかと心配にはなるが、エドワードが居る手前聞きにくい。どうしたものかと、食べ終わった食器類を洗いながら思案する。


「ミーア、ちょっと散歩してくる」

「え?こんな時間から?」

「のんびりと夜風に当たりたくなってな。仕事に引き戻されたらそんなこと到底できなくなるし」

「唐突だなぁ……うーん、気をつけてね。夜は物騒だから」

「おう」

なんと、エドワードの気まぐれによりミーアと二人で話をする機会はすぐに訪れた。これ幸いにとミーアの傍に寄ると、単刀直入に切り出す。

「ミーア、なにかありましたか?」

「えっ、顔に出てた?」

「ええ、上の空でした」

「あー…まじかぁ…。うーん、ちょっとジブリールと会ったんだけどね」

ショックを受けたかと思えば顎に手を当てて悩み始める。彼女には悪いが、本当に表情がころころ変わるなと内心苦笑いした。
しかしそうやって素直に出してくれるところがミーアの素敵なところだと断言できる。最も、当人はそれを直したいらしいのだが。














『ウェールズ・シンプソン。シンプソン伯爵家の長男で跡継ぎだった。行方不明当時15歳、登山が趣味だったが、その登山に出掛けた後行方不明となる。その5ヶ月後にジャーニー・シンプソン伯爵…ウェールズ・シンプソンの父が急死、それを追うように次男三男も行方不明となる。母は数年前に病死しており、シンプソン伯爵家は没落した。さらにその一年後、一家ぐるみで交友の深かったシルヴァニア男爵家が失踪する』

『その…ウェールズ・シンプソンって…』

『…うん、ゼノラックスのことだよ。ウェールズ・シンプソン、それがゼノラックスの本名だ』

ジブリールが懐から取り出した資料には、そう記載されていた。1枚目の左上にはクリップで小さな顔写真が留められているが、それは髪型も顔つきも体つきも違えども確かにゼノラックスであることは間違いない。
ウェールズ、その名は確かにあのショッピングモールでフローレンスが口にしていた名だ。あの時は目隠しをされていたが、会話を聞いていればそれがゼノラックスへと宛てられたものだとは簡単に推測することができる。
シルヴァニア家失踪事件については聞いたことがあるが、シンプソン家が相次いで不審死し、さらに没落までしているなんて聞いたことがない。シンプソン伯爵家の名前ぐらいは聞き覚えがあるものの、行方不明者や不審死者が出ていれば噂ぐらいにはなるだろう。それがなかったということは秘密裏に処理されたというわけで、これもまた情報規制のうちの1つというわけだ。

『…これについてはさ、あのシルヴァニアのお坊ちゃんの件があってからエリカさんに調査を頼んでいたものなんだ。てっきり、おれは貴族を改造なんてしないと思い込んでた。理由としては国の経済を回してくれる必要不可欠な人材だから。おいそれとその数は減らせないだろうからって。…でも、わりと見境ないね、あの王様は。あな恐ろしや』

『…………このこと、ゼノラックスには?』

『言ってない。というか、むしろそれで悩んでる。おばあちゃんにはこの後報告するつもりだけど、問題はゼノだ。…あいつ、過去のことあんまり知りたくないみたいなんだよね。明言されたわけではないんだけど、過去のことについて触れてみると顔が怖くなるからさ』

『ゼノラックスは、自分の過去になにがあったか知りたくも思い出したくもない?』

『なんとなくだけどそうみたいなんだよね。どうして知りたくないのかはわからないけれど、張本人とはいえわざわざ嫌がってる情報を耳に入れさせていいのかなってね。でもおれが知っちゃった以上は隠し通すのもなんだか後ろめたい気がしてさ』

『うーん…』

自分は記憶を故意に失わされたことがないのでゼノラックスの立場に立って考えるのにも限度はあるが、もしかすると怖いのかもしれないと思った。
それを素直にジブリールに伝えれば、ジブリールは目を丸くした後に『怖い?』と復唱する。

『だって、もうゼノラックスには"ゼノラックス"っていう名前があるんだよ。記憶を失ったって自覚はあっても、ゼノラックスが"ゼノラックス"ならば"ウェールズ"を思い出すことはやっぱり怖いんじゃないかな』

『どうして?どの道自分の記憶なのに?』

『いやいや、これはただの推測だからね。……でも、"ウェールズ"を思い出したら"ゼノラックス"はどうなっちゃうのかって考えると……私でも、やっぱり怖いと思っちゃうかも』

『…?』

ジブリールはいまいち納得しきれていないようだった。なにも言っている意味がわからないのではなく、どうしてそれを怖がるのかということが繋がらないのだろう。こればっかりは感覚の問題だから説明するのにも骨が折れる。
まぁ、本気で捉えられるよりはマシかもしれない。断定形で語ってはいるもののあくまで推察なのだから。

『多分…ゼノラックスは、"ウェールズ・シンプソン"よりも"ゼノラックス"が大切なんだと思う。"ウェールズ・シンプソン"は"ゼノラックス"の思い出なんて持っていない、ましてや環境だって"ゼノラックス"とは違う。きっと、ゼノラックスは"ウェールズ・シンプソン"を取り戻してしまうことで"ゼノラックス"という存在が消えてしまうと思ってるのかもしれない』

『そんなこと…普通に考えても有り得ない。"ウェールズ"も"ゼノラックス"も、2人の記憶を併せ持つだけじゃないか』

『それでも、"ウェールズ"を思い出すことの弊害はあるよ。例えば性格、性格は絶対に違うよね。今のゼノラックスの性格は"ゼノラックス"という生活によって形成されたものだよ。もう一度"ウェールズ"になれば、もう純粋な"ゼノラックス"ではいられないんだよ。性格だけじゃない、家族のことも友人のことも…あの、シルヴァニアのことだって思い出す。それでも"ゼノラックス"だと言える?…ううん、言えないはずだよ。だって、きっと、"ウェールズ"の要素を多く持ってしまうから』

『でもそれは、あいつのことを考えれば決して悪いことじゃないはずだよ。それで思い出すものがあるなら、それは元々あいつのものだったんだ。無くしたパズルのピースを取り戻すだけ、不完全を無くすだけなんだから』

『あー!もー!ゼノラックスは、"ゼノラックス"でなくなってしまった後がきっと怖いんだよ!ジブリール、エリザベート、変わってしまったあとの君たちのことが怖いんだよ!』

ジブリールに感情面での葛藤を理解してもらうのは難しい。あまりにも論理的で普通の考えをぶつけてくるものだから、ついムキになってしまった。何故確証もないゼノラックスの感情でこんなに必死に訴えてしまうのかは自分でもわからないけれど、伝えなければならないと思ったのだ。
しかし案の定というべきか、困惑した素振りを見せた後難しい顔をしてジブリールは黙り込んでしまう。ああ、やってしまったと瞬間的に察した。

『……おれには、やっぱりそんな感情的なことはよくわからないよ』

『うう…ごめん…』

『ううん、これはおれがポンコツなだけだから気にしないで。…おばあちゃんに相談してみればわかるかな』















「──と、いうことがありまして…。その後は普通に解散したんだけども、……あー、なんであんなにムキになっちゃったんだろう!」

「ミーア、落ち着いて…」

くわっと、髪をかきあげて嘆くミーアをどうどうと宥める。
ミーアがジブリールに訴えていたことは有り得ない話ではない。勿論、ゼロも感情的なことに関してはあまり理解が進まないのだが、ゼノラックスの気性を考えればなくはないのだと思う。というより、自分の過去の記憶を思い出すことに抵抗を感じるのはそれぐらいしか理由が見当たらないのではないだろうか。
ここまで思案してはたと、ゼロは己を鑑みた。

(──…ボクは、記憶を思い出せる機会があったとするならばどうするのでしょう)

想像を巡らせてみる。するとやはり、ちくりとした抵抗感を感じた。

(…これは、恐怖なのでしょうね)

ゼロが"ゼロ"でなくなった時、"ゼロ"になる前の何者かの記憶が混ざった時、自分はどう変化するのか。今はミーア達が大切だが、それよりも大切なモノを思い出して彼女たちのことをほっぽってしまうのか。
きっと周囲は、自分が記憶を思い出したとしてもそう変わることなく接してくれるのだろう。しかしゼロ自身は?"ゼロ"でなくなった自分は果たして、今まで通りミーア達と接することはできるのだろうか?
それが、一番怖かった。それならば思い出さなくても良いという選択肢さえ浮上してしまうほどに。

(──ああ、きっと、ゼノラックスもこれが怖いのですね)

変化した自分が、どうなるのかわからない自分が、一番怖くて辛い。
だって、今の自分が本来の己でないことは自分自身が嫌という程わかっているのだから。














「というわけで、来たよ」

「なにがというわけ?」

翌日、ミーアとゼロはレジスタンス本部を訪れていた。
というのも本日はエドワードが外出し、尚且つ夜に帰ってくると言い残して行ったからだ。これは好機だと、改めて現状をエリカに報告することも兼ねてミーアは一足先にジブリールとエリザベートの元を訪れた。

「うーん…来てもらったところ悪いけどさ、おれらは無理にゼノに思い出させなくてもいいって方針に固まったんだけど…」

「私たちも、思い出させようとして来たわけじゃないよ。ただ、ゼノラックスの気持ちの整理を手伝えたらなって思ったの」

「気持ちの整理?」

そう、なにも思い出させてみるなんていう荒治療をする気はない。というか流石にできない。
別に思い出したくないのなら思い出さなくてもいいとは思う。だが、心配なのは万が一思い出さなくてはならない状況に陥った時だ。
誰かに思い出さされることもあれば不意に思い出しそうになる時もあるだろう。記憶というものはそんなものだ。いざその状態になった時、恐怖心が凝り固まったままなのと少しでも和らいでいるのとではまた心境も違う。
差し出がましいかもしれないが、ミーアはその万が一のことを考えて今日この場にやってきたのだ。

「……まぁ…ミーアさんの言うことも一理はあるわぁ。さすがに思い出すタイミングまではわたしたちもわからないもの」

「そうだけど……恐怖心を和らげるって言っても具体的にどうするの?そういう曖昧な感情面ではおれは力になれそうにないよ」

「それは…相談しようと思って」

「つまり考えなしね」

「うっ」

オブラートに包むこともなくジブリールは苦笑いでズバズバと言ってみせた。だが事実なので反論はできない。
途端にしょげた様子を見せるミーアを宥めつつ、エリザベートが思案げに顎に手を持っていく。

「でも、本当にどうすればいいのかしら…。わたしたちはそもそも過去について触れすぎて、それに関連したワードが出るだけでも少し警戒されてしまうのよねぇ」

「あれはダメだね。野生動物みたいに暫くは警戒網張り巡らせてるよ」

「んー…」

ジブリールが深くため息を吐く。それほどなのだろう、ゼノラックスの拒絶具合は。よほど踏み込まれたくないのか、それとも踏み込みたくないのか。きっと、ゼノラックスはどちらもなのであろう。
しかし、それですごすごと引き下がるミーアではなかった。

「よし、みんなで行くよ!」

「えぇ…ミーアさんってそんなキャラだったっけ……」

どことなく気後れしたようにジブリールが呟く。さて、こんなキャラだったかと問われればそうだったとしか返しようがない。それなりに気を許した相手には多少のお節介も働いてしまうもの。ミーア・シャーロットとはそのような人間なのである。そもそも性根がお人好しでなければゼロを拾っていないのだから。

「ミーアさーん…過度の世話焼きは迷惑にもなりえるんだよー…絶対ゼノは嫌がるよ、それでもやるの?」

「…ええ、ジブリール。確かにあなたの言う通りよぉ。世話も焼きすぎれば厭われる。……でも、ゼノの為にもわたしたちだって頑張らないといけないと思うの。……ここでなにもしないで安定策を取り続けて、後になって苦しむのはやっぱり嫌よ、わたしは」

「…でも、おばあちゃんさぁ……こんなに総出でやってゼノの恐怖心を払拭できなかったら溝が生まれるよ」

ミーアに協力の意を見せるエリザベートとは対照的に、ジブリールは否定的な立ち位置を崩さなかった。
ミーアは知っている、ジブリールの感情が僅かに怯えへと揺らいでいるのを。そしてその怯えの元となるのはゼノラックスとの間に距離が生まれてしまうかもしれないという恐怖。ジブリールもまた、恐怖していた。それを本人が気づいているかはわからないが。
確かにジブリールの懸念は十分に理解できる。少しでも対応を誤ればゼノラックスはさらに恐怖を増大させてしまうだろうから。そのリスクはミーアなりに承知しているつもりだ。なにも、面白半分で傷をほじくり返そうだなんてしていないのだから。
ただ、やはりというべきかお人好しなのは変えられない。ゼノラックスの心境が少しでも穏やかになるのであれば、そのリスクを飲んででも行動したい。

「ジブリール…」

「………ああもう、わかったよ。おれも協力するよ。……でも、絶対に上手く行かせてよ。今回ばかりはおれでも最善策を導き出せそうにないから、……任せる」

「うん!」

ミーアの瞳から気まずそうに顔を背けたジブリールは、半ば自棄のようにぞんざいに言いながらも、ミーアの意志を受け入れたのだった。
















*











「ゼノラックス」

「おう」

ゼノラックスの自室を訪ねればすぐに出てきた。ジブリール、エリザベート、ミーアが揃い踏みしているのに少しだけ目を丸くしたが特に態度に違和感を感じることもなくゼノラックスは部屋へと3人を招き入れる。

「なンだよ、そんな大人数で」

「大人数かしら…?いえ、それはいいの。ゼノ、調子はどう?」

「…?ふつー」

まずは当たり障りなくエリザベートが話しかける。ゼノラックスは何故そんなことを聞くのかと言いたげに不思議そうな顔を見せたが簡潔に答えた。
その後軽く世間話をしたがゼノラックスは至って普通、むしろ話の内容によっては機嫌良さげに笑う時もあった。
しかし、今は馬鹿話をしに来たわけではない。なので早速本題に入ろうとエリザベートが切り出したのだが──。

「………あ?」

過去、というワードを出した瞬間にゼノラックスの表情は一変した。一気に険しく眉間に皺を浮かべ、目付きを鋭くする。
その変わりようにミーアは僅かに竦み、ジブリールはやっぱりとでも言うように渋い顔を見せた。
──いつもの彼ら3人ならば、ここでやめて話題を切り替えていたのだと言う。しかし、今日は違う。このまま話し続ける。

「ゼノ、どうしてそんなに過去を思い出すことが怖いの?」

「………………」

珍しく引かないエリザベートが強くゼノラックスを見つめる。その視線を避けてゼノラックスは顔を伏せると、そのまま黙り込んでしまった。
エリザベートの方も責め立てるように声をかけ続けることはせず、あくまでゼノラックスのペースに合わせるように口を閉ざす。


「──ゼノラックスは、自分が消えちゃうんじゃないかって思ってる?」

沈黙の中、ミーアが静かに言葉を紡いだ。穏やかで安らぎさえ感じさせそうなその声音にしかし、ゼノラックスは冷や汗を浮かべて反射のように顔を勢いよく上げた。
揺れる瞳は『どうしてそれを』と伝えてくる。感情の波を見ずともゼノラックスの確信をついたというのは一目瞭然の事実であった。

「ゼノはそれが怖いのか?…昔のことを思い出してもゼノはゼノでしょ?」

「……ちがう」

「え…?」

「ちがう、全然ちがう!」

ジブリールの言葉はゼノラックスの心を大きく乱した。それは悲鳴にも聞こえた否定だった。立ち上がったゼノラックスの狼狽を見て初めて自分が失言したと気づいたジブリールは、顔を強ばらせて取り乱す。

「ご、ごめ」

「どこに俺が俺のままでいられるッて保証があるンだよ!?そのウェールズだッて俺かもしンねェけど、ゼノラックスだッて、ゼノラックスだッて俺なンだよ!!…ゼノラックスだッて………」

慌てて取り繕おうとしたジブリールを遮って怒鳴るゼノラックスは、びくりと肩を跳ねさせたエリザベートを視界に入れるとふと我に返ったようにハッとした顔をして語気を弱めていく。
怒鳴るつもりはなかったのにという心境が如実に現れた表情でへたり込むように椅子に腰を下ろし直すと、ゼノラックスは塞ぎ込むように膝を抱えて手で顔を覆ってしまった。
覆った指の隙間から「俺だッて、……俺のままじャダメなのかよ」と、啜り泣くような息遣いとともに弱々しく零れる。

「ゼノ……」

エリザベートがゼノラックスの傍にそっと遠慮がちに寄ると、悲しげに瞳を伏せて顔を覆っているゼノラックスの手を優しく撫でた。
ジブリールも己の言葉がゼノラックスの琴線に触れてしまった負い目からか痛ましげに顔を伏せている。重苦しく沈んだムードが蔓延するのを肌で感じた。
ゼノラックスの呪詛のような呟き以外は誰も声を発さない。1分ほどそうして、ジブリールがとうとう諦めた目付きでミーアに目配せをしてくる。そのアイコンタクトは「もうやめよう」と切実に語っていた。



「──ゼノラックスは、みんなのことがとても大切なんだね」

澱んで、悲哀に満ちている空気。それを斬ったのはミーアだった。ジブリールのアイコンタクトも無視して、ミーアはゼノラックスの前に膝をついてしゃがんで見上げる。
ずらされた人差し指と膝の隙間から、ゼノラックスの雨に濡れた桔梗色がその赤紫を覗かせた。
隙間から溢れてぽたりと落ちた雨粒は、受け止めたミーアの指を濡らす。その雫に目を落として、そして次に目を合わせたミーアの瞳は強く輝いていた。

「みんなのことが大切だから、その感情を持っていたいから思い出したくないんだね」

「……悪いかよ。………だッて、忘れたくない。ずッと大切なままでいたいッていうのはそンなに悪いことなのかよ」

「悪いだなんて、そんなことあるわけがない。それは断言するよ。……でも、大切だった人達のことは忘れたままでいいの?」

──きっと、それが切っ掛けだったのだろうと思う。どうして思い出す決意をすることができたのだろうと考えれば、ゼノラックスは必ずその言葉を思い返すからだ。
その、いつも吊りあがっていて不機嫌そうな瞳を大きく大きく開く。それに呼応するかのように、小雨は大雨へとその雨模様を変化させる。
濡れ鼠となった両手を退けて、同じくずぶ濡れとなった顔を空気に晒す。泣き慣れていないのか目尻と瞼は真っ赤になっていて、これは明日腫れるなとジブリールはどこか場違いな感想を抱いた。

「…………大切…だッた……ひと」

「…うん、君が大切に想っていた人達のこと。ウェールズかゼノラックス、どちらかの想いを消すんじゃなくて、もう片方も仲間に入れてあげてよ」

「……そンなの、俺が意識してどうこうできることじャねェッつーの。………………でも、そうだな」

深く深く、深呼吸をするように重い溜め息を吐いたゼノラックスは、やがて桔梗色の宝玉に光を宿してジブリールを見据えたのだった。
僅かに震える手を、それでも残る強ばりを溶かして手を伸ばす。そして、泣きすぎたが故の鼻声で「俺の過去を見せてくれ」と強くハッキリと言葉にしたのだ。












:







「──これが、ウェールズ・シンプソンについてだよ」

ゼノラックスに直接資料を見せてもほとんどを読み解くことができなかったので、ジブリールが音読をする。
彼の読み上げたウェールズ・シンプソンの経歴を全て聞き終えたゼノラックスは、しかし難しい顔のまま腕を組んで黙っていた。

「……どう?」

エリザベートが遠慮がちに問いかける。だが当の本人、ゼノラックスは瞼を閉じると首を横に数回振った。
つまり、思い出せないということだろう。

「……なンか…………喉まで出かけてるのに出てこねェ。……スッキリしねー、なンだこの気持ち悪い気分」

「やっぱり、そう簡単には思い出せないよね」

「でも、ゼノが思い出そうとしたこと自体が大きな進歩よぉ」

依然として固い表情を浮かべたままのゼノラックスの腕を取ると、エリザベートは励ますように大輪の花ようなにっこりとした笑顔を浮かべた。その輝かんばかりの清純な笑顔にあてられて、ゼノラックスは「う〜」と呻き声をあげる。
そんな二人の様子を微笑ましげに見ていたが、ふとジブリールが何かを思い出したかのように小さく声を漏らした。

「そういえば、あの管制室におれを助けに来てくれた時……迷わずに来れてたよね?」

「あ?あー……」

「ずっと、なんであのゼノが真っ直ぐ来れたんだろうって思ってたけども、登山してたんなら方向感覚や地理感覚に優れてるよね。それに地図も読めてる」

「あのゼノッて言い方なンだよ。……まー、確かに地図は読める。……あれ?そういや、読めるな」

「あら、だったらきっと記憶もいつか取り戻せるわよぉ。だって、ゼノは全てを失ったわけではないのでしょう?地図を読むだなんて、その知識がないとできないことよぉ」

「そうなのか?……そうなのか、ふーん……」

恐らく、ゼノラックスにとっては地図を読めるだなんて当たり前のことなのだろう。だから反応はいまいち芳しくはないが、それでも思い出せるかもしれないと前向きに思えたのか少し口角が上がっている。ゼノラックスが失った過去に対して嫌悪感を払拭できたことを、ミーアはとても嬉しく思う。それは単純に、友人の力になれたからだなんて在り来りで善意的な理由。だが、それがミーアという者の動力源なのだろう。その理由一つだけで彼女は行動するのだ。

「それじゃあ、私はそろそろゼロを迎えに行くね」

和やかな3人にこれ以上介入するというのも無粋なもの。問題が一段落したのならば、早めに引き下がるべきだ。
一言断って退出しようとすると、ぴんと服の裾を摘まれて危うく転けるところだった。

「おい」

「な、なに?」

ミーアを引き止めたのはゼノラックス。彼は椅子に座ったまま腕を伸ばして裾を引っ張っていた。微かにビリッと聞こえたのは気の所為だと思いたい。
こちらをじっと見上げるゼノラックスは、生来の目つきの悪さが際立って少々威圧的に思える。だが、心根はそれなりに真っ直ぐで仲間思いな人間だと知ったのでもう怖がることは無くなっていた。

「あー、その、なンだ……」

「???」

いやに歯切れが悪い。「うー」だの「あー」だのと唸るゼノラックスの意図が図れずに疑問符を浮かべるミーアを見兼ねたのか、いち早くゼノラックスの真意に気づいたらしいジブリールが肘で小突いて急かす。

「いてッ」

「早く言えよー、困ってんだろ?」

「ニヤニヤすンな!」

「まあまあ!喧嘩は後でにしましょ!」

揶揄するように口元を歪めるジブリールに食ってかかりそうだったので慌ててエリザベートが仲裁に入る。彼女に止められては噛みつき続けることもできず、含み笑いを漏らすジブリールを恨めしげに睨んでゼノラックスは改めてミーアへと向き直った。

「あーーー………まァ、なンだ。………ゼノ、でいい」

「…ん?」

「察し悪ィな!だーかーら、ゼノッて呼ンでいいつッてンだよ!!」

「それ言うのにどんだけ掛かってんのさ、ピュアかよ、くくっ…」

「うるせー!ジブリール!」

照れ隠しのようにジブリールに再び威嚇しに行ったゼノラックスに、ぽかんと口を開けて固まるミーア。しかしすぐにその開けていた口は笑みへと変わった。
ぎゃんぎゃんといつも以上に吠えるゼノラックスの肩をとんとんと叩いて、怒りか照れなのか首から上を真っ赤にしたゼノラックスを振り向かせる。
そして、渾身のいたずらっ子な笑顔で言ってみたのだった。

「ありがとう、ゼノ!」









:






「──ってことがあったんだよ」

「それは…ええ、良かったですねミーア」

「うん、まさか愛称で呼ぶのを許可される日が来るとは思わなかったなぁ」

にこにこと誰が見ても上機嫌だとわかるほど浮き立ったミーアの話を、ゼロは微笑ましげに聞く。身長の差も相まって、親子かなにかのように錯覚してしまいそうなほどのほんわりとした雰囲気は、この2人を中心にして生み出されていた。


「ねぇ、ところでさ──」

「…?はい、どうかしましたか?」

「……ゼロも、やっぱり……過去の記憶を思い出すことに抵抗は……ある?」

遠慮がちに問われたそれに、ゼロはぱちぱちと瞬きをすると答えにくそうに視線を外した。

「…………抵抗が全くないと言えば、嘘になります。…………………しかし、……」

「しかし?」

「思い出さねばならないのです。きっと、ボクもゼノラックスも。ゼノラックスにとってのシルヴァニアのように、ボクにもきっと……どのような形であれどボクが思い出すことを待ってくれている人がいるんだと思うんです」

そう言いきれるほどの確信があるように、いつもどこかぼんやりとしていたゼロの瞳には強い光が宿っている。
その光は、どこまでもどこまでも眩しく輝かしかった。光に魅せられると同時に寂しさも感じてしまうほどにはとても。

「──そっか。……うん、そうだよね」

「ボクは、自分のことが何一つわかりません。ボクがこうなる前はどんな境遇だったのか、改造される前はどんな生活をしていたのか。ボクの家族、友人──恋仲の人もいたのかもしれません。けれども、何一つとして思い出せない。……でも、思い出せないからこそ思い出さなくてはいけないのです。大切だった者を、忘れたままでいいはずがありません」

「ゼロは、とてもしっかりしているね。見た目年齢よりもずっと大人で、筋も通している。ゼロを見ていると目が眩んじゃいそうだな」

眩んで、目が潰れてしまいそうだ。前を向いて進む人間の生き様のなんと美しいことか。誇らしいのと同じくらい、羨ましかった。こんな風に考えることなんて、誰かには促せてもミーアにはきっとできっこないから。
そんなミーアの心境を知ってか知らずか、きょとんとした後に珍しくくすりと笑うと、ゼロは屈託のない微笑みで言ってみせたのだ。

「ボクには、ミーアの方が眩いですよ。だって、貴女はとても人間らしい。悪い意味ではなく良い意味で。だって、貴女はいつも真っ直ぐで人情深くて……そう、太陽のように明るい。ボクは貴女に何度も照らされてきました。あの日、貴女に拾われなければ恐らくは……今のボクはいなかったでしょう。ミーア、貴女はボクにとって月でもあり太陽でもあるのですよ」

「なっ……なっ……」

まるで口説き文句のようなそれは、当然そういう意味で発されていないことは知っている。だが、それを抜きにしても並び立てられる歯の浮くような賞賛は、そういったものに免疫のないミーアを照れさせるには十分だった。慣れない言葉が耳に入ってきてむず痒い。ミーアが口をパクパクさせて顔を茹で蛸のように真っ赤にさせているというのに、原因であるゼロは涼し気に疑問符を浮かべている。

(さては……こういうこと言い慣れているな……恐るべし)

所謂、天然タラシという人種なのだろう。顔も良いからこれは相当好意を寄せられていたのだろうな。なんて、恥ずかしさを誤魔化すために下らないことに思考を飛ばした。
そうして主にミーア一人がわちゃわちゃとしていると、ふとゼロが先の通路に目をやる。つられてミーアもそちらを見れば、見慣れた白衣の裾が横切って行った。
互いに示しを合わせることもなく歩き出し、その白を追う。彼は歩行スピードがあまり早くはないからか、多少距離があろうともすぐに追いつくことができた。

「ハイド!」

軽く手を挙げながら呼び止めると、ハイドランジアは猫背気味な背をさらに丸くしながらのっそりと振り返る。そこで、初めてハイドランジアの異変に気がつくことができた。

「マスター・ハイドランジア。その……随分と窶れてらっしゃいますが、どうかなさったのですか?」

そう、ミーアに関してはつい先日に会ったばかりだというのに、その時とは比べ物にならないほどにげっそりとしていたのだ。目も普段の何割か増しで死んでいるし、隈も色濃くなっている。

「……栄養不足と寝不足、そして疲労が……ね」

「そんな、何があったの?そこまで疲弊するだなんて」

「──……いや、……頭痛が治まらないんだ」

一瞬、ミーアの頭上の虚空へと不自然にハイドランジアの視線が向かった。
しかし彼にしては珍しく、怪訝に首を傾げたミーアに取り繕うように*を押さえるとゼロを見遣る。

「ゼロは…………出てきても大丈夫なの?……その、お兄さんのこととか……」

「今日は大丈夫。でも、またいつ来れるかわからないかも」

「そっか……うん、……気をつけて」

「ボクとしては、ハイドランジアの方が気をつけていただきたいのですが……今にも倒れそうなので」

人の心配よりも自分の心配をしてもらいたい。呆れ果てたようにゼロが忠告すると、ハイドランジアは定まらない視線ながらもこくりと小さく頷く。
大丈夫なのだろうか。よもや、効果のわからない薬を自分に打ったりはしていないだろうか。ないとは思うがそんな懸念を抱いてしまうほどにはハイドランジアの様子はおかしかった。

「それじゃあ、私たちは行くけど……もし倒れそうになったら呼んでよ、駆けつけるから。あと、早く帰って寝ること」

「……うん……───あ、ノーランさんって……」

「ん?」

「────なんでもない、ばいばい……」

なにかを言いかけたが、濁すように首を振るとハイドランジアは左右にふらつきながら歩いていった。その後ろ姿は限りなく頼りない、介抱でもした方がよかっただろうか。

「別れちゃった後になんだけど……やっぱり、追いかけた方がいいかな……」

「実を言うと、ボクも後ろ髪をずっと引っ張られていまして……戻りましょうか」

やっぱりあの容態のハイドランジアを一人で帰すのには些か不安だ。ゼロとともにハイドランジアを追い戻ろうとして、その声はかかった。

「あ〜ら、ご機嫌いかがかしら〜?」

「…?エリカさんと…えっと」

「キューだ。すまない、お前達の姿を見つけた途端走り出してな」

黒を基調とした衣服に映える桃色の長髪の美女と、真っ赤でぶかぶかなローブを羽織ってフードで顔を隠している小さなシルエット。まるで挑発でもするかのような声音でミーア達の行く手を遮るように立つ赤ローブと数歩遅れて呆れたように赤ローブの後ろに立つエリカは、赤ローブの正体を掴みあぐねているミーア達に名を教える。

「キューって……」

「ミーア、ご存知なのですか?」

「…………ううん、会合参加者だよね?」

知っている、ばっちり知っている。しかし、その事実を述べることはイミーディアとの取り引きもあってはばかられた。
殺されかけたあの事は忘れない、よもやもう幼子などとは油断はしない。
胃が痛くなりそうな思いで問うたミーアに、「如何にも」とエリカは頷く。エリカが居るのでまた殺されかけるということはないと思いたいが、わざわざ通せんぼをしてくるなんて何の用だろうか。

「光栄に思いなさい?わらわのお茶会に同席する栄誉を与えるわ」

「お茶会、ですか?」

「ああ……私とキューで茶を嗜もうという話になっていたのだが、……まぁ、なんだ。キューもこう言っていることだ、来てみないか?親睦を深める良い機会でもあるだろう」

ハイドランジアを追いかけたかったのだが、キューという少女の性分を考えるに断っても大人しく引き下がってくれるようなことはないだろう。一体なぜ、殺しかけた相手を誘おうと思ったのかは謎だが拒否すればそれこそ逆上されるということは容易に予想がつく。
それは、キューとは初対面であるゼロも彼女の尊大な話口調から察したのだろう。示しを合わせることもなく、肯定の意を返した。








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「ねぇ、あなた達に質問よ」

「…なんです?」

貴族というだけあって、キューの持参してきた茶葉は美味の一言に尽きた。ケーキスタンドに置いてあるお茶請けのお菓子も、それはそれは甘くて口の中でほろほろと溶ける。甘すぎたのかゼロは渋い顔をしていたが、ミーアとしてはそれだけでキューへの警戒を和らげてしまうほどには満足だった。
そうして菓子を摘みながら雑談をしていると、キューが話題を変えた。

「あなた達は今、貴族の身分にあると思ってちょうだい」

「は、はぁ…?」

「あなた達はとある貴族の跡継ぎ候補。でも、当主が急死してしまったとするわ。そこに、分家の親族は己が新当主の座に着こうとこぞってあなた達の親権の行方を揉め出すの。それはもう、何人もの欲に飢えた薄汚い大人達がここぞとばかりにロクに交流もなかったあなた達を手中に収めようと唾を飛ばしながら争うわ。誰に譲っても、きっと目先の富に目が眩んで由緒ある家を傾けさせてしまうでしょう。さて、そんな時あなた達はどうするのかしら?」

「キュー、それは…」

ローブの奥から探るような視線が向けられているような気がする。エリカがなにかを言いかけたが、キューが人差し指を立てて静かにするようにジェスチャーした。
早く答えるよう、キューから促される。さっぱりと言っていいほどその問いの意図が掴めないが、答えなければ不機嫌になるのだろう。それをいち早く察したゼロが、先に口を開いた。

「……親権については、親族が独断で決められることではないでしょう。然るべき機関に介入していただくべきです」

「そう、凡庸ね。…あなたは?」

ゼロの回答にはさして興味がないのか、端的に感想を述べるとミーアを急かす。
──いや、むしろ彼女は最初からミーアの答えにのみ関心があるようだった。

「私なら──私なら、……家に誇りを持っているだろうとかそういう諸々を引っ括めた上で答えるのなら────私が、新しい当主になるよ」

「……ふぅん?」

キューの純粋な楽しさを浮かべる声は初めて聞いた気がする。どうにもミーアの返答がお気に召したようで、テーブルに肘をついて前のめりになるとさらに質問を重ねてきた。

「それはどうやって?後ろ楯なしで家を守り通す覚悟はある?しつこい親族はどうするの?」

「貴女がこの質疑にそこまで拘る理由がわからないけれど────……それは、覚悟とか二の次でやるしかないんじゃないの?親族は……どうにかするしかないと思う、としか言えないけども、誰にも任せられないのなら自分がなるしかないでしょ?」

「────そう、よくわかったわ。あなたはそう答えるのね。ふぅん、なるほど」

得心が行ったのかはわからないが、ローブの隙間から溢れている真紅の髪を指先にくるくると巻いて一人呟く。
しかし次の瞬間、油断していたせいもあるが目にも留まらぬ速さで右腕を振るうと、ミーアの顔面に向けて薔薇が投擲された。

「──ッ!!」

避けられない、体が動かない。突然のことに硬直した筋肉は身動きを取ることを許してはくれなかった。
咄嗟に目を瞑って小さな痛みを待つことが精一杯で、死ぬような毒がこめられていたらどうしようだなんて脳だけは元気に不安を叫んだ。


「─────どういうつもりで?」

しかし、待てども当たることはなく。代わりに底冷えするようなゼロの声だけが響いた。
恐る恐る開けた視界には、薔薇の茎があと数ミリで瞳に直撃するかというほどの距離で静止している。

「キュー、貴様なにをしている!?ゼロ、お前も手が……」

ゼロは、ミーアの目と鼻の先で薔薇を握り止めていた。茎を掴んだせいで棘が手のひらに刺さり、ぽたりぽたりと滴り落ちる少量の血が純白のテーブルクロスに散り舞う。
尚も右手に薔薇を出現させたキューの手首を掴んでエリカが間に入るが、そんなエリカのことなどどうでもいいと言うように手首を乱暴に振り払うと、キューはローブを脱ぎ捨てた。

「わらわの名はルナリア・ノインス。ミーア・シャーロット、やはりわらわはあなたのことが気に入らないわ。特に、わらわの問い掛けが及第点であったことが一番に…ね。だから、いつかわらわと決闘なさい」

長い真紅の髪をはためかせて、子どもに似合わぬ不遜な笑みで、深紅の幼子は挑戦状を叩きつけてきた。
ここで怯んでは負けなのだと、そう悟ったミーアは言葉の代わりにぐっと睨み返す。すると、愉快気に見た目に削ぐわぬ大人びた笑みを見せるとキュー──ルナリア・ノインスはそのドレスの裾を摘んでお辞儀をし、去っていった。

「キュー、あいつどういうつもりだ?…いや、それよりもゼロ、手を見せてみろ」

「…………軽度の神経毒のようですね。痺れてはいますが、数時間も経てば元に戻るでしょう。それよりもミーア、彼女の言葉に乗っかる必要はありませんよ。もしなにか危害を加えられたならば、ボクに言ってください。ボクが相手になりますので」

「いや、私に言え。同じ会合参加者としての責任だ。すまないな、ミーアにゼロ。キューがとんだ真似を……」

「…ううん、エリカさんは気にしないで。でも、私は随分とあの子に嫌われているみたいだね」

「何故キューがお前に対抗心を燃やしているのか定かではない。だが、キューが真名を明かしたということはお前と決闘するというのも本気なのだろう。見てくれは子どもだが……大人よりもしっかりしている。次に会った時に注意はしておくが……キューになにかされたならばすぐに言ってくれ」

「ありがとう、エリカさん」

端正な顔立ちと目つきの鋭さからエリカという人物はもっと冷徹なのではないかと想像していた。しかし、現物の彼女は眉を下げてまで親身にこちらを気遣ってくれている。失礼なイメージを抱いていたことを心の内で謝罪した。
お言葉に甘えて、またキューに絡まれるようであれば遠慮なく相談させてもらおう。自分たちで解決するには、あまりにも手に負えない。
血が滲むゼロの傷具合を確認していると、思いついたようにエリカが発した。

「明後日は千年祭だが、お前達はどうするのだ?」




















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「千年祭、か。どうする?行くか?」

ミートソースパスタを頬張りながら、エドワードが意思を伺ってくる。
うーん、と濁しながらミーアはちらりとゼロを見ると、こちらのことは気にしなくてよいと言うように両手をひらひらと振ってきた。

「千年祭かぁ……兄さんはどうするの?」

「招集がかけられなければミーアと行きたいと思っていたんだが。仕事を言い訳にするわけじゃないが、今までロクに兄ちゃんらしいこともできていなかったし良い機会だって」

「そっかぁ……、うん、そっか」

確かに、これまで兄とは一度も催し事には行ったことがない。正直なところ一抹の寂しさを感じていた節もなくはないので思い出作りのためにも行きたいという思いはある。
ただ、ゼロをぽつりとこの家に置いていくのも如何なものか。それに、城に招集が掛けられる可能性もゼロではない。いくら雑用係だといっても当日の混乱は容易に予想できることから扱き使われるかもしれないのだ。だから──

「予定が入らなければ、行きたいかな」

「──そうか!兄ちゃん、嬉しいぞぉ!」

心の底からの嬉しげな笑み、曖昧に答えたというのにここまで喜ばれては罪悪感も燻るというもの。言動に気持ちが悪いところもあるが、やはり兄のことは好きだ。今となっては唯一の肉親である彼と居れる時間は少ない。だからこそ、こうして積み重ねていかなければ。
いつ日常を失うかだなんて誰にもわからない。わかるとしたら、それは神のみぞ知るところなのだから。