エドワードの顔色は悪い。隈ができているのもそうだが、なによりも、ミーアの傍に居た時には見なかった昏い瞳が底知れなかった。
美しかった飴色はすっかりと濁りきり、食事も満足に摂っていないのか一夜でその肌は青白くなっていた。

「──貴方に関しては、数多の疑問が浮上してきます。一体何故、外交官である貴方がレジスタンスに所属し、あまつさえ幹部という地位についているのですか」

「そもそも、オレの本職は外交官ではない。──いいや、この言い方は悪いか。外交官ではあるが、主な仕事はそれではない」

「…?」

「──この国の外交官は、な。リュミエールから直接に勧誘をされる。わざわざ王様が手を煩わせてまでそれに引き込む。その理由は外交官”兼”暗殺者の役割を負わせるため」

「暗殺者…!?」

それは予想だにしていなかった言葉。暗殺者、文字通り闇に紛れて対象を抹殺する者の意。外交官”兼”暗殺者だなんて聞いたこともない。いや、それ以前にそれは兼業できるはずがない。
そもそも、王が暗殺者を抱えるとは───

「……貴族の、暗殺?」

「その通り。オレらは悪徳に手を染め巧妙に脱法をする汚職貴族を粛清する役目を仰せつかっている。外交官としても一応は仕事をするが、海外に行くことなんざほとんどない。……そもそも、行けるような国がほとんどないんだからな。オレらの日常は専ら貴族の暗殺と監視だ、だから基本は国内に居る」

「何故、そんな汚れ仕事を──」

失礼だとは思いながらもその質問が口をついでしまった時だった。エドワードが酷く無気力で色のない瞳を見せたのは。
ミーアと過ごしていた時とは一変して無表情だったそれは、明確な失望と落胆を滲ませている。明らかにゼロに向けられている感情、それが剥き出しのままに照明の下へと晒されていた。

「何故?──そんなもの、ミーアの為に決まっているだろ」

「…………」

「ミーアの為でなきゃ、あんなクソみたいな仕事やってられるか。人なんか殺したところでオレに直に利益があるわけでもない。血腥さを落とすのにも苦労するってのに」

ああ、このエドワード・シャーロットという男は心底妹のことを愛しているのだなとどうしてか切なくなった。その切なさと同じくらい、エドワードに対しての警戒心が上昇する。
この男は妹のことしか見えていない。言い換えれば、他者への関心も興味も須らく薄い。それは他者がどんな不利益を被ろうともどうでもよいということ。ミーアにさえ得があれば、エドワード自身ですら犠牲にしてそれを叶える。
他者に関しては、生きようが死のうが関係ないのだ。利用できれば利用するし、そうでなければ切り捨てる。それはただ、”愛しい妹”のためだけに。
そこまでエドワードという人物の分析が至れば、どうしてゼロに内情を赤裸々に明かしたのかも自ずと図ることができた。

「貴方は、ボクを使ってミーアを取り戻そうとしているのですね」

「当然だ。元はといえばお前が元凶、オレはミーアが置かれていた現状を全て知っている。お前を拾うまではミーアは平和だった。いや、平和に生きていけるようにオレがしてやれていた。お前が来てからだ、ミーアの人生が狂っていったのは。…………あの時、オレが偽装できなければミーアは殺されていたか良くてお前のようにモルモットとして扱われていた。───オレは、ゼロ……お前という存在が憎くて仕方がない。何度もミーアを窮地に追い込み、みすみすと奴らに渡したお前がなによりも憎い。今この場で殺してやりたいぐらいに」

「──それは、叶えられません。ボクは、ミーアに生きろと命じられました。ですから、貴方がボクを殺すことをボクは許しません」

「ミーアの言葉が無かったらバラしているところだがな。……だから代わりにお前を使う。まさか、ミーアを取り戻せないなんてほざくわけがないよな?」

「…………」

その炯眼の前では一切の瞞着も許されはしなかった。故に、ゼロは閉口するという手段でしかその追求から逃れる術を見い出せない。
だが、その幼稚な抵抗がエドワードの癪に触ったと気づいたのはこれよりもかなり先の話。
胸倉を乱暴に掴みあげられ、その怨詛に満ち満ちた瞳と相対する。

「お前はただ逃げているだけだろう。ただ背を向けて、疼く傷を少しでも忘れようと踏み込まない。違うか?」

「……ッ」

なにが琴線に触れたのかはわからない。だが、気がつけばエドワードを突き飛ばして叫び散らしていた。

「ボクだって、ボクだって救いたいに決まっている!けれどもボクが現状を好転させようとすれば”いつだって”悪い方向へと進むんだ!!”いつも”、”いつもそう”だった!!!だからボクは、ボクが手を伸ばせば大切な人はみんないなくなってしまうから、だから、……だから!!!ボクはこう”成り果てた”のにッ!!!!」

息切れを起こす。ぜぇはぁと足りない酸素を脳に運んで、ふと違和感を抱いた。
───”いつも”?”成り果てた”?それは一体どういうことだ?いつもって、何時のことだ?そもそも、自分はなにを言っている?
──耳鳴りのような金属音が、警鐘のように響き渡る。テレビの砂嵐のような白黒のノイズが警鐘とともに脳髄を侵食しようとする。頭が、痛い。

「──お前の”いつも”なんざ知るか。そんなものは結局過去の話だろう。今お前はどこに居る?現在だろ。お前がどう成ろうがどうでもいい、力量も伴わずに気持ちだけが突っ走る奴は愚かだが、気持ちすら尻込みしている輩はただの馬鹿なんだよ」

「ッ、ですがボクがミーアを救おうとすればきっと彼女はもっと酷い目に会ってしまう!!」

「救わなければもっと凄惨な目に合う。確かに今の状況は絶望的だ、殺されてはいないだろうがまずまともな扱いは受けていないだろうな。けれどもあいつは生きている、生きているのならば手を差し伸べなければならない。オレは、どんな形であれどミーアを助けてやりたい。……あいつが死ぬしかないのならば、せめてオレの手で苦しまずに死なせてやりたい。手を伸ばせばミーアは絶対に失うと言われても、伸ばさずにはいられないだろ」

最後の方はすっかりと覇気が抜け落ちて、蜉蝣のようにか細い声音だった。
まるで頭を殴られたような衝撃。金属音もノイズも、居心地が悪いとでも言うようにすっかりと消えていて、自分はなにを躊躇していたのかと阿呆らしくなってきた。
救える見込みがなくとも手を伸ばさずにはいられない、その思いはゼロとて同じであったのだ。ただ、怖かっただけ。ただ、戻らぬ記憶のなにかに怯えていただけ。詳細はわからないが、抜け落ちた過去にも似たような状況になったことがあって、そこで失敗をしてしまった。きっとそうだったのだ。
確証なんてないが、ここまで心を揺さぶられたということはその通りなのだろう。同じ轍を踏むことが怖かったのだ。
────過去にどんな経緯でそうなったのかは気にはなる。だが、今この時にそれは関係ない。何故ならば、あらゆる可能性があるのだから。昔に縛られるのはそれこそ停滞と後悔に他ならない。

「ああそれと」

「?」

「お前はやけに傲慢だから言っておくが、”いつもいつも”お前が伸ばした腕を手折るほど神様も暇じゃないのさ。だから自分は悪運の神に好かれているみたいな考え方はやめておけ」

「……驚きました。貴方は、神とやらを信奉しているのですね」

「さぁな。……だが、地獄は信じている。汚濁に塗れたオレの行き着く先なんざコキュートスの川底ぐらいだろう。………………そんなことはいい。場所を変える、着いてこい」

「どこに行くのです?」

その問いには答えずにローブを翻すと、ゼロを待つこともなく早足で歩き始めた。大人しく着いていくしかないのだろうと早々に諦めて、ゼロは歩き出す。






:







「ここは……訓練場?」

「お前らが模擬戦闘した時ほど凝った造りはしていないがな。少し憂さを晴らす程度ならここで十分だろう」

「もしや、ボクと闘う気で?」

「その通りだが?」

軽く準備運動をしながらなんでもないように放つそれは、ゼロを酷く戸惑わせた。
いくらエドワードが暗殺者とはいえ、魔素も持たないような人間がゼロと闘うには危険すぎる。魔素なしが魔素持ちに挑むなど無謀だ。たとえ魔素使用を禁止にしたとて、改造アンドロイドであるゼロとただの人間であるエドワードの間には埋めきれぬ身体能力の差があるというのに。

「オレに魔素がないと思い込んでいるみたいだが──その思い込みは安直にすぎる」

「──はい?」

ゼロの考えを見透かすようにそう呟いたかと思えば、羽織っていたローブをばさりと脱ぎ捨てる。
家に居た時とは違い白いシャツに黒のズボンを履いたラフながらも正装じみたその姿の中に、腰に巻かれた革のポーチやナイフベルトといった殺意の見え隠れするものが備えられている。
すぐさま分析をして3拍ほど遅れて返ってきた解析に、ゼロは目を疑った。

「──魔素、────『 強制式:律動楽章』…………?」

「『 強制式:律動楽章』、それがオレの魔素だ。具体的な能力については──もうわかっているだろ」

『 強制式:律動楽章』、確かにこれは疑う余地もなくエドワード・シャーロットの魔素である。
それは無機物を自在に操ることができる、所謂サイコキネシスの類いの物質操作能力。操れる範囲や重量は未知数、無機物であるならばなんでも操れると見てよいだろう。

「しかし──、以前にも貴方のことは分析しましたが、その時は魔素の情報など一切出てきませんでした。そもそも、ミーアすら貴方が魔素を持っているなど知らなかった。──何故、わざわざ嘘を吐いていたのですか」

「お前と初対面の時は単純に、このローブほどではないが軽い分析阻害効果のものを身につけていただけだ。ミーアに隠していた理由については──そちらの方があらゆる場面において都合が良いから」

「…………エドワードさん、貴方はその魔素が買われて暗殺者としての資質を見出されたのですね」

「概ね間違っちゃいない。なにも魔素だけではリュミエールの目に留まることは不可能だがな。……さて、始めるか。お互い魔素持ちだ、これで文句はないだろう?」

エドワードが魔素を有していたことには驚きの一言に尽きたが、わざわざ能力を明かしてくれた今は脅威という程ではない。
どうやらあちらはもう既にやる気のようで、断れるような雰囲気は皆無。であれば、受けて立つ他ないだろう。
無言で訓練場の中心に立てば、それを肯定と受け取ったエドワードも距離を空けて正面に立つ。
その途端、エドワードの目付きがガラリと変わりこの訓練場そのものの空気が重苦しくなったことを肌で感じた。
エドワードとは体格も目立って差はないというのに、その威圧と殺気ともいうべき波動がビリビリと静電気のように全身を駆け巡り、人ではない強大なものを相手にしているのではと錯覚させるほどの緊張感が生み出される。
戦闘が始まる前から冷や汗が吹き出し、ひっきりなしに湧いてくる唾を何度も飲み込んだ。

「────先に言っておくが、殺すつもりで来い。模擬戦闘を観戦した上で言うが、お前にオレは殺せない。やり場のない鬱屈の憂さ晴らしではあるがこれはお前の稽古でもある」

随分と舐められているものだ。だが、エドワードにとっては実際にゼロはその程度なのだろう。──ゼロはエドワードに劣っている、ゼロ本人ですら薄々とそう思わせる信頼感がそこにはあった。
数秒間お互いは視線を逸らさず対戦者の出方を伺っていたが、最初に動いたのはゼロだった。
小手調べの砂鉄の矢。それを”殺すつもりで”幾本も投擲する。初撃としては気合いの入ったそれはもはや矢の雨、並大抵の実力では全てをいなしきることは不可能に近い。
その連撃で、エドワードがどのような動きをするのかを見定める。

──だが

「……ッ!」

腰に取り付けてあるベルトから引き抜いたタクトで自身に降りかかる全ての矢を弾いた。
退路を奪うつもりで放っていた矢には目もくれず、その場から半歩しか動かずに自身に直撃するであろう矢だけを瞬時に判断して対処する。それだけで、もはや敵うまいと悟ることができた。
ゼロは、本当に殺すつもりでその攻撃を放った。そこに偽りはない。だが、エドワードは涼しい顔で眉一つ動かすこともなく攻略してみせたのだ。
ゼノラックスの比ではない、彼よりもずっと強者。改造手術すら受けていないのに自力でそこまでの戦闘能力を培った。────経験が違う。

「一つ、逃げ先を読んでのことだろうが無駄打ちが多すぎる。二つ、直線的で読もうとする意識すら必要が無いほどに読みやすい」

「くっ…!」

遠距離が通用しないのならば近距離はどうか。瞬時に剣を精製すると、真っ直ぐに走り寄る。
ここで攻撃動作が見えれば動きを変えようと思っていたが、エドワードは防御も攻撃もすることはなくただ突っ立っているだけだった。
動けないのではなく動かない、こちらを観察して至らぬ所を暴く。もはや闘いですらなかった。
剣を振りあげれば、ガキリと激しい音を立ててタクトで受け止められる。流石に腕力自体はゼロが上回っているが、すぐさま押し切れるほど優位ではなかった。

「単調だ。お前がこちらの動作によって臨機応変に動こうとしているのが透けている。そして焦りすぎだ、余裕を持て」

顔を合わせた時からの昏い瞳は依然として退屈そうにこちらを見据えていた。エドワードが喋っている最中も剣撃を叩き込むが、思考を覗き見でもされているかのように全ての軌道を見切られる。
傷一つ付けられずに焦燥を見せるゼロと比べて、瞬きをする余裕すら持っているエドワード。うさぎが獅子にじゃれているかのようなそのアンバランスな戦闘風景は滑稽を過ぎて異質であった。

「……そこ!」

「──ふぅん?」

剣撃の僅かな合間。エドワードがタクトで剣を受け止めた瞬間に形の整っていない砂鉄の矢を袖から射出する。そこで初めて、エドワードは飛び退いた。
その飛び退きですら、常人を遥かに上回る速度と距離。しかして軽やかで、優雅さすら感じた。

「1点。さぁ、あと99点奪い取ってみせろ」

「ちっ……」

舌打ちが漏れてしまう。どこからどこまでも尊大な態度は気に食わない。だが、打倒することができない今は文句など言ったところで遠吠えでしかない。
開けられた距離を埋めるために再度走り寄り、剣で斬りつけると見せかけて背から砂鉄の触手を伸ばす。それは先端が鋭く尖っており、寸前までゼロの身体で隠れていたことからエドワードに避ける隙はほとんど与えられていない。
触手を避ければ斬撃を食らい、斬撃を避ければ触手の突きを食らう。片方を対処してももう片方が刺さるこの状況で、ゼロは漸く一撃を御見舞することができると確信した。──確信してしまった。



「20点だ」

(───………え?)

景色が横に流れる。床と壁がぐるりと回転する。おまけに腹部には鈍痛がじわりと広がる。
────蹴り飛ばされた。エドワードの靴底が、回転する視界にチラリと映ってそう認識することができた。
咄嗟に受身を取ったことで大きな隙を晒すことにはならなかったが、そもそもエドワードは追撃をする心算なんてなかったらしい。少し乱れた襟を呑気に直す様をゼロは片膝をついて身体を支えながら見ることしかできなかった。
接触の寸前、剣が防がれた感覚があった。であればと触手を伸ばしたが、それよりも先に彼の靭やかな脚が腹部を抉ったのだ。

「2方向から攻めるという発想はいい。だが、相手のバランスを崩した状態でないと反撃を食らいやすくもある。……それと、まだ当てられてもいないのに勝手に確信を得るな。当てようとも気を抜くんじゃねぇ」

「……肝に、命じます」

こちらは最初から魔素を使っているというのに、未だにエドワードは一度も魔素を使用していない。それどころか反撃を引き出すのがやっとという始末だ。

「お前は動きが上品すぎるんだよ。見世物試合ならそれでいいが、オレらがやっているのは死ぬか生きるかの闘いだ。もっと泥臭くなれ。ゼノラックス戦からの成長は見られる、学習は早いんだからもっと活かせ、考えろ。戦闘は頭脳だ。……さて、こうやって受け身の姿勢でいるのもいいが時間が勿体ない。次はオレから行くぞ」

*をとんとんと人差し指で小突いてダメ出しをしていたが一変、凄まじいスピードで迫り来るというのに足音がほとんどない。
僅か1秒程度で距離を詰めてくるやいなや、タクトの突きと見せかけて足を払ってくる。だが、それを見切ってお返しに剣ではなく拳で側頭部の殴打を狙う。

(──……?)

しかしそれは紙一重のところで躱され、エドワードに正体不明の違和を感じた隙をつかれて肘打ちが叩き込まれた。脇腹を打ち抜かれたように思えたが右腕を挟むことでダメージと隙を軽減、崩れたバランスを逆に推進力として変換することで回し蹴りを繰り出す。

「30点、防衛時の動きは特に悪くはない。こちらの攻撃も見切れている」

蹴りを左腕で防がれカウンターでタクトの切っ先が眼前に迫る。無理に仰け反ることで避けるが、その後隙が見逃されるほど甘くはない。脚が振り上げられたと認識した時には先程の仕返しとでもいうように鋭い回し蹴りが頭部に直撃していた。
────だが、無理矢理に身体を捻って肘打ちを左腕へと当てた。これが初めてエドワードに通ったダメージ、狙いも定まらず威力も決して高いとは言えないが更なる追撃を阻止するには十分で。
エドワードが体勢を立て直そうとしている間にその場から後方へと飛ぶ。

「──なるほど、ダメージを入れられるとまでは期待していなかったな。40点だ」

「……………」

「っと、連絡か」

剣を構え直した瞬間、エドワードが呼式を取り出す。そこから響いてくる声はエリカのもので、幹部に招集をかける内容だった。
”会合”の始まり、ゼロも一応は幹部に任命されたが参加した方が良いのだろうか。逡巡していると、エドワードがタクトを収めてゼロを手招きする。

「お前も来い。紹介が必要だろう」

「わかりました」

床に放っていたローブを拾ってフードまで被ると、これまた行きと同じようにゼロを待たずに歩いて行く。
その後ろを雛鳥のようについて歩きながら、戦闘中から感じていた違和を口にした。

「エドワードさん、貴方────左目が見えていないのではないですか?」

「──どこで気がついた?」

「確信を得たのは戦闘中です。貴方は正面からの攻撃は遅れもなく軽々と弾いていましたが、貴方の左半身を狙った攻撃──それらの対処にはコンマ数秒程度ですがロスが見られました。執拗に左側を攻めていたところロスは一度消えましたが、それでもボクが肘鉄を当てたあの時はまるで”見えていなかった”ようだ。眼球自体は右目と同様に動いていましたから、恐らくは失明してそう時間は経過していないのでしょう。3ヶ月以内に、視力を失ったのでは?」

そう、初撃の矢の雨は単純に手数が多いというのに苦もなく捌き切っていた。しかし、矢の雨とは比べ物にならないほどにラッシュが少ない肉弾には微かながらも対処の遅延が見られたのだ。
そして、その違和感が現れたのは決まってエドワードの”左側”であった──。

「……それに気がついたことには褒めてやる。そして、確かにオレが左目の視力を失ったのは3ヶ月以内だ」

「──そうですか」

この3ヶ月以内の大きな出来事といえばやはり”強盗団の偽装工作”が思い出される。
だが、エドワードは視線だけで周囲を気にするような素振りを見せた。その動作が敢えてゼロに伝わるように。
それが意味するところは、”この場で深入りをするな”ということ。つまり、レジスタンス本部では話せないなにかなのだろう。

「無駄話をしてすいません。先を急ぎましょうか」

「ああ」

彼の意図を汲み取り、今は話を終わらせる。ゼロが自ら切り上げたことによりエドワードは不自然になることなく再び歩き出すことができた。
──このレジスタンスアジトは、リーダーであるオプスキュリテの側近の魔素により構成されていると聞いた。即ち、この建物の中にいる間は側近そのものとも隣り合わせということになる。エドワードが警戒したのは、その側近なのだろう。
つまり、失明の原因はレジスタンス──オプスキュリテにあるのだ。そこまで推察できればもういい、ある程度の察しはついたのだから。
それからは会話らしい会話もせずに黙々と歩き続けて、やがて『 会議室』の表札が埋め込まれた扉が見えてくる。
隅々まで手入れの行き届いたそれは、他の扉とは装飾が違った。重要な部屋だというのは火を見るより明らかである。
エドワードがドアノブに手を掛けて引くと、木製特有の軋んだ音を立ててゆっくりと開いた。途端、室内から漏れ出てきた空気に肝を掴まれるような感覚を覚える。

「貴方方で最後です。さぁ、”会合”を始めましょう。どうぞお座り下さい」

薄暗い室内。モニターの電光だけが不気味に点灯している。だだっ広い洋装の室内には壁に備え付けられた幾数ものモニターが真ん中に鎮座する円卓を取り囲むように配置されており、円卓には”8名分”の椅子が等間隔に置かれていた。
皆がゼロに注目をする。それは物珍しげであったり値踏みするようだったりと様々だが居心地の良いものではない。
唯一、以前に遭遇したことのあるイミーディアだけはローブから見える口元で会釈をしてくれたが、同様に会ったことのあるキューはゼロと目が合うやいなやぷいっとそっぽを向いてしまった。

「皆に紹介しよう、こちらは──」

「こいつについてはオレから。さて、殿下から話は通っているとは思うが新たに幹部の座についたゼロだ」

エリカを遮ってエドワードがゼロを手で示す。「よろしくお願いします」と簡素に挨拶をして軽く頭を下げたが、歓迎されているのかされていないのかわからない。というのも、誰も反応の一つも返さないからだ。

「ゼロの席は──イミーディアの隣だ。イミーディア!」

「ええ、ええ。そのように声を張らずとも聞こえております。お久しぶりですねゼロさん、こちらの席へどうぞ」

2つの空席の内の1つ、リーダーであるオプスキュリテの左隣ではなくイミーディアの右隣へと誘導された。
こちらも会釈をして椅子を引くと、イミーディアがこそりと「わからないことがあればお聞きくださいね」と耳打ちをしてくる。それに礼を返して、次になにが始まるのかを待った。

「さて、──本題に入る前にまずは些事を片付けておきたい。ゼロはまだお前達のことは存じていない。故に、名と簡潔な紹介を」

オプスキュリテが右手をジェミニに向ける。彼女から右回りで紹介をするのだろう。
こほんと小さく咳払いをしたジェミニは静かに立ち上がると、その機械のような瞳に一瞬だけ暖かさを宿しながら凛とした声を響かせた。

「レジスタンスの窓口を承っております”ジェミニ”です。窓口を担当してはおりますが、幹部の称号も賜っています。コードネームはありません、ジェミニとお呼びください」

彼女も幹部だったのか。だが、そこは驚くポイントではなかった。
ジェミニを危険だと判断したのは、後に続いたオプスキュリテの補足があってから。

「ジェミニは『 迷宮《 ラビュリントス》』の魔素を持っている。そして、このレジスタンス本部は全てがこのジェミニの魔素によって構成されているのだ。つまりこの場はジェミニの腹の中ということになるが──……あぁ、そう気構えずとも良い」

出すまいとはしていたが、強張りが表情に現れてしまったのだろう。オプスキュリテはくつくつと愉快気に笑い声を零した。
──リーダーの側近というのはジェミニのことだったのか。いいや、考えれば予想できることだった。
ともあれ、オプスキュリテは当然としてジェミニにも警戒をしなくてはならない。仲間ごっこがしたくて幹部になったわけではないのだから。

「では次は私だ。──まぁ、何度か接したことがあるので今更だろうが、”エリカ”だ。一応はこの会合でのまとめ役をさせてもらっている」

エリカについても知っている。模擬戦闘の際にもキューの茶会でも顔を合わせているのである程度の人となりは理解しているつもりだ。

「わらわはキューよ。……もういいでしょう、ほら次は貴女よ。早くなさい」

「アナタってばほんっとうに高飛車ねぇ。……アタシはコードネームを”ミセスバッド”というの。よろしくね」

「ミセスバッドは王城で使用される呼式を模倣して、レジスタンス内での呼式を作り出した。彼女は科学に精通しているのでな、なにかあれば訊ねるが良い」

機械音声故に中性的な声質ではあるが、話口調から察するに女性なのだろう。このレジスタンス内での科学者といったところだろうか。
──科学者といえば。

(マスター・ハイドランジアには現状は伝わっているのでしょうか。……リュミエールが襲撃してきたのが深夜、そして今はまだ夜明け前とはいえなにも連絡ができていませんね)

そう、ミーアが攫われてから時間はさほど経っていない。ゼロがレジスタンスに逃げ込んでからせいぜい数時間でまだ日も昇りきっていない時間帯なのだ。この時間でもハイドランジアならば起きてはいそうだが、どうにも連絡する暇が見られずに結局は伝えられないままでいる。ゼロも一刻も早く伝えねばならないのはわかっているのだが。

「では続きまして私が。コードネームを”イミーディア”と申します。役割については──諸々、と述べておきましょうか。私の周囲を蒼い蝶が舞っている時がありますが、気にしないでくださいね」

以前の定例報告会では数匹の蝶がひらひらと周囲を飛んでいたが、今日はいない。──かと思いきや、こちらの死角になっているイミーディアの左肩に1匹だけ留まっていた。
翅からはきらきらと輝く細かな鱗粉がとめどなく零れ落ちている。少なくともこの星に現存する生物としてはこのような蝶は存在していない。
イミーディアの魔素は不明だが、恐らくはそれに関連するものなのだろう。

「最後にオレだ。もう名は教えたが──改めて、コードネームを”Echo”という。以上だ」

”Echo”については真名まで知っている。彼について言及したいことは今のところはない。
これでメンバーの紹介が終わった、この場の全員がオプスキュリテを注目する。

「では、それぞれいつもの通りに報告を頼む」

「オレから一点、報告があります」

「Echo、話してくれ」

Echoがコツンコツンと人差し指で円卓を2回叩くと、上面が開いてキーボードが持ち上がってくる。それを操作すると、壁に展開されているモニターに報告書が映った。
『 要監視リスト』と書かれたそれには、幾つかの家名が並んでいる。どれも男爵や伯爵といった爵位のついた貴族のようだ。

「これは先日に更新された貴族の監視リストである。いつものことながらこのリストに載るということはリュミエール王の目に余る行為をしているということになるが────まさか、今この場に集う者の中にリストに名を連ねている貴族はいないだろうな?」

疑問形ではあるがやけに牽制めいた含みのある言い方、戒める口振りをする理由はすぐに理解することができた。
”ノインス伯爵家”、聞き覚えのあるその家名を発見した瞬間に腑に落ちる。

(──ルナリア・ノインス、……キューの家ですね)

なるほど、Echoはキューの真名を知っているのだ。故にあのように釘を刺した。
キューも自身の名が記載されていることに気がついたのだろう。わかりやすく苛々した様子で脚を組むと、Echoに言葉を返す。

「全く、どこかの誰かさんが早急にあの王の頭をシルバーバレッドで撃ち抜いてくれれば貴族も暗殺に怯えることがなくなるのではなくて?」

「──ほう?」

ゼロからすれば一見挑発にすら思えないその言葉、だがEchoにとってはわかりやすく癪に障る言動であったらしい。機械的ながらも底冷えのする地を這うような声を漏らしたEchoは、嘲笑を交えながらキューに向き直る。

「やれやれ……” ま さ か こ の 場 所 に 、 悪 目 立 ち を し て レ ジ ス タ ン ス に 迷 惑 を 掛 け る よ う な 脳 の 足 り な い 貴 族 ”は参列していないと思うが、精々シルバーバレッドに射抜かれることのないようにしてくれよ」

「……………ぅ…なーにムキになってるのかしら。ねぇイミーディア!!わらわ、この者のことが嫌いだわ!どうにかしてちょうだい!」

「誰彼構わずに喧嘩を吹っ掛ける癖はおやめなさいキュー。申し訳ありません、Echo。キューの非礼を許してあげてくれませんか」

Echoに悪絡みしたのいいが、棘どころか猛毒を含むようなそれをぶつけられてローブの奥で怯んだ気配を見せたキューは、売り言葉に買い言葉で更なる口撃を行う。だが、Echoに抱いた怯えは隠しきれておらず、吃りを見せていた。
最終的にはイミーディアに泣き付いたものの、逆に諌められて彼に謝らせてしまう始末。フードから覗くキューの口元は、バツが悪そうに頬を膨らませていた。

「そこまでにしておくがいい、2人共。いやはや、珍しいではないか、Echo?ミセスバッドでもあるまいにお前がキューを相手取るとはな?」

「……見苦しいところをお見せしました、オプスキュリテ様。……オレからの報告は以上です」

「ふむ?では、他に報告がある者は?」

オプスキュリテの言い振りからしてもEchoは普段、このような見え透いた挑発に乗ることはないのだろう。きっと、彼がキューに牙を向いたのはミーアが拐われたことによるストレスからだ。でないと、エドワードほどの人物が安易に牙を見せる筈がない。
Echoが着席をするとオプスキュリテは他のメンバーを見渡すが、誰も起立することはない。報告者はもういないのだろう。
それを確認すると、オプスキュリテは円卓に両腕をついて顔の前に組んだ手を持っていく。鼻先から口元までが隠れた瞬間、先程までは良くも悪くも空気の流れというものがあったが、オプスキュリテが本腰を入れた刹那から大気が微動だにしなくなった。
まるで凍ったような空間に、リュミエールとよく似た綺麗な声が響く。

「では、我らの今後について議論しよう。そこに居るゼロの主でありレジスタンスの一員であるミーア・シャーロットが我が兄リュミエールに捕えられたことは周知であろう。彼女は違法改造アンドロイドを庇護していたからな、『 絶対王政』を使用されれば芋づる式にこのレジスタンスの存在もリュミエールの耳に入ってしまう」

「ミーア・シャーロットが連れ去られたのは昨夜未明。リュミエール王が自ら出動してきたことから、ミーア・シャーロットに対して脅威を感じていることは伺えます。故に、彼女は殺されることなく尋問に会うでしょう。彼女はまだ我らがオプスキュリテ様がレジスタンスの主であることは知り得ていないはずですが、この組織の存在そのものが認知されるだけでも致命的です。リュミエール王は身内に対しても容赦のないお方、万が一にもオプスキュリテ様が設立したと知られれば、謀殺は免れません」

「彼女は、東地区の工場に連れていかれたのよね?」

「ああ、間違いない」

「当面の目的は情報の秘匿及びミーア・シャーロットの救出でしょうか?見殺しにすることは長い目で見て、信用を失った組員の反乱を招く危険性があります」

「確かにその通りだ。そして、ミーア・シャーロットの救出はゼロが我らに貢献をする交換条件でもある。幸い、東地区の工場については内通者のリークも多いことから襲撃目処が立てやすい。どの道、兄の独裁を止めるためには工場を破壊せねばならぬのだからな」

全員の意見を聞いたわけではないが、ミーアを見捨てるのではなく救出する方針に寄っているのはとても好ましい。反対をしてもオプスキュリテの言葉には逆らえないのだろうが、少なくともこの場で4人は自らの意思でミーアを救い出すことを賛同してくれている。不明なのはジェミニ、キュー、エリカ、ミセスバッドだが、ジェミニはオプスキュリテに従うのだろうしエリカも反対まではしないだろう。問題はキューとミセスバッド。特にキューは、ミーアに敵対心を燃やしていた。妨げになるのならば、どうにかしなくてはならないが。

「良くってよ。わらわも、あの女を救ってあげることに異論はないわ」

「アタシもよ。だって、工場を壊すのならばついでだものね」

「ああ、では満場一致ということで良いな。オプスキュリテ様、襲撃については如何様にされますか」

キューが反対をしなかったのは正直言って意外だった。イミーディアが賛同していたからかとも考えたが、決闘の決着をつけたいなんていう幼稚な動機なのかもしれない。
なんにせよ、目先の障害は無いと見てよいだろう。余計な労力を割かずにミーアの救出にあてられることは素直に喜ばしい。

「ふむ、直ぐにというわけにはいくまい。唐突故に下準備もなにも済んでおらぬし優先事項も星の数ほどあるのでな。……そのような目で見るな、ゼロ。急ぎはするが、我らは組織だ。その事情も汲んではくれよ」

ミーアよりも優先事項があるのかとつい睨んでしまったが、オプスキュリテの言うことも間違ってはいない。仮にも団体であるのだから、ゼロ一人の意見を押し通すことは許されない。
オプスキュリテを睨んだせいかジェミニに射殺すような視線を向けられたが、目を逸らしてオプスキュリテに問う。

「優先事項、とは?」

「実はな、中央区郊外の旧シルヴァニア家管轄の廃鉱炉が秘密裏に稼働しているようでな。どうやらそこで改造アンドロイド用の部品が作られているらしい。部品というと重要度は薄いものと思うだろうがその生産を止めさせるだけでも兄に痛手を与えられるだろう。それ以外にも北町の炎上事件被害者がレジスタンスにも所属しているのでな、街の後処理の支援にも繰り出さねばならぬし南地区や西地区、城下町や中央区のアンドロイド生産工場の偵察も必要だ。まぁ、率直に言って東地区に人員を割く余裕がないのだ」

「…………ボクにも、なにかできることはありますか?」

自分も手伝うことでその分の仕事を減らせるのならば申し出ない謂れはない。純粋にそう思ってのことだったが、オプスキュリテが一瞬だけ目を細めたものだから、彼の思い通りに動いてしまったのだと直感した。
案の定オプスキュリテは「ふむ」と形だけ考える素振りを見せたものの直ぐにキーボードを操作してモニターを切り替える。

「そうさな、……ゼロ、お前には旧シルヴァニア家管轄の廃鉱炉に赴いてもらいたい。……Echo、ゼロの実力で成し遂げることは可能か?」

「あそこならばゼロ1人で壊滅させることも可能でしょう。しかし、それは並の従業員のみで考えた場合です。実力者が滞在していれば雲行きは怪しくなります」

「ミセスバッド、廃鉱炉の構成員リストを提示してくれ」

「ええ、こちらになります。完全に網羅しているとは言い難いですが、魔素持ち自体も少ないので潜入及び壊滅は難しくないのではないでしょうか」

「だ、そうだが。できるか?ゼロ」

その見定める視線に拒否など出来るはずがない。元よりする気もないのだが、そんなことはオプスキュリテも見抜いているだろう。
やはりこの王弟殿下は選択権のない自由意志を尊重するらしい。厭らしいほどに性格の悪い男だ。
ゼロが自ら申し出るように仕向け、こうしてあくまでも強制はしないスタンスで事を進めていくのだから。

「問題ありません。必ずや遂行させてみせます」

「期待しているぞ。だが、今すぐにというわけにはいかない。数日後、こちらも準備が整い次第呼び出そう」

数日後。長い、長すぎる。その数日でミーアはどれほど追い詰められてしまうかわからないはずはないのに。
ぐっと唇を噛み締めると僅かに鉄の味がした。傷口から砂鉄が少量漏れ出たのだろう。

「最後に、情報漏洩等については私とジェミニで協議しあう。では各自思うところはあるだろうが、一先ずは解散だ」

会合の終了にぞろぞろと席を立ち始める幹部を立ち上がりながら眺めていると、後ろを横切ったエドワードが「来い」と囁く。
相変わらずペースを合わせる気はないようで足早に部屋を出ていくエドワードを不自然にならない程度に追おうとすると、イミーディアがこちらを振り向いてにこりと口角を上げた。

「この度はとても災難でしたね。ミーアさんとは私もお話をしたことが何度かありますので……」

「…そうですか」

「まだ慣れぬことも多いでしょう。また何れ、事が落ち着いたら茶でも共に嗜みましょう」

「はい。…お気遣いありがとうございます」

穏やかな声音は耳にするりと入ってくる。彼の気遣いが本心からのものかどうかはわからないが暖かい人だなと好印象を抱いた。
だが、今はエドワードを追わなければならないので会話も早々に切り上げる。
エドワードとは距離が空いてしまっただろう。気持ち急ぎ足で退室するゼロを、イミーディアがじっと見ていたことは誰も気が付かなかった。
















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時計塔が密やかに黎明の訪れを告げる。明けの陽射しに相応しく、低い鐘の音が街中に響き渡るのを街外れの丘陵の上で聴きながら、エドワードは自身の手に持つ煙草から立ち上る紫煙を目で追いながら切り出した。

「オレの左目のこと、知りたいんだろう」

「はい」

エドワードの眼球自体は一見無傷でその眼窩に収まっている。だが、ローブのない今に分析をしてみて知ったが、その左目の視力は全く見えないと言ってよいほどに落ちており事実、眼前で揺らめく紫煙を一切捉えられていないだろう。

「これは後遺症だ」

「……後遺症?」

「──限界突破《リミットブレイカー》」

「それは、王弟殿下の魔素では……──」

限界突破《リミットブレイカー》。その具体的な詳細までは聞いていないが、一時的に己の性能以上の能力を発揮させることのできる支援型の魔素。
その魔素の名がどうして出てきたのかと考えて、はたと憶測が過ぎる。

「まさか、あの魔素は能力を底上げする代わりに代償が必要となるのですか」

「魔素とは言っても、本来であれば自身には卸し切れない力を使用するわけだ。その力を行使するだけでも肉体的精神的に負担が掛かるのは道理な訳で、分不相応な能力を発動させるには諸刃の剣を覚悟しないといけない」

「貴方は──」

「オレは、ミーアが強盗団に攫われてそれを王城騎士デルタ隊が救出したということに偽装しなければならなかった。そうしなければミーアはもっと早い段階でリュミエールに勘づかれていたからな。…………どこの誰が一番最初に工場を襲撃したのかまでは知らないが、改造アンドロイドが逃走したともなればリュミエールがそれを放っておくわけがない。あれでも、リュミエールは目敏い野郎だ、繋がりすら見えない僅かな取っ掛かりから関係性を導き出すことには長けている。ミーアが数日行方不明になったのになんの事件性もなく無事に帰還すれば、怪しんでくださいと言っているようなものだろう」

「だから、貴方は王弟殿下にまで助力を仰いで、実際の強盗団を潰して隠蔽工作を?」

「そこまでして五分五分だった。暗殺稼業をしている以上は証拠の捏造なんかは慣れたものだが、それでもリュミエールを欺ききるには足りなかった。オレの『 強制式:律動楽章』は通常の性能だと生物相手には直接的に作用させることはできない。王弟殿下の魔素によるバフを得て尚も広範囲に撒こうとすれば、つつけば割れる程度のメモリーリライトが限界だった。────だが、左目を犠牲にしてもミーアは救いきってやれなかった」

ハイドランジアを筆頭に、王城に居た者のほとんどは緩く記憶が改竄されていた。それがエドワードとオプスキュリテの魔素によるものだったとは理解した。
"Echo"は確かに、一片の疑いようもなくミーアの味方であった。彼は身体の欠損程度なら躊躇なく選べる。だからこそ、疑問に思うことがあるのだ。

「貴方は──貴方ほどの力を持つのでしたら、単騎でミーアを助けに行きそうなものと思いましたが」

「行けるものなら今すぐにでも駆けつけてやりたいさ。だがな、どれだけそうしたくてもできないんだわ」

途端に憎々しさが表情を彩ったかと思えば、左の袖を捲り上げる。
エドワードの手首には、硬質な金属光を跳ね返す銀の腕輪が嵌められていた。

「──魔素制限?」

その腕輪からは目に見えない波長がごく狭い範囲に放出されており、それを簡易分析したところ魔素の出力を遮断する魔素片を検出した。
腕輪自体はただの銀製のものだが、その内部に魔素を制限する魔素核が埋め込まれているのだろう。腕輪を付けているだけでは制限されないものの、遠隔でオンオフを切り替えることのできる構造だった。

「ミーアの連れ去られた工場、その半径50m以内に接近すれば感知されて魔素を封じられる。この腕輪を壊しても通知され、手首にまとわりついた魔素片を遠隔起動されてその場で魔素を封じられる。忌々しい鎖だ、クソが」

「誰にそれを付けられたのです?」

「──ベルクラフト・ローエンツという、リュミエールの側近だよ」

ベルクラフト・ローエンツ。口内でその名を反復する。その者を実際に見たことがないのでどのような人物かは不明だが、わざわざそれを取り付けるということはエドワードのことをよく理解しているのだろう。

「『絶対王政』で動けない間に付けられた。何故かリュミエールに隠れてな」

「リュミエール王に隠れて?」

「リュミエールは……何故かオレらのことは信頼している。頭の良いあいつにしては気持ちが悪いほどに盲目的にな。だから、リュミエール自体はオレの行動を管轄したりはしない。……だが、ベルクラフトは違う。なにを考えているのかわからない不透明な奴だが、オレがリュミエールの障害になりかねないことをわかっていた。リュミエールのように甘い思考でオレを野放しにしていると工場が襲撃されると読んで手を打ちやがった!」

リュミエールの側近として召し抱えられるだけあって、その辺りはしっかりと対策をしてきているのか。いいや、その点はむしろリュミエールがエドワードを信頼しきっていることが不自然なのだが、確かにこれではエドワードは満足に動けないだろう。
如何にエドワードといえども、魔素を使えなければ救出に乗り込んでもミーア共々共倒れする危険性が非常に高い。だからこそエドワードはこうして悔しげに唇を噛んでいるのだ。

「なにが『トリックスターに革まるにはまだ早い』だ、腰巾着の根暗野郎め。オレのことを何一つとして知らないくせに識ったような口を聞きやがる、他者を啓蒙でもしているつもりか?」

「トリックスター?」

「ああ、オレのことをトリックスターだとよ。……まるで、そうなった姿を実際に見たかのようにほざきやがって」

「…………」

確かに、ベルクラフトとやらの口振りは予見ではなく確定しているようなものだ。何れそうなる未来を少し遅らせる、阻止するわけではなく結果が訪れるのを先延ばしにするような言いぶりだ。──いや、そのベルクラフトとやらの魔素が未来視のようなものでもない限りただの妄言に過ぎないのだが──。

(少し、気になりますね)

一度、そのベルクラフトとやらについても調べてみなければならない。エドワードすら知らないのであれば可能性は薄いが、未来視の魔素を持っていれば厄介な存在となりかねないからだ。
だが、未来視など──規模が規模である。有り得るのだろうか、そのような魔素を持つことなど。精々理論上は有り得る程度の話でしかない。