王の謁見と直属研究者
研究補佐室に入った瞬間、ルーラーが勢いよく飛び付いてきた。首に腕を回され、彼女を全身で受け止めたものだから背中が反って、ぐきりと嫌な音を立てる。ついでに傷も激しく痛んだ。
「る、ルーラー…苦しい苦しい」
「バカバカバカ***!!!すっごくすっごく心配したんだからね!!!!?」
鼻を真っ赤にして涙目のルーラーはミーアの肩を掴んでガクガクと揺するも、ミーアがぺちぺちとその手を叩けば、慌てて離す。
そこで気づいたが、ルーラーの声に反応してかまばらに研究補佐仲間が周りに集まってきていた。
「ミーア、傷だらけじゃん!」
「おいおい、よく生きてたなー。人手減るから死なれたら困るけど!」
「もー、昨日は一日中ルーラーが死んでたんだからねー」
各々に言葉を投げ掛けられて、思ったよりも自分が必要とされていたことを実感して、ほんの少し目頭が熱くなった。
わいわいがやがやと、ミーアを中心に賑わいが広がり、その様子を窓口から何事かと覗く騎士や研究者も居る。この一年でもっとも騒がしくなった朝になるであろう、と予想ができて、忘年会では今回のことが話題に上がるなぁ、なんて幸せを噛み締めつつミーアは考えた。
同僚に無事をからかいながらも祝われたり、ルーラーが本格的に泣き出したりしたものの騒ぎが徐々に収束していった研究補佐室に、バン!と大きく扉を開く音が響く。
「ミーア!!!」
振り向けば、そこには息を切らしたハイドランジアが、汗を垂らしながらドアに手をついていた。彼はドアの入口で暫し息を整えて、ハイドランジアはゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。ルーラーが気を利かせたのか、周囲に集まっていた人達を払い、仕事に戻らせた。まだまばらに散らばってはいるものの、空気を読んだ大半の人は邪魔をしないように持ち場へと戻る。
「………その、」
ミーアの前へと来たハイドランジアは、視線を斜め下に逸らしたり、胸に手を当てたり、ガスマスクの紐を意味も無く引っ張ったりと、落ち着かない仕草を繰り返していた。
数秒そわそわとして、ようやくハイドランジアは言葉を紡ぎ始める。
「無事で、よかった、です……。強盗団、だって………聞いて………」
強盗団、ハイドランジアがその単語を出した。どうやら本当に、強盗団に襲われたと話が広がっているらしい。そうでなくては困るのだが、改めて内心驚いた。その程度には手紙の主が影響力を持っているのだと感じられたから。
「怪我、大丈夫…?」
「大丈夫大丈夫、ほら、歩けるし」
「………」
珍しく、労るように目尻を下げるハイドランジアに、笑顔で返す。ある程度は元気そうなことに安心したのか、小さくハイドランジアが笑みを浮かべた。
「その傷、…………開くとダメだから、帰りは送る……」
「…うん、ありがとう。じゃあお言葉に甘えさせてもらうね」
一瞬断ろうと考えたが、おそらくはゼロに会うのも兼ねているのだろう。そういえばあの日以来、まだハイドランジアはゼロに会っていない。それならばここは有難く受け取っておくべきだ。ミーアの返答にハイドランジアが頷く、その時、再びドアが開かれた。
誰だ、と何気なく視線を向けたが、その人物に目を見開いて冷や汗を流す。
「ミーア・シャーロット、王がお見えになられた。速やかに参られよ」
厳格な騎士の声、数体の騎士に囲まれたその奥、純白の正装が見えた。
ミーア達を覗いていた人も、ハイドランジアも、例外なく顔を伏せてその場に跪く。
「はい!ミーア・シャーロット、ここに」
「良い、傷に触るだろう。許す」
ミーアが進み出て同じく片膝をつこうとすれば、凛とした声音で制止された。
光が優雅に反射する、淡い緑のグラデーションがかかったプラチナブロンドの美しい髪、エメラルドを嵌め込んだような、宝石の如き瞳、陶器のような白い肌、全てが黄金比率で配置されたパーツは、それぞれが争うこともなく最大限に彼を引き立てている。
彼が一歩歩みを進める度に、長い髪が宙を悠々と泳げば神々しく靡いて、ミーアはその完成された姿に見惚れかけた。
しかし、せめてもと腕を曲げ、顔を伏せるがそれも止められる。彼は、あろうことかミーアの頬に触れて優しく持ち上げた。手のひらとはいえ、王の玉体に触れたことは、心臓を跳ね上げさせるには十分な効果で。
「ミーア・シャーロット。この度は憂き目を見たな。騎士は亡くなり、先日に葬儀を終えたところだ。君は無事で、私も愁眉を開くことができた」
ミーアの怖張りを物ともせず、頬に手を添えたまま、国王ーーーーリュミエールは語りかける。光を散らす睫毛を伏せて、その翠玉がミーアを映す。
慈しむような、柔らかな声だというのにその瞳はミーアを捉えて決して離さない。縫い付けられたように、視線を外すことすら叶わない。
背中に冷や汗が幾度も伝う。気を抜けば、指先が震えてしまいそうだった。
「統治の及ばぬ地には、やはり無骨者も存在する。昨今、行方不明者が多発し、私の力不足が祟り、対策を万全に施せぬ中、無事に戻ってきたことは喜ばしい。本来ならば、こちらへと出向いてもらい、話を伺いたかったのだが、時間を相応に取ることができず、このような粗末な扱いとなってしまった。すまない」
「勿体ない、お言葉です」
数分も経たぬのに圧に屈してしまいそうだというのに、もしも呼ばれて、話を聞かれていたらどうなっていたことだろう。彼は粗末な扱いだと言ったが、わざわざ下っ端の下っ端であるミーアの元に出向いてくれたことは、光栄の極みだった。リュミエールへの不信感が無ければ、素直に感激していたことだろう。
が、今は、ただただ怖い。彼から早く解放されたい。そう怯える一心でしかない。嘘なんか、魔素を使われずとも吐けない。彼の目をミーアが欺くことは、できない。
「王」
リュミエールが口を薄く開いたが、傍付きの騎士が耳打ちをする。リュミエールは、ふ、と目を細めて、ミーアの頬から手を離した。
それだけで、空気をようやく吸えるような感覚が襲う。息をしているのにできないような、詰まる不快感が、リュミエールと視線を合わせている間、ずっとミーアを苛んでいた。
「次に参らねばならぬ。ミーア・シャーロット、身体を労り、どうか安静になさい」
ふわり、薄く微笑んで、リュミエールは外套を翻し、踵を返す。リュミエールが扉へと歩を進めれば、彼の両脇に並んだ騎士は胸に手を当てて頭を垂れ、完成された順番と足取りで彼の後へと続く。一糸乱れぬ靴音が遠ざかって行く、その音がようやく聞こえなくなった時、ミーアは呆然とした顔付きで、へなへなとその場に座り込んだ。
接地面から伝わる床の冷たさを物ともせず、未だにどくどくと暴れる心臓を両手で押さえる。
「ミーア」
ハイドランジアが、ぽんと肩に手を置いてくる。彼は、王との唐突な謁見に緊張した、と思っているのだろう。勿論それもある、王とまともに言葉を交わしたのなんて初めてだから。しかし、それだけではない、その程度ではないのだ。
"助かった"
その事実がミーアの心を循環していた。脳に、この言葉しか浮かばなかった。ハイドランジアに反応する余裕は一厘も無かった。
特に脅された訳でもなく、尋問されたわけでもなく。ただ、気遣ってもらった。名誉なことだ、それなのに、とても怖かった。
「………」
「…ミーア?…大丈夫?」
「……………………うん、平気」
黙りこくったままのミーアを不審がったのか、ハイドランジアが怪訝そうに再度声を掛けてくる。
それでもやはり返事がないので、遠慮がちに肩を揺すれば、彼女はようやく声を発した。
「……本当に?…………………………あ、お茶欲しいから、研究室に持って来てくれないかな。ほら、あっちでまだ……仕事が残ってるから…………」
「わかった、すぐに入れて持ってくね」
少しふらついて、ハイドランジアが慌てて支えようとしてくれたけれど、大丈夫だ、とアピールしてお茶を入れに、奥の給湯室へ行く。
ハイドランジアの好きなハーブティーを入れて、お茶請けのラングドシャも添えて、小皿の乗ったお盆を持って出てみれば、ハイドランジアは心配なのか補佐室で待っていてくれていた。
ミーアが戻ってきたのを見留めれば、ハイドランジアはさり気なく一歩後ろに控えて、足が縺れても受け止められるようにしてくれている。ハイドランジアの体力でミーアを受け止められるのか、なんて突っ込んではいけない。あまり人慣れしていない彼の最大限の気遣いである。
ちなみに、お盆を持ってくれようとしたが、それだと補佐の仕事すら全うできないので全力で断った。
「ミーア…絶対、もう少し休んだ方がよかったよ……」
「やー、動けるし、ただでさえ爆破事故で仕事が増えてるんだから休んでばっかりもいられないよ」
ハイドランジアが溜め息を吐いた。珍しい。
呆れた様子の彼と共に、薬品の臭いが充満する廊下を歩く。一日二日嗅いでなかっただけなのに、ひどく懐かしい感覚だ。決して良い臭いではないが、慣れ親しんだこれには安心感を覚える。
いくつかの扉を通り過ぎ、もうすぐでハイドランジアの研究室に辿り着く、という時だった。
「ハーーーーーイドちゃーーーーん!!!!!」
「うぐ、ぉ……」
ごす、と鈍い音がして、ハイドランジアが背中を仰け反らせながら倒れかける。その背中には、白衣を着た誰かがしがみついていた。
ハイドランジアは苦しそうに呻き声を上げながらも、足でぐぐっと踏ん張る。普段、あまり動かないからか、色々な箇所からごきっ、ぴきっ、と嫌な音が響いていたが、地面と接吻することにはならずに済んだようだ。
「ハイドちゃん!ちょっとぶりね*♪」
「ノーランさん…」
途端にげっそりとした表情で、背中に目を向けたハイドランジアは、これまた表情とマッチした声音で、その名を呼んだ。
ハイドランジアに呼ばれ、彼の背に押し付けていた顔を上げて、にこりと微笑んだのは、ミーアよりも年上であろう女性。
パリス・ピンク色のミディアムヘアー、その髪はふわふわと、少々ボリューミーで、毛先は全て内巻きにくるりと丸まっている。大きなリボンの付いた、装飾の多いカチューシャと合わせて、ファッションやお洒落に相当気を向けているのが伺える。
身につけている白衣も、彼女がアレンジしたのだろう、ところどころに宝石やリボンの装飾があしらわれており、シンプルでクールな印象の白衣がキュートに早変わりしていた。
全体的に派手な見目と、ハイドランジアの呼んだ"ノーラン"という名に、ミーアはその人物の正体を導き出した。
「えぇと、エレイン・ノーランさん、ですよね?」
「うふふ、そうよぉ♪」
ぱちぱちと、大きな桃色の瞳を瞬かせて、チェリーのような赤く小さな唇の口角を上げる。
エレイン・ノーラン。ハイドランジアと同じく王城研究者ではあるが、研究者の中でも位はハイドランジアよりも上だ。
魔素こそ持たないが、独創的なセンスであらゆる功績を上げている、らしい。
らしいというのも、ミーアは彼女と直接関わったことがない。補佐は、研究者から研究者へと言伝のようなこともするが、直属研究者―――――王弟殿下直属の研究者である彼女はまず、この王城研究棟には居らず、そもそも下っ端に位置する王城研究者とは仕事内容が全く違う。比較的自由が許されている王城研究者とは違い、王家の命を受けて、その事柄に当たる直属研究者とは交流する機会など一切無いと言っても過言ではない。
研究補佐であるからには研究者の名前と顔は頭に叩き込んでいるものの、会話は疎か実際に見たのだって初めてだ。
そんなエレインは、ハイドランジアにとても親しげに話し掛けている。応答するハイドランジアも、随分と馴れた雰囲気で、そこから二人は知り合い同士だと推測するのは容易なことだった。
「………いきなり背中に抱きついてくるのは…やめてください…。心臓と足に……悪いです………」
「ハイドちゃんが油断してるのが悪いのよ*♪」
「油断とかの問題じゃないような………。ところで……帰ってきていたんですね………」
「オプスキュリテ様に、城を手伝うようにと仰せつかってね♪」
オプスキュリテ、この方こそが、王弟である。現王であるリュミエールとは一卵性の双子で、外見はリュミエールと瓜二つだが、兄とは違い目立つことも功績を上げることもほとんどない。
彼は、年末年始や建国記念日等の公的な式典にしか登場せず、日常ではテレビで姿を見る機会すら少ない。それは、彼が目立ちたくないからではなく、わざわざ取り上げられるほどのことをしていないからである。
決して無能なわけではない。しかし、リュミエールが優秀すぎた。オプスキュリテも国や地方に関する執務は行っているらしいが、それも淡々とこなすのみで、莫大な成果をもたらすことも無い。おそらく、国民の半数はオプスキュリテがどのような執務をしているのか知らないだろう。非公開な訳ではない、単純に、大衆に興味を持たれていないだけなのだ。
兄であるリュミエールが日々華々しい功績を上げる傍ら、特になにもない、良く言えば安定、悪くいえば変化のない結果しか齎さないオプスキュリテに関心を持つ者は少ない。
影では、光のリュミエールとその影に埋もれる弟王子。兄に比べて出来損ないの弟。オプスキュリテ王子の元で働く者は変わり者か左遷された奴だけ。などと不敬罪もいいところの噂すら流れている。
業務を安定させているだけでも充分じゃないかとミーアは思うが、リュミエールに魅せられた者には味気の無いように映ってしまうらしい。
ともかく、オプスキュリテへの評価は散々なものだった。
「それで…アナタ、ミーアちゃんだったかしら?」
「えっ、はい、そうですけど…」
オプスキュリテについて振り返っていたら、エレインから名前を呼ばれる。彼女とは初対面なのにどうして知っているのか、と不思議そうな顔をすれば、エレインは察したのか、うふふ楽しそうにと笑った。
「ハイドちゃんの補佐なんだもの、名前ぐらいは知ってるわよ♪」
「答えになってないですよ……」
「まぁまぁいいじゃない♪ところで、ミーアちゃんはハイドちゃんのガールフレンドかしら?♪」
「な、なに言ってるんですか…違いますよ……」
「あらあら♪アタシが飛びつく前、親しげに話していたでしょ♪人見知りのハイドちゃんが珍しーく話してて、それも相手が女の子なら、ねぇ?そう思っちゃうじゃない♪」
「相変わらず…恋愛脳ですよね、ノーランさんは……」
「もう、ハイドちゃんって、アタシには辛辣よね*♪」
少し頬を赤くしたり、眉根を寄せたりと、微小ながらも顔色を変えるハイドランジアと、からかい半分で笑っているエレインの二人に、ミーアは少し驚いていた。だって、なんだかんだ言いつつもハイドランジアは楽しそうだったからだ。
人と話しているところもあまり見なければ、あんなに口数多く喋っていることも稀、それに加えて表情を変える。彼にもそんな相手が他に居たことに、孫を見るような安心感を覚えた。
「ねぇねぇミーアちゃん、相手がまだ居ないんなら、ハイドちゃんなんかどう?♪ちょっと変わり者だけど、良い子よ?♪」
「い、良い子なのは知ってますけど…あはは…」
「ちょ、ちょっと……!本当に大概にしてください……!!ミーアに…変な絡み方をしないでください……!!!」
「あらあら?あらあらあら?ハイドちゃんももしかして満更じゃ――――むぐーっ、むぐぐー!」
苦笑いで誤魔化そうとしたが、ニヤニヤしながら腕に抱きついてきたエレインを、ハイドランジアが彼女の口を塞いで引き剥がす。
エレインは尚も腕にしがみつこうとしていたが、ハイドランジアがだいぶと力を込めていたのか、観念した。
「ええと……ごめん、ノーランさんが……」
「ううん、大丈夫だよ」
「ノーランさんは……姉さんの弟子だった人で……、幼い頃からよく接してたから……。その、僕の知り合い、です……」
ハイドランジアに姉が?
それは初耳で、そうなのかと素直に問い掛ければ、ハイドランジアは苦しそうに目を伏せた。
「うん……、まぁ、その姉さんも……………五年前に行方不明になっちゃって………。それなりに、すごい人だったんだ……。魔素こそ持ってなかったけど、…すごいメカニックでさ、…僕も発明を見てもらってたし……」
「行方不明…」
さっき、目を伏せたのは話しづらかったからか。行方不明、と言われれば、どう返していいものかわからない。ミーアは、気の利いた返答も思いつかずに口を噤んだ。
「あら、ハイドちゃんってば言ってないのね」
「わざわざ…重い話を聞かせる必要も…無いでしょう」
「ふうん?まぁいいけど。あ、アタシ、そろそろ行くわね。手続きとかがまだ残っているのよ♪」
「そうですか…さようなら…」
「んもー!なによその塩対応!ハイドちゃん、アタシの扱い雑じゃない?♪…まったくもう。それじゃあミーアちゃん、こんなんだけど、ハイドちゃんのことくれぐれもよろしくね♪」
「は、はい」
ぴっと人差し指を立ててウィンク。彼女がぱちりと片目を瞑った瞬間、キラキラと光が散らばったように見えたのは気のせいではないかもしれない。同じ女性のミーアでも、色合いは目に痛いが可愛らしい人だ、と思った。
エレインは、ハイドランジアにも同じように別れを告げて、ひらひらと後ろ手を振りながら、ヒールの靴音をコツコツと鳴らして去っていく。
まさに、嵐のような人だった。と思っているのはミーアだけでなくハイドランジアもだ。