此の日常(上)
薄い布地のカーテンから僅かに朝日が差し込んできて、ぼんやりと周囲が明瞭になっていく。結局ゼロは、一晩を廊下で過ごしていた。
途中退席してからは扉越しの議論を聞こえるか聞こえないかの位置で膝を抱えて過ごしてはいたが、一切そこから動いてはいない。夜も更けた頃、ミーアとハイドランジアが声を掛けにきたが、曖昧に返事をして追い返した。ハイドランジアは深夜にも関わらず、やりたい実験が残っていると言って帰っていった。ミーアは心配そうにしていたが、静かに考えさせた方が良いと判断したのか、彼女にしては夜遅くまで起きていたものの、眠りについたようだった。
そして、ゼロはといえば、充電もすることなく考え続けていた。
「…ボクは、」
――――一体、何者なのか。
エリザベート、ジブリールらとハイドランジアは、ゼロを元々は人間だと言った。彼らと同じ、人間だと言った。ミーアは今でもゼロを人間のように扱っている様子だった。しかし、ゼロは今も昔もアンドロイドだという認識しかなかった。記憶が壊れているので昔もなにもないとは思うが、少なくともゼロがゼロを意識した時からアンドロイドだった。まず、それに疑問を持つことなんてなかった。ワケありアンドロイドである自分をマスターのミーアとハイドランジアが拾ってくれた、ただそれだけのことで、それ以上でも無かった筈だ。
確かに、自身に搭載されている戦闘能力は違法そのものだ、しかし、違法なアンドロイドであって、決して人間などというものではなかった。何故もなにも、ゼロはアンドロイドだから。
エリザベート、ジブリール、ゼノラックス、彼等と共通するのは、目元にある黄色い刺青。数字の刺青は、アンドロイドである証明。色の意味までは知らなかったが、同じ黄色ということは、少なくとも同じような製造工場で作られたのは間違いない。そんな彼女らは、自分たちを人間だと主張している。
アンドロイドは人に仕える道具、人を模してはいるものの腹から産まれたわけではなく、部品を組み立てられて作られたもの。肌も、髪も、人によく似てはいるものの、ただ模しただけ、偽物には変わりない。
ハイドランジアはゼロの腹を割いたが、彼はその内蔵物についても後付けされたものだと述べた。臓器も、粘膜も、人間のそれだと彼は言っていた。純然たるアンドロイドならばそもそも臓器も粘膜も存在していないはずで、というのもわざわざそこまで真似る必要はないから。だったらそれが存在しているということはハイドランジアの見解も的を得ている?ゼロは本当に、なんらかの理由で人体改造されただけの人間?
――――あぁ、思考回路がオーバーヒートして機能障害を起こしてしまいそうだ。
「………でも、本当に機械ならば、これはなんて役立たずの不良品なんでしょうね」
頭部に手を当てて憎々しげに爪を立ててみる。もっと高性能であったなら、こんな下らない問いになんてすぐに答えを出せたのに。
ずっと考えていた結論は、保留せざるを得なかった。困ったことに、自身を人間ともアンドロイドとも断定できるような材料はいくら検索しても見つからなかった。とても中途半端で、苦しい。
「―――苦しい?」
苦しい、なんて、まるで人間のようじゃないか。
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がしゃん、うるさくアラームを掻き鳴らし続ける目覚ましを叩き切って、天井を見上げる。
昨夜は、ハイドランジアに条件を提示したあと、話も一区切りしたのでゼロが整理をつけるのを待っていたが、夜も更けてきていたのでハイドランジアは帰っていった。時計の針は0時を回っていたので深夜入城の手続きも面倒だから泊まっていくことを提案したが、却下されてしまった。そうしてハイドランジアが居なくなっても暫くはゼロが戻ってくるのをリビングで待機していたのだが、丑三つ時になっても彼は考え込んでいる様子だったので、ミーアは一声だけ掛けて就寝したのだ。
「ゼロは…」
まだ、考え込んでしまっているのだろうか。無理もないが、休息すら忘れてしまっては、答えが見つかるものも見つからない。
心配になって、ぱっと服を着替えて髪を整え、リビングに出る。すると、扉を開けた瞬間、卵の焼ける匂いとともに、エプロンをつけて長箸を持ったゼロが振り向いた。
「おはようございます、ミーア。すみません、本日は本起動に遅れが生じて、定時にミーアを起こしに行けるだけの時間を確保できませんでした。朝食ができ次第、起こそうと思ってはいたのですが……」
「あ、ありがとう…その、ゼロ、大丈夫?」
「問題ありませんよ」
至って普通、以前となんら変わりない。無理していたり、隠しているのではないかと、皿を並べるのを手伝う傍らで様子を見てみるが、それでも変わりなく。
もしかして、なんらかの答えが出せたのだろうか。そう疑問に思いながらもミーアからそれを問い掛けることはできなくて、ほかほかと湯気の立つスクランブルエッグとトーストの前にミーアは腰を下ろした。
その向かいに、ゼロも同じように食事を並べて椅子に座る。
いただきますをしてから黙々と食べ始めるが、その間もミーアはちらちらとゼロを気にし続けていた。勿論、そんなに露骨にしていてはゼロに悟られるのも当然で。
「…やはり、気になります?」
苦笑したゼロにそう問われて、ミーアはぎこちなく頷いた。
ゼロは一度フォークを置くと、ぱらりと袖の中から少量の砂鉄を出して語り始める。
「正直、整理がついたわけでもなければ答えなど出せるはずもなく、今でも処理しきれずに混乱はしています。ですが、一晩答えを探し求めて、それでも出せなかった以上、あまり固執し過ぎるのは非合理的だと考えました。勿論、今後も模索すべき問題ではありますが、そればかりに気を取られているのは最悪手です。なので、考え込むのではなく、日常生活の傍らでぼんやりと思う程度に留めようと思いました。…その結論は、ミーアが起きてくる直前に至りました」
「…うん。私が良いって言うのも変だけど、良いと思う。ゼロが気負いしすぎてないのは安心したけど、私なんかでもよかったら相談ぐらいは乗れるからさ。頼ってよ」
「ええ、ありがとうこざいます。ミーア」
ふわり、口元を緩めたゼロに、ミーアは良い意味での違和感を覚える。
(心做しか、表情が柔らかくなった?)
悩んで、苦しいのは変わらないだろうに、どういう訳か彼の感情表現が緩くなった、ような気がする。
ゼロにどんな心境の変化があったのかはわからないが、残酷な事実が齎したのはなにも悪い変化だけではなかったようだ。
まだまだ気は抜けないが、少しだけほっとした。ミーアも無意識に表情の強張りが解れて、再び朝食を食べ始めた。
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「ハイド、これが今朝の実験薬の効果を纏めたやつね。で、こっちはまだ観察継続中の薬品」
「一昨日の、563番薬は?」
「ほら、ここに書いてあるよ。これは土星だね、成分は詳しく記載したけど、アンモニアやらリン化水素やらメタンやらを多量に含んでたし、ラットの実験では死骸の周りに氷の粒や岩石デブリが輪型に浮かんでたし。死骸周囲にもガスが影響を及ぼすから広範囲兵器だよ。実用性は無いね」
「……また実用性ナシ、か。……じゃあ、これもラットでよろしく……」
「こりゃまた毒々しい色をしてるなぁ……。了解です」
預かった薬を持ってハイドランジアの研究室を出る。ラット自体は彼の部屋と併設されている保管室にも居るのだが、今は全匹それぞれが薬の経過観察で埋まってしまっている。だから、研究者共同用のラット保管室へと向かった。
ガラ、と保管室の扉を開ければ、数人の研究者や研究補佐と対面する。しかし、皆それぞれが己らの研究に夢中なため、軽く手を挙げて軽い挨拶程度をすればすぐにラットに目を戻した。
「あれ、ミーア」
「ルーラー」
棚影からひょこり、とルーラーが顔を出す。彼女も来ていたのか、と名前を呼べばルーラーはちょこちょこと寄ってきた。
「それ、新薬?赤に黄緑の気泡が湧いてて…毒キノコみたい?」
「すごいよね、魔素とはいえいつも見た目は奇抜だもん」
「あはは、色合いが豊かだよね。んでミーア、あんまり無理しちゃだめだよ?」
「わかってるよ、ありがとう」
執務に戻っていくルーラーに手を振って、ミーアはしみじみと思う。
こんな、いつものようなゆるい日常。最近はバタバタしていて余裕が無かったけれど、この平凡が一番楽しいんだなぁ、と。
*
*
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ミーアが去ったハイドランジアの研究室、そこの主は相変わらず隈の酷い眼で書類と睨めっこをしていた。
ミーアから渡された研究結果と、自身で記録を付けたノートとを見比べて、ノートのページにペケ印を付けていく。その作業を繰り返して、実用的と言える薬は皆無、そんな事実に一人落胆した。
(……自分の魔素が、把握しきれないのってなぁ…………)
ハイドランジアの魔素、【天文科学】は実のところ、ハイドランジア本人でも上手く扱えていなかった。いや、そもそもこんなランダム性に満ちた魔素を使いこなせる者など存在しないだろう。
なにかを作成して初めてこの魔素は発揮される。それは、半強制的で制御はできない。薬品だろうが機械だろうが料理だろうが、はたまたやったことはないが日曜大工だろうが発動してしまう魔素は困ったことに、効果だってピンキリだ。
天文――星々の特性を持つことはわかっているが、ハイドランジアとて天体を全て把握しているわけではない。己の魔素に関係が深い以上知識はある程度持っているが、大半の効果はよくわからないのである。その上、作成したものは一度使ってみなければどんな性能を持っているのか不明なのだ。先程のラットの観察結果も新薬を試したもので、薬品ならば投薬、機械ならば稼働させなければ一切わからないのが辛いところだ。
薬品ならば、この研究棟にあるラットの入っているボックスなどは昔に誰かの魔素で作られた絶対に壊れないボックスなので、例え太陽の灼熱であろうと土星の有毒ガスであろうと外に漏れる心配もなく実験できるのだが、問題は機械だ。
星屑ボードとブラックホールゴミ箱を作った後に一度機械で酷い目にあってからは積極的に作らなくなった。
(……僕としては、役に立つものを作りたいんだけど、……なぁ)
だが残念ながら、出来上がるのは殺人兵器ばかり。それはそうだ、他の星は大概が人間の適応できる環境ではない。そうなるのは自然であった。
持ち主の意図と反して危険物を作り続ける魔素に日々頭を悩ませるのは道理で、それこそ、生物を殺すにはこんなに適している魔素もないのだから、ハイドランジアが大量殺人者の異常者ならば喜べる代物となるのだが、そうなるはずもなく。
(…そういえば、ゼロのあれはやっぱり…………魔素、だよな……?)
ふと思い出したゼロのこと。あれが元人間だというのは確定済で、そうなるならば気になるのは彼の全身を流れて血液代わりとなっている砂鉄。
あれが後付けのものではなく、ゼロに元々あったものだというのは確信があった。それは、ゼロの体があの砂鉄に馴染みすぎているからだ。砂鉄もゼロの体も、お互いを受け入れすぎている。それは何よりもの証だった。
となるならば、あれゼロの魔素媒体ということになる。体の部位が魔素媒体、または核となるようなことはそう珍しくない。
大抵の魔素、ハイドランジアも含まれるが、その魔素が発生する核と呼ばれる部分がはっきりすることは少ないが、目や手など、特定部位から発生する魔素は、その発動器官が核となっている場合が多い。理由としてそこに魔力が集中するから、核いう強いエネルギーが固まっているからこそ魔素がそこから現出する、と説は多いが、とにかく体の部位そのものが魔素と強く関連がある者はそれ自体が媒体または核となっていることがあるのだ。
ただ、核と呼ばれてはいるが、それが核だからといってどうなるのか、ということまでは不明だが、ゼロの砂鉄は魔素で間違いないだろう。
(…といっても、血液が変質した魔素っていうのは……初めて見たな)
見たところ、体内にある砂鉄を自由に変形・操作できる魔素のようだが、汎用性が高くて実に強力だと分析する。
ミーアとゼロ本人の話では、剣にしたり砲にしたりと多彩だった。感覚が連動しているから砂鉄になにか衝撃を受けたりすれば遠く離れていても伝わる、そんな特性もあるから遠隔操作も可能。色々な方面をカバーできて、物理的なことに関しては万能の魔素に思える。
他にも、突き詰めればできることが――――
「失礼、お久しぶりですねグリーゼ氏」
「………ローエンツさん。お久しぶりです」
コンコン、軽いノック音とともに返事する間もなく扉を開けられて考え事は中断される。
意識を戻して振り返れば、そこにはベルクラフト・ローエンツが不器用に口元を上げながら立っていた。
「…もうそんな時期ですか」
「ええ、ええ。そのような時期なのですよ。恒例と参りましょうか」
すぐに気づいた彼の異変に驚きながらも、言葉を紡いだハイドランジア。研究室に訪ねる来客用のテーブルに座ったベルクラフトに、ハイドランジアは凝った肩を解しながら彼の前の椅子に座った。
「さて、ご察しが付いているようですが、定期活動調査を始めさせていただくとしましょう」
研究員定期活動調査、ワンシーズンに一度行われる成果報告であり、研究部最高責任者であるベルクラフト・ローエンツが一人一人に執り行う調査である。
ベルクラフトと最初に会った時、つまり姉と親友の事故の時はまだ最高責任者ではなかったが、その一年後に彼は王命で研究部の頂点に立つこととなった。だが、最高責任者といっても研究部以外にも数個の部署を纏めているのでこちらに掛かりきりという訳ではないのだが。
「――――なるほど、なるほど。随分と薬品を作っていらっしゃいますね」
「……まぁ、効能は思ったものができていないんですが…」
「いえいえ、この高熱の薬品、薄めることができれば金属製品の処理にとても役立てることができますよ。薄める方法を研究してみるのは如何でしょうか?役立たずと便利は、実際紙一重なのです」
「…そうですね。そうさせてもらいます。助言、ありがとうございます」
「ええ、グリーゼ氏、頼りにしていますよ」
カリカリと調査書に書き込んでいくベルクラフトをじっと見つめて、ハイドランジアは彼に感じた違和感を切り出そうか逡巡した。言わない方が良いかとも考えたが、こうも目立てばやはり気になり、聞いてみることにした。
「………目、どうされたんですか…?」
そう、ベルクラフトの右目は眼帯に覆われていた。以前、定期活動調査に来た際は黄金の双眸が残っていたのだが、今は片目のみとなっている。
「ああ、いえ。少し前に不注意で右目を失くしましてね」
「怪我…ではなく、失くしたですか…?」
「ええ、ええ、失くしたのです。右目のあった場所には空洞がぽっかりと暗黒を覗かせるばかりで…それを大衆に晒すのもどうかと思い、眼帯をしているという訳です。…あぁ、気にしなくて結構。グリーゼ氏の前にも、同じことを何度も聞かれましたのでねぇ」
右目に眼帯をしているなんて、否が応でも視界に入る。慣れた様子で苦笑したベルクラフトは、返答をしかねているハイドランジアに軽く返した。
「さて、まだ調査中ですのでそろそろお暇させていただきますが……もし、エレイン嬢をお見かけしましたら、至急私の執務室に向かうよう伝えておいてくれませんかねぇ」
「ノーランさん…にですか……?」
「はい。エレイン嬢とは是非ともじっくりとお話をしたいことがあるのですが、彼女は私を避けておいででしてね…それが苦手意識などからではなく、単に私を困らせたいという子供じみた思惑からなので、ほとほと手を焼いているのですよ」
「はぁ………わかりました………」
「ご協力、感謝致しますよ。それでは」
そう言って、ベルクラフトは研究室を出ていった。
再び機械音とラットの鳴き声のみの静寂が訪れ、ハイドランジアは特に意味もなくぼーっと椅子に暫し座ってから、本来のデスクに戻る。
「…………薬を薄める、か。……一度やってみたことはあったけど………………もう一回試行錯誤してみるか」