ヒソカ銀子様

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「ただいま」
「おかえり、今日は早いね♢」

 一人暮らしのアパートの一室。返ってくるはずのない言葉に驚いて、咄嗟に顔を上げる。
燃えるような赤毛に、頬にペイントされた星と涙。艶かしい指先を広げて、彼はこちらに手を振った。

「ひ、ヒソカ。なんでうちに」
「ナマエの顔が見たくてね♧」
「私いま鍵開けたよね……? な、なんで部屋に」
「この前貰った合鍵♡」
「あげてないよね!?」

 ヒソカの手には確かにこの部屋の合鍵らしきものがあった。合鍵は普段使わないから棚にしまっておいたので、紛失にすら気付かなかった。窃盗を悪びれもせずに、ヒソカは言葉を続ける。

「仕事疲れただろ? ボクがご飯作るよ♢」
「……はぁ?」
「ナマエはシャワーでも浴びてきて♧」

 そう言ってヒソカは冷蔵庫の中身を漁り始めた。

 ヒソカはこうしてたまにうちに来る。それは旅団の仕事の帰りだったり、趣味の殺しの帰りだったり、まぁ人を殺してから来ることが多い。
 しかし彼は強く、返り血の一滴すら家には持ち込んでこないので、そこはありがたく思っている。ふらっとうちに立ち寄っては私のベッドで睡眠を取っていたり、勝手にパソコンを使って情報収集をしていたりする。多分無料で使える便利なホテル扱いなんだと思う。
 断れるものなら断りたいが、私はただの一般人なので、彼を追い出す力なんて持っていない。だから、だらだらとこの関係がずっと続いていた。

 しかし、ヒソカが私の世話を焼くなんてことはこれまでに一度も無かった。むしろ私が彼の世話をしていたと思う。
 一体どういう風の吹き回しだ? とキッチンに立つヒソカを訝しみながら、考えをリセットする為にもシャワーを浴びようと思った。
 しかし、ベッドに仕事のバッグを置いた時、アパートの鍵がベッドの下へと転がり込んでしまった。

「あっやば」

 私はそう呟いて、ベッドの下を見るべく床に耳を付けた。ベッドの下は薄暗く、どこに鍵があるのかよく分からない。なので、携帯をライトモードにしてベッドの暗闇を照らした。それがいけなかった。

「うわあああッッ!」
「ッナマエ!?」

 見てしまった。目が合ってしまった。ライトで照らされた先に、目を見開く女性が横たわっているのを。
 駆け寄ってくれたヒソカに思わず縋った。それくらい恐怖した出来事だった。

「べべ、ベッドの下に、人が」

 辿々しくヒソカにそう伝える。
 ていうかこの女性は一体全体誰なんだ? 少なくとも私が今朝家を出る時には絶対居なかった。居なかったと信じたい。知らないうちに死体と同居生活していたなんて嫌すぎる。

 冷静に考えて、私が仕事で居なかった時間に家に居た人物が凄く怪しい。そこまで考えると、私は怒りと恐怖が半々くらいに混ざった感情をヒソカに向けた。

「ヒソカさぁ、うちで人殺した?」
「……バレちゃった♤」
「バレちゃったじゃないわよ! 辞めてよ!」
「だってこの子がどうしてもって町中でボクに縋ってきたんだ♡ でも人通りが多かったし、どこかに人が来ない場所ないかなって考えたら、丁度ナマエの家が近いことに気づいてね♢」
「だからうちを殺人現場にしたってわけね……」
「本当はナマエが帰ってくる前に死体捨てる筈だったんだけどね♧ 急に帰ってくるからベッドの下に押し込んじゃった♤ もう少し遅く帰ってくればお互い幸せだったのにね♡」
「貴方だけ幸せの間違いでしょう? 頼むから今日は死体を連れて帰って、お願い」

 そう言って私はため息を吐いた。ヒソカと関わった時点で大分減っていた幸せが更に減っていくのを感じる。

「帰る前にさ、ナマエに質問してもいい?」
「……一つだけね」

 ヒソカの口からは、普段の彼からは想像もできない質問が紡がれた。

「ボクのこと、通報しないの? 殺人ってこの国でも罪だよね?」
「……今更罪の意識でも芽生えたの?」
「いいから答えて♢」
「……知らないフリするのが殺人鬼の貴方への精一杯の同情よ。一応、知り合いだし」

 もっともらしい理由を述べる。嘘ではなかった。知り合いだからこそ、ある程度彼の行動を大目に見ている面も確かに存在したし、人殺しが彼の不幸せな性なのだからと納得していたからだ。それに、逐一彼の悪行を通報していたらキリがない。
 しかし、ヒソカは私に対して違った解釈を取った。

「義理堅いんだね、ナマエって♤」
「貴方が野垂れ死んだ方が社会にとっては良いと思うけどね」

 そういうとヒソカは私に向き合って、こちらをじっと見つめた。チェシャ猫のようなニンマリとした笑みを浮かべながら。

「やっぱりボク、付き合うのはナマエがいい♧」
「……は? え? どういうこと」

 唐突に話が切り替わったことに、私は動揺した。ヒソカは機嫌がよさそうにニコニコ笑いながら話を続ける。

「とある心理学者がね、友人の定義ついてこう語ったんだ♤ 『午前0時に家に駆けつけて、車のトランクにある死体を見せた時、黙って話に乗ってくれる人』って♡ ナマエとボクの関係みたいじゃないか♢」
「……それだとヒソカが私に抱く感情は友情が正しいと思うんだけど」
「あれ? まぁ、なんでも良いじゃない♧」
「理由になってないわよ」

 くつくつとヒソカが笑う。その笑みは言い様のない魅力を孕んでいて、計らずも私の心をきゅっと掴んだ。
 あぁ、干渉しない方が身の為だと分かっているのに。ヒソカの存在は、依存性の強い麻薬に似ている。

 裏社会で生きる彼が私の家に来るのは、色々と危険が伴う。その気になれば警察に通報するだの護衛を雇うだの、彼と縁を切る方法はあったはずなのに、現状に満足してだらだらと関係を続けていたのは、私が彼に引かれる部分が少なからずあったからだ。

 一度でも彼の刺激的な日常に触れてしまえば、もう普通の生活には戻れない。殺人に驚かない先程の自分がいい証拠だ。その刺激が毒だとしても、辞めることは出来ないのだ。

「ナマエが好き♡ ボクと付き合ってくれる?」

ヒソカが甘い毒を吐いて私を誘う。花の蜜に誘われる蝶のように、私は彼の言葉に惹かれてしまった。

「私は……」

 言葉に詰まる。喉が渇く。ヒソカの笑みから逃れたくて、視線を逸らした。
 危険だと分かっているのに、断った方が自分の為だと分かっているのに。彼ともっと居たいと思ってしまう私は強欲で、すごく醜い欲望の塊なんだと思う。
 あぁ、彼に向かって、大嫌いだと笑える強さがあったなら、と自分を呪わずにはいられなかった。

大嫌いだと笑ってよ