パリストン流星咲月

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 暗い。薄暗い独房の中。鉄格子に囲まれた三畳ほどの空間には、寝床として敷かれた布団と小さな厠があるだけで他には何もない。私の手首には鎖が繋がれている。

「あれ? やっと目が覚めました? ……なんだ、またご飯食べてないじゃないですかァ。いけませんよ? ちゃんと食べないと」

 薄っぺらい笑顔を貼りつけてパリストンは今日もこの独房へやってくる。ガチャリとわざと音を立てて施錠を開けると狭っ苦しい空間に無理矢理身体を捻じ込み、わざと私の側へと寄ってくる。

「近寄らないで」
「そんなに警戒されるとさすがにボクだって傷付くなァ」

 膝を立ててしゃがみ込む私の目の前まで来て、パリストンは腰を下ろしそう笑った。その笑顔からは何も伝わってこない。あぁ、出会ったあの日が間違いだったのかな、なんて両足の隙間からあの日を思い起こしてみた。


 パリストンと出会ったのはハンター協会の中にあるネテロ会長の部屋へ向かう道中のことだった。ネテロ会長直々に呼ばれたものの、あまり来たことがない大きな建物だったこともあり、協会内部で道に迷ってしまったのだ。ネテロ会長の元へ向かう道が分からず、あたふたしているところをパリストンが偶然通りがかったのだった。

「お困りですか?」
「あ、えっと……ネ、ネテロ会長に呼ばれたのですが……」

 トップスの裾を握りながらそう伝えると、パリストンは私の両手をぎゅうっと包み込んで、少し腰を折り私と目線を合わせて、僕で良ければ力になります。なんて笑ったんだ。そう、あの日も薄っぺらい笑顔で笑っていた。だけどその時の私はそんなこと知る術もなく、純粋にパリストンとの会話を楽しんでいて、そうしていつの間にか緊張も解れていた。

「あなたのお名前を伺っても?」
「僕ですか? 僕はパリストンです。知らないですか? これでも一応ハンター協会の副会長なんですけどね」
「すみません、世情に疎いもので……」
「そうですか。なるほど……うん。僕、貴方のような女性、大好きですよ」

 俯いてそう謝ると、彼はまた私の両手を自身の両手で包み込み、しっかりと私の目を見て大好きですよと笑った。この時に気付いていれば、今の私はきっと居なかったのに。なんて、今更後悔したってもう遅いのに。どうして人は過去を嘆くことしか出来ないのだろうか。

 そのまま目的の場所、ネテロ会長の部屋へ招かれ、話を済ませ扉を開けて静かに廊下へ出ると、壁にもたれたままのパリストンが笑顔で居た。

「どうかしましたか? あ、ネテロさんに用事でも? すみません、長話をしてしまい長い時間お待たせしてしまって……」

 そう首を垂れると、違うんですよとパリストンが笑った。パリストンが笑うたび、失礼だけれどもなんだか、背筋がゾワっとするような、何か得体の知らないモノに襲われるような感覚に陥ってしまう。だけど今なら分かる。何も失礼なんてことはないんだと。これが、正常な人間の正常な反応なんだ、と。

「僕は貴方に興味があります。そう、とても」
「はぁ……」
「ようこそ、僕の世界へ。僕は貴方を歓迎します」

 そう言ってパリストンが私の真横を通り過ぎた瞬間、首に鈍痛が広がり意識が遠のいていった。

 次に目が覚めた時には、この暗い独房の中だった。左右それぞれの手首には鎖が繋がっており鎖の先は部屋の窓の真下あたりに埋め込まれている。だけど独房の中だけであれば自由に行き来は出来る鎖の長さになっているようだった。そうは言っても三畳程度の空間では身体をゆっくり休めることは疎か、現状を正確に把握することすらままならない。

 ようこそ僕の世界へ――なんて言ってたっけ。何を馬鹿馬鹿しいことを。これが僕の世界? 笑わせないでよ。と心の中で悪態をつく。暗い三畳ほどの空間の端に座り込み、無機質な空間をじろりと見渡す。監視カメラのようなものはない。簡易的な厠はある。壁一面に広がる鉄格子に、真向かいにある壁には小さな窓と、外側にも鉄格子。これじゃあ逃げる事はできないな、困ったなぁ。そう内心嘆いていたときだった。

「あァ、目を覚まされましたか? 良かった。強く打ち付けてしまったのかと心配だったんですよ」

 そう笑顔で鉄格子に近寄ってくるパリストン。コツコツと踵の鳴る革靴に無性に腹が立った。

「どうしてこんなことしたんですか?」
「あれ? 僕言ったじゃないですかァ。貴方が好きです、って」

 そう言われて、つい数時間前の出来事を思い起こす。協会前で確かに彼に、貴方のような女性、大好きですよ。なんてことは言われたような気がしないわけでもない。だけど、それはただの社交辞令のようなもので、わざわざそれを真に受けるような人は少ないはずだ。勿論私だって例外ではない。真に受けてなんかいなかった。

「僕は愛しいと思うものほど傷付けたくなるんです」

 鉄格子の鍵を開けて部屋へ入り込むなり、部屋の隅に縮こまる私の側へ腰を下ろし、指で私の髪を撫ぜながらそう呟くパリストン。

「何故だか分からないけれど、貴方が愛おしいと思ったんです。それと同時に傷付けてしまいたい、と――あぁ、いいんです。僕のことを無理に好きになんてならなくたって構わないんです。そういうのは後からなんとでも出来ますから。だけど、僕は今貴方を愛しいと思っている……無性に傷付けてしまいたくなっている。……この意味が分かりますか?」

 正直、何を言っているのか全く分からなかった。愛しいから傷付けたくなる? なんだそれは。そんな人間聞いたことがない。残念ながら私には、そんな屈折した愛し方なんて理解は出来ない。

「はァ、やっぱり貴方にも分かりませんか……。でもいいんです、分かり合うことは出来ますよ。分かり合える日が来るまで、貴方にはここで生活してもらいます」
「はあ?」

 何を言っているのか全く理解できなかった。理解したくなかった、の方が正しいのかもしれない。彼の屈折した愛を理解出来るまでここで生活する? 冗談じゃない。

「まあまあ、そんなに怒らないで下さいよ。まず第一段階として貴方が僕を心の底から愛してくれれば、この独房から僕の自室へとランクアップ……昇級できます。どうですか?」

 呆れて言葉が出ないとはこのことか。

「僕の自室では、まあ恋人同士ということになるので恋人同士がすることを当たり前にします。抱擁やキスやセックスなども、ね?」

 パリストンは私を見下ろしながら、ボクを好きになるとこんなにも素晴らしいことが起きるのだ、と選挙立候補者さながらの演説をしていた。その日は一頻り話した後、独房を後にして、また来ますねと言い残し去っていった。私は立ち上がる気力もなく窓の外から差し込む月の光を眺めていた。

 それから三日間ほど経った。ここでは毎日決まった時間に食事が運ばれるが私は手を付ける気になれなかった。何か仕込まれているんじゃないか、とも考えたし単純に食欲が沸かなかった。急にこんな独房へ監禁されて、朝と夜だけしか分からないこの部屋で一日を無駄に過ごす。暇を潰すものを無ければ紙も鉛筆もない、何もない空間でただひたすら無を過ごす。それがとてつもなく辛かった。


 五日目にようやくパリストンがやってきた。

「あれ? やっと目が覚めました? ……なんだ、またご飯食べてないじゃないですかァ。いけませんよ? ちゃんと食べないと」

 薄っぺらい笑顔を張り付けて、私に近づくとパリストン。そんなパリストンに近寄らないでと言葉を投げても彼には届かない。届く前に、彼に張り付いている笑顔が私の言葉を跳ね除けるのだ。

「今日は貴方にとって大切なお知らせがあるんです……っ」

 白々しく目頭を指で押さえ、芝居がかった台詞を恥じらいもせず言いのける。お粗末な芝居がかった唇からパリストンが紡いだ言葉は、私にとって信じがたい事実だった。

「嘘だ! う、うそ……どうして彼が……っ…………まさか……お前が……っ!」

 掴みかかろうとしているのに、両手を繋ぐ鎖が自由を許してくれない。

「やだなァ、僕が貴方の婚約者を殺すだなんてそんな……そんなことするわけないじゃないですかァ」
「うそだうそだうそだっ……う、ぅわあぁぁあぁぁ……っ」

 嗚咽混じりに泣き喚く私の肩をそっと抱きしめ、パリストンが私の耳元で囁く。その言葉は悪魔の言葉そのものだった。

「僕はね、人に憎まれると幸せを感じるんです。だから貴方にも憎まれたい。そうして、大好きな貴方を傷付けたい。大好きだから、こそ。……理解していただけましたか?」

 どうしてあの日、この男と出会ったのだろう。どうしてこの男はあの日、私に大好きですよと笑ったのだろう。大嫌いだと笑ってくれていたなら、きっと今と違った未来があったはずなのに。パリストン、お願いだから、私のことを大好きだなんて笑わないで。これ以上ないってほどの真っ黒な笑みを貼りつけて、

大嫌いだと笑ってよ