出張先で伯爵様が亡くなった。

 この事実に対して僕は……。
 僕は……。
 ……。

 上手く説明することができるか自信がないんだが、許して欲しい。

 伯爵様は出張先の炭鉱所近くを馬車で移動中に落石に遭い、驚いた馬が荷台ごとひっくり返した。
 乗っていたのは現地の人とその子供、伯爵様。
 伯爵様は子供を庇い命を落としてしまったのだ。

 その知らせを受けた日の記憶は曖昧で、茫然自失の僕を年上の使用人達が叱咤してくれていたことしか思い出せない。
 とにかく医者のロートとオリーフ様、お嬢様を連れて現地に向かった。
 あれよあれよという間に葬儀が終わり、一週間が経ち、そこからようやく僕は、『敬愛する旦那様を失くした』という事実と向き合うことができたのだった。
 しかしそんな感傷に浸る間もなく。
 旦那様が亡くなった後、いくつかの問題が出てきた。

 ホワイトブルク家の遺産相続権、継承権は誰のものかということだ。

 この世界では主が亡くなった時、妻かその嫡男に引き継がれる。
 ホワイトブルク家でいえばオリーフ様かシュネー様ということになるが、シュネー様は女の子であり、しかもまだ未成年。
 17歳以上の男性でないシュネー様に家督は継げない。
 そのため、ホワイトブルク家の遺産も継承権もオリーフ様に継がれることになるだろうと誰もが思った。

 ところが。
 ほどなくして伯爵様の書斎の机の引き出しから、遺書が見つかった。
 その内容は、

「相続権も継承権も実子であるシュネーに引き継ぐものとする」
「間違いなく旦那様の筆跡ですか?」
「ああ」

 メイドのオランジェが、伯爵様と一番付き合いの長い医者のロートに聞いた。覚えのいい家庭教師シュヴァルツの確認も取っての結果だった。役所に遺書を持ち込み、確認を取った後もそれは変わらずで。

 しかし、妻であるオリーフ様には納得がいかなかったのだろう。
 その悔しさからか、妬ましさからか、シュネー様が前妻の奥様によく似ていらっしゃるからなのか。

 オリーフ様はシュネー様に辛く当たるようになり、
 彼女を更に遠ざけるようになった。

「オリーフ様……! それは前の奥様が愛用されていた食器ではないですか」

 シュネー様にとっては肩身のようなものも、オリーフ様は躊躇いもなく捨てたり壊したりするようになった。
 僕が止めようとした食器も、目の前で地面に叩きつけられる。飛び散った破片が彼女の頬を掠め、赤い血が滴り落ちても彼女は眉一つ動かさない。

「もう必要のないものでしょう? いつまでも亡くなった人の事を思う必要はありません」

 僕はその言葉に、頭をガンと殴られたような気持ちになった。
 そんな……そんなものなのか?

 オリーフ様の言動に業を煮やした他の召使い達は、自分から仕事を辞めたり、問題を起こしてしまった際にオリーフ様から解雇されてしまったりして。

 ホワイトブルク家の城に残った召使いは、とうとう僕だけになってしまった。


 ◇ ◇ ◇


 それから何日か経った。
 不気味な夜だった。
 月も星も出ていない、生温い風が吹く静かな夜。

 たまたま僕は寝付けなくて体を起こした。
 水を飲もうと、ふと部屋の隅にあるガラス瓶を見ると、残念、空っぽだった。僕はため息をついて一枚羽織ると、台所へと向かうことにした。

 誰も居ない城に、僕の足音だけが響く。
 真っ暗な城の中を歩いていると、今でもひょっこりと伯爵様と前妻の奥様が現れるような気がして仕方が無い。僕が出てきて欲しいと思っているからかもしれないけれど。
 夜中に浮き彫りにされるこの見た目が時折恨めしい。
 僕は自然と流れ出す涙を拭った。

 水場へと向かおうとしたその時、気味の悪い呻き声がどこからか聞こえて来た気がして立ち止まった。
 地の底から絞り出すような、苦しそうな声だ。

 ナイフは……。
 僕はポケットに護身用のナイフがあったことを確認し、声のする方へと忍び寄る。台所の机にガラス瓶をそっと置いて足音を立てないように。
 一歩ずつ確かに歩み寄り、灯りの見える方へ距離を詰める。

 誰かの気配とある程度の距離に近づけた時、相手に逃げられないように背後から声をかけた。

「誰だ」
「!」

 薄暗い暗闇の中で、僕の声に驚いた呻き声の張本人が固まる。
相手が置いていたのか、ランタンの灯りが振り返る目の前の人を照らして僕は驚いた。

「お、オリーフ様……こんな時間に何を」

 呻き声をあげていたのは、酷い顔色の奥様だったのだ。
 気分が悪かったのか台所の残飯桶に吐いていたようで、はあはあとゆっくりと息をしていた。その傍らには、何故か刃渡りの鋭いナイフが置かれている。
 俺は恐ろしいことを考えてゾッとした。

 オリーフ様は、一体何をしようとしていたんだ?

「お、」

 僕が何かを言いかける前に、オリーフ様が思わぬ強い力で僕の両肩を掴んだ。

「誰にも言ってはいけません。ここで見たもの私と話したことの全てを」
「オリーフ様、何を」
「今から私の言う事を聞くのです!」

 ランタンの光で照らされた彼女の目は、青い顔と対照的にギラギラと輝き恐ろしかった。
 何という力だ。
 僕の両肩に爪が食いこみ、痛みに一瞬顔を顰めた。

「シュネーを、あの子を殺しなさい」

 ……は?
 僕はオリーフ様が何を言っているのか理解できなかった。

 オリーフ様は僕の肩を解放すると、置いてあったナイフを手に取り僕に見せる。
 本気だ、と思った。

「簡単なことです。今、部屋で寝ているあの子の胸にこのナイフを一突きすればいい」
「奥様……なぜ!」
「なぜ、ですって? 妻である私には相続権も継承権も貰えなかった。何のために私はこの家に嫁いだのか……。継母の私など、いずれ彼女が大きくなれば追い出されるでしょう。それに……前妻に似たシュネーと共にこの城で一生を過ごすなど文字通り反吐が出るわ」
「そんな……そんなことで」

 嘲笑うようにして言い捨てるオリーフ様が、恐ろしく見えた。
 唇が震えて、上手く喋れない。
 布切れで口元を拭いたオリーフ様は、続けて言った。

「ホワイトブルク家に忠誠を誓い続けた、ブラウ。貴方なら子供一人を殺す事など造作もないことでしょう?」

 脳が脈打つ。頭の中でぐるぐると何かが駆け巡る。声を失った僕に、オリーフ様はとどめを刺すように言った。

「……貴方が殺せないのならば、今夜、私があの子を殺します。そして、貴方も」

 彼女様が持っているナイフに目を遣った。
 その平に、怯えたような顔の僕が映っている。
 オリーフ様はやはり、シュネー様を妬み、恨んでいたのか。
 自分が愛した夫の子供だというのに、殺そうとしていたというのか。
 この、ナイフで?

 その瞬間、僕の頭の中で何かが弾けた。