ご主人様は悪役令嬢にはなれない4
僕は二、三度、目を瞬かせてまじまじと彼女を見上げた。
貧乏人が見ただけでもわかる、高価な生地を使っている割りに地味なドレスを身に纏う彼女。体のラインがくっきりとわかるその服は、彼女の華奢な体、それでいて豊かな胸を強調させている。
大人の色香漂う妖しさと、若さ特有の、まだ穢れのなさが入り混じった雰囲気。街の大通りに出たなら、その美しさに誰もが振り返っただろう。
幼い頃の面影は残っているものの、女性らしく美しく成長した彼女に、僕はしばらく目を奪われていた。
しかしそれも束の間、ずっと見ていた僕は大きな音ではっとする。
「おい、何見てんだ! この方がお前のお知り合いなわけがあるか。大事なお客様をじろじろ見てんじゃねぇ!」
音の鳴る方を見れば、持っていた鞭を使って主が僕の檻に打ち付けたのだ。慌てて僕が彼女から視線を外すと、主は再び猫撫で声に変わり客に謝っていた。
「ご気分を害されたら申し訳ございませんねぇ、シロ様。
シロ様がお美しいから、こいつも見惚れてしまったようでして……」
……シロ?
目の前にいる彼女は間違いなく、シュネー様だった。
しかし主の口から出た彼女の名前は、シュネーではなくシロという名前。
僕は怪訝な顔をしてじっと彼女を盗み見ていた。
「別に気にしていないわ」
「さようですか、それは良かった」
「私も一瞬、知り合いかと思って見てしまったし」
主は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、へ?と言った。まさか自分が雇った男が貴族の女と知り合いだったなんて思いもしないだろう。
シュネー様によく似た女は、僕の方をチラリと一瞥すると、
「でも、全然、全く、超絶マクロも知らない他人の空似でしたわ!!」
おーっほっほっほっほと高く声をあげて、なぜか僕の方に向いてにーーーーっこりと笑って言った。
な、何なんだこの女……。
僕はポカンと口を開けてその顔を見ていたが、主も負けずと大きな声で笑った。
「がーはっはっは、そうですよそうですよ、自分で言うのも悲しくなりますが、こんな湿気たサーカスに貴族様のお知り合いなど居るはずもございません! さあ、ひとまず奴隷たちはこれで以上です。一旦部屋を出てお茶でも飲みながらゆっくりお話し致しましょう!」
シロという女は、主に連れられると今日はそれきり戻って来なかった。僕は主が何か粗相でもしたかと思ったがそうではなく、その日は一旦帰ってしまったらしい。
金づるにしようと考えていた主は舌打ちしながら文句を言っていたが、それも次の日になれば、何事もなかったかのように仕事を再開していた。
彼女を見世物小屋の客席でも見かけるかと目を凝らしてみたが、開演中に彼女を見ることは無かった。
僕は自分がシュネー様を見間違うハズがないと思っていたけど、日が経つにつれて記憶も曖昧になっていった。
あの時に見たのは確かにシュネー様だったが、彼女は僕のことを知らないと言って笑っていた。それが何だか無性に空しくて、心が傷ついたような感覚になっていた。
そして、一週間が過ぎた日の夜のこと。
僕はいつも通りの演戯を終えて、檻の中に入って暇を潰していた。今日は見世物小屋の客の入りがあまり芳しくなく、人がはけると主が早々に閉めてしまったのだ。
もちろん彼の機嫌は現在、最悪最低。
日もとっぷりと暮れていた。
僕を含め他の奴隷たちも、無言で片付けを終えて檻の中で静かにしている。何か一言でも発すれば、主から三倍になって返ってくることはわかっていたからだ。
「……そういえば、今日も来ていなかったな、あの女……」
ふと、見世物小屋に来ていたシュネー様に似た女を思い出す。
結局僕たちの“買い物”はしなかったのだろうか?
まあ、もう来ないだろうし。どちらでもいいけれど。
そんな風に考えていると、外で大きな悲鳴が上がった。
「な、なに?」
僕の隣の檻にいたナイフ投げの少女が身を強張らせる。
それと同時に、ライオンが低く唸り始めた。
「火事だああああ!」
その声を皮切りに、外が騒がしくなっていく。
火事だって!?
僕は急いで立ち上がり、檻越しに窓の隙間から覗き見た。
炎はテントのすぐ近くにある、主が住んでいる小屋から上がっていた。俺の家がぁ!と顔を青くして叫んでいる情けない面の主が見える。
火は煌々と燃え上がり、火消しの甲斐もむなしく主の小屋を包んでいる。その周りを近くの住人が慌てふためき、炎から逃げまどっていた。
「火の輪くぐりの炎が引火でもしたのか……?」
そう考えたが、サーカスは早々に閉めた。
後片付けなどとうに終わっているはずだ。
なら、主の煙草の火か……!?
「そんな事より! 俺たちもここから出ないとまずいぞ!?」
ピエロの男が焦った様子で檻越しの僕に声をかけた。
周りを見ると、テントの向こうが炎で明るく揺らめいているのがわかる。
僕が声を出す前に、ライオンも危機を感じたのか檻を破って脱出した。檻には鍵がかかっていたはずだが、ライオンが居た檻は状態が悪く、錆びついて今にも壊れそうだったのだ。
「鍵はどこだ!?」
猛獣使いの男の子が悲鳴に近い声を出して鍵の在り処を探る。
僕たちは檻の中から周りを見回して探し始めた。
「あ、あった! あったぞ、ドアのすぐ隣だ!」
ピエロが扉の隣を指さして答えた。
そこには木の板に釘が打ちつけられただけの、簡易な鍵かけが立てかけられていた。
鍵かけにはそれぞれの鍵がかけられているのがわかる。
そこから一番近い檻の猛獣使いの男の子に、ピエロが手繰り寄せた棒を渡して取ってもらおうと試みる。
「なんか、焦げ臭くなってきたな……」
僕は口元を軽く押さえて咳き込んだ。
テントの隙間から煙が入り込んできている。
火が移った気配はないものの、心無しかテント内の温度も上がっていて……熱い。
早くしなければ、全員逃げ出す前にお陀仏だ。
猛獣使いの男の子は、鍵を手繰り寄せるとそれぞれの檻に鍵を投げつける。ピエロは慌てながらも錠に鍵を差し込み、扉を開けることに成功した。
「悪いが先に逃げさせてもらうぞ!」
「おい、まだ他の扉も開いていないんだぞ!?」
「知るかよ! 俺だって自分の命の方が大事だ!」
ピエロはそう叫ぶとそのままテントを逃げ出して行ってしまった。
本来なら人を笑顔にさせるピエロ。
僕に吐き捨てて去った彼の顔は、酷く歪んでいた。
ナイフ投げの女の子の泣きじゃくる声が聞こえて振り返ると、小屋の中央から火が上がり出したのが見えた。
僕はクソッと苛立ちを露わにして、自分の鍵を錠に差し込む。
カチン!と外れる音がすれば、扉を思いきり蹴破ってナイフ投げの女の子の元へ駆け寄った。
彼女は手が震えて、錠前に鍵が刺さらなかったのだ。
僕がナイフ投げの女の子を助け出した頃には、猛獣使いの男の子も居なくなっていた。
「まずいな……」
気が付けば、自分たちのテントの周りは火の海で囲まれていた。見世物で使う小道具も衣装も、赤々と燃える材料に変わっている。唯一の出口である扉さえもが炎に包まれて悲鳴をあげているように見えた。
女の子は僕の足元にしがみ付いて震えている。
どうする?
僕は頬に伝う汗を袖口で拭いながら考えていた。
僕たちが居たこの部屋は、テントの中で建てた木材の小さな小屋だ。
正面の入り口は使えない。
かといって、檻の向こうの窓も通れない。
もともとギュウギュウに道具を置いていた場所だ、壁を壊して脱出することも不可能である。
「くそ……どうすれば……」
僕は震えている女の子に目を遣ると、なぜか女の子があの日のシュネー様と重なった。
オリーフ様から逃げるために、仕方なく孤児院へと届けるしかなかった不甲斐ない自分をも思い出す。
……あんな思いは、もう二度としたくない……!
僕は彼女を抱き寄せて頭を撫でた。
ナイフ投げの女の子は、僕の腕の中でひぐひぐと泣いている。
そうだよな。
怖いよな。
そんな思いも、もう誰かにさせたくない。
何かないのか!?
この小屋を脱出方法が!!!
何か!!!!!
僕は忍び寄る炎に覚悟を決めて、目をぎゅっと瞑った。
すると。
「正面も窓も無いなら、空から逃げればいいじゃない!」
ナイフ投げの女の子のものではない、軽やかな鈴のような声が、どこからか聞こえた。
顔を上げたが、どこにも姿は見えない。
熱く燃え盛る小屋の中で風を感じ、僕は空を仰いだ。
「ハロー、ブラウ! お困りのようね?」
小屋天井に穴を開けたシロという女が、そこから頬杖をついて見下ろしていた。
貧乏人が見ただけでもわかる、高価な生地を使っている割りに地味なドレスを身に纏う彼女。体のラインがくっきりとわかるその服は、彼女の華奢な体、それでいて豊かな胸を強調させている。
大人の色香漂う妖しさと、若さ特有の、まだ穢れのなさが入り混じった雰囲気。街の大通りに出たなら、その美しさに誰もが振り返っただろう。
幼い頃の面影は残っているものの、女性らしく美しく成長した彼女に、僕はしばらく目を奪われていた。
しかしそれも束の間、ずっと見ていた僕は大きな音ではっとする。
「おい、何見てんだ! この方がお前のお知り合いなわけがあるか。大事なお客様をじろじろ見てんじゃねぇ!」
音の鳴る方を見れば、持っていた鞭を使って主が僕の檻に打ち付けたのだ。慌てて僕が彼女から視線を外すと、主は再び猫撫で声に変わり客に謝っていた。
「ご気分を害されたら申し訳ございませんねぇ、シロ様。
シロ様がお美しいから、こいつも見惚れてしまったようでして……」
……シロ?
目の前にいる彼女は間違いなく、シュネー様だった。
しかし主の口から出た彼女の名前は、シュネーではなくシロという名前。
僕は怪訝な顔をしてじっと彼女を盗み見ていた。
「別に気にしていないわ」
「さようですか、それは良かった」
「私も一瞬、知り合いかと思って見てしまったし」
主は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、へ?と言った。まさか自分が雇った男が貴族の女と知り合いだったなんて思いもしないだろう。
シュネー様によく似た女は、僕の方をチラリと一瞥すると、
「でも、全然、全く、超絶マクロも知らない他人の空似でしたわ!!」
おーっほっほっほっほと高く声をあげて、なぜか僕の方に向いてにーーーーっこりと笑って言った。
な、何なんだこの女……。
僕はポカンと口を開けてその顔を見ていたが、主も負けずと大きな声で笑った。
「がーはっはっは、そうですよそうですよ、自分で言うのも悲しくなりますが、こんな湿気たサーカスに貴族様のお知り合いなど居るはずもございません! さあ、ひとまず奴隷たちはこれで以上です。一旦部屋を出てお茶でも飲みながらゆっくりお話し致しましょう!」
シロという女は、主に連れられると今日はそれきり戻って来なかった。僕は主が何か粗相でもしたかと思ったがそうではなく、その日は一旦帰ってしまったらしい。
金づるにしようと考えていた主は舌打ちしながら文句を言っていたが、それも次の日になれば、何事もなかったかのように仕事を再開していた。
彼女を見世物小屋の客席でも見かけるかと目を凝らしてみたが、開演中に彼女を見ることは無かった。
僕は自分がシュネー様を見間違うハズがないと思っていたけど、日が経つにつれて記憶も曖昧になっていった。
あの時に見たのは確かにシュネー様だったが、彼女は僕のことを知らないと言って笑っていた。それが何だか無性に空しくて、心が傷ついたような感覚になっていた。
そして、一週間が過ぎた日の夜のこと。
僕はいつも通りの演戯を終えて、檻の中に入って暇を潰していた。今日は見世物小屋の客の入りがあまり芳しくなく、人がはけると主が早々に閉めてしまったのだ。
もちろん彼の機嫌は現在、最悪最低。
日もとっぷりと暮れていた。
僕を含め他の奴隷たちも、無言で片付けを終えて檻の中で静かにしている。何か一言でも発すれば、主から三倍になって返ってくることはわかっていたからだ。
「……そういえば、今日も来ていなかったな、あの女……」
ふと、見世物小屋に来ていたシュネー様に似た女を思い出す。
結局僕たちの“買い物”はしなかったのだろうか?
まあ、もう来ないだろうし。どちらでもいいけれど。
そんな風に考えていると、外で大きな悲鳴が上がった。
「な、なに?」
僕の隣の檻にいたナイフ投げの少女が身を強張らせる。
それと同時に、ライオンが低く唸り始めた。
「火事だああああ!」
その声を皮切りに、外が騒がしくなっていく。
火事だって!?
僕は急いで立ち上がり、檻越しに窓の隙間から覗き見た。
炎はテントのすぐ近くにある、主が住んでいる小屋から上がっていた。俺の家がぁ!と顔を青くして叫んでいる情けない面の主が見える。
火は煌々と燃え上がり、火消しの甲斐もむなしく主の小屋を包んでいる。その周りを近くの住人が慌てふためき、炎から逃げまどっていた。
「火の輪くぐりの炎が引火でもしたのか……?」
そう考えたが、サーカスは早々に閉めた。
後片付けなどとうに終わっているはずだ。
なら、主の煙草の火か……!?
「そんな事より! 俺たちもここから出ないとまずいぞ!?」
ピエロの男が焦った様子で檻越しの僕に声をかけた。
周りを見ると、テントの向こうが炎で明るく揺らめいているのがわかる。
僕が声を出す前に、ライオンも危機を感じたのか檻を破って脱出した。檻には鍵がかかっていたはずだが、ライオンが居た檻は状態が悪く、錆びついて今にも壊れそうだったのだ。
「鍵はどこだ!?」
猛獣使いの男の子が悲鳴に近い声を出して鍵の在り処を探る。
僕たちは檻の中から周りを見回して探し始めた。
「あ、あった! あったぞ、ドアのすぐ隣だ!」
ピエロが扉の隣を指さして答えた。
そこには木の板に釘が打ちつけられただけの、簡易な鍵かけが立てかけられていた。
鍵かけにはそれぞれの鍵がかけられているのがわかる。
そこから一番近い檻の猛獣使いの男の子に、ピエロが手繰り寄せた棒を渡して取ってもらおうと試みる。
「なんか、焦げ臭くなってきたな……」
僕は口元を軽く押さえて咳き込んだ。
テントの隙間から煙が入り込んできている。
火が移った気配はないものの、心無しかテント内の温度も上がっていて……熱い。
早くしなければ、全員逃げ出す前にお陀仏だ。
猛獣使いの男の子は、鍵を手繰り寄せるとそれぞれの檻に鍵を投げつける。ピエロは慌てながらも錠に鍵を差し込み、扉を開けることに成功した。
「悪いが先に逃げさせてもらうぞ!」
「おい、まだ他の扉も開いていないんだぞ!?」
「知るかよ! 俺だって自分の命の方が大事だ!」
ピエロはそう叫ぶとそのままテントを逃げ出して行ってしまった。
本来なら人を笑顔にさせるピエロ。
僕に吐き捨てて去った彼の顔は、酷く歪んでいた。
ナイフ投げの女の子の泣きじゃくる声が聞こえて振り返ると、小屋の中央から火が上がり出したのが見えた。
僕はクソッと苛立ちを露わにして、自分の鍵を錠に差し込む。
カチン!と外れる音がすれば、扉を思いきり蹴破ってナイフ投げの女の子の元へ駆け寄った。
彼女は手が震えて、錠前に鍵が刺さらなかったのだ。
僕がナイフ投げの女の子を助け出した頃には、猛獣使いの男の子も居なくなっていた。
「まずいな……」
気が付けば、自分たちのテントの周りは火の海で囲まれていた。見世物で使う小道具も衣装も、赤々と燃える材料に変わっている。唯一の出口である扉さえもが炎に包まれて悲鳴をあげているように見えた。
女の子は僕の足元にしがみ付いて震えている。
どうする?
僕は頬に伝う汗を袖口で拭いながら考えていた。
僕たちが居たこの部屋は、テントの中で建てた木材の小さな小屋だ。
正面の入り口は使えない。
かといって、檻の向こうの窓も通れない。
もともとギュウギュウに道具を置いていた場所だ、壁を壊して脱出することも不可能である。
「くそ……どうすれば……」
僕は震えている女の子に目を遣ると、なぜか女の子があの日のシュネー様と重なった。
オリーフ様から逃げるために、仕方なく孤児院へと届けるしかなかった不甲斐ない自分をも思い出す。
……あんな思いは、もう二度としたくない……!
僕は彼女を抱き寄せて頭を撫でた。
ナイフ投げの女の子は、僕の腕の中でひぐひぐと泣いている。
そうだよな。
怖いよな。
そんな思いも、もう誰かにさせたくない。
何かないのか!?
この小屋を脱出方法が!!!
何か!!!!!
僕は忍び寄る炎に覚悟を決めて、目をぎゅっと瞑った。
すると。
「正面も窓も無いなら、空から逃げればいいじゃない!」
ナイフ投げの女の子のものではない、軽やかな鈴のような声が、どこからか聞こえた。
顔を上げたが、どこにも姿は見えない。
熱く燃え盛る小屋の中で風を感じ、僕は空を仰いだ。
「ハロー、ブラウ! お困りのようね?」
小屋天井に穴を開けたシロという女が、そこから頬杖をついて見下ろしていた。