あどけない寝顔


珍しい事もあるものだ、と彼女はぼんやりと思う。名字がいつも昼を過ごすこの場所は日当たりが良く、かつ人気の無い静かな場所だ。ごく稀にB組の仁王がいたり、花の手入れだとC組の幸村が訪れたりするが、仁王はもっぱら教室で過ごす事が多いらしく、幸村も屋上のガーデニングがメインだからと、そう頻繁に会う事は無い。その為、名字は特に気にするでもなく毎日此処を訪れている。しかし、今日はその2人では無い先客がおり、それがこの場所では初めて会うクラスメートなのだから珍しいと思うのも無理はない。しかも眠っているのだから、尚更珍しいと感じてしまうものだ。
寝ている彼をぼんやり見下ろしてから、後ろ手に持っていたランチバッグを前に持ち直して彼の隣まで移動すると、ゆっくりと腰掛けた。彼―――ジャッカル桑原の眠る場所が一番居心地が良いので、少し躊躇われたが彼の隣にお邪魔させてもらったのだが。騒がしくしないから許してね、とランチバッグに入れてあった自分のおやつをそっとジャッカルの胸元に置いて、自身はお弁当の包みを開けた。
珍しい事もあるものだ、彼もこうして眠るのか。

(いや、寝ないと思ってる訳では無いんだけど)

授業中も休み時間にも寝ている姿を見た事が名字は無かった。放課後も部活に励み、こんな風に休息を取るイメージが無かったからこそ、珍しい、と感じたのかもしれない。それ以前に、彼とさほど親しくないからかもしれないが。お弁当を頬張りつつ隣の彼を見やる。整った顔立ちだと思う。彼がハーフだからなのか、はたまたイケメンが多い『男子テニス部』だからなのか、それは興味が無いのもあり名字には分からないが、それを置いても整っていると彼女はしみじみ見つめる。黙々と食べる手は止めずに、ジャッカル桑原がどんな人物だったかと物思いに耽る。
どちらかと言えばクールな印象で、しかし愛想も人柄も良かったように思う。

(思う、ばっかりだ)

そう、自身に苦笑するがそのくらい『ジャッカル桑原』という男と接点が無いのだ。ただ一度、担任に頼まれた荷物を運んでいたのを手伝ってくれたのは彼だったと、食べ切ったお弁当箱を閉じてから改めて彼を見つめた。

(あどけない、って言うんだっけ)

話した時の印象より幾らか幼いように感じるのは、落ち着いた話し方だったからかと思案する。テニスする様は激しかったと、ジャッカルのダブルスパートナーの丸井を見に行った友達が話していたが、会話した時の印象と今の寝顔からは名字にはそんな彼が想像出来なかった。
それにしても、随分気持ち良さそうに眠っている。空を仰げば木漏れ日が心地良く、今日は程良く風も吹いている。絶好の昼寝日和である。そう思ったら眠くなるのが人間である。うつらうつらと舟を漕ぎ始めて、慌てて首を振るが睡魔は一向に消えない。ケータイで時間を確認してから、少しならば、とジャッカルの隣に寝転がる。瞬間、迫り来る睡魔に抗うことなく、名字は意識を手放した。





―――…

珍しい事もあるものだ、と彼はぼんやりと思う。静かな場所を知らないか、と柳に聞いたら良い場所があると、会話を聞いていた幸村に言われジャッカルが訪れたこの場所は、想像より遥かに心地良い場所だった。クラスメートの名字名前がいると思う、と彼等から聞いていたが彼が訪れた時には誰も居らず、それならば、と朝から自身を襲う眠気を払うべく横になり目を閉じたのだが。目を覚ませば、見覚えの無いお菓子が自身の上に置かれていて、隣には意識を手放す前には居なかったクラスメートがいるのだから驚くのも無理はない。しかも眠っているのだから、珍しいと感じてしまうものだ。寝ている彼女をぼんやり見つめてからポケットの腕時計を取り出す。

(時間はまだあるな)

自身の近くに放っていた弁当箱を掴んで包みを開ける。おかずを口に放り込みながらちらりと隣で眠る彼女を見る。
珍しい事もあるものだ、彼女もこうして眠るのか。

(いや、寝ないと思ってる訳じゃねえんだけど)

授業中も休み時間にも寝ていなかったように思う。本を読んでいる名字の姿が浮かんで、やはりそうだ、とジャッカルは一人頷いた。と言っても彼女とさほど親しくないから、珍しいと感じたのだろうけれど。気持ち良さそうに寝息をたてる彼女に思わず笑みが零れる。

(あどけない寝顔、ってこういうの言うんだろうな)

話した時の印象より幾らか幼いように感じるのは、落ち着いた物腰だったからかと思案する。食事をとり終わり、再び時計を取り出して息を吐いた。そろそろ名字を起こさなくては授業に遅刻してしまうかもしれない。そうは思っても、如何せん彼女が気持ち良さそうに眠っているものだからどうにも躊躇われてしまうのだ。
後ろ手について空を仰ぐ。こんなにも良い天気なのだ。彼女が寝てしまうのも無理はないか、と空から彼女に視線を移したところで、不意に目が合った。


「……あーっと、その、お早う」
「……オハヨウゴザイマス」


視線がぶつかった気まずさと、寝起きだという気まずさに、2人してぎこちなく挨拶を交わす。いつの間に起きたのだろう、と名字もジャッカルも思う。未だフリーズする名字に苦笑しつつ、居たたまれずにジャッカルは視線を逸らす。その先に見えたお菓子の包みに、ああ、と声を上げた。


「これ、名字だよな。サンキューな」


そうお菓子を見せながら話し掛けるが、名字は正直それどころではない。何せ寝顔を見られているのだ。しかも、男子に。慌てて体を起こして口元を手で覆う。ヨダレは垂れていないようだ、と一先ず息をつく。名字?と戸惑うジャッカルの声に我に返り、顔を上げる。そっと彼を見れば、困ったように眉を下げていた。ジャッカルからすれば、彼女の行動の意味が分からないので、嫌われているのだろうか、と内心ハラハラするものだ。首を傾げる彼に、開きかけた口を閉じて、少し考えてから再び開く。


「桑原くん」
「ん?」
「寝顔…見たよ、ね?」
「あ、あー……おう」


何となく、名字の行動の理由が分かり、頬を掻きながら小さく答える。すると彼女は、きゅっと口を結んでから膝を抱えて俯いた。


「えーっと、名字…?」
「もうやだ穴があったら入りたい絶対私間抜けな顔してた」
「い、いや、そんな事ねえよ、寝顔幼いな、くらいで」


戸惑いつつジャッカルが返せば、名字はガバッと顔を上げて泣きそうな顔で彼を見る。


「ほら!私子どもみたいに大口開けて寝てたんだぁ!」
「違うって!あどけなくて可愛いって、」
「え?」
「うん?」


しばし2人で見つめ合ってから、ほぼ同時に顔を真っ赤に染める。赤く染まった名字の顔を見て、何を言ってるんだ俺、と恥ずかしさでのたうち回りたくなっているジャッカルを余所に、名字は口を数回金魚のようにパクパクとさせた後、勢い良く立ち上がった。


「桑原くんだってあどけない可愛い顔して寝てたんだから!!」


真っ赤になって叫ぶのと同時に、授業の始まりを告げるチャイムが鳴り響く。少し間があってから、ジャッカルが時計を取り出して、うわ、と声を上げた。


「名字、話しは後でもう一回聞くからとりあえず教室行くぞ!」
「う、うんっ!」


弁当を掴み立ち上がるジャッカルに、名字も慌ててランチバッグを拾い上げた。それを見てからジャッカルが走り出し、彼女も後を追う。教室へと向かいながら、ふと冷静になった頭で2人は考える。

(もう一回、とか言ったけど『アレ』をもう一回聞くのか…?)
(もう一回、って言ってたけど『アレ』をもう一回言わないとなの…?)


そう移した視線は見事に交わり、先程の顔の熱が再び戻っていくのを感じて、お互い視線を逸らした。この後の教室で遅刻を咎められる事など、とうに2人の頭には無く、いつになるか分からない「もう一回」でいっぱいになりながらも、只ただ教室まで走り続けた。