12月に入り、天気は上々、気温は右肩下がり。ぼんやりと眺める澄み切った青空は、自分達が青春を駆け抜けた夏空では無くなっていて、あの熱い日々は遠い過去のことなのだろうかと錯覚する。そしてそんな事を考える自分はどれだけ現実逃避したいのだろう。
(只の『痛い奴』っちゅー話や…)
深い溜め息と共に眼前の教科書に項垂れた。中学三年である忍足に今迫っているのは、部活の全国大会ではなく受験勉強である。彼が在席するテニス部は全国大会まで勝ち進んでいるのでスポーツ推薦で高校に行くことも出来るのだが、高校生活の事を考えると自分の学力で行けるところが良いだろう、と受験を受けることにしたのだ。
―――まぁ、それでも将来医者を目指しているので無理はしないといけないのだが。
忍足の今の成績では志望校には入れない、と担任に言われてからこうして大量の参考書と向かい合う時間を増やしてはいるのだが、如何せん忍足の性格上そう長続きはせず、こうして呆けている。
(あかん、集中力足りひんからやてまた侑士に言われるわ)
呆れ顔の従兄弟の顔が容易に想像出来て、先程より深い溜め息を吐いた。と同時に、自身とは別の溜め息が聞こえて顔を上げる。辺りを見回せば二つ隣の席で、忍足の倍はある参考書を机に置いて俯くクラスメートの姿があった。その中には忍足の志望校の願書も交ざっており、同じ高校を目指しているのか、とそれだけで妙な親近感を覚える。
「名字、それ全部借りるん?」
「え?」
参考書と担任に渡された対策プリントを掴んで、名字の隣の席へと移動する。当の名字は、忍足が居た事にも気付いていなかったのか呆然としている。
「ようこんな持ってきたなぁ。うおっ、これとかめっちゃ奥の部屋にあるやつやん!あそこごっつ寒ない!?」
「え、え、あ、暖房、そういえば効いてへんかった、ような…?」
「せやろ?俺それで借りに行くんやめたん!せや名字!一緒に勉強せぇへん?俺もそこ受けるんやけど一人だとやる気出ぇへんし進まないねん!」
マシンガンの如く話続けながら、名字の返事を聞く前にてきぱきと自身の荷物を彼女の隣の席へと移動していく。ふと名字の反応がないことに気付き顔を上げると、明らかに戸惑う名字の表情にピタリと思考が停止する。
ノリと勢いだけで突っ走るから女子に相手されへんのとちゃいます。なんて憎まれ口を叩く後輩の姿が浮かんでから思わず顔がひきつる。もしかしなくともドン引きされてるんじゃないだろうか。ああぁ、と言葉にならない情けない声を上げると、名字が勢い良く身を乗り出して忍足と距離を縮める。
「わわ、わわわ私でええんなら!」
「お、おん 」
突然縮まった距離に少し身を引いて答えれば、彼女が顔を赤くして小さな声で謝りながら椅子に座った。取り敢えず嫌がられてはいなそうだ、と一息吐いてから、ほなやるか、と再び教科書を手に取った。
「名字、対策プリントもろた?」
「うん、あるでー」
「問三の二番てなんなん?教科書ちゃんと読んだら分かる言われたんやけど、ぜんっぜんわからへんねん」
「あ、それな、えっと、ここの、あーっと、」
直ぐに自身の教科書を手に取り捲ろうとするが、上手く開けないのか名字がもだもだと唸りながら教科書と格闘する。慌てると逆に出来ないのでは、と忍足が口を開いたところで、名字の手がかじかんで赤くなってるのが目に入り思わず彼女の手を掴んだ。
「っえ、」
「うおっ、めっちゃ冷たいやん!何これ痛ないん?!」
「あーえっと、ちょっと、痛い…かも」
「せやろ!?紙で手切ってまうで」
ほら、と先に掴んだ右手だけでなく左手も掴み、自分の手で覆うようにして握り締める。自身の手より小さな彼女の手は氷のように冷たくなっていて、どれだけの時間寒い場所にいたのだろうか、と積み上がった参考書に視線を送る。
「せやなぁ、コレあるんごっつ寒いとこやしなぁ。進路指導室、受験生に優しくなさすぎやねん」
自身の手を暖めるのと同じように名字の手を握り締めつつ、自身の不満だったり他愛の話をしていく。そう言えばまだ封を開けていないカイロが鞄に突っ込んであったはずだ。それでも開けようかと、机の上と名字の手を交互に見ながら考えていて、一向に温かくならない彼女の手に首を傾げる。自分の手はそれほど冷たくないはずだ。そんなに冷たくなるほど寒いところに長時間いたのだろうか。名字の手をジッと見つめてから顔を上げて、思わず動きが止まる。
見て分かるほどに真っ赤に染まった名字の顔。俯いて表情は見えないが、耳まで赤く染まっていて、何となく想像はついた。けれどしかし、其れは随分と忍足にとって都合のいい解釈で。
『緊張してるかはな、手ぇ握ったら一発で分かんねんでー。どんなとこおっても緊張しただけ冷たなるからな』
それなのに頭の中では、推薦入試面接前の白石に対して金色が手を握りながら語った話がリピートされて。
「っ〜〜〜あぁぁあんなっ!鞄にカイロあんねん!!今出すわ!!」
「あっああありがとぉ!!」
勢い良く手を離していつにない早さで鞄に向かう。
(そんなん期待するっちゅー話や…!)
恐らく自身の顔も名字と同じくらい赤くなっているのだろう。このまま彼女と二人きりで勉強なんてマトモに頭に入るかも分からない。分からないけれど。
ちらりと机に積み上がった参考書の中の、志望校の願書を見る。
(…同じ高校、意地でも通いたなるやん)
志望校のランクを下げようかなんて弱気になっていたのが嘘のようだ。そんな単純な自分に思わず口元が緩んだ。
「よっしゃ!!頑張ろうな名字!」
彼女に向き直りカイロを手渡して笑えば、一瞬戸惑った名字がカイロを見つめてから顔を上げて、満面の笑みで、うん、と力強く頷いた。一度治まったはずの熱が再び顔に集まるのが分かって、慌てて参考書を掴んで顔を隠して、卑怯や、と小さく呟いた。
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