恋に落ちました。


ジメジメとした梅雨が明けたと言うのに、この暑さは、蒸し蒸しとしているのは何故だろうか。
額の汗を自身の腕で拭い、力無く下げていた左手にギリギリ握られていた烏龍茶を口に含む。温いそれに一瞬眉間を寄せるが、勢いでそのまま流し込んだ。


「あっつ……」


言葉にすれば更に暑さが増すと分かっていても、つい口をついて出てしまうのは仕方ないことだろう。名字はもう一度同じように呟いた。


「自分、言い過ぎとちゃう」
「……忍足くん」
「謙也でえぇよ」


突然、座っていたベンチの背後から現れた人物の名前を呼べば、そう言って忍足は笑った。しかし彼も暑さにやられているのだろう。その笑顔にはあまり力がないように見えた。
彼はクラスメートの一人だ。名字の隣の席の白石と同じ部活動なので、よく白石の所に来ては話をしているのを横目に見ていた。用事が無い限り滅多に話さない、本当に只のクラスメートと言える彼に話し掛けられるとは。目を丸くしていると、忍足が名字の手を指差す。


「何で空のペットボトル握り締めてん?」
「今さっき飲み切っちゃって」
「なるほど」


暑いもんなぁと苦笑する忍足は、よく見ればユニフォームを着ている。今は部活の休憩なのだろうか、と考えていると彼が小さく声を上げた。


「どうかした?」
「名字は何で学校おるん?」


今日休日やで。
首を傾げる忍足に今度は名字が苦笑する。


「図書館で涼みついでに勉強、だったんだけどね」
「開いてなかったん?」
「ううん。騒がしい集団が来て司書の人がキレて全員追い出された」
「うぉう…」


いい迷惑だと肩をすくめると忍足が笑った。
こんな風に彼と話すのは初めてではないだろうか。たまには休日に学校に来てみるものだ。
ふと、ベンチの背もたれに置かれた忍足の手元を見ると、汗をかいたスポーツドリンクがぶら下がっていた。
(なるほど)
飲み物を買いに来て、たまたま自分を見つけたのか。そう一人で納得してから、わざわざ特に仲が良い訳ではないクラスメートのところに来てくれたのかと笑みを零す。


「?なんやねん、どないしたん」
「あ、いや、飲み物、私も買ってこようかなって」


怪訝そうな顔をされたので、慌てて答える。間違った事は言っていない。すると忍足は、きょとんとした後に自身の手にあるペットボトルを見て、再び名字に視線を戻す。


「コレやるわ。開けてへんし」


ひょいと持ち上げられたペットボトルと忍足の顔を見て、名字は目を見開く。
自分のために買った物ではないのだろうか?しかし、忍足の言い方からして自分で飲むつもりで買った物だと分かる。


「え、でもそれおした、謙也くん飲むんでしょ?」
「ええって。あ、名前って呼んでもええ?」
「いいけど、じゃなくて!いいよ、自分で買いに行くって!申し訳ないし」
「気にせんともらっとき!なっ?」


そう無理矢理手渡されたスポーツドリンクと忍足を交互に見る。まだ冷たいそれは今の名字には嬉しい物だったが、申し訳無さに眉をハの字にする。


「なんで…?」


お礼より先に疑問が先に口をつく。顔を上げて忍足を見ると、小さく唸る。


「なんでて言われてもなぁ……名前にやったらあげてもええな思て!」
「え、」


満面の笑みでそう言われ、口をぽかんと開けて忍足を見る。すると遠くで誰か(恐らく白石だろう)が彼を呼び、ほなな、と忍足はベンチから離れた。
彼の言葉を頭の中で反復して、徐々に顔に熱が集まり始める。


「せやっ、名前ー!」
「、なっなにー!?」


白石たちの所へ向かおうとしていた忍足が、不意に名字の名を呼ぶ。慌てて、頬の赤みを悟られぬように両手を顔に添えて振り返ると、立ち止まって名字を見つめる忍足の姿があった。


「暇やったらテニス部見に来てや!ほんで、」
「?」
「それ、返してくれてもええんやでー」


飲みかけでなー、と無邪気に笑う彼に少し間が合ってから、ばか、と叫んだ。苦笑しながら手を挙げて去っていく忍足の背中を見送り、名字はベンチの背もたれに項垂れた。

(もう、只でさえ暑いのに、顔が、熱い)

はぁー、と深いため息を吐くと、膝に放られたペットボトルを手に取る。一口含んで蓋をし、赤くなっているであろう自身の頬に当てると、あっつ…と本日何度目かの呟きを零した。




"恋に落ちました。"