08



「………」


またいつかは、たった三日で訪れた。
壊れた塀の横に置かれた木箱と塀に出来た小さな隙間から顔を覗かせる少女に、たまたま通りかかった私はフリーズした。猫か。


「あっ、コンニチハ!」
「あぁ、うん…コンニチハ」


普通に挨拶され、何だか妙な諦めモードになってしまった。別に何かしたわけではないのになぁ。


「また、抜け出したの?」
「うんっ」
「いや、元気に返事する事じゃないから」


しゃがみ込み少女と同じ視線になると彼女は隙間から這い出てきた。思ったよりアクティブね。
改めて私の前に座ると、顔をまじまじと見つめられる。


「…なに?」
「おねーちゃん?」


何故疑問系。そう思ってから彼女が私の腰についた仮面を見てるのに気付く。成る程、女性聖闘士の事は知っているのか。頷くと、パッと表情が明るくなり、ねーね!と呼ばれた。『お姉ちゃん』という意味で捉えていいのだろうか?だとしたらとても新鮮だ。何だか嬉しくて照れながら笑うと、彼女も笑った。


「お嬢は此処で何してんの?」
「お嬢?」


問い掛けると首を傾げられたので、あぁ、と声を漏らす。お嬢様だからお嬢、と伝えるときょとんとされた。え、黄金聖闘士に心配されるんだからお嬢様じゃないの。二人して首を傾げるが、このままでは埒が明かないのでとりあえず立ち上がる。


「ねーね、どっか行くの?」
「お嬢が行きたいとこ一緒に行くよ」
「ほんと!?」
「私で良かったら」


私が言い切ると同時くらいにうんっ!と勢い良く立ち上がった。随分と可愛らしい。これはあの聖闘士さんが心配もするはずだ。


「私はリン、聖闘士候補生」
「シホリ!星詠みの神子なんだって」
「なんだって、って」


呆れたように笑うと口を尖らせ、だって、と返すので笑って頭を撫でた。歩き出す私のあとを追いかけてくるシホリの歩幅に合わせて当てもなく歩いていく。行きたいところはないかと訊ねても小さく唸って考え込んでしまうので、とりあえず聖域の中を歩く事にした。これで私は今日のサボりの理由が出来た。ありがとうお嬢。
聖域の中、としたのには一応理由がある。もしお嬢が本当に何処かのお嬢様で、黄金聖闘士が聖域の中で守っているのだとしたら。もしそうならば、街の方に出て誘拐でもされたなんて事になれば、私へのお咎めはまだしもお嬢が怖い思いをした上に、無事に帰ってきても完全な…えっと、監禁?軟禁?だかにされてしまうんじゃないだろうか。あの黄金聖闘士さんなら過保護そうだし有り得る。ちらりと彼女を見ると私を見上げて不思議そうな顔をされた。彼女が抜け出すのは、やはり自由に遊びたいからだろうか。しかも黄金聖闘士が護衛をしているなら、遊びはおろか年の近い女の子なんて滅多に会えないんじゃないか。侍女だって若くても十五歳以上だろうし(十五歳って私の中では大分お姉さんのイメージなんだけどどうなんだろうか)。私との出会いを喜んでいるといいのだけど。いや、最近気付いたが、仮面をしてないとは云え同期の候補生達に完璧に男と間違えられている私を『女の子』に括っても良いものか悩ましいが。
不意にお嬢の背後に、金色が見えた。


「あ、」
「ねーね?」


私が声を上げ、お嬢が私に問い掛けると同時にお嬢が宙に浮いた。デジャヴ。


「此方に、いらしたのですね?」


前回の三割増の笑顔で前回と同じ言葉を放つ彼は、やはり怖かったです。
黄金聖闘士さんを見上げたお嬢が、ひっ、と小さく悲鳴を上げる。お嬢を見つめる視線が私へと向けられ、つい姿勢を正すと彼は目を細める。


「君はこの間の…」
「あ、お嬢、じゃなくてシホリちゃんとたまたま出会ったので、話して、ました」


あくまでも、聖域の外には行くつもりはなかったぜ、と途切れ途切れの言葉の中に思いを込めてそう伝えると、無言で見つめられた。嘘は言ってないぞ、だから目を逸らすなよリン。逸らしたら負けだ。


「……彼女が迷惑を掛けたようで、すまない」
「あっ、いえいえ。此方こそ楽しかったです」


前回同様、軽く会釈され此方も慌てて返す。私のような候補生にまで丁寧な人だ。ねーねと友達になったの、と黄金聖闘士さんの腕の中で嬉しそうにお嬢が報告すると、低い声で、シホリ様、と彼が名を呼んだ。ぴしりとお嬢の表情が強張ったのを見て、私は小さく息を吐く。そりゃ怒るだろうよ。


「前に言ったはずですね?外出される際は私かデジェルをと」
「しっ、知らないっ」
「ちゃんと、言ってました」
「ねーねの裏切り者っ」
「シホリ様」


一言で咎められ、お嬢が直ぐに謝る。ごめんね、私も怖かったんだよ。無言で、自身が抱えているシホリを見つめていた黄金聖闘士さんが不意に顔を上げる。


「君、」
「はい?」
「君の名は?」
「あっと、リンです。一応、聖闘士候補生、です」
「私は黄金聖闘士、射手座のシジフォスだ」


よろしくと差し出された手に一瞬戸惑う。一介の候補生がこの手を取るのは畏れ多い事なのではないだろうか。ちらりと彼を見上げれば、微笑んで小さく首を傾げている。改めて、黄金聖闘士さんもといシジフォスさんの手を見てからそっと手を取れば、よろしく、と再び彼は言った。


「では、戻りましょう」
「えー、やだぁねーねと遊びた、」
「シホリ様?」


ニッコリと笑っているが、絶対笑ってない。オーラがなんかもう、怒ってる。お嬢も私も押し黙ってしまうくらいには怖い。有無を云わさぬその迫力についにお嬢が折れて、小さな声でごめんなさいと呟いた。
彼女は、何処に帰るのだろうか。もう会えなかったりするのだろうか。それは、少し寂しい。


「あっ、あの」
「…何か?」
「私で良かったら、シホリちゃんの遊び相手に…友達に、なりたいです」


毎日は無理だけど。
そう付け足すと二人が驚いた顔をしていた。
星詠みの神子だかなんだか知らないが、たった二回会っただけでもう会えなくなるのは寂しいし、純粋に彼女と、もっと仲良くなりたい。


「勝手に抜け出して困ってるのなら、一言私に会いに行くと伝えたら、今ほどシジフォスさんが大変じゃ無くなると思うんですが」


控え目にそう伝えるとお嬢が、ねーねぇ…とちょっと泣きそうな声で私を呼ぶので苦笑する。じゃないとシジフォスさん禿げそうだし、なんて思ったのはここだけの秘密だ。
しかし、と彼がお嬢と私を交互に見るが、今日だけでも、と念を押して真っ直ぐシジフォスさんを見つめる私達についに彼が折れた。


「…リンにあまり迷惑を掛けぬように」
「「やった!」」


大きく息を吐いたシジフォスさんの腕の中で両手を上げたシホリとハイタッチをすると、良い音が響いた。