気付いたときにはもう遅い



恋をしたことがない。
そんな自分にふと気が付いた。

***

久しぶりにミーティングのない昼休みを二つばかりおにぎりを腹に収めて、窓際の席から足をばたつかせながら外を見ていた。

「お前彼女できたのかよー!」

ひゅー、という口笛と共ににわかに自分の席の隣が騒ぎ出す。なんじゃなんじゃと、興味本位で男子が五人ほど集っている輪の中に入っていけば、どうやらクラスメイトの一人が中一から好きだった子と付き合えることになったらしい。いじられまくったせいなのか、頬を赤くする彼はそれでも幸せそうに、昨日彼女と一緒に帰ることができた話をした。

「そういやさ、仁王は彼女とかいんのか?」
突然に話の矛先をこちらに向けられてビックリする。

「ん?…いや、別におらんのう」

お前モテてんのに意外だな、という彼の言葉を皮切りにちょっとした質問責めにあう。普段積極的にこういう話には参加しないから物珍しいのかもしれない。

「好きな人とかいないのかよ」

んー、と脳内で検索をかけるもその答えに当てはまる女性などいくら探しても出てこない。まあ、俺のデータベースなんぞほとんどがテニスで占められているから仕方ないかもしれないが。

「そもそも、初恋もまだじゃき」

その言葉にボルテージをあげたのは、目の前の男子よりもこっそり話を聞いていたらしい女生徒の方だった。きゃいきゃいと囲まれ、即座に相手にするのがめんどくさい、という感想が思い浮かぶ。だから、本来なら別に1mmも待ち遠しくなかった5限開始のベルが鳴った時は、どこかの紳士らしく、授業始まるから席にもんどりしゃい、と俺らしくもない声掛けすら行った。

ぼちぼちと席に戻る生徒の中で、最後まで俺の側にいたのは、さっき好きな人はいないのか、と聞いてきた彼だった。体をかがめてこしょこしょとこちらに耳打ちしてくる。グッドラック、とでも言いたいのだろうか。話し終わったあとに向けられた立てた親指にむっとはしたけれど、これまた都合よく入ってきた現代文教師のおかげで、深追いすることもできず見送った。

***

部活終わり。夕焼けにそまる街並みをいつものように、柳生と肩を並べて帰路につく。珍しく今日の昼の話題を脳内で反芻するのに忙しい俺に気付いているのか、いつもより数段静かな帰り道だ。かといってその静寂が苦に感じるかと言われればそうではなく、ただ普通にそばに柳生がいる状況というのが、自分の中で落ち着ける瞬間であり、考えもまとまりやすい大切な時間なのである。

気になる女、ねえ…。どちらといえば、今俺自身が一番関心を寄せているのはなにを隠そう、たった今隣でスタスタと歩みを止めない柳生比呂士という男だ。ふと、今日クラスメイトに言われた言葉が鮮明に脳裏によみがえった。

『目を合わせて三秒経ったら、その子への自分の想いなんか丸わかりだぜ!』

目を合わせて、三秒…。そのまま道の真ん中で立ち止まってしまった俺の存在に気付いたのか、少しだけ前を歩いていた柳生がこちらを振り返し戻ってくる。「仁王くん?」少しだけ心配そうな声色をにじませてこちらを見てくる彼を好都合とばかりに、その鳶色の瞳に吸い込まれてしまいそうだとも思いながら見つめ返す。

目を見据えたまま一切の動きを止めた俺に違和感を感じたのか、柳生が首をコテリとかしげてこちらの顔をのぞいてくる。その姿が妙にかわいくて、そんでもって、きっと彼は俺以外にこんな距離まで近づいたりはしないんだろう。そう感じた瞬間にあふれた優越感と、自分でもわかってしまうほど急上昇した頬っぺたの熱。おそらく、今の自分の顔はリンゴのように真っ赤だろう。

「仁王くん?どうされました?」

ああ、気付いてしまった。あやつが余計な助言などしてくるから気付いてしまった。
俺の初恋は、同級生の、男で、なんだったら自分よりも背の高い、こいつに捧げてしまったのだと。

「やぎゅ、俺、お前さんのこと好きみたいなんじゃ」

そうやって振り絞るように出した声と、その意味を多少のラグを抱えながらも無事に理解したらしい柳生は、顔を青ざめることも、距離を取ることもなく、ただただ俺に負けないくらいに顔を真っ赤にしてうつむいてしまったのだから、出来たことといえば頬っぺたに手を添わせてその少しかさついた唇にキスを落とすことだけだった。レモンの味なんてしなかったけれど、紳士らしく首筋から漂うせっけんの香りだけがひどく印象に残った。