01

「お姉さん、ご一緒してもいいかな?」
 
 日が高く昇る、雑踏の街角。そよそよと風で揺れるこもれびが、磁器の皿に盛られた食べかけのオムレツを照らしている。銀のフォークやナイフが皿に重なり合う音、ウエイターの忙しくも軽やかな足音、客の流暢な話し声、運ばれてくる料理の食欲をそそる香り。それらすべてが密集したこのカフェテラスの、濃密でいて開放的な空間にその声は不思議と耳に通った。

「…えぇ、どうぞ」
「ありがとう」

 道を挟んで流れる運河を見つめていた時に突然おとされた他者の声。振り返れば青年が日差しを浴びながらさわやかにこちらへ笑いかけている。私の了承の言葉を得られた彼は、そのエメラルドグリーンの瞳をより一層細めて私の前の席へ腰かけた。
 メニュー表に目を通す彼をちらりと視界の端に映しながら、オムレツにそえられたサラダを口に運ぶ。比較的広い店内だが、ここは街でも人気の老舗店でそのうえ今はお昼時。運河から運ばれる清涼な風とあたたかな日差しを受けられるカフェテラスは満席状態だった。だからこそ、こういった相席も珍しいことではない。だkらこそ気にせず昼食に手をつけながら再び外へ意識が移ろうとしていたときだった。

「ねぇ」

 男性にしては、透き通る声。「ここのおすすめを教えてほしいな」にっこり。まさにそういった言葉が似合うような人懐っこく、それでいて愛想めいた笑みが向けられる。思わず、瞬きを一回、二回。

「…私はオムレツがおすすめだけれど」
「あぁ、きみが今食べているものか」

 確かに美味しそうだ。彼は白い磁器の皿に盛られた私の昼食を眺めた後、そばを通りかかったウェイターを呼びとめた。
 ――これと同じものを。
 流暢なアクセント。癖がひとつもない。
「良いところだね」彼は外に視線を向ける。吹き抜ける風が彼のさらっとした茶髪を揺らす。

「…観光でいらしたの?」
「あぁ、そんなところ。一人でゆっくりとね」
「いいですね」

 ラフな麻のシャツに紺の細身のズボン。男性一人の少し長いバケーションというところだろうか。うらやましい、私も今度長めの休暇を取ろうか。と、そこまで考えて、思いとどまる。比較的涼しくなったこの季節、バケーションに訪れるお客が多くなる今が多忙の時期なのだ、私の仕事は。

「きみはここの人?」
「そうですね」
「今がお昼休憩」
「えぇ」
「大変だね」
「そんなこと」

 相変わらず、愛想のいい笑み。気さくな話し方。バケーションらしい、軽やかな開放感に満ちている。

「この街のおすすめってある?」
「お勧め……ということは、観光地、という?」
「そうそう」
「そうですね…ここは小さい街ですからね」
「はは、確かに」
「あまり目新しい場所はありませんが…やっぱり、この運河でしょうか」

 街の中心を流れる、おだやかな運河。特に特徴のないこの街で、それは住人たちにとってなくてはならないものである。
 ある者は川沿いをなぞるように散歩に勤しみ、ある者はカフェテラスからゆっくりと、ゆるやかな水の流れを見つめる。そう、例えば、今の私たちのように。

「ふぅん、まぁ確かに悪くないかもね」

 彼のエメラルドグリーンの瞳が、水をたたえている。それを横目に、私は冷めてしまったコーヒーに口をつける。腕時計の針はすでに休憩時間の終わりを指し示していた。
「今から仕事?」鞄を手にした私にすぐに声がかかる。彼はこちらに視線を戻していた。まだ彼のお皿にはオムレツが半分ほど残っている。「この街をゆっくり楽しんで」束の間の相席だった青年に対して別れの挨拶を交わし店を出ようとしたときだった。

「また明日」

 立ち止まり、振り返ってしまった。見つめる先には、相変わらず好青年のような爽やかな、しかしどこか健全的すぎる微笑みを浮かべる青年。入り乱れる雑音のなかで、ここだけが静かだった。
 どれくらいの時間が経ったのか。私はその瞳をしばらく見据えたあと、何も言わずふたたび歩を進め石造りの街の人ごみへと紛れていった。青年の細く鋭い視線を確かに背後に感じながら。