きっとばれてる
 英霊――サーヴァントたちは、こんな風に言っては失礼があるかもしれないけれど、男も女も、人も獣も魔性の者も皆とても美しい見目をしている。ちょっとその辺の街を普通に歩いていたら、通行人の中の少なくとも四、五人は彼らを振り返って見惚れてしまうだろうし、それでなくともすれ違いざまについつい視線で追ってしまうだろう。けれどもやはり、人並外れた美貌の持ち主というのは何となく近寄りがたいものがあるから、特別話しかけて親しくなろうとはならない、おいそれと腕の届く範囲に身を置けない――その独特のオーラや雰囲気のせいかもしれないが――、そんな印象である。
 無論、今の私は彼らサーヴァントを仕事上のパートナーとしているわけだから、近付けないとか話しかけられないとかそんなことを言って遠巻きにしている場合ではないし、そこは割り切って、適度な距離感を保ちつつフレンドリーになりすぎない程度にと気をつけて接しているのだけれど。
 ……にしたって、彼は適度な距離感を見誤ってはいないだろうか、とにこやかに笑う少年を見て考えた。

 ビリー・ザ・キッド。アメリカの英霊。少年悪漢王などと呼ばれて、その生涯で21人を殺したと言われる、西部のアウトローである。人懐こそうな笑顔を振りまき、カルデア中のいろんな人々とそこそこうまくやっている――ように見える――とんでもない処世術の持ち主であるが、その割には、距離感が少しおかしい、というのが私の所見であった。
 無論、この距離感というのは物理的なそれだ。心理的な方は適切どころか何となく壁さえ感じさせて、自分の方には一歩も踏み込ませないというような警戒心を感ずるが、物理的な方は「少し近すぎやしませんか」と後退りしたくなるほどの近さだった。
「意外とその、……パーソナルスペース狭いんですね」
 ビジネスパートナーに対する距離にしては近い。友人としての距離感だと言われてもやはり近い。肩がぶつかるか、ぶつからないかのギリギリを彷徨うその近距離に恐れ慄き、ついそんなことを言ったことがあった。
 もっと他にうまい言い方があったのではと思わなくもないけれど、いやはや、彼も彼とてなかなか整った顔をしている。というとミーハーなようで少し嫌なのだが、美少年とまではいかずとも親しみやすさのある愛らしいベイビーフェイスに、見る者全ての心を懐柔せんとする屈託のない笑顔をひっさげてそれを文字通り目の前へ持ってこられたら、面食いだろうと何だろうと多少はどきりとしてしまうのではなかろうか。私は――少々不謹慎ではあるが――どきりとする側の人間で、その時も少しおかしなこの近さにドギマギしてしまっていたものだから、何だか奇妙で、随分ストレートな言い回しになってしまったのだ。
 彼は私の突拍子もない発言に少し笑って、
「そう?」
 と尋ねてきた。「……だと思う、んだけど、――」
「うーん、あんまり考えてなかったや。ごめんね」
 嫌だったかいと問いかけられて、嫌というか何というかと言葉に詰まる。
 至近距離で言葉を交わされるのが不愉快――そういう訳ではないのだ。我ながら不思議なことに決して不快に感じた訳ではないのである。ただただひたすらに緊張してしまうというだけで、それ以上のことは何もない。少し胸が逸るような気もするし、頬が熱くなっているような感覚もあるけれども、断じて嫌ではない、ただちょっと心臓に悪いからできればもう少しだけ離れてもらえたらありがたいと、そんなことをもごもご口ごもりながら白状して、当人からも気をつけると返ってきたのが少し前のことだった。

「気をつけるって言ってませんでした?」
 相変わらず、……否、以前よりも近くなってはいないだろうかと怪訝な眼差しをすぐ隣で微笑む彼に投げかける。廊下でばったり出会ったビリーは、いつもどおり「やあ」と軽く手をあげて自然に私の隣へやってきて、腕に抱えた資料の山をひょいとあっさり取ってしまって「どこまで?」と言いつつ並んで足を進め始めた。
 そこまではまだよかったのだが、以前まではどうにかギリギリのところで触れ合うことのなかった肩が時折とんとぶつかって、彼のくすくすからから笑う声が耳たぶをくすぐるほどの至近距離に収まった彼に、いやいやこれはやはりおかしくないだろうかと我に返って問いただした次第である。
「うん、だから気をつけてただろ?」
 普段と変わらない人好きのする愛嬌に溢れた笑顔。しかしそこにどうも含みがあるように思われて「なんだかちょっと違う気がする」とごちた私に、「何も違ってなんかないよ!」とビリーがからりと否定を返した。

「最近はそんなに近くもなかったと思うけどなあ。ほら、肩がぶつかりそうでおっかないとか緊張するとかって君が言ってたからさ、ちょっと僕も気にしてなるべく離れるようにしてみたんだけど……もしかしてあれでも近かったりした?」
「んー……確かに前よりは近くなかったような、でも今がこれじゃあんまり意味ないような……今は気にしてらっしゃらない……とか?」
「ううん、」

 かぶりを振って「気にしてるよ」とだけ口にする彼の表情はどことなく軽薄で白々しい。
 確かにビリーの言う通り、最近の彼は特筆するほど近い距離感で接することは少なくなっていた。ちょっと心臓に悪いなどと言った私に気を遣ってくれているのだろうことは考えるまでもないのだが、それでも今のようにごく稀に――不意打ちで――ぐっと距離を詰めてくることがあった。以前にも増して近くなった彼の可愛らしい笑顔やキラキラと輝く碧い瞳、少し高い柔らかな声なんかに私は尚更緊張して、それどころかはっきりと自覚できるほどに頬を熱くしたり胸を高鳴らせたりなどしてしまっていた。サーヴァントにそんな、尊敬や敬愛こそ抱けどよもや恋慕だなんてとんでもない。普段の生活の中で、あんまり異性と至近距離で接することもないからそのせいで、……とここまで考えて、彼をしっかり異性だと認識している自分に「お前は馬鹿なのか」と頭を抱えるようになったのもここ数日のことである。
 ビリーはそんな葛藤を知ってか知らずか不意に近づいてきては耳打ちしたり、悪戯っぽく笑ってみせたり、時には私の顔を覗き込んで「どうしたの?顔が赤くなってるみたいだけど」と心配そうな顔をしたりするのを繰り返している。今日のは距離を詰めつつ手助けをすると言う寸法らしい。いや、助けてくれるのは嬉しいのだけれども。

 ――でもやっぱりちょっとどうなんだろう。

 そう思ってこの不健全な距離を健全なところへ持っていこうとそれとなく間を空けると、「あ」と彼が声を上げて。
「あんまりそっちに行くと危ないよ」
 ぐっと肩を抱き寄せられるのと私がいた辺りを大きな段ボールをいくつも積んだ台車が通ったのは、ほとんど同時、数秒の差であった。彼が声をかけてくれなかったら、体を引き寄せてくれなかったらと考えるとぞっとする。勢いこそさほど無いが、それでも大荷物であるから私とぶつかったことで積荷が崩れるやもしれない。少し散らばるで済めば御の字だが、あるいは私や、台車を押しているスタッフ、近くを通りかかった誰かが怪我をしたかもしれないのだ。そんなことを考えると、いよいよ一瞬だけ触れた彼の小さな手のひらが頼もしく、兎にも角にもお礼を言わなければとビリーを振り向いて。
「あ」
 と今度は私が声を上げた。咄嗟に音を飲み込んだそれは、小さく短いものだったが、紛れもなく悲鳴であった。じわりとうなじに汗がにじむ。超至近距離に迫っていた、無邪気な少年を思わせる柔和な顔立ちにどっと心音が大きく膨らみ、熱を上げた血液が体中を駆け巡った。「『あ』……?」と不思議そうに目を瞬かせるそのそぶりは天然か、それとも巧妙な計算によって作られたものか。何にも気付いていないような表情で「もしかしてどこか痛めたの」と体を離した彼に、慌てて首を振ってそのままの勢いで「ありがとう」を告げる。少し素っ気なくなってしまったような気がする、と早くも悔やむ私に、「どういたしまして」と笑う彼の柔らかな声音も、陽だまりを思わせる笑顔も、先程までのそれと何も変わらないはずだというのに――不思議と――いよいよ彼の方へ視線を向けられなくなって。私はただ、にわかに火照りを増して赤らんだ頬を、どうかして彼に気付かれまい、と俯くばかりだった。




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