シュガースパイス・
パレイド
 Trick or Treat!
 とこう言って飛び出してきたのはかのアウトロー、ビリー・ザ・キッドであった。藤丸立香に召喚されたサーヴァントのうちの一騎。頭には仮装のつもりだろうか、悪魔の角を模したカチューシャをつけて、「ほらほらお菓子は?」と無邪気に菓子をねだっている。なんとなくお祭り事に関してワイワイ楽しく盛り上がる方だという印象がなかったから――どちらかと言うとワイワイしているのをそばで眺めている方な気がしたのだ――、ハロウィーンに積極的に参加して菓子をせびるその姿が意外でぽかんと口を開けたまま突っ立ってしまう。

「Trick and Treat.……おーい。聞こえてる?」
「き、聞こえてる……なんかちょっと驚いちゃって」
 ごめんね、とポケットをまさぐり菓子を探す。
「あぁこれ?お菓子が欲しいなら仮装をしなきゃダメだって言われてね。仕方ないから適当に見つけてきたのをつけてるんだ。いつもならしないんだけど」
「お菓子が欲しかったの?」
「うんまあ。好きなんだ、甘いもの」
「そうなんだ」

 そういえばいつだったかもスイーツコーナーに入り浸っていた気がする。甘党なんだなとふんわり考えていたけれど、わざわざグッズを探してまで欲するとは少し驚きであった。
 今日は年に一度のハロウィーンの日だ。ここカルデアでは本来ケルトで行われていた祭事としての意味合いは失われ、そしてアメリカ式の、仮装をした子供が近所の家を回るというやり方も半ば失われ、大人も子供も「Trick or Treat」とこう言ってカルデア中を練り歩くイベントになっているらしい。子供の姿をとったサーヴァントだけでなく、立派な大人の姿をしたサーヴァントも――そしてスタッフも――人によっては決まり文句を言って菓子をねだり、そして私も決まり文句を口にして菓子のやり取りを繰り広げている。ビリーもどうやら今日はこちら側になって、菓子のやり取りというよりも奪取を繰り返しているようだけれど、甘いものが好きだからそれを食べたいとそれだけの理由で仮装に手を出すとは俄かに信じがたかった。クリスマスや感謝祭同様とても特別な枠だからだと言われた方が、あるいはすっと納得できたかもしれない。
 がさごそとポケットを探っていくとこつん、と指先に当たったものがある。取り出してみると日本のコンビニエンスストアや駄菓子屋なんかに置かれていた一口大のチョコレート――に似せて作った菓子だった。これが最後の一つらしい。小さいのが一個だけど構わないかと尋ねると、彼はにっこりと可愛らしい笑みを顔いっぱいに広げて「嬉しいよ、ありがとう」と答えてくれた。

「はいどうぞ」

 黒い革手袋に包まれた彼の手の上にチョコレート菓子をころんと取り出すと、彼はまたありがとうと素直に受け取ってこの場では開封せず、そっとジャケットのポケットに仕舞い込んだ。多分あの中にはいろんな人から受け取った菓子がいくつもひしめいているのだろう。
 ビリーはそろりとポケットから手を引き抜いたかと思うと、「それじゃあこっちも」と言って一歩分こちらに踏み込んだ。あまりにも唐突なその動作に思わず半歩あとずさりした私を、彼の腕はいとも簡単に捕らえて引き寄せてしまう。目の前に迫った愛嬌のある彼の顔に反射的に目を閉じた。キスされると思ったのだ。「Trick or Treat」の取引を終えて別れる流れだったはずなのに、それを完全に無視した彼の動作に、私はついキスを期待してしまったのである。
 彼が吐息だけで笑う気配がした。ふ、と息の音だけで笑って、彼との距離が一層縮まる感覚があって、あ、と思った時には唇が触れていた。「ん」と小さく声を漏らした私に、彼はくすりと笑いながら「そんな簡単に目を閉じちゃダメだよ」と離れていく。頬がかっと熱くなって何が何やら涙が出そうなほど恥ずかしくなってしまう。どくどくと馬鹿みたいに胸を高鳴らせる私から身を引いて、ビリーは「悪戯」と小さく口にした。

「い、悪戯……?お菓子あげたのに……?」
「あ、やっぱり聞こえてなかったんじゃないか。僕はちゃんとTrick and Treatって言ったのに」

 彼の唇が一瞬触れていた口の端に指を添えながら、Trick and……と考えて「あ!」と叫ぶ。菓子をあげてはいけなかったのだと気付いた私に彼はからからと楽しそうに笑って、そういうこと、と朗々と告げ、「でももし、」と言葉を切った。
「また簡単に目を瞑ったらその時は本当にしちゃうから。……じゃあまたね、お姉さん。お菓子ありがとう」




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