続報はシーツの中から
現パロ



 朝起きたら知らない男の子が家にいて、まるで当たり前のように朝食の用意をしていた。「待って」と思わず発した声に、彼はぴたりと押し黙ったあと、「もしかして覚えてないの?」と私に問いかけた。
「ごめんなさい。何も……」
 そう言った私に彼は小さくため息をつき、すっぽりと記憶の抜け落ちている昨夜のことについて一つ一つかいつまんで話してくれた。

「僕と君は、昨日バーで初めて会ったんだ。駅前から少し行った先の。ここは覚えてる?」
「あんまり……でもさっきから頭痛がひどいから相当飲んだんだなっていうのは感覚でわかる」
「そこも抜け落ちちゃってるんだね。……確かに君はたくさんお酒を飲んですごく酔っ払ってた。僕に話しかけてきた時もちょっと呂律が怪しかったし……僕は一応そこで止めたんだけど、お姉さんは『まだ大丈夫だから!』なんて言ってもう二、三杯カクテルを注文してた」

 そのあとは酔った君が僕を散々口説いて、ここまで引っ張ってきた。
 僕も嫌じゃなかったから乗っかった、と彼は言って、昨晩名乗ったけれどそれも覚えていないだろうからと彼にとっては二回目の自己紹介をしてくれた。ウィリアムくんと言うらしい――ビリーと呼ばれているからそう呼んでほしいと言われたけれど、なんとなく呼びづらかった――。柔らかな色合いのブロンドヘアと、少し薄めのベビーフェイスの男の子。どう見ても十代の男の子に見えるが、バーにいたということは二十歳を超えているのだろう。男性というより男の子と言った方がずっと相応しい印象を受けた。
 私から彼に声を掛けたのだと言うのはやはりにわかには信じがたかった。確かに彼はとても可愛い顔立ちをしていて、そういう意味では好みなのだけれど――特別年下好きというわけでもないが――私から異性に声をかけて、ましてや口説くだなんて少し考えられなかったのだ。そんな経験は今までに一度もない。酩酊していたせいなのだろうか。
「実感が湧かない?」
 彼の問いに素直に頷く。
 情けないことに外で酩酊するまで飲んだというだけならまだしも、男の子をナンパして家に連れ込むだなんて。その辺りごっそりと記憶が抜け落ちているからわからないけれど、もしかしなくても彼とそういうことになってしまったのだろうか。何も覚えていなかったから、寝室のゴミ箱なんて確認していない。朝起きたらきちんと服を着て寝ていたのだ。確認してみようという気にさえならなかった。こうなってくると、今度は確認するのが恐ろしい。
「私が誰か男の子を……ウィリアムくんを家に引っ張り込んだんだって、何だか信じられなくて」
 私はワンナイトをするタイプの女ではなかった。これと決めた人と長くお付き合いすることを望む方で、身体から始まったことも無論ない。なのに、行きずりの男の子と。

「昨日も同じこと言ってたよ。こんなの初めてだって、それでも今より楽しそうだったけどね。ちょっと悪くなったみたいでドキドキするって笑ってて、それが無邪気で可愛かったんだけど」
「そんなこと言ってたの……」

 そして君もそんなさらっと「可愛い」なんて言うんだ、とほんのり頬を火照らせながら呆然とウィリアムくんを見つめると「言ってた言ってた」と、思い出しているのだろうか、少し楽しそうに肩を揺らして、
「だから僕も君がどんな人なのかなって知りたくなったんだ」
 とテーブルに置かれた湯気の立っていないコーヒーを一口飲み下す。それも多分――いや確実にこの家のキッチンにあったインスタントのもので淹れたのだろう。昨日出会ったばかりの男の子にキッチンを制圧されている状況に眉を顰めると、彼はめざとくそれに気づいて「お姉さんが、自由にしていい、って昨日言ってたもんだから」と呟いた。

「でもやっぱり勝手に使うのはマナー違反だったね。ごめん」
「いいの、私の方こそごめんなさい、その、色々と迷惑をかけちゃって……」
「ううん、最初はまあ確かにびっくりしたけど、ここに来たのは僕の意思だったから。あんまり気にしないで」

 そうは言うものの遊び慣れていない私には、なかなかどうして対応に困る状況である。それにどちらかというと目下の心配事は、ウィリアムくんにキッチンを自由に使われていることではなく、私たちがどこまでいってしまったかということだった。彼の話がどれも真実ならば、私は多分その気で彼を家へ連れてきたのだし、彼もまたそれと知ってここへついてきたのだろう。相変わらず記憶ははっきりしないけれど、そうだとしたらどういうことになるかというのは想像に難くない。
 彼は「もしかしたら好きになるかもって思って」とこう言ってまたコーヒーを飲んだ。見ず知らずの女とワンナイトしたにしては随分落ち着いている。元々そういう落ち着いたタイプなのか、それとも動揺が表に出ない性格なのか、あるいは遊び慣れしているのか今の私では何とも判別がつけにくかった。
 彼のさらりとした言葉の一つ一つに小さく高鳴る心臓に、いやいや、と半ば呆れながら、恐る恐るずっと気になっていたことを問いかける。一生ぶんを使い果たしてしまったのじゃないか、と真面目に考えてしまうほどに勇気を振り絞った私の手のひらは、じっとりと汗をかいていた。背筋に冷たい汗を伝わせる私の緊張を、ウィリアムくんも感じ取ったのだろうか。彼は小さくかぶりを振って、

「最後まではしてないよ」
「……と、途中まではしたってこと……?」
「途中まではっていうか……一緒にベッドに入ってちょっとキスして、そこで終わりかな。ある意味では途中までなのかもしれないけど」
「そ、そうなんだ」

 良かったと言えばいいのかどうなのかわからなかった。行きずりの男の子と最後までいかなかったのはある意味では救いだけれど、彼の方ではどうなのだろう。「寝てる女の子を襲う趣味はないからね」と言っているけれど、誘ってきた相手が先にぱったり寝落ちてしまうというのは興醒め……というか多少の腹立たしさがあったりはしないのだろうか。それでも一晩ここで明かして、私のぶんの朝食を作り、起きるまで待っていてくれたみたいだけれどと彼の様子を窺うと、「本当に気にしなくたっていいのに」と言いながら、するりと――どこまでも自然な動きで――テーブルの上に出していた手を絡め取られる。
「え、」
 思わず漏らした間抜けな声にウィリアムくんはふふっと鈴を転がすように笑って、どこでスイッチが入ったのだろうか、灰青の瞳に蕩けるような甘い光をちらつかせて私を見つめた。

「でもそんなに気になるならお詫びの一つでもしてもらった方がいいのかなって」
「……そ、れは、……でもあんまり難しいこととか高いものとかは」

 高いものなんていらないよと彼はおかしそうに喉を鳴らす。「でもちょっと難しいかもね」そう言った彼の顔には余裕ありげな笑みが浮かんでいた。これから何を言われるのかと気が気でない私と比べると遥かに堂々としている。多分私よりも二つは年下だろうに、これではどちらが年上なのかわからない。少なくとも場の支配権は、――初めからそうだったのかもしれないけれど――すっかりウィリアムくんの手に握られているように思われた。
 何をしたらいいの、と震える声で尋ねると、ウィリアムくんはにっこりと笑みを深くして、「本当にそんなに構えなくていいんだけど」と前置きした上で、至って平然と、そして軽やかに、

「お姉さんからキスして」
悪いと思ってるならできるだろ?
「キ……キスなんてそんな、できないよ」
「できるよ。昨日は君からしてきたんだから」
「そんな、……でもお詫びにはならないんじゃないかって思うんだけど」
「僕がなるって言うんだからお詫びになるよ。大丈夫。一回だけだから」

 そう言って彼は握り込んだ手を自然に口元まで持っていった。「ね、してよ」と私を見つめる目つきは甘えた少年のようで可愛らしいのに、どさくさ紛れに指先に口づけた彼の様はちっとも可愛らしくない。
 だめだと断ることを自分に禁止してしまうような。そんな甘えた顔と縋るような声には抗い難い蠱惑がたっぷりと含まれている。「してくれないの?」とびきり頼りなさげに作られたとわかる声色だった。それだと言うのに「しない」の三文字がどうしても出てこない。言葉が喉の奥に絡んだようになってうまく声にならないのだ。
 そんな私をウィリアムくんはじれたように見つめている。熱視線と言い換えてもいい、そう真面目に考えてしまうくらい真剣な眼差しで見つめられて、自然、私の身体は動いていた。
 ……するりと後頭部に回った彼の手のひらに、私たちがどうなったかなど言うべくもないだろう。




title:カクテルパーティー
Thema:悪酔いと共に過ごす朝/カクテルパーティー
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