群青に溺没
捻くれ夢主ちゃんとビリーくんシリーズ
事後



 ずっしりと重たい身体を起こして、薄明かりの包まれた室内をぼんやりと見渡す。見慣れた配置の家具、見慣れた光景の中に、あちらこちらに散らばった服を見つけて、これは何だろうと首を傾げた。昨日の私はどうかしてしまっていたのだろうか、服をこんなに散らかして眠りにつくだなんて、と考えて、散らばる服が一人分の量ではないこと、自分が何も身につけていないことに気づく。
 「ん……」その直後、隣から聞こえてきた誰かの声に、びくりと肩を震わせてぱっと振り向くと、シーツの下から目に馴染んだ双葉がぴょこりと突き出ているのが目に入った。
「嘘」
 ぽつ、と思わずそんな言葉が漏れる。
 全裸の自分に、部屋中に散らかった衣服、隣で眠る見慣れたクリームブロンドの頭。この状況から推察されることはとても限られている――というよりも、ひとつしかないと言っても過言ではないだろう。「うそ」ともう一度こぼして、おぼろげな昨夜の記憶をたどる。

 昨日は通常業務を終えた後、久しぶりに飲もうと思ってバーラウンジを訪ねたはずだ。何となく、缶チューハイや水割りのバーボンではなく、人の手で作られたカクテルを飲みたくて。おそらくそこで、隣で眠る彼と出会ったのだろう。元より私が一人でいるとどこからともなく現れて、さっさと隣の席を占領してしまう彼のことだ、昨日も例に違わず私の許可を得る前に隣に座ったに違いない。私も別に嫌ではなかったから、彼と一緒に飲むと言う道を選んだのであろう。それはきっと間違いない。
 だがそのあとは――?

ちら、とシーツの下を覗いて、彼も服を着ていないと言うことを確かめる。やはり部屋に散らばるあの服は、私と彼のものなのだ。よく目を凝らせば蔦性の植物を彷彿とさせる模様のベストが、無造作にベッドの足元に投げ捨てられている。ゴミ箱の中を確認する勇気は持てないが、おそらくは――ほぼ間違いなく、そういうことなのだろう。
 「ビリー、」と眠りこける彼の名前を呼んで、その華奢な肩を軽く揺すぶる。「起きてくださいよ」と言いつつ頬を軽く叩くと、ややあったのちに「何……?」と気だるげな青の瞳がこちらに向けられた。

「何じゃなくて……これはどういうことですか」
「んん……どういうことって、言わなきゃわからない?」
「わからない訳じゃないですけど、信じがたいです」
「そう言われてもね」

 僕が君を抱いたのは本当だよ、とこともなげにビリーは口にする。いかにも場慣れしていそうなその口ぶりに、ずるりとどす黒いものが胸の内を這うのを感じながら、「抱いたって」と呟くと「そんなに信じられない?」とどこか寂しげな声が返ってきて。
「信じられないです。だってあなたと私が、こんなこと。……大体どうしてビリーが私とするんですか」
「どうしてって。そりゃあ君のことが好きだからだよ」
 嘘、とまた小さな驚愕が漏れる。口の端から思わずこぼれたその言葉に、彼は物憂げな笑みを浮かべて身体を起こし、「嘘じゃないよ」とシーツを掻き抱く私の手を取った。

「だってそんな素振り一回も……」
「可愛いって思うのは君だけだって言ったのに?」

 以前言われたその言葉がふっと頭に蘇る。誰にでも可愛いと口にしていそうだ、とひねたことを言った私に、ビリーははっきりとそう言ったのだ。私はほんの少しの安堵と、奇妙な満足とを得て、それきり彼にそういう言葉を――まるで嫉妬したような台詞を言うのはやめていた。あの時の彼の口ぶりは、冗談として受け流すにはいささか重く、かと言って本気の言葉として受け止めるにはあまりにも手慣れた様子だった。あれは、私に対する好意の表明だったのだろうか。

「それは……でもそれくらいで、私のことが好きなんだって思うような人間じゃないですよ、私は」
「うん、確かにそうだね。君はそういう性格だ。けどまさか、本当に全然伝わってないだなんて思ってなかった」
「……本気ですか?」
「もちろん。だから君を誘ったんだよ。まあ、君は酔っ払ってて覚えてないかもしれないけど……」

 それでもYESって言ってくれて嬉しかったんだけど、とビリーは私の指秋に軽くキスを落としてちらりと目くばせする。「君は僕のこと、ちっとも好きじゃない?」そう言って私を見つめる双眸には、私に向けられるには少しひたむきすぎるくらいの慕情と切なさとが滲み出ていた。彼は時折甘い目をして私を見ることがあったけれど、今向けられているその瞳の熱量は、昨日までのそれとは全く異なっている。ちりちりと身を焦がすような情愛を孕んだ眼差しに思わず目を伏せると、ビリーがくすりと小さく笑う気配がして。

「照れてる?可愛い」
「照れてません、あなたがそんな、……い、愛おしいものを見るような目で見るから……」
「だって僕は君が愛おしいからね。そういう目もするさ」

 それで、君はどうなの?
 つい、と彼の体温が近づく。「僕のこと、どう思ってる?」耳元に落とされたそんな囁きに、は、と思わず息が漏れた。鼓膜をくすぐるような柔らかな声質、吐息を多分に含んだそれに、わずかに肩を跳ねさせた私を見て、ビリーはくつくつと楽しそうに喉を鳴らした。霞みがかったように思い出せないゆうべも、ビリーはこんな風に私の反応を見て楽しんでいたのだろうか、と考えると不思議に体温が上がるようで。
 「ねえ、」と急かした彼の言葉に、思わず「すき」と返した次の瞬間には、私のくちびるは彼のそれに屠られていた。




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