脳みそひとつじゃ
反芻もできない
学パロ




 ぽつぽつと控えめな音を立てて雨粒が傘を叩いている。
「助かったよ」
 ありがとう、とかすかに笑うビリーの声がいやに近い。「どういたしまして、……」と返した言葉がわずかに震える。
 強張らせた肩が彼のそれと軽く触れる度、心臓がどくんと大きく跳ねて、その音が彼の耳に聞こえていやしないだろうかと不安になって。は、と浅くなった呼吸に、私は早くも「一緒に入る?」などと言ってしまったことを後悔していた。


「走ったら間に合うかなぁって思ってたんだけど、」
 と、校舎の入り口で雨雲に覆われた空を見上げながら、ビリーは溜息を吐いていた。
 ちょうどホームルームが終わる頃に降り出した雨は瞬く間に本降りになり、私たちがそれぞれ所用を終えた今では、立派な霧雨と化している。粒こそ細かいものの、傘をささずに歩いて行くには少し厳しい。
「傘持ってなかったっけ」
「持ってたよ。でも貸しちゃったんだ」
「置き傘も……?」
「うーん、少し前まであったんだけどねー」
 そっちは取られちゃった!
 からりと笑う彼に、いやいや、と首を振る。取られちゃった、ではないし、笑い事でもない。ちょっと雨がぱらついている、というような可愛らしい天候でもなし、いくら暖かくなってきているとはいえ濡れれば風邪を引きかねない。そうと分かっていて、「なるほどそれは運が悪いですね、では私はこれで」などと言って帰路につけるほど、私は冷血には出来ていなかった。
「どうしようかな」と呟くビリーと、自分の手に握られた傘とを見比べて、――迷ったのは一瞬だった。
「……良かったら入ってく?」
 刹那、当惑した様子だった彼の表情がぱっと明るくなって。
「いいのかい?」
 だなんて瞳を輝かせるビリーにほんの少し、気のせいかな、と疑ってしまうくらいちょっとだけ、胸がきゅっとなったのは確かだけれど。

 ――でも、こんなに近いだなんて聞いていない。

 他の男子生徒よりワントーン高いハスキーボイスは耳のすぐそばから聴こえてくるし、薄い肩が時折ぶつかる。それが何やら心臓に悪いような気がしてそれとなく離れると、すぐさま気付かれて「もっとこっちに近付かないと君が濡れちゃうじゃないか」と言われてしまうから、距離を置くことも出来ない。
 知らない間に車道側を歩いていたり、それとなく傘をこちらへ傾けたり――「ビリーくんが濡れるからまっすぐにして」と言ったのだけれど、先と似たような理由で受け入れてはもらえなかった――、紳士的な優男ぶりを発揮していて、女子からも人気の高い理由が何となくわかる気がするのだけど、私としては少し落ち着かない。加えて、教室で発せられるものより格段に大人びた静かな声音で、教室での饒舌さが嘘のようにポツリポツリと言葉を落とされるのだから堪ったものではない。かろうじて相槌は打っているけれど、はっきり言って言葉がするりと脳味噌をかすめて出て行ってしまう。
 正直ちょっと恥ずかしい。照れ臭い、の方が正しいか。

 とにかく私は、普段あまり耳にしない声色だとか、滅多なことでは経験しないような紳士的な対応にすっかりあてられていた。これでビリーも多少は気まずそうにしていたり、恥ずかしがる素振りを見せたりしてくれていたら、私の羞恥や気後れもいくらかマシだったのではないかと思うのだが、悲しいかな、彼は平然とした表情である。
 仮にも相合傘。もう少し何かないのか、こういうのって何となくお互い少し落ち着かなくなるものじゃないのか、と理不尽な恨めしさを視線に乗せて、隣を歩くビリーを見遣る。と、ネイビーグレーの瞳がこちらに向けられて。
「どうかしたのかい?……目が据わってるぜ」
「ビリーくん、ずるいって言われない?」
「随分急だね。どうだったかな、……」
 うーん、と小さく唸る横顔に、もしかしなくても天然でコレなんだろうかという疑念が湧き起こる。だとしたらちょっとたちが悪い。
「こういう気遣いっていうか、優しいというか、」
 なんというか。
 はっきり口にするのも気恥ずかしく、ぼそぼそと尻すぼみに溢した私に「あぁ」と彼は何か納得したような顔になる。
「でも女の子に優しくするのは当たり前だろ?」
 違う?と尋ねられて答えに言い淀む。

 そりゃあ、冷たくするよりずっと良いだろうけど。それが女子であれ男子であれ、手酷くするより優しくした方が良いし、当たり前といえば当たり前かもしれないのだけれど。「女の子」などと明言されてしまうと、尚更小っ恥ずかしい。
 自意識過剰と言われても何一つ説得力のある反論は出来やしないけれど、でも仕方がないじゃないか。そういう年頃なのである。

 しばし逡巡して、結局、うんとか、まぁ……とかいう曖昧な答えを返して、
「そういうところがなんかずるい」
 素なの?
 柔らかな双眸に耐えきれず、さっと目を逸らしながら問い掛ける。すると「さぁ、どうかな」と随分ボカした言葉が返ってきて。
「案外、わざとだったりするかもよ?僕は『ずるい』らしいしね」




title:ユリ柩
theme:傘の下で/140文字で書くお題ったー
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