天使の名残が笑う
『彼は彼らしく生きて死んだ』というのは、どれくらい「そう」なのかとソファに横になってうたた寝しているビリーを眺めて考えた。
 私の手元には一冊の本がある。カルデアの、広く大きな図書館の中から、苦労の末に見つけてこっそり借り出したある伝記だった。こっそり借りたのはなんとなく――当人の性質を鑑みるに――秘密を暴こうとする行為が忌まれると思ったからだ。
 誰にだって知られたくないことはある。私にももちろんある。サーヴァント達の中には、自分の原典――と言えばいいのだろうか、人生、とか歴史とか言ったほうがいいかもしれない――を知ろうとすることを喜んでくれる者もいるけれど、少なくとも彼は、あんまり踏み込まれるのを歓迎する方ではないはずだった。親しげで人懐こいようで、一歩たりとも自分の中には踏み込ませない、というか。
 彼の方から心を開いて告白してくれるというのならまだしも、こちら側からずけずけ聞いたりなんかしたら一気に嫌われてしまうような気がした。
 だから本人の前では取り出し辛くて、眠る前なんかに少しずつ読み進めていたのだけれど。



 ちょっと油断したのがいけなかったのだろうか。少し暇ができて、あたりに気配がなくて、少しページをめくるくらいならと読み進めたのが運の尽きだったのだろうか。「マスター」と呼ばれるのと部屋のドアが開くのはほぼ同時であった。
 出会った頃は「入ってもいい?」とお伺いを立ててくれていたのに、付き合いが長くなった今では入室許可を求めないどころかノックさえしなくなってしまった。もし私が着替えていたらどうするんだと考えて、ビリーの視線が私の手元に注がれていることに気付いてハッとした。

「これは、……っ」
「ギャレットが書いたやつだろ?」
 知ってるよ、とビリーが笑みを刷く。
「僕も読んだよ、それ」
「読んだの、ビリーくん」
「うん」

 ……よくよく思い返してみれば、確かに図書館でこれを手にしているビリーを見かけたことがある気がする。彼が図書館にいるのも、何か本を読んでいるのも少し珍しいような気がしたから記憶に残っていたのだが、――あの時のビリーは、これを読んでいたのか。
『真実』を謳う書籍からビリーは視線をこちらへ移した。その瞳は当初の予想に反して、ずっと静かだ。不愉快さをにじませることも、悲哀を宿すことも、私の不躾な好奇心を冷笑することもなく、また喜びもない。ただ静謐に凪いだ青いまなこがじっと私を見据えている。
 それがどうも、心の奥底まで見透かされてしまうような気がして。足元から這い上がるような妙な気恥ずかしさにそっと視線を逸らして、
「そういえば何か用事があったんじゃないの?」
 と問いかけた。ビリーは「あぁうん、」と曖昧に相槌を返したかと思うと、「でも後でいいよ」と口にして、そのままソファへ腰を下ろしてしまった。
「もうあと少しみたいだし、読み終わるまで待ってるから」


 最初のうちは、一言か二言くらい言葉を交わしていた記憶がある。機嫌が悪い時に周りに怖がられていたのかとか、カード賭博が強いというのは本当かとか、意外と短気じゃないかとか、私がぽつぽつ尋ねるのに合わせて、「そんなに怖くないと思うんだけどねえ……。君はどう、僕が怒ってたら怖い?」とか「気になるなら今度やってみる?」とか、「だって友人を殺されたら悲しいし、腹が立つのは当然じゃないか」とか答えを返してくれていたのだ。二つ目の申し出は、丁重にお断りしておいた。

 そうしているうちに『真実の生涯』という、何とも胡乱な一人の男の人生がクライマックスを迎えて、私も彼も黙り込んでしまった。ビリーは、私が黒々した文字を追っている間にごろんと寝そべってそのまま眠りに落ちたらしかった。ベストを脱いで、シャツの襟を緩めた彼の姿は少々、いやかなり新鮮である。
 座り込んでいたベッドの上から床へ足をつけて、ぺたぺたと彼のところへ歩み寄る。「ビリーくん、」と半分ほどハットに隠された彼の顔を覗き込むと、「ん、……なあに、終わったの、マスター?」と普段のそれより少しかすれた声が返って来る。
「うん、今読み終わったとこ」
 そう。ビリーが短く答えて、続けざまに「どうだった?」と問うた。
 唐突に感想を求められて、少し言葉に詰まる。ぱっと一言で答えようとするには、少し難しいし複雑だ。格好いいと言えば格好いいし、やはりアウトロー、無法者だと言っても何もおかしくはないように思う。ヒーローのような、――けれど決して、私がぱっと思い浮かべる英雄像とは合致しない。合致しないけれど、当時においては英雄的に見られた面も確かにあるのだろう。
 だがそれを正面きってぶつけてしまうだけの思い切りの良さは、私にはなかった。
 ただ、一言、強いてあげるとすれば。
「……呆気なかった」

 ――たった一発の銃弾に、心臓を撃ち抜かれて死ぬ。

 いっそのこと潔い、とも言える。それくらいあっさりとした幕引きだったのだ、『真実の生涯』における彼の最期というのは。
 ビリーは数瞬黙っていた。私も彼に倣うようにして静かに口を閉ざしていた。そうしてぽつりと、
「そういうものだよ、……」
 僕も、君も。
 柔らかな声だった。彼の発する音の中でもいっとう穏やかで、甘いと言っても過言でないほどの音色に、はた、と視線を少し上へ向ける。
 ハットの下から覗く灰青は、ひどく優しい色をしていた。




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