07



自称参謀長官と名乗る私の痛いシェア仲間は、一昨日1ヶ月の長い遠征を終えて帰って来たと思ったら、遠征中の一ヵ月分の休暇がまとまって取れるとのことでどこに行くでもなく家に引きこもりになっている。
たまにちょろっと出かけてるなと思ったら軍服来て出かけているので、急な仕事で呼び出されているのだろう。
自称参謀長官の座はお忙しいらしい。
彼があの残酷残忍な参謀長官だとは私は全く信じていないけれど、彼がそう言うのだから『はいはい』と戯言に付き合っている。


「おはよう…」


昨晩は遅くまでレポートをやっていたせいかいつもより2時間遅れで起きた私がリビングに顔を出すと、先に起きていたアヤナミさんがソファで『馴れ馴れしい部下の上手な育て方(中級編)』を真剣に読んでいた。
初級編から中級編になってることに気付き、そんなに手に負えない部下がいるのかと少しだけかわいそうになった。


「随分と遅いお目覚めだな。」

「レポートしてたらいつの間にか2時でさ…。」


大きな欠伸をしながら顔を洗いに脱衣所へ行き、さっぱりすると次はリビングで冷蔵庫から200mlの野菜ジュースを取り出す。
ストローをさして飲みながら私もいつもの定位置についた。

テーブルの上にはアヤナミさんが用意してくれている目玉焼きにカリカリのベーコンと食パンというシンプルな朝食が乗っていて、私はそれにかじりついた。


「冷たい…。」

「いつもの時間に起きてこないお前が悪い。」


レンジで温め直そうかと思ったが、まだ眠気の残るぼーっとした頭は動く気力を出してくれない。
面倒くさくて冷たいそれらを食べると「食器は自分で洗え」と言われたので頷いておいた。


「アヤナミさんどれくらい休んでいいの?」

「1ヶ月も遠征があったからな、1週間といったところだ。」

「1週間もそうやって毎日本読んだり持って帰って来た書類するつもり?外出なよ。腐るよ、カビ生えるよ、根づいちゃうよ。」

「そういうお前も春休みだからといって怠けていると大学が始まった時起きるのが辛くなるぞ。」

「寝すぎるのって若い子の特権だよ。歳とってくると寝れなくなるっていうしさ。」

「若い子?子どもの間違いじゃないのか小娘が。」


鼻で笑うアヤナミさんを一睨みしたが効き目はなさそうだ。


「小娘でもなんでもいいけど、花の女子大生とルームシェアしてるんですからもっと若い子のパワーみたいなの貰って『ちょっと海辺で昔の青春思い出してくるぜ!』みたいなのないんですか。前にも言いましたけど自慢できますよ、自慢。それとももう自慢しました?」

「花の女子大生という肩書でも、本人がこれではな。自慢できるものもできぬ。」


「ひっどい!」

「しかもなんだその暑苦しいシチュエーションは。」

「いや、だってアヤナミさんってばそんな青春送ってこなかった感じしたから。今も昔も引きこもりですみたいな。」


そこまで言い切ると、アヤナミさんに足で軽く背中を蹴られた。
食べてる目玉焼きが喉に詰まったらどうしてくれるんだこの人は。


「今日のバイトは何時からだ。」


春休みに入り、宿題とレポートとバイトに追われている私だが、大学に行きながらバイトをしている時よりは随分とゆっくり過ごしている。


「休みだよ。今日は絶対家でゆっくりまったりゴロゴロするって決めてるの!宿題もレポートもせず、好きなことだけする日がたまにあってもいいでしょ?」


食べきった朝食の食器をシンクに運び、皿を洗い始めるとアヤナミさんは「そうだな。」と同意してくれたのち「コーヒーを淹れてくれ」と私がキッチンに立ったのを見計らったように告げた。
朝食のお礼に淹れるのは全然構わないけれど、私はまだ若干眠たい。
慣れた手つきでコーヒーを淹れてアヤナミさんにカップを渡してまた定位置へと腰を下ろす。

テレビを点けて録画しているドラマを見ていると、やっと落ち着いたばかりだというのに家のチャイムが鳴った。
チラリとアヤナミさんを見上げるが、彼はもちろん微動だにせずに『中級編』に釘付けだ。
絶対気付いてるくせに。
仕方ないなーと立ち上がると玄関まで向かい、「どちら様ですかー」と扉を開ける。


「こんにちは、私今この近隣の皆様に浄水器をオススメしてまわっているんですが、浄水器はお使いですか?」


勧誘か。と面倒臭ささを感じたが、私は非常に勧誘というものに弱い。
買ってしまうほどではないのだが、断るのに十分な時間を要してしまうのだ。


「あ、いえ…。」

「今の水は水質も悪かったりするのでぜひお使いになった方が良いですよ。最近発売したばかりのこの給水濾過装置は非常に優れモノでですね、」


あぁ、どうしよう…断りにくい。
この必死に勧めてくるお兄さんの笑顔は断りにくい。


「いえ、あの、間に合ってます…。」

「そう言わずに。今なら水質検査を無料でさせてもらっているんですが、試させていただいてもよろしいでしょうか?」

「え、あぁ…むりょ、」


無料なら…。と口にしようとした瞬間、背後からアヤナミさんの「何をしているんだ」という声が聞こえてきた。


「あ、なんか浄水器買わないかって。」

「いらん。」


姿を現すまでもないとばかりに、リビングの方からアヤナミさんの声が聞こえてきて、笑顔のお兄さんは「そうですか…お忙しい中お時間を取らせてしまってすみませんでした。」と去って行った。
おぉ、きっぱりと断れるアヤナミさんすごい。

妙に感心しながらリビングへ戻ればアヤナミさんは呆れたような表情で「お前は何故インターホンというものを使わないんだ。」と言われた。


「前の家っていうか、住み込み先の家にはなかったから慣れてなくて。」

「何か月ここに住んでいるんだ、いい加減慣れろ。」

「へーい。」


なんならアヤナミさんが出てくれたっていいんだよ。と言おうと思ったが、どう考えてもアヤナミさんは出てくれそうにないため大人しく座った……ところでまたチャイムが鳴った。

よし、今度こそはインターホンを!と意気込んで下ろしたばかりの腰をまた上げると「律儀な奴だな」と嫌味っぽいことを言われたがスルーしておくことにした。
さっき助けてくれたお礼だ。


「はいもしもし。」


インターホンの受話器を耳に当てながらそう発して気付いた。
電話じゃないんだから『はいどちら様でしょうか』だった、と。
地味な間違いに羞恥を感じていると、アヤナミさんに鼻で笑われた。
くそぅ。


『あー奥さんですかね。』


おじさんくさい声で奥さん!奥さんって言われた!と内心驚く。
ってなると必然的にアヤナミさんが旦那さんなわけで……と考えてやめた。
自称参謀長官とか名乗る不思議な人が旦那さんなんて嫌だ。


「いえ、違いますけど。」

『じゃぁ娘さんかな。誰かお家の人いる?ちょっと道に迷ってね。地図を持ってるんだけど教えてもらえないかな。』

「あー……わかりました。ちょっと待っててくださいね。」


チラリとアヤナミさんを見るが、梃子でも動きそうにない様子に私は道を教えるくらいならできるし…と玄関先へ向かい、扉を開けた。


「あれ?お嬢さん一人?」

「いるんですけど、ちょっと手が離せないみたいなので。」


手のかかる部下のせいなのか、書類や本のことになると集中してしまうアヤナミさんのせいなのか。
とにかくある意味に置いて手が離せないのは目に見えている。
正確には手が離せないではなく、手を離さないなのだが。


「そうなんだ。じゃぁお嬢さんからお家の人にお願いしてもらえるかな。新聞読んでたりする?」


は?あれ?道案内は??
急に変わった話の内容に私は首を傾げたが、目の前のおじさんは気にせず会話を進める。


「どこかの新聞取ってるのかな?」

「いや、取ってませんけど。」

「それは駄目だよー。最近の若い子は特に新聞は読むべきだよ。ほら、うちの新聞は読みやすいしわかりやすいし、」


……って新聞の勧誘かっ!!
とりあえず玄関先に呼び出そうとするその詐欺まがいな手口最悪だよこのおっさん!!


「いや、うちは結構です…。」


だってアヤナミさんは職場で読んでるらしいし、私はテレビ欄しか必要なくて毎月レモン持った表紙の雑誌買ってるからあまり必要としない。
確かに新聞は大切だろうけど私にはあの細かい文字は無理だ。
具合が悪くなる。

今回はアヤナミさんを見習って断ったのに、新聞屋のおじさんはグイッと前に出てきた。
ドアをこじ開け、獲物は逃がさない!!といった感じに腰が引ける。


「今契約してくれるなら映画の無料ペアチケットあげるよ?今面白そうな映画あってるよね、行きたいでしょ?」

「い、いえ…」


全く。
今は私家でゴロゴロしてたいんです。
テレビ見ながらうたた寝して、『やべ、テレビ点けっぱなしで寝てたや。』とかそういうのがしたいんです。


「すみません忙しいので、もう…」


ドアさえ閉めてしまえばこちらのものだと思い、閉めようとすると新聞屋のおじさんの足がドアの隙間に差し込まれた。

ひぃぃぃぃぃ!!
まるでどこかの悪徳商法の人たちみたいで、ただでさえ引けていた腰が更に引ける。

少し怖くなってきて、どうしたらいいのかオロオロしていると、玄関の好からぬ雰囲気を汲み取ったのかアヤナミさんがリビングの扉から顔を出した。


「あ、お嬢さんのお兄さんかな、新聞とか読みません?」

「え、」


いや、あんな自称参謀長官なんて言う人全然血の繋がりないですけど。
こんなにも似てないのに血が繋がってたらびっくりだよ。


「こんな不出来な妹を持った覚えはない。」


ちょっとアヤナミさん、何言ってくれちゃってんですか。


「名前、新聞読みたいのか?」


私と新聞屋さんの前に立ったアヤナミさんはそう私に問いかけたが、私は首を横に振った。

おじさんは自分よりも背の高いアヤナミさんに見下ろされているので、一歩下がって見上げている。
何だか見えない威圧感でも感じているのだろう。
私だって感じているのだから、おじさんはもっと感じているはずだ。


「だそうだ。お引き取り願おう。」

「…どこかで見た顔だな……」


急にアヤナミさんを見たことがあると首を傾げはじめたおじさんをスルーして、彼は問答無用で扉を閉めた。
ご丁寧に鍵とチェーンまで。


「お前の頭は鶏か。」


言っている意味がわからなくて、リビングに2人で戻りながら「どういう意味?」と尋ねると「鶏は3歩歩けば忘れる」と冷たく返されて、私は言い返すこともできずに苦笑を浮かべた。


「アヤナミさんが出てくれればいいと思うな。」

「お前の方が玄関に近い。」

「いや、ほんの1歩の差ぐらいだよね?!?!その長い脚で歩けば私より早く玄関に着くよきっと。」


私の言い分に耳を貸さない彼はソファに座りなおして、今度は書類を広げた。
ついでに飲み干したコーヒーの催促もされ、私はコーヒーを淹れなおすと今度こそゴロリと寝転がった。




***




ふとチャイムの音で起きた。

テレビを見ながら横になっていた私はこれぞ至福の時という時間を送っていたはずだったがどうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
点けていたはずのテレビは消されており、体にはブランケットが掛けてあった。
どうやら、未だ書類に目を通しているアヤナミさんが気を利かせてくれたようだ。


「今チャイム鳴ったよね?」

「なったな。」

「…出てくる。」


眠いけど、お昼の時間もちょっと過ぎててお腹すいてきたので起きることにした私は寝ぼけ眼で玄関まで行き、扉を開けた。


「アナタハ神ヲシンジマスカー??」

「ひぃぃぃぃ!アヤナミさんヘルプミー!!!」

「いい加減に学べ、この鶏娘が!」


- 7 -

back next
index
ALICE+