その肆









「それじゃあ、手に入れた禁書はいつものところに。えぇ、ありがとう」



微笑を浮かべたジルは院から与えられている自分の部屋の窓辺にいる小鳥にお礼を言うと、それに答えるようにチチッと鳴いて、その小ささに見合った素早さで夜の闇の中へと消えていった。



小鳥が持ってきたのは一冊の本。

多くの人の手に渡ってきたのか、薄汚れて痛んだカバー、背表紙には『古きモノの蒐集物』とこれまた古めかしい字体で書かれたその本は、見る者が見れば喉から手が出るほど欲しがるくらいの貴重な禁書だった。



ジルはそっとその本を手に取り、表紙をめくる。

最初の数ページは目次だった。



“黄金律の人間”、“金の林檎”、“慈母の涙”、“血の呪い”、“毒の聖杯”、“鵺の尻尾”……。



ジルはある項目でページをなぞる手を止めた。



“蛇王の眼”。



バジリスクと呼ばれる巨大な蛇が持つ眼は見たものを即死させるといわれている。

太古の昔から永い時を生きる幻の生物だ。



「蛇王の眼、か。多分だけれどこの”眼”も同じ類のものよね?」



そっと自分の赤い瞳を片手で覆う。



前世の記憶を取り戻してからはっきりと自覚した自分の力。

相手の目をじっと見つめることで発揮される”魅了の魔眼”。不確定な推測ではあるが、今まで手に入れてきた古書には記載されていない、恐らく魔法族が持ち得ないものか、もしくはどちらかといえば吸血鬼やサキュバスが持つ異能の類だ。

異性を虜にし、自分の意のままに操る。

そんな能力を何故、魔法使いといえど人間の範疇である自分が持っているのか。

そもそも、『原作』には有り得なかった”トム・リドルの姉”として存在する自分にその『何故』が通じるのかも怪しい。



存在自体がイレギュラーなジルが全てに対して『何故』と疑問を感じてしまうのは当たり前だろう。



蛇王の眼の項目に記された行を指でなぞりながら読み進めると、後半の記述は蛇王の眼についてではなく、魔眼そのものについてが述べられていた。



『魔眼とは、眼球(もしくは眼球に当たる部位)に力を宿した状態のことを指す。術をかける際は悪意を持って相手の目を見つめることで効果を発揮する。効果は様々であり、ただ単に呪いをかけるものから相手を魅了状態にするものや未来を見ることができるものまで多岐にわたる。

魔眼の効力は対生物の場合、多くは直接相手の目を見る必要があり、間接的に見た場合は効果は著しく低下する。

また、魔眼が効果を発揮する条件として魔眼の効果が特殊なものでない限り『相手の目が見えること』が必須であると言える。その際、魔眼保持者の力量によって相手の目を見るという条件が両目であるか、片目であるかが左右されるようだ。

現時点で魔眼を発現する条件は明らかにはなっていない。

魔法族では強大な力を持った魔女にのみ発現する。また異種族でも最上位の者のみが保持している。

魔眼を持つ者は短命の傾向にある。それが人に過ぎた力を持った代償なのだろうか。』



“短命”。

その単語が嫌に目に付いた。



ジルの目的は”セブルス・スネイプ”に会うこと。

それも闇の時代を、赦されぬ咎を一身に背負い、命を賭して生き残った男の子を守り続けた影の英雄である彼に、なのだ。



今まで幾度か魔眼を使用したが、特に体の異変は感じていない。

いつそれが起こるのかも分らないが、それでも使わないという選択肢はジルの中には無かった。



どんな手段を使っても生き長らえるのだ。そう決意したジルの瞳には確かな決意の炎が宿っていた。



セブルス・スネイプの最愛の人を殺した人間の顔が思い浮かぶ。

今はまだ違うが、これから数年後あの男は最初の殺人を犯す。

人当たりもよく、成績優秀なスリザリンの監督生を務めたサラザール・スリザリンの末裔、トム・マールヴォロ・リドル。



「……トム」



私の弟。

自分の知る未来に『ジル』は存在しない。だからその未来にするためには本当ならトムの前に姿を現してはいけなかった。

けれどあの日、トムに会う数日前に堪らなくなって孤児院に行ってしまった。

そこで見た、孤独と憎悪に燃える瞳を見てしまってから、どうにかしなくては、と思ってしまったのだ。



前世の記憶を取り戻し、この世界の未来を知って一人前に達観したつもりでいたが、やはり精神が体の方に引っ張られているのか、もしくは唯一の肉親として情を持ってしまったのだろうか。



トムは賢い。僅かな情報から最適解を導いてしまう。

だからホグワーツに行くまでの間、自分の計画や前世の記憶について如何なる事も悟られないようにしなくては。



「……憂いの篩を手に入れなきゃね」



自らの記憶を、トムに、否、誰に見られても困らないよう。

『これから』を忘れないよう。

未来のヴォルデモートにとっても、ダンブルドアにとってもこの記憶は重要なものに成り得るのだから。



そう思ってから、先ほどの使い魔である小鳥にそれを伝えておけばよかったことに思い至り、小さくため息をついた。



「これから長い道のりになるわね……。でも、」



――私は”貴方”に逢いたい。



そんな言葉を口にすることなく、ジルはそっと窓の外の月を見上げた。

恋焦がれる乙女のような、純粋な想いから溢れた言葉ではない。

自分が、未来の”教授”に会いたい、ただそれだけのために、これから救えるはずの数多くの魔法使い達の命を見捨てるのだ。

赦されるはずはない。……赦されたくもない、赦されなくてもいいのだ。

我儘(エゴ)の塊だと、自覚はしていた。



”百合”と出会ってもいない、まだ生まれてきてもいない彼に会いたいが為に。





「……”ごめんなさい”。……なんて、懺悔をするにはまだ早いわね」



日本語で紡がれた謝罪の言葉を打ち消すようにジルは首を振って自嘲気味に呟く。



けれどジルは何もしない。

救える命があろうと、助けを求められようと、自らを傷つけられようと。



約20年後にはトムが闇の勢力を率いてマグルやマグル出身の魔法使いを狩り始める。

闇の時代が始まるのだ。





ジルは手元の本へと視線を落とす。

禁書指定されているこの本には興味深い記述ばかりだ。



いずれ訪れる闇の時代。

けれどもそれより先に来るのはホグワーツでの寮生活だ。

恐らくスリザリンへ入ることになるだろう自分の未来の為に今はただ知識を頭につめこむだけだ。



ジルはベッドサイドのランプに明かりを灯すと、今にも千切れそうなページを丁寧に捲った。



巡り巡ってジルの手にやって来た古い古い禁書。

その著者を示す欄には小さく”S.S.”とだけ刻まれていた。







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