03なまえ

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「おい、アホ面」

朝一番、登校するなり上鳴に声をかけた。
自分から声をかけることが珍しかったから、一瞬上鳴は時間が止まったように固まっていた。
だがすぐにいつもの調子に戻った。

「めっずらしいなー。爆豪から話しかけるとか」
「あ?別に珍しくねぇだろうが」
「超レアだよ。…で、俺になんか用?」
「…お前他のクラスのやつの名前とか知ってるか?」

正直、アホ面に聞くのは気が引けた。
後で何かと絡まれそうだからだ。
だが知り合いで知ってそうな奴はアホ面ぐらいしか思いつかなかった。

「んー…まぁ女の子なら大体知ってるけど…なに?!爆豪気になる子でもできたのか!?」

思った通りのくいつき方に思わず舌打ちをしてしまう。
アホ面の声にクソ髪が興味深々に寄ってくる。

「なに?爆豪いつの間にそんな子できたんだよ。誰?」
「ちげぇわボケ。こっちの名前知られてんのにこっちが知らねぇとか気にくわねぇだろうが」

それらしいように言ってみたが実際はただ名前を知りたかっただけだ。
昨日たまたまぶつかって出逢って、路地裏で絡まれているところを助けてから少しだけ画面越しに会話したあの少女…耳の聞こえない少女が昨日からずっと頭から消えない。
彼女は最後に俺の名前を言った。
入試1位だったから知られていても不思議ではないかもしれないが。
だが俺は彼女の名前を知らない。名前だけじゃない。学科もクラスも何も知らない。
分かっている事といえば雄英の生徒であるということぐらいだ。

「どんなやつだよ」
「耳が聞こえなくて声が出せない女」
「あぁ、あの子か」

すぐに思いついたように上鳴は手を叩いた。

「同じ学年の普通科の願野心ちゃんだよ。普通科じゃ結構有名だぜー」
「願野…心…」
「爆豪その子が気になるのかよ?」

隣で聞いていたクソ髪がつっかかってくるがそれを無視して自分の席に着いた。
普通科の願野心…。
学科が違うとなれば今まで会わなかったのも納得がいく。
今まで普通科の人物に興味などなかったせいか、どんな奴がいるのかさえ全く知らない。
だから彼女の事も知らなかったのだ。
俺はそっとノートの端に彼女の名前を書いた。


昼休みになりアホ面やクソ髪たちから食堂へ行こうと誘われたが、用があるとその誘いを断った。
理由は学科と名前がわかった彼女を探すためだった。
別に会ってどうするとかはなかったが、何故だか気になってしまい気づけば普通科まで足を運んでいた。
ヒーロー科の人間が普通科の教室までくることはただでさえ珍しいのに、それなりに名前が知られているからか廊下を歩いているだけで注目を浴びた。
幾つかある普通科の教室を覗いていく。
お昼の時間帯のせいもあり教室に残っている人はそんなに多くない。

(教室に残ってるとは限らねぇ…か…)

最後の普通科の教室をあまり期待せずに覗いた。
やはりここもほとんど人がおらず、グループになって食べている中にはいなかった。
諦めて帰ろうと来た道を引き返そうとしたとき、中庭の隅にあるベンチに座っている彼女が視界に入った。

「いた…」

引き返そうとしていた足は自然と彼女のいる中庭へ進んだ。
後ろから近付いていくが彼女は全く気が付かない様子だった。
お弁当を静かに口に運んで食べていた。
彼女のすぐ後ろまでくると、肩を静かに叩いた。
驚いたのか肩がびくっとあがると、彼女はゆっくり振り返った。
俺の顔をみるとまた驚いたように目を大きく開いて、口をパクパクさせていた。

「お前一人でこんなとこで飯食ってんのかよ」

言っても伝わってないだろうな、と思いながらも俺は彼女の横に座った。
彼女は慌ててポケットからスマホを取り出すと、昨日と同じように文字を素早く打って画面を見せた。

《何でここにいるの?》
「たまたま通りかかっただけだ」
《でも、ここ普通科の教室しかないよ?普通科の人に用があったの?》
「たまたまこっち歩いてただけだっつの」

微妙に当たっていることにドキリとしたが、願野を探していたなんてことは言えず、
彼女は不思議そうに首をかしげていたが、特にそれ以上は聞いてくることはなかった。

《もう会うことないと思ったからびっくりした》
「は?なんで会うことねぇって思ったんだよ」
《だってヒーロー科と普通科ってあんまり接点ないでしょ?》

たしかにその通りだ。普段の授業で一緒になることはないし、ヒーロー科は実技演習が多いうえに授業時間も他のクラスより長いため帰りの時間も合うことは少ない。
自分もこんな風に普通科の校舎までくるなんて今日まで思ってもいなかった。入学して数か月経つが、ヒーロー科以外の教室や校舎に行く機会はなかったため、こんな場所があったことさえ知らなかった。
辺りを見れば大概の生徒が昼食を終え、普通科の生徒が廊下や教室で楽しそうに話をしている。

「いつもここで1人で食べてるのか?」

周りと対照的に自分がくるまでこの広い中庭には願野しかいなかった。
誰かと待ち合わせをしている様子もないし、気のせいかもしれないが俺が話しかけたとき嬉しそうに見えた。

《うん、そうだよ》
「食堂とかいかねぇの?」
《食堂は人が多くて苦手。常に周りを見てないといけないし疲れちゃう》
「1人で行かなきゃまわり見てなくても平気だろ」

見せた文字に願野は少し困った顔をした。少しだけ間を置いて文字を打つとそっと画面をこちらに向けた。

《私友達いないから(笑)》

少し苦笑いしながら答えた。
俺はすぐに言葉がでなかった。願野が気にしていることを言わせてしまった。上鳴が言っていた”普通科では有名人”という言葉でてっきり人気者という意味で勝手に捉えてしまっていた。
今思えばそういう意味の”有名人”ではないことはすぐにわかる。
悪いと思ったことが表情に出てしまったからか、願野は慌ててスマホに文字を打ちこんだ。

《気にしないで。らもう慣れてるから》

再びにっこり笑う姿を見て少し胸がチクリとした気がした。
子供のころから俺の周りには誰かしら同級生がいて、個性が発現してからは一層人が寄ってきた。
どれだけ悪態をついても周りには人がいて、ちやほやされて1人でいることなんて家にいるときぐらいだった。それが普通だと思っていたし、当たり前だとも思っていた。

《それに今日は爆豪くんが話しかけてくれてすっごく嬉しかった!》
「た、たまたま目についただけだ…」
《それでも声かけてくれたことがすごく嬉しかったの!》

昨日の怯えていた顔とは違う笑顔にドキッとした。
予鈴のチャイムがなり願野の携帯も時間を知らせるようにアラームが鳴り振動した。

《そろそろ戻らなくちゃ》

少し寂しそうに膝の上に置いていた弁当箱を丁寧に包むと立ち上がった。
願野は昨日と同じように左手の甲を右手でトンっと叩くしぐさを見せた。
”ありがとう”だったか。別にお礼をされるようなことはしていないけどな、と思いながらも立ち上がった。

「そういえば何で俺の名前知ってたんだよ?」
《爆豪君くんは有名人だから。入試1位の人っていうのはほとんどの人が知ってるよ》

なるほどな。
納得はしたけれど、そういう理由で知っていたことに少しだけがっかりした。
なぜがっかりしたのかは自分でも分からない。

《あ、そういえば私の名前言ってなかったよね?》
「願野心」

願野が自分の名前を打つ前に思わず呟いてしまった。
自分の名前を呟いたことに気づいたのか、願野は打っていた文字を消し、新しい文字を打ち始めた。

《私の名前、知ってたの?》
「…まぁな。たまたまだ」

たまたま知ってたってどういうことだよ。言ってから思ったもののそれ以上は口にしなかった。