05_お礼

「はぁ…」

朝から机に伏せて溜息をつく切島くん。
いつもなら上鳴くんと楽しそうに会話したりしているのに今日はそれがない。
クラスのムードメーカーのような切島くんの元気がないと、どうしてだかクラスの雰囲気も重く感じる。

「どうしたの切島?朝からずっと溜息ついてるけど」

芦戸さんが声をかけた。顔を伏せたまま返事のない切島くんにかわって上鳴くんが答えた。

「“ハル”の握手会の抽選に外れたんだってよ」
「切島ほんとにファンなんだね」

“ハル”という名前に思わず肩があがる。
来週の日曜日、CDの発売を記念して握手会を行うことになっている。
事前に抽選で当選した約100人限定のイベントで、応募総数は当選数を遥かに上回っていたそうだ。

「でも握手会とかならまたあるんじゃない?」
「そうだけどよ…今回じゃなきゃ遅いんだよ…」

握手くらいなら喜んですぐにでもしてあげたい。
だけれど正体を明かす訳にはいかない。
なんとかしてイベントに参加させてあげたいと思う気持ちがあったが、抽選となるとどうにもならない。

「元気だしなって」
「そうそう。またチャンスあるって」

ここまで落ち込んでる切島くんを見るのは珍しかった。
どうしても参加したい理由は話さなかったが、その日はずっと落ち込んだままだった。

『ねぇ今度の握手会のチケット、1枚余分にあったりしない?』

撮影場所へ向かう途中の車の中で、運転席に座っていたマネージャーに問いかけた。
マネージャーはちらりとバックミラーに映るわたしを確認した。

「んー…余ってないと思うわよ。完全抽選だし。でもどうしてそんなこと聞くの?」
『えーっと…どうしても参加したいって知り合いがいて…』
「知り合いだったらイベントに参加する理由なくない?握手ぐらいできるでしょ?」
「えっと…その…知り合いは知り合いなんだけど…」

歯切れの悪いわたしに首をかしげるマネージャーはわたしの次の言葉を待っていた。

『前に話したことあったでしょ、ストーカーから助けてくれた人がいるって』
「あぁ…同い年ぐらいの男の子だったかしら」
『そう!その人が同じクラスにいて、わたしに…“ハル”に言いたいことがどうしてもあるって…だから…』
「でも抽選は抽選だから。それを許したら他の抽選にはずれた子たちも同じ処置をしなくてはならないわよ」

マネージャーの言っていることは正しい。
抽選に外れて“ハル”に言いたいことがあった人はいっぱいいるはずだ。
肩を落として座席にもたれかかった。

「まぁ1枚くらいならなんとかなるかもね」
『え?』

顔をあげると一瞬バックミラー越しに目が合った。

「その子にまだ助けてもらったお礼してないんでしょう」
『う、うん』
「だったらそのお礼をしなきゃいけないでしょう」
『…!ありがとうマネージャー!!だいすきっっ!!』

後部座席から運転席に乗り出した。マネージャーは「今回だけ特別だからね」と付け足した。
数日後、マネージャーから1枚のチケットを受け取った。
なんの変わりもないチケットだが、右下に星のマークが入っていた。
どうやら特別に用意したものという印らしい。
あとはこのチケットを切島くんに渡すだけ。だけどここからが問題だった。入学してから今までまともに喋ったことがないのにどうやってこのチケットを渡そうか。芦戸さんやお茶子ちゃんだったなら教室に入った瞬間に挨拶のついででも言えるだろう。でもわたしは挨拶すらちゃんとできたことがないのだ。
早く渡さないと握手会の日になってしまう。

「おはよー心晴ちゃん」
『おはよう、お茶子ちゃん』

席に着き前の席に座っていたお茶子ちゃんと挨拶を交わした。
前を見ると自然と視界に入る切島くん。落ち込んでる日と比べるとだいぶいつも通りになった気がする。
お茶子ちゃんと会話をしながらも、机の中で握手会のチケットを握りしめた。
周りに人がいると余計に話に行きにくい。かといって、切島くんの周りにはいつも人がいる。

「やっべ、課題やってねぇ!!上鳴、見せてくれ!」
「はぁ?俺がやってるわけねぇだろ!」
「マジかよー…今日絶対当たる…。爆豪、みせてくれ…」
「自分でやれ」
「鬼か!」

課題を忘れ頭を抱える2人の声はよく聞こえた。お茶子ちゃんも「また忘れたんやねー」と苦笑いしながら次の授業の準備をし始めた。机の上に出した英語のノートとチケットの入った封筒をぎゅっと握った。
英語のノートを貸すついでに渡せばいい。だけど緊張で足が動かせない。

「仕方ないわね。貸してあげるわ切島ちゃん」
「マジか!恩にきるぜ梅雨ちゃん!!」

うじうじしているうちに隣の席に座る梅雨ちゃんがノートを渡していた。
わたしは肩を落とした。うじうじしている自分が悪い。
ノートだけを机の上に置き、封筒は机の中にしまった。