自販機のボタンを押した。鈍い音を立てて落ちた紙パックを、取り出し口から拾い上げる。白いゾウのパッケージのミルクティーはお気に入りだ。高校に入学してすぐの頃、ペンケースを忘れたらしい隣の席の女子にシャーペンを一本貸した。お礼にと貰ったこれを飲んでいたら、クラスの子達に妙に評判が良かったから、それから好んで飲んでいる。
今日はこれから家の大事な集まりがあるとかで、俺もそこに行かなくてはならない。堅苦しいのはあまり好きではなくて、気が進まないまま生返事をしたら、学校まで迎えを寄越されることになってしまった。兄き達は、大抵のことは許してくれるけど、こういうときは絶対に逃してはくれないのだ。わざわざ下校のタイミングでミルクティーを買ったのは、これから頑張る自分への先取りご褒美だ。求められる役割が多い場では、どうしても気を張りすぎてしまう。随分と馴染んでしまった甘さに、強張った心身から程良く力が抜けていくのに安堵した。
学生服のポケットに入れたスマホが、先程から断続的に震えている。そんなに呼ばなくたってちゃんと向かってるのになあ。遠回りをして自販機まで来たのは、少し門を出る時間を遅らせる意図もあった。人が多い時間を避けたかったのだけれど、あいつにとっては目立つか目立たないかより、俺が来るか来ないかの方が重要に決まっているのだから仕方ない。目的の人物は校門の外側で、手元のスマホに目線を落としていた。街路樹の銀杏の葉が散らばった道の上に、長身の男が一人。案の定、その佇まいで門の近くを通る人から露骨な視線を浴びているのに、気には留めていないようだった。蒼也、と名を呼ぶ。顰めっ面がこちらを向いた。最近は下の名前で呼んだりもしているのだけれど、呼ぶ度に嫌そうな顔をするから、止めたほうがいいのかもしれなかった。
「なんですか、それ」
「これ?ミルクティー」
「よくそんな甘いものを飲みますね」
「美味いよ?」
「無糖の方が好きでしょう」
「んー、でもこっちも好きだから」
そのまま、車が停めてあるらしい所に向かって歩き出す。隣の男は俺の顔とミルクティーの白いゾウとを見比べて、理解できないというように眉間に皺を寄せた。そろそろ顰めっ面が顔に貼り付いてしまうんじゃなかろうか。綺麗な顔をしてるのに、そういう表情ばかりするのだから勿体ない。折角だし、一度飲むのはどうかとミルクティーを差し出したら、断固拒否された。
「これ飲んでるとさ、割と色んな人に話しかけてもらえるんだよね。パッケージがかわいいから。ほら、俺、顔に傷あるから、こっちから行かない限りはあんまり話した事がない人はなかなか寄ってこないんだ。だから、それ対策?」
「意味の分からない事をしますね」
「折角だから色んな人と仲良くしたくない?おまえが何か言いくるめる時にサングラス外してキメ顔するのと大体一緒だよ。まさに今から色んな人と上手くやらなきゃいけない訳だけど。まあ、これから会う人は顔に傷がある人ばかりだから、このままの戦法だと通じないか」
「私のは処世術の一つですから。必要に迫られたからやるだけのものですよ。でも、貴方の場合は既に充分でしょう。そうやって他人に気を回すのは美点ではありますけど、これからは取り立ててそんなことをする必要はありませんよ」
「なんで?」
「俺がいれば事足ります」
零れた言葉に、足が止まる。歩みを止めた俺を訝しんで、蒼也が振り返った。
「おまえのそれ、わざと?」
「何がですか」
「今の」
「今?事実を言っただけですけど。今日この後の会合では私が横に控えてますから、そういう面倒くさいことは私がやりますよ」
「いや、そっちじゃなくて。そうやって色んな人を口説いてきたんだ?」
「は?口説き文句を言った覚えはありません」
「そうなんだけどさあ」
「よく分かりませんけど、変な言いがかりをつけないでください。ほら、行きますよ。遅くなると怒られますからね」
蒼也は言い捨てて、足を早めてしまった。銀杏の黄色が風に吹かれて、俺の足元から蒼也の足元へ散っていく。
「あんまり世渡りが上手くてもなあ」
小さく零した言葉は、耳に届く音には成り得ずに空を切った。ここまで深く入り込んで、それなのに簡単に他のところに行かれでもしたら困ってしまう。きっと引く手数多だろうから、離れようと思ったが最後、この男は俺の手なんかすり抜けて何処かに行ってしまうのだろう。なんだか悔しくなって、数歩先の足元から伸びる影を爪先で軽く蹴った。踏み潰された銀杏がかさりと鳴いた。