これは君と僕だけの


「なんか結局、今日も色々世話になっちまったな」

祖父のとんでもない質問のせいで、一時は会話すらままならなかった私だが、それを見兼ねた祖母のフォローのお陰もあり、ひとまず普通に会話が出来るくらいまでには回復していた。

「こちらこそ、今日も急にお誘いしてすみませんでした…しかも、おじいちゃんのお酒の相手までさせてしまって…」
「俺も酒は普通に好きだから、大丈夫だ」
「結構飲んでたのに、全然顔色変わりませんね」
「まぁこの歳になると、飲む機会も結構あるからな。お前だって大学生なら、飲み会とかあるだろ?」
「私、お酒の席って苦手で、飲み会とかほとんど行かないんです。知らない人と話すのも得意じゃないので、サークルとかも入ってないし…」
「意外だな。そんな感じしねぇのに」
「お店の接客は全然平気なんですけど、飲み会とかはなぜかダメでして…」
「まぁ酒も強くねぇみたいだし、それだと行っても楽しくねぇだろうな」
「たまにですけど、おじいちゃんとおばあちゃんとお酒を飲むことはあって、そういうのだったら、楽しいんですけど」
「お前の家は、いつもあんな感じなのか?」
「はい。いつも大体あんな感じです」
「そうか」
「すみません。うるさかったですか…?」
「いや、そうじゃねぇ。あぁいう雰囲気は、なんていうか…新鮮で」
「新鮮、ですか?」
「俺の家じゃ、あんな風には絶対ならないからな」

あ…。

触れてはいけないものなのだろうと、直感的に、なんとなくそう思った。
何気なくそう口にした彼の顔は、とても落ち着いて見えるのに、その色違いの瞳の奥は、どことなく少しだけ、悲しそうに見えたような気がした。
それはほんの一瞬で、もしかしたら気のせいかもしれないし、お酒のせいで僅かに潤んだ彼の目が、そう錯覚させただけなのかもしれない。でもなぜか、妙に胸がざわついて。

何か、何か別の話をしなきゃ。

「え、と…あ、そう!そういえば!今年のクリスマスケーキなんですけどね!実は最初に会った時にお渡ししたケーキのスポンジを、改良したものなんですよ!」

流れ的にだいぶ不自然ではあったものの、これ以上先には踏み込んではいけないような気がして、無理やり話題を変えることにした。

「じゃあ、あれはお前が作ったものが元になってんのか」
「はい!」
「すげぇな」
「改良を加えたのはおじいちゃんなので、すごいのは私じゃないんですけどね」
「そんなことねぇよ。お前がいなかったら、今の完成形はねぇってことだろ。十分すげぇ」
「あ、ありがとうございます…」

いつも通りの淡々とした表情と、少しぶっきらぼうなその口調に、意味もなく安心する。先ほど感じた胸のざわつきも、今は感じない。

気のせい、だったのかな。




「ところで、さっきから気になってたんだが」
「はい?」
「それ、何に使うんだ?」

焦凍さんはそう言うと、私の隣に停められた自転車を不思議そうに見つめた。正確に言うと、これはここにもともとあったものではなく、私がガレージから引っ張り出してきたものだ。

「あ、これですか?焦凍さんを見送ってから、少し友達の家に行こうと思って…」
「は?」
「幼なじみの子で、今日手伝いに来てくれるはずだったんですけど、風邪で来られなくなっちゃって…その子一人暮らしなので、少し心配で…」
「お前、こんな時間に一人で行くのか?」
「自転車で5分くらいですし、様子を見たらすぐに帰りますから」

私がそう説明すると、彼はなぜか複雑そうな表情を浮かべ、先ほどのように視線を少し上に向けた。どうやらこの人は、考える時にこうするのが癖らしい。
少しすると、焦凍さんは考えが纏まったのか、再び私の方を見ると、じゃあ、と前置きしてさらに続けた。

「俺も行くから、歩きにしろ」
「え!?」
「すぐ終わるんだろ?用事終わったら、家まで一緒に戻ってやるから」
「いやいや…!いいですよ…!いつも通ってる道ですし、この時間に行くのだって別に珍しいことじゃ…」
「もう23時だぞ。なんかあったらどうすんだ」
「で、でも、焦凍さんお仕事で疲れてるでしょうし…」
「いいから。で、どっちだ。友達ん家は」
「えっと…あっちです、けど」
「じゃあ行くぞ。早くしねぇと、もっと遅くなっちまう」

最早私の意見など、焦凍さんは聞く気がないらしく、渋々指を差したその方向に身体をむけて、私に歩き出すよう促した。かっこよくて優しくて真面目な彼の、また新しい一面を見た気がする。

焦凍さんは、こうと決めたら結構頑固で、そしてちょっと強引だ。







「わざわざありがとね。来てくれて」

まだ少し頬に赤みはあるものの、ここ数日ずっと寝ていたからか、ちーちゃんは思ったよりも元気そうだった。

「今日はホントにごめん。手伝いに行けなくて」
「ううん。全然大丈夫だよ!」
「食材とかもうなかったから、助かったわ」

食材の詰まった袋を持ち上げながら、彼女は笑ってそう言った。

「ちーちゃんの好きなお菓子とかも入ってるから、元気になったら食べてね」
「ありがと。ところで、上がっていかないの?」
「う、うん。今日は、ちょっと…」
「どうかした?」
「ちょっと、下で待っててもらってて…」
「誰に?」
「え、っと…」
「………え、何。もしかして、そういうこと!?そういうことなの!?」

少しの間をおいて、風邪で少しとろんとした瞳を力いっぱい開きながら、ちーちゃんは答えに詰まる私の肩を勢いよく掴んだ。

「詳しく」
「いや、その、なんというか…成り行きで…」
「何をどうしたら、ショートが成り行きであんたをここまで送ってくれることになんのよ」
「最初は一人で来ようとしたんだけど、夜遅いから一緒に行くって…ついてきてくれて…」
「ちょっと待って。そもそも何でこんな時間まで一緒にいるわけ?ケーキ買いに来るって話じゃなかったの?」
「お店に来てくれたのが閉店後で…最初は買って帰るって言ってたんだけど、色々紆余曲折の末、ウチでご飯食べる感じになりまして…」
「ついこの間は一緒にケーキ食べて、課題まで手伝ってもらって、さらにはイヴに二人っきりとは…世のショートファンに知られたら、あんた殺されるわね」
「ふ、二人っきりじゃないよ!さっきまでおじいちゃんとおばあちゃんも一緒だったし…」
「その上親族にも顔合わせ済み、と。やるわね、あんた」
「いや、私は別に何もしてなくて…今回もおばあちゃんが、急に焦凍さんを誘ったもので…」
「あー!もっと詳しく根掘り葉掘り聞きたい!けどまぁ、それならさっさと行きなさい。寒い暑いは無縁な個性でしょうけど、外で待たせるのは申し訳ないし」
「う、うん。じゃあ、私はそろそろ行くね。お大事に」
「わざわざ来てくれてありがと。……あ、なまえ」

彼女の部屋からほんの数メートル歩いたところで名前を呼ばれ、その場で立ち止まって振り返ると、ちーちゃんはなぜか含み笑いを浮かべながら、先程と同じ場所で私を見ていた。

「なに?」
「さすがにないとは思うけど、部屋とかホテルとか誘われても、ついて行くんじゃないわよ」
「な…っ」

いくら恋愛経験がないとはいえ、その言葉の意味を理解できないほど、さすがに私も子供ではない。ほんの一瞬でも、"そういうこと"を想像してしまったせいで、火が吹き出しそうなほどに顔が熱くなる。

「そんなことあるわけないでしょ!!」
「あはは、顔真っ赤」
「早く寝なよ!!熱ぶり返すよ!!」
「はいはい」

軽くあしらうようにそう返事をすると、彼女は「じゃあ頑張って」と、何に対してなのかよく分からないエールを私に送り、部屋の中へと戻って行った。
彼女がそのドアを閉めると同時に、ひゅう、と刺すような夜風が頬を掠める。しかしたった今落とされた、先ほどの「可愛い」と同等クラスの爆弾のせいで、真っ赤になっているであろう私の頬は、それでも変わらず熱を持ったままだった。







「す、すみません…!お待たせしました…!」

マンションの外に出ると、先ほどよりもほんの少しだけ、空気が冷たくなったような気がした。

「いや、そんなに待ってねぇ。友達は大丈夫か?」
「あ、はい。思ったよりだいぶ元気そうでした」
「良かったな。……じゃあ戻るか。お前の家まで」

ほら。焦凍さんに限ってそんなこと、やっぱりあるわけないじゃない。ちーちゃんのバカばか馬鹿。

「どうかしたか?」
「え、あ、いえ!なんでもないです!」
「なんか顔赤くねぇか?寒いのか?」
「あ、赤くないです!いつも通りです!確かにちょっと、さっきより冷えるなぁとは思いましたが、いつも通りです!」
「確かに、さらに冷えてきたよな」
「ですね…マフラー巻いてくればよかった…」

何気なくそう口にした私を見て、焦凍さんは自分の首に巻いていたはずの深い灰色のマフラーを外す。まさかと思って黙ってそのまま見ていると、彼はそれを私の首元まで運び、ぐるぐるとそこへ巻き付けた。

「なんか、人に巻くのは上手く出来ねぇな」
「え、えと…」
「不格好で悪ぃが、まぁないよりはマシだろ」
「でも、それだと焦凍さんが」
「俺は自分でどうにでもなるから」

たまたま停められていた車の窓ガラスをちらりと盗み見ると、私の首元にはお世辞にも整った形とは言えない、ぐるぐる巻きにされたマフラーがある。今の今までまで彼が巻いていたからか、少しだけ残された優しい熱に、胸の奥がきゅうっとなった。

「あの、焦凍さん…」
「ん」
「なんか、すみません」
「何がだ」
「その、送って貰ったりとか、マフラー貸してもらったりとか…色々…この間も、課題手伝わせちゃったり…」
「前にも言ったが、それは全部俺から言ったことだろ。お前が気にすることはない」

本当に心から、この人はそう思っているのだろう。きっとその相手が私でなくても、この人はきっと同じように、誰かの心に足跡を残していくのだろう。
それは"いい事"なはずなのに、それがほんのちょっぴり寂しい。そんなこと、思ってはいけないのに。

「焦凍さんは、きっといつもこんな風に、沢山の人を助けてるんですね」

可愛くない皮肉であり、きっと真実。轟焦凍という人は、たぶんそういう人なのだ。

「言っておくけど、俺だって誰彼構わずって訳じゃねぇぞ」
「え?」
「さすがに毎回こんなことしてたら、自分の時間がなくなるだろ」

それは正しくその通りだ。目に映る困っている人全てに差し伸べるには、二本の手ではとても足りない。

でも、だったら。

「じゃあどうして私には、色々してくれるんですか?」

気づいた時には、口が勝手に動いていた。さっきはおじいちゃんに対して、なんてことを聞くんだと思っていたのに。ニュアンス的には同じことを聞いているようなもので、そんな質問をうっかり口に出してしまった、数秒前の自分を殴りたい。これではお互い様である。

「どうして、か」
「あ、いえ!別に理由を求めてる訳じゃなくてですね!ただ何となく聞いただけなので…!」
「なんだろうな。よく分かんねぇけど、なんか、構いたくなるっていうか。俺にもし妹がいたら、こんな感じだったのかもなって、思って」
「妹、ですか」

小さな硝子が刺さったような、ちくりとした痛みが胸を刺した。
近いといえば近いけど、それはつまり、遠回しに恋愛対象ではないと、そう言われているような気がして。
もしかしたら。いや、もしかしなくても。さっきの「可愛い」という言葉も、きっとそういう意味なんだろう。小さい子に対して可愛いと思うような、そういう感覚に近いものだったのだろう。

あ、どうしよう。どんどん落ち込んできた。




「悪ぃ。知り合ったばっかの奴にこんなこと言われても、気持ち悪いか」

ふとそう口にした彼の声に、ほんの微かな違和感を感じた。並んで歩く暗い夜道で、街灯の光がわずかにこの人の顔を照らすその瞬間を、見逃さないよう必死に目を凝らす。それからほどなくして、あの時感じた胸のざわつきは、気のせいではなかったことを思い知った。

また、あの顔。

揺れる二色の彼の瞳は、涼やかで、凛としていて、真っ直ぐで、やっぱりとても綺麗だと思った。だけどその奥に、暗くて深い水の底のような、掴みきれない何かがあるような気がして、私にはそれがなぜか、とても悲しいものに見えた。
その理由が、気にならないと言えば嘘になる。だけどそんなことよりも、今一番大切なことは、一番心で思っていることは。


ねぇ。そんな悲しそうな顔、しないで。


「い、いいえ!全然!そんなことないです!こんなお兄ちゃんなら大歓迎です!嬉しいです!!」

気づいた時には、またうっかりと口を滑らせていて、そんな自分にとても驚いた。
焦凍さんは突然大きな声を上げた私に、驚いたような顔をしながらも、落とすように笑ってくれて、私は再び胸を撫で下ろした。

「なまえは、兄弟いねぇのか」
「あ、いえ…弟がいます。結構歳が離れてますけど」
「そうか」
「焦凍さんのご兄弟は、お姉さんが一人ですか?」
「いや、兄があと……二人」
「ということは、四人兄弟の末っ子ですね」
「あぁ」
「落ち着いてるので、全然そんなふうに見えませんね」
「そういうお前も、弟がいるようには見えねぇぞ」
「そ、そんなことないですよ!しっかり者の姉です!」
「店のことと、甘いもんに関してはな」

そう言うと、焦凍さんは少しだけ意地悪な笑みを浮かべた。察するにたぶん、からかわれているのだろうけど、そんな表情ですらかっこよくて、本当にこの人はずるい。

「あの、それって、他のことはしっかりしてないみたいに聞こえるんですけど……」
「しっかりしてないというか、ちょっと抜けてるよな、なまえは。よく物落とすし」
「そ、そんなに頻繁に落としてませんよ…っ」
「あと英語苦手なくせに、外国文学の授業とったりとかな」
「そ、それは…その…」
「お前あれだろ。夜に自主練とかしてる分、大学の授業は結構適当にしてんだろ」
「う…っ」

咄嗟に上手い言い訳も思いつかず、かと言って開き直ることも出来ず、見事に図星を突かれた私は、相変わらず少し意地悪な顔をしている焦凍さんから、恥ずかしさのあまり目を逸らした。

「はは、表情筋が忙しい奴だな」
「わ、私だって、出来ることならポーカーフェイスが出来る人になりたかったですよ…」
「なんでだ?今のままの方がいいだろ」
「どうしてですか?」
「俺はお前くらいわかりやすい奴の方が好きだ」

たった二文字。しかも深い意味など持たないその言葉に過剰反応してしまう私は、なんて単純で愚かなのだろう。そこに他意なんてないことは、ちゃんと頭では分かっているのに。
しかしそんな思考とは反比例して、やはり身体は正直なもので、彼の言葉に反応した心臓は、またもバクバクとやかましく音を立て続けている。

妹だって、言ったくせに。
好きとか簡単に言わないでよ。もう。

「なまえ」
「は、はい…っ、なんでしょうか…っ!?」
「いや、もう着いたぞ。お前ん家」
「あ…」

考え事をしている間に、気づけばもう見慣れたその場所に辿り着いていた。夢中になると視野が狭くなりすぎるところは、相変わらず私の悪い癖だ。

「すみません、ちょっとぼーっとしちゃって…。あの、ありがとうございました。今日は色々…お世話になりました。あ、これお返ししますね」

私が差し出したマフラーに、伸ばされた彼の大きな手がもうすぐ触れようという、その時だった。深い灰色をした柔らかな網目に、小さな白い粒がふわりと落ちるのが見えた。

「あ」
「お」

合図もなく、二人同時に空を見上げると、漆黒の夜空に浮かぶように舞う、小さな白い粒がいくつも見えた。

「雪!雪ですよ焦凍さん!」
「あぁ。そうだな」
「すごいですね!クリスマスにちょうど降ってくるなんて…神様に感謝です!」
「神様のおかげなのか?これは」
「あれ、違いますかね…?」
「いや、分かんねぇけど」
「じゃあ、あれです。サンタさんからのプレゼントということで!」
「大人がサンタからプレゼント貰っていいのか」
「いいんです。今日一日頑張って働いたので、ご褒美です」
「俺は別にいいけど、随分謙虚なご褒美だな」
「そんなことないですよ」

好きな人とイブを過ごして、同じ景色を一緒に見て。これをご褒美と呼ばずして、他に何と呼ぶのだろう。

「なぁ」
「はい?」
「さっき、言いそびれたんだが」
「なんでしょう?」
「こっちこそ、色々ありがとな」
「え?」
「正直言うと、別にクリスマスに特別な思い入れもねぇんだが」

私から受け取ったマフラーを自分の首に巻きながら、申し訳なさそうにそう口にした後、焦凍さんは私の方を見て、ふ、と小さく笑ってみせた。

「でも今日は、お前のお陰で楽しかった」

あぁもう。困った人だな。

この人はどれだけ、私を好きにさせれば気が済むんだろう。こうしてあなたが笑ってくれるだけで、他にはなんにも要らないなんて、本気でそう思ってしまいそうになる。

「私も……焦凍さん、いたから、楽しかった、です」

力はなく、辿々しく、まるで小さな子供のよう。私がもっと大人だったなら、経験があったなら、もっと綺麗にかっこよく、笑って同じことを言えたのだろうか。
そんな私の粗末な言葉に、「そうか」ともう一度小さく笑う彼は、やっぱりとても大人っぽくて、かっこよくて。嬉しい気持ちとは裏腹に、あぁやっぱりこれは不毛な恋なのかなと、胸がちくりとまた痛んだ。

「あ」

唐突に聞こえた小さな声にハッとすると、いつの間にか焦凍さんは自分のスマホを取り出していて、手元に視線を落としていた。

「どうかしたんですか?」
「日付、変わった」

何となくポケットから同じようにスマホを取り出し、ディスプレイを点けてみると、彼が言っていた通り、いつの間にか日付が12月25日に変わっていた。

「あ…ホントだ…25日になってる…」
「メリークリスマス、だな」
「そうですね…って、え!?」
「……その顔はなんだ」

思わず大きな声を出すと、焦凍さんはそのボリュームよりも、私の表情に思うところがあったらしく、珍しく眉を潜めながらそう尋ねた。

「いや、その…すみません。そういうセリフは言わなそうなので…思わずびっくりしてしまいました…」
「お前は俺をどんな奴だと思ってるんだ」
「クールな人だなぁ、って」
「そんなに冷たく見えてんのか、俺は」
「ち、違いますよ!そっちではなく、すごくかっこいいって意味ですよ!」

しまった。またやらかした。勢い任せで口走るのは、一体これで今日何度目だ。今日は失言が多すぎる。
「かっこいい」なんて言葉は、きっと言われ慣れているからだろうか。いつもと同じく表情の変わらない焦凍さんに、今日も今日とて、私の方が居た堪れない。

もうやだ。この口誰か縫い合わせて欲しい。

「あ、いや、その…と、とにかくですね、悪い意味でそう言ってるわけじゃなくて、むしろその逆で…いい意味で言ってるだけなので、えっと…」

必死に言い訳を並べていると、彼は何を思ったのか、その場で勢いよく吹き出すように笑ってみせた。今の言葉のどこに面白い要素があったのか、自分では全く分からないけれど。

「あ、あの…」
「悪ぃ。ちょっとからかうつもりで、言っただけなんだけどな」
「え?」
「分かってるよ。お前が悪い意味で言ってないことくらい」

焦凍さんは優しくて、かっこよくて、真面目で、でも時々ちょっぴり強引で。それからほんの少しだけ、私に対して意地悪を言ったりする。
こうしてひとつずつ、彼のことを知るその瞬間が、私はとても嬉しい。

「あの、焦凍さん」
「ん」
「メリークリスマス、ですね」
「おう」




彼とその夜見た雪は、知らないうちに止んでいたようで、翌朝部屋のカーテンを開けると、そこにはいつもの景色があった。最初は少しがっかりしたけど、記憶の中だけに残るその光景は、私と彼しか知らないものだ。
まるで二人だけの秘密が出来たみたいと、そんな勝手なことを思いながら、遠くで私を呼ぶ声に煽られて、少し足早に部屋を出た。


−−−−−−−−−−

2021.09.22

BACKTOP