恋の神様の言うとおり


「あ、ちーちゃん!こっちこっち!」

白い息を吐きながら、足早に歩く幼なじみに、そう言いながら手を振った。

「寒い中待たせてごめん。結構待った?」
「ううん。ちょっと前に来たところだから平気だよ。あ、改めまして、明けましておめでとう!」
「おめでと。今年も宜しくね」
「こちらこそ、今年もお世話になります。主に学業面で…」
「はいはい。参拝列の人すごいから、先にお守り買いに行きましょ。今年も買うでしょ?」
「うん」

こうして彼女と2人で、実家近くの神社に初詣に来るのは、今年でちょうど10回目だ。普段は人通りの少ないこの場所も、今日は随分と賑わいをみせている。

「あ、そうだ。忘れないうちに渡しとくわね。はい、これ」

手渡された紙の重みに、早くも音を上げてしまいそうになった。いや、そんな贅沢を言える立場ではないんだけども。

「こ、これ全部…?」
「感謝しなさいよ。わざわざコピーまでとってあげたんだから」
「1教科写すのに2時間かかるとして…7科目だから…写すだけで14時間か…」
「ついでに言うと、そのうち4科目は持ち込み不可だから、内容も多少頭に入れとかないと詰むわよ」
「う…っ」

少し先の話にはなるが、年明けムードが薄れていくと、私たち学生にとって、特に私にとっては、最大の難関が待ち構えている。期末テストという名の、最大の難関が。

「なんでこの世には、テストなんてものがあるんだろう…」
「現実逃避してないで、帰ったらすぐにやりなさいよね。あんたがちゃんと単位を取らないと、おばさん達に合わす顔がないじゃないの」
「はーい…」

他人の労力を盗んでいる自覚はあり、だいぶ罪悪感にかられるものの、普段の授業でどうしても睡魔に抗えない私は、毎度こうして幼なじみの完璧すぎるノート(正確にはそのコピー)にお世話になっている。
年度末のテストは基本的には後期の内容から出題されるものが多いが、科目によっては年間を通した全ての講義内容から出題されるものもあるため、前期のテストより厄介なのである。




「にしても、毎年律儀よねぇ」
「何が?」
「それよそれ。健康祈願のお守り。おじいさんたちに毎年買ってるじゃない」

私が持つ、神社の紋と名前のついた紙袋を指さしながら、ちーちゃんは笑ってそう言った。
特に有名な神様が祀られているわけでもないのだが、ここで健康祈願のお守りを買って祖父母にプレゼントするのが、いつの間にか毎年の恒例となっていた。

「2人には、やっぱり元気でいて欲しいから」
「そうね。それは私も同感だわ」
「あ、古いやつあとで返しに行くから、付き合ってもらっていい?」
「了解。……ところでなまえ」
「なに?」
「なんで袋が3つあんの?」

彼女のその指摘に、思わず肩がぴくりと震えた。成績優秀な私の幼なじみは、観察眼もかなりのものだ。

「あんた、自分にお守り買ったりとかしないわよね。他に誰かあげる人でもいるの?」

知ってたけど、相変わらずなんという鋭さ…。

「え、えっと…これは、その…」
「……あぁ、なるほどね」

返事を濁す私を見て、ちーちゃんはその理由にピンときたのか、にやにやと顔を緩ませながら、納得したようにそう呟いた。そしておそらく彼女の推測は、十中八九当たっていることだろう。

「ホントに好きなのね。疑ってたわけじゃないけど」

完全にバレている。まぁ、私が彼女に隠し事なんて、来世になっても出来るかどうか、甚だ疑わしいが。

「誕生日プレゼント的な?確か同じ1月生まれとか言ってたわよね」
「誕生日もまぁ、なくはないけど…それは割とどっちでも良くて…色々危険なこともある仕事だから…」
「あら、健気ね〜」
「そ、それに、和風なもの好きだってネットで見たし、お守りなら場所も取らないし、こないだレポートも手伝ってもらったからそのお礼もしたかったし、それに」
「必死か。可愛いわねちくしょう」

相変わらず緩んだ顔でそう言うと、ちーちゃんは私の頭に軽くチョップを食らわせた。その華奢な身体から繰り出される一発は、毎回結構地味に痛い。

「好きな人にお守りって、なかなか古風なチョイスよね」
「へ、変かな…?」
「そんなことないわよ。意図が分かりやすいし、下手に趣味の合わない小物とか貰うより、あたしは全然いいわ」
「まぁ、いつ渡せるかは、わかんないけど…」
「そんなの、連絡して予定聞けばいいじゃない」
「いや、連絡先知らないし…」
「は!?まだ連絡先も聞いてないわけ!?」

ちーちゃんは勢いよく私の両肩を掴むと、その綺麗な顔を歪ませて、私の方にぐっと近づいた。
突然上がった大きな声に、周囲の人の視線がこちらに集まっていたが、彼女はそんなことを気にも留めることはなく、そのまま私の肩を激しく揺らしてみせた。

「ち、ちーちゃん、酔う…酔うから…」
「いくらでも連絡先聞くチャンスあったでしょ!?何やってんのよ!」
「だ、だって…焦凍さんを目の前にすると、緊張してそれどころじゃないんだもん…話すだけでいっぱいいっぱいで…」
「このおバカ!!」

ちーちゃんはそう言うと、私の頭をこつん、と軽く叩いてから、それはそれは深いため息をついた。しつこいようだが、彼女の打撃は毎回なかなか痛い。

「……あんた、自分がとんでもないラッキーガールなの分かってんの?」
「え…」
「ショートを好きな女が、この世に何人いると思ってんのよ」
「うっ」

頭の中では理解しているものの、改めて突きつけられたその現実に、胸が不穏な音を立てた。

「偶然知り合えただけでもすごいのに、働いてる店にわざわざ来てくれたり、クリスマス一緒に過ごしたり、あんた相当とんでもないことしてんのよ?」
「そ、それは…そうだけど…」
「いーい?恋の神様だって、そう何度も都合よくチャンスを与えてくれるわけじゃないんだから、もっとしっかりしなさいよ」
「す、すみません…」

何ひとつ、返す言葉が見つからない。
彼を好きだと思っている人は沢山いて、その人たちは全員、恋を張り合う相手なのだ。そんな大混戦の土俵の上で、彼自身に近づくことすら出来ない人もいるというのに、私はなんて下手くそで、勿体ないことをしているのだろう。

「まぁ、そういうバカなとこ、あたしは結構好きだけどね」
「褒められてるのか、貶されているのか…」
「褒めてる褒めてる」
「分かりづらいよ…!」
「となると、次に会えそうなのはバレンタインか…来てくれるって言ってたのよね?」
「うーん…どうだろう…バレンタインのレシピが採用されたら食べてくれるって、言ってただけだから…」
「大丈夫大丈夫。話を聞く限り、アホみたいに律儀だから、きっと来てくれるわよ」
「あ、アホって…そんな言い方…」

言い方はだいぶ酷いものだが、確かに言われてみれば、焦凍さんは約束通り店にケーキを食べに来てくれたし、約束は出来ないと言っていたのに、クリスマスの時も来てくれた。自分でこうすると言ったことには、ちゃんと責任を持ちたいタイプなのだと、言葉の端々からも感じられることがある。

だとしても、次に会えるのは1ヶ月以上先ってことになるのか…長いなぁ…。




「ま。あんたはその前に、期末テストっていうそれなりの壁を超えていかなきゃだけどねー」

彼との再会に夢を馳せていたのも束の間、残酷な言葉が耳に届き、一気に現実に引き戻された。

「ちーちゃんひどいよ…忘れてたのに…」
「いや、忘れてんじゃないわよ」

正論すぎるツッコミを入れると、彼女は私の頭めがけて、二度目のチョップをお見舞してみせた。







「つ、疲れた…」

外に出ると、もう既に空は暗くなり始めていて、改めてこの季節の日の短さを感じた。
来週からテストということと、もともと祖父母がちょうど同じタイミングで旅行に行くことになっていたため、今週いっぱいはバイトを休みにしてもらい、ちーちゃんに借りたノートを写すため、午後に授業が入っていない日は、こうして図書館に足を運んでいた。

とりあえず、ノートは全部写し終わったから、あとは内容を頭に入れないと。

しかしながら、普段全く勉強などしない人間がそんなことをしているせいか、昨日から身体が妙に重く、少し頭がふらふらする。
もしもこんなことを両親の前で口にしようものなら、学生のくせに何を言ってるんだと、一喝されることは間違いないだろう。

それにしても、やっぱりなんか、変だな…。

睡眠はそれなりにとっているはずなのに、やはりどうにも調子が悪い。どこかが痛いとか、熱がありそうとかではなく、言葉で言い表すのなら、全体的に身体に力が入らない。そんな感覚だ。

帰ったら、ちょっとだけ寝よう。

そんなことを考えながら、帰り道の公園を一人歩いていると、不意に後ろから誰かに肩を叩かれた。
誰だろう。早く帰りたいのに。そう思いながらも、後ろをそっと振り向くと、始めに深い青色が視界に飛び込み、目の前が少しだけチカチカした。




「お、やっぱりなまえだった。ふらふらしてるけど、大丈夫か?」

その低い声に、視線を少し上にずらすと、次に私の目に飛び込んできたのは、赤と白の色鮮やかな髪だった。その色の組み合わせを見て、なんだかフランスの国旗みたいだな、と、なんとも失礼なことを考えてしまった。

「焦凍さん…こんにちは…」

あれ、なんでだろう。妙に落ち着いて話してる。目の前に焦凍さんがいるのに、今日はいつもみたいにテンパってない。

「おい急になんなんだよ…って、この子誰?轟の知り合い?」
「あぁ。ちょっとな」

焦凍さんの後ろから、今度は綺麗な金色の頭がひょっこりと現れた。前髪の一部だけに独特の黒いメッシュが入っていて、焦凍さんとは対照的に、表情が溌剌とした感じの男の人だ。

焦凍さんと一緒にいるってことは、この人もヒーローなのかな…。




「調子、悪いのか?」

ぼんやりとそんなことを考えていると、焦凍さんは少し屈んで、私の顔を覗き込んだ。相変わらず綺麗なその顔にドキドキするも、なぜかいつものように身体が強ばらない。

「大丈夫です…」
「いや、大丈夫っていう顔じゃねぇぞ。それ」
「ちょっと休ませてやった方がいいんじゃね?たしかあっちに座るとこが…」

金髪の彼が指差す先に顔を向けると同時に、視界がぐにゃりと曲がる。歪んだ視界に足がふらついて、咄嗟にその場にしゃがみこむと、かなり焦った様子の低い声が二つ、頭の上から聞こえてきた。

「おい…っ、本当に大丈夫か!?」
「びょ、病院…!いや、救急車の方がいいか!?」

なぜその時それを思い出したのかは、自分でもよく分からない。しかし私は確信した。自分の身体の不調の、その明確な理由に気づいたのだ。

「お…」
「「お?」」

あぁ、そっか。だから具合悪かったんだ。




「お腹、空きました…」

最後にご飯を食べたのが、もう3日も前であることを、私はその時ようやく思い出したのであった。







「本当に、ご迷惑をおかけしました…!」

ファミレスのテーブルに両手をつけて頭を下げると、焦凍さんの深いため息が聞こえてきた。

「……とりあえず、病気とかじゃなくて良かった」
「だな!良かった良かった!」

対照的な表情を浮かべながらも、その心中は同じようで、向かい側に座る二人は、私に向かってそう声をかけた。
時折二人に心配されながらも、何とかこの店まで自分で歩き、3日ぶりにきちんとしたものを口にしたことで、だいぶ身体の調子が戻ってきた。

「は、はい…ありがとうございました…。あの、お仕事は…」
「へーきへーき!俺ら今ちょうど休憩だし、そもそも人助けが俺らのオシゴトだかんね」
「そういうことだ。だから気にしなくていい」

空腹で倒れるだなんて、それだけでもだいぶ間抜けな有様なのに、それを好きな人に見られた上、ご飯まで食べさせてもらっているこの状況。もはや恥ずかしいを通り越して、泣きたくなってくる。

「しかしお前、何であんなになるまで、飯食ってなかったんだ」
「その…来週テストなので、ここ数日追い込みしてたんですけど…早く終わらせたいあまり、ご飯食べるのを忘れちゃってて…」
「ぶは…っ、集中力すげぇな!」
「おじいさん達に、何も言われなかったのか?」
「ちょうど二人とも、近所の人と温泉に行ってまして…」
「いいね温泉!俺も行きてー!」

そう声を上げる金髪の人を、焦凍さんがじとりと見ると、そんな怖い顔するなよと言いたげな様子で、彼は軽く両肩を揺らした。

「まぁ事情は分かったが…お前それで倒れてたら、本末転倒だろ」
「す、すみません…」
「まぁまぁ、そう言うなって轟!そんだけ集中力あるってすげぇじゃん!な、なまえちゃん!」
「は、はい……えっと…?」
「あ、もしかして、俺のこと知らない感じ?」
「すみません…私、ヒーローにあんまり詳しくなくて…」

縋るように焦凍さんの方を見ると、彼は私の意図を汲み取ったのか、ふっと軽く笑いながら、金髪の人に向かって手を出した。

「俺と同期の、上鳴電気」
「ヒーロー名はチャージズマね。よろしく」
「はい…あの、よろしく、お願いします…」

顔は認識していなかったが、そのヒーロー名には、覚えがあった。
焦凍さんがプロヒーローだと初めて知った日、彼に関するネットの記事を見た時に、その名前を目にした記憶がある。確か同じ雄英高校出身の、放電の個性を持つプロヒーローだった気がする。

「でもそっか。俺のこと知らねぇかぁ…俺もまだまだってことだな」
「あ、いえ…本当に、私がただ疎いだけなので…。焦凍さんがヒーローだってことも、最初は知らなかったですし…」
「そういや、そうだったな」
「マジ!?ショートを知らねぇ女子大生なんて、日本に存在すんの!?」

驚いたように見開いた目で私を見ながら、店内に響くほどの大声で、上鳴さんはそう叫んだ。普段聞かないそのボリュームに、身体が自然に跳ね上がり、それを見ていた焦凍さんは、再び彼をじとりと見つめた。

「上鳴、急にでかい声出すな。怖がるだろ」
「わ、悪ぃ…そんなつもりはなかったんだけどさ…ごめんなまえちゃん、怖かった?」
「い、いえ、びっくりしただけなので、大丈夫です」
「ごめんな。自分で言うのもなんだけど、繊細な気遣いとか苦手なもんで…」

申し訳ないと言いながら頭を搔く彼に、むしろ私は好感をもった。焦凍さんの同期だから、ということもあるだろうが、屈託のなさそうなその表情から、とても良い人そうな印象を受けた。

「ほんでさ、二人はどういう経緯で知り合ったわけ?」

ドリンクバーのストローを口に咥えながら、上鳴さんは焦凍さんの方を見て、妥当な疑問を口にしてみせた。

「まぁ、色々あって」
「あ。今お前、面倒だからって適当にしただろ!」
「お前に話すと、他の連中に言いふらすだろ」
「そんなことしねぇって!せいぜい瀬呂と切島と爆豪と、あとは緑谷と飯田に話すくらいだって!」
「いや、十分言いふらしてんだろ。それ」
「てへ。バレた?」

歳が6つも離れているからか、私と話をしている時の彼は、すごく大人っぽく感じるのに、今目の前にいる焦凍さんは、いつもより少しだけ幼く見える。
上鳴さんのことは同期と言っていたが、二人が纏っている空気から、プライベートでも仲が良さそうなことが伺えて、同期というより、たぶん友達と呼ぶ方が、雰囲気的には合っているような気がした。

なんか、こういう焦凍さんもいいなぁ…。

「なまえ」
「は、はい…!?」

咄嗟に名前を呼ばれ、勢いよく肩をビクつかせると、焦凍さんは目を丸くさせ、上鳴さんは吹き出したように笑ってみせた。

「ぶふっ…!お前だって、めっちゃビビられてんじゃん!」
「お前と一緒にするな。…で、なまえはもう家に帰るのか?」
「はい…そのつもりですけど…」
「帰りは電車か?」
「いえ、バスで…」
「分かった。上鳴、俺は事務所に戻るついでに、こいつバス停まで送って行くから」
「え!?」
「あー、確かにもう暗いしな。じゃあここで解散ってことで。会計は俺やっとくわ」
「助かる」
「い、いや、そんな…お仕事中ですし、一人で帰れますから…」
「事務所に戻るついでだ。気にするな」
「こいつすっげぇ強いから、もし変な奴に絡まれても、瞬殺してくれるぜ!」

間違いなくかっこいいだろうし、それはちょっとだけ見てみたいような気もするが、散々迷惑をかけておいて、さらに送って貰うというのは、嬉しいよりも申し訳ない気持ちの方が勝ってしまい、素直にそれを喜べない自分がいる。

「でも…」
「いいから。ほら行くぞ」

そんな私の心情はお構いなしに、焦凍さんはその場にすっと立ち上がって、早くしろと言わんばかりに私を見下ろした。

「じゃあまたね。なまえちゃん」

彼の隣にいた上鳴さんは、そんな焦凍さんに何も言うことはなく、ひらひらと軽く手を振りながら、にっこりと笑って私たちを見送った。







「さっき、大丈夫だったか?」

店を出て少し歩くと、彼は不意にそんなことを口にした。

「え?」
「初対面の奴と話すの、苦手って言ってたろ。きつくなかったか?」

その質問の意図を理解し、心がぽっと暖かくなる。私が前に話したことを覚えてくれていたことが、素直にとても嬉しい。

「は、はい。大丈夫です。むしろすみません、私がちゃんと出来なくて…上鳴さんに気を遣わせてしまった気がします…」
「そういうこと気にするタイプじゃねぇよ。あいつは」
「だといいんですけど…」
「テンション高ぇからびっくりしたと思うけど、明るくて裏表がない奴だから、大丈夫」
「はい。面白くて良い人だなって思いました」
「なら良かった」

やっぱり仲良しなんだな、上鳴さんと。

上鳴さんの口から、他にも何人か名前が出てきていたが、よく一緒にいるメンバーなのだろうか。
おそらくヒーロー仲間だろうから、その人たちが集まる様子は、きっとヒーローファンにとってみたら、かなりの絵面になるんだろうなと、そんなことを思った。

「そういや、年が明けてから会うのは初めてだな」
「あ、ですね…。今さらになりますが、明けましておめでとうございます」
「あぁ。おめでとう」
「焦凍さんは、お正月どんなふうに過ごされたんですか?」
「クリスマスとあんま変わんねぇな。正月はあちこち混むだろ。その警備とかを中心に色々やってて…気づいたら終わってた」
「忙しいんですね…やっぱり…じゃあ初詣とかもまだですか?」
「いや、それはさっき行った」
「"さっき"、ですか?」
「上鳴が急に『行こう』って言い出して、パトロール中に付き合わされた」
「あはは、なるほど」

確かに上鳴さんなら、そういうことを言いそうだなと、失礼ながら妙に納得してしまう。
しかしそれからほどなくして、今再びとんでもない幸運が自分の身に降り注いでいることに気づき、穏やかな心に荒波が立ち始めた。

「まぁ、賽銭入れて拝んだだけだけどな」

肩にかけた鞄の取っ手を掴む手に、汗が滲んでいるのが分かる。いつ会えるか分からないからと、常に持ち歩いていたそれを渡すタイミングとして、これ以上のものがあるだろうか。特に意図していなかったが、自然に初詣の話題を出した自分を、今だけ褒め讃えたい。

今、なら───

「あ、あの…っ」

咄嗟に声を上げると、前を見ながら話をしていた焦凍さんが、立ち止まって私の方へ顔を向けた。

「どうした?」
「え、えっと…その…」

顔を見るのが恥ずかしくて、俯きがちに視線を落とすと、彼の右手に茶色い紙袋がぶらさがっているのが見えた。

「そ、その紙袋って……何入ってるんですか…?」
「は?」

あぁもうバカ。私のバカ。意気地なし。

誰かがこの様子をどこかで見ていたならば、これだから恋愛経験のない奴は、と呆れて笑ってしまう場面だろう。

「す、すみません…答えたくなかったらいいです…」
「開けてねぇから、何が入ってるかは知らねぇが、全部貰いもんだ」

"貰いもの"。焦凍さんはそういう言い方をしたが、その贈り物の趣旨が、私と同じであることは、容易に想像がついた。そう口にした彼の手にある紙袋をもう一度よく見ると、可愛らしくラッピングされた沢山のプレゼントが入っていて、そんな権利なんてないのに、無意味に胸がずきんと痛んだ。

「お誕生日、近いですもんね」
「もうそんな大して祝う歳でもねぇと思うけどな」
「そんなことないですよ」

やっぱり、すごくモテるんだ。この人。
知ってたけど。

本当に今さらだな、と自分のバカさ加減に呆れてしまう。そしてあんなに綺麗にラッピングされたものを受け取っている彼に、色気も工夫もない袋に入ったそれを渡すことに、ものすごく抵抗を感じてしまった。

「でも、そんなにたくさんプレゼントが貰えるなんて、いいですね!私なんて、せいぜい数個貰えるくらいなので、羨ましいですよ!」

嘘。そんなこと、ほんとはこれっぽっちも思ってない。
あぁ、やだな。こんなこと思うなんて、嫌な女。

「案外そうでもねぇぞ」

精一杯の強がりで放った私の言葉を、焦凍さんはさらりと否定した。

「そ、そうなんですか…?」
「いや、言い方が悪かったな。ありがたいことに変わりはねぇんだが…こういうもんは、事務所で全部検品しなきゃなんねぇから、手間かかるんだ。毎年事務員が結構大変そうにしてるから、ちょっと申し訳なくてな…」
「あぁ、そういう…」

安全上、ということなのだろう。確かにドラマや映画なんかで、プレゼントを装って爆弾が、みたいなシーンは時折目にするし、そういうことを警戒するのは、有名人なら尚更だ。

「全部持って帰ることも出来ねぇから、大体は事務所にそのまま置いとくことになって、それも申し訳ねぇなって思うし」
「そうなんですか…」

ただ意気地なしなだけではあるが、結果的に私の行動は、ある意味正解だったのかもしれない。受け取ることに申し訳なさを感じさせてしまうくらいなら、きっと渡さない方がいいのだろう。




「ところで、バスはどれに乗って帰るか分かるか?」

気づいた時にはバスロータリーの付近まで来ていて、いくつかあるバス停を見回しながら、焦凍さんは私にそう尋ねた。
この人は、私のことを小さな子供か何かだと思っているのだうか。

「はい。大丈夫です。ありがとうございました」
「あとこれ、大したもんじゃねぇけど」

焦凍さんはそういうと、自分の服のポケットから、小さな白い紙袋を取り出した。少しシワになってはいるが、真新しいその袋は、どこかで見たような色と形をしている。

「あの、これは…?」
「さっき買った。お前にやる」

受け取った袋にそっと手を入れて、その中身についていた紐状のものをつまみ上げると、袋と同じく白いお守りが現れた。
普通のサイズより小ぶりで、ころんと丸みを帯びた可愛らしい形のそれには、小さく"合格祈願"の文字が書かれている。

「可愛い…」
「他にも色々あったけど、それが一番売れてるらしくて、それにした」
「あ、あの…合格祈願っていうのは…」
「もともとは、バレンタインのやつが採用されるといいなっていう意味だったんだが、来週テストって言ってたし、ついでにそっちも祈っとけ」
「あ、なるほど…だから合格祈願ですか…」
「あと過ぎちまったけど、誕生日も兼ねてる」

どうしよう。泣きそう。

バレンタインの話を覚えてくれていたことも、私にお守りを買ってくれたことも、誕生日を覚えてくれていたことも、全部、全部嬉しくて泣きそうだ。
私の知らない時間の中で、彼が私を思い出してくれたことが、とても嬉しい。

「あ、りがとう、ございます…」
「おう。じゃあ、気をつけて帰れよ」

途切れ途切れにお礼を言うと、彼は淡々とした顔でそう言って、踵を返して歩き出す。小さくなっていく彼の背中に、一度は捨てたその勇気を、もう一度出してみたくなった。

「しっかりしろ」って言われたじゃない。
今頑張らなくて、一体いつ頑張るの。

「あ、あの…っ、焦凍さん!」

走ってそう声をかけると、彼は静かに後ろを振り返って、不思議そうに私の顔を見た。

「どうした?」
「こ、これ、を…」

恐る恐るそれを差し出すと、焦凍さんは受け取った袋の中身を、躊躇うことなく取り出してみせる。しばらくずっと鞄の中で眠っていたものを、ようやく彼に渡すことが出来た。

「これは…」
「あの、私もこの間初詣に行った時に、買って…その、お誕生日…と、前に課題を手伝っていただいたお礼に…」
「いいのか?」
「ご迷惑で、なければ……あっ、怪しい細工とかはしてませんが、一応検品していただいて…!」
「そんなことしねぇよ」
「え…」
「お前がくれるもんに、そんなことする必要ねぇだろ」

この人は、やっぱりずるい。

彼の言葉は、いつも私を簡単に傷つけて、だけどいとも簡単に、私の心を何度も奪っていくのだ。

「ありがとな。大事にする」

いつものように、その手をぽん、と私の頭に軽く乗せながら、彼は小さく笑ってみせる。その一挙一動に、私の心拍がとんでもないことになっていることを、この人に知って欲しいけど、知って欲しくない。

「じゃあ今度こそ、気をつけて帰れよ。あと勉強するのはいいが、飯はちゃんと食え」
「は、はい…」

じゃあな、と言いながら、再び私に背を向けて、もう一度彼は歩き出した。彼の姿が見えなくなったあと、目的のバス停にバスが近づいているのが見えて、急いでバス停へと走って向かうと、彼から受け取ったその袋から、小さな鈴の音が聞こえて、胸の奥が擽ったくなる。そして何とか無事にバス停にたどり着いてから、絶対なくさないようにと、鞄の奥にそれをしまい込んだ。

「……あ」

しかし私はバスに乗る直前で、ある重大なミスに気づいてしまった。

「連絡先、また聞きそびれちゃった…」

思わずそう口にすると、前に並んでいた初老の女性が、不思議そうにこちらを振り返る。気まずさのあまり視線を泳がす私に、ただにっこりと笑ってみせると、彼女は何事もなかったかのようにバスへと乗り込んだ。
少しの気まずさと後悔と、比べ物にならない嬉しさを抱えて、続けてバスに乗り込むと、滲んだような細い三日月が、窓の外に浮かんで見えた。


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2021.10.15

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