結局は惚れたもん負け


「遅いなぁ、もう」

待ち合わせは夜の19時だったはず。スマホの画面を見ると、そろそろ20時半を過ぎる。しかし私は驚くことなく、2冊目の文庫本を取り出した。今まで読んでいた本は少しイマイチだったので、こちらの内容には期待したいところ。
今日は急患もなく、当直もなく、せっかく早く帰れたというのに、全く彼ときたら困ったものだ。今頃どこの誰を助けていることやら。

プロヒーロー”ショート”、もとい、轟焦凍と付き合うようになって、早2年。彼との出会いは、今や人気ヒーロー”デク”となった中学の時の同級生である緑谷くんと、街中で再会した時の事だった。






『みょうじさん、久しぶりだね』
『緑谷くんも!今やすごい人気ヒーローになってて凄いよね、こないだCM観たよ〜』
『な、なんか昔の知り合いに見られると恥ずかしいね…』
『そんなことないよ〜、カッコ良かったよ!隣の方もよくCMに出てるよね?私ヒーローはあんまり詳しくないんだけど、雑誌とかで何度か…』
『あ、うん!彼はショート。えっと、実は高校の同級生なんだ』

特徴的な髪色、色違いの綺麗な目、端正な顔立ち。スラッとしているのに鍛えられていることがひと目でわかる身体つき。雑誌の表紙を飾るのも頷ける人だなぁと思ったのを、今でもよく覚えている。

『ショートくん、この人は中学の時の同級生のみょうじさん。お医者さんなんだよ』
『どうも』
『あ、こちらこそ…初めまして』

彼らは街中をパトロールしている最中だったそうで、その時に緑谷くんの隣にいたのが、焦凍だった。
緑谷くんと話をしたのはたった10分足らずだったと思うが、その日の夜、急にまた緑谷くんから電話があり、私の連絡先を彼に教えていいか?と尋ねられた。突然のことに戸惑ったが、当時誰かと付き合っていたわけでもないし、断ってしまって緑谷くんとショートさんの関係を悪くするのは良くないだろうと思い、承諾した。

それから2日ほど経った頃だったと思う。急に知らない番号から電話がかかってきて、もしかして、と思い電話に出ると、その予感は的中した。

『みょうじです』
“…先日お会いした、ショートです”
『あ、はい。知らない番号なので、そうだと思いました。』
“突然すみません。今平気ですか?”
『大丈夫です…それと、緑谷くんの同級生ということは、同い年になるわけですし、敬語じゃなくてもいいかなと思いますが…どうでしょうか?』
“…お、じゃあそうさせてもらう”
『ふふ、切り替え早いですね』
“お前も敬語じゃなくていいぞ”
『あ、うん…えっと、ショート…さん?と呼べばいいのかな?それともショートくん?あ、でもヒーロー名で呼ばない方がいいのかな…』
“どっちでもいいぞ。本名もどの道同じだしな”
『えっ?そうなの?ショートくん、本名は…』
“緑谷から聞いてなかったのか。轟焦凍だ”
『本当に同じなのね。緑谷くんみたいに違う名前かと…』
“そっちの方が多いけどな”
『そう…それで、聴きそびれちゃったけど、用件はなんでしょうか?』

私がそう尋ねると、”単刀直入に聞くが”と前置きを置いて彼が続ける。

“お前今付き合ってる奴、いないんだよな?”
『まぁ、そうだね…いませんね…残念ながら』
“じゃあ俺と付き合ってくれ”






当然始めは断った。初対面で、しかも特に話が弾んだわけでもなく、会話と言えば、”どうも”、”初めまして”、くらいで、悪印象というわけではなかったが、交際を即決できるほど好印象を持ったというわけでもなかった。何より、彼のことを私はほとんど知らなかったからだ。
しかし、それ以降も焦凍からは何かと電話やメッセージが届き、割りと強引にデートの約束を取り付けられ、2人で出かけることも増えた。しかも会う度に恥ずかしがることもなく、可愛いだの好きだのと甘い言葉を浴びせてくるし、平然と口説いてくる始末で、気づけばいつの間にか彼を好きになってしまっていた。出会ってから2ヶ月後、彼曰く17回目の正直で、正式に焦凍とお付き合いをすることになったのだった。

プロヒーローは聞いていた以上に大変な仕事だった。事件がいつ起こるかは予知能力でもない限り分からないので、彼の仕事は急に舞い込んでくるものも多く、付き合ってから2年経つが、予定が予定通りに進んだ試しはほとんどないような状態だった。寂しくないと言えば嘘になるが、テレビや雑誌で彼の活躍が取り上げられるたびに誇らしかったし、忙しくても電話やメッセージは欠かさずくれている焦凍へ、気持ちが冷めていくことはなかった。

「それにしても、流石に今日は長いなぁ…連絡もないし」

唯一の不安があるとすれば、職種上、戦闘になることも少なくない彼から連絡が途絶えると、何かあったのではないかと心配になってしまうことだ。戦闘中に呑気に電話やメールをしている暇などないので仕方がないことだが、いつだったか血だらけの焦凍が突然マンションにやってきたことがあり、結果的にそれは彼の血液ではなかったけど、あれほど肝が冷えたことはなかった。

「電話してみようかな…いやでも任務中だとどうせ出ないしな…」

2冊目の本もどうやらあまり期待できる内容ではなさそうだ。さてどうしたものか。







「遅い…」

スマホを見るともうすぐ22時だ。いくらなんでも遅すぎる。怪我でもしたのだろうか。どうしよう、もっとひどいことになっていたりしたら。
今まで無事だったことがむしろすごいことで、ヒーローという職業は、いつも生死と隣り合わせだ。そして人の命は、不条理に、ある日突然失われていくことを、仕事上私はよく知っている。人の死を毎日のように見ている仕事をしているのに、もし焦凍に何かあったらと思うと不安で怖くて堪らない。

「とりあえず、一度電話して……」

涙目になりながらもそう思って、スマホをもう一度ポケットから取り出した時だった。

「悪ぃ……遅く、なった」

勢いよく肩を掴まれ、振り向くとずっと待っていた顔があった。少し服が乱れているが、怪我などもしていないようだ。それは良かったが、気になることが一つある。

「焦凍……何で後ろにあんなに女の子がいるのかな?」
「急いでて変装しなかった、から」

わかる。わかるよ。私と約束していたのに、急に仕事に駆り出され、そしてこんな時間になってしまったわけで、急いで行こうと事務所を出てきてくれたことはわかる。変装なしにプロヒーローのショートがうろうろしていれば、そりゃあこうなるよね。

「頼む、なまえ」
「もう…はい!手出して!見えなくするから!」
「助かる」

差し出された焦凍の手に私の手が触れると、彼の姿は見えなくなる。”ショート”を追いかけていた女の子たちは、私のことには目もくれず、彼がいないのを確認すると、散り散りにどこかへ行ってしまった。これは私の個性によるものだ。
個性を発動している状態であれば、触れたものを私以外の人間から見えないようにする力。あまり日常生活で使うことはないけど、焦凍と付き合うようになってからはよく使うようになった気がする。

「はぁ、良かった気づかれなくて」
「悪ぃ」
「悪いと思ってないでしょ!?」
「そんなことねぇ。遅れて悪いと思ってる」
「プロヒーローなんだからあれくらい撒けるようになりなよ!」
「撒こうと思えば撒けるが」
「だったらやってください」
「お前の個性、好きなんだ。お前にしか見えない俺っていうのが、なんかいい」
「もう、知らないっ」

3時間も待たせておいて、平気でそんなことを言ってくる焦凍はずるい。何度も何度も不安にするくせに、その度に同じ数だけ好きにさせてくる焦凍は、ずるい。

「なんで怒ってんだ?」
「怒ってません!」








「なぁ、まだ怒ってんのか?」

焦凍が首を傾げる動きに合わせて、彼の赤と白の髪がはらり、と揺れる。

「怒ってません」
「怒ってんだろ」

はぁ、と小さくため息をつく焦凍に、ほんの少し苛立ちを覚える。ため息をつきたいのは私の方だ。

「だってこれで今月は3回目だよ?デートすっぽかされるの」
「…悪ぃ」
「今日は絶対行くって言ってたのに」
「…来たことは来ただろ」
「3時間も遅れた挙句に、ファンの女の子引き連れてきたけどね」
「勝手について来たんだ」
「俺はモテるんだから仕方ねぇだろって?」
「そんなこと言ってねぇだろ」
「ふーん、だ」

わざとらしく顔を背ける。我ながら可愛くない。けど毎回デートのたびに待ちぼうけをくらって、時には心配になって不安に駆られたりしているんだから、ちょっとくらい拗ねて困らせたってバチは当たらないはずだ。

そうよ、たまには困ったり、焦ったりすればいいのよ。

「なまえ、こっち向け」
「嫌です」
「向いてくれ」
「やだ」
「頼む、なまえ」

少しの罪悪感に駆られて渋々向き直すと、焦凍は困るどころかちょっと嬉しそうな顔をしている。

何でよ。気に入らない。

わざとらしくムッとすると、彼は口元を手で押さえながら、”ふ、”と堪えきれずに笑みをこぼした。

「……まだ許してないんですけど」
「悪ぃ。でも拗ねてるのが可愛くて」

そう言いながら、私の頬を撫でる。あぁずるい。私がその手をすごく好きなのを知ってるくせに。好きだからもうどうしようもない。例え焦凍が次のデートをまた3時間遅刻したとしても、私は彼を嫌いになれない。

「コンビニで、プリン買って」
「そんなことでいいのか」
「……グミも」
「いいぞ」
「あと」
「ん?なんだ?」
「ぎゅーってして」

一瞬、きょとんとした顔をして、でもすぐに焦凍は抱きしめてくれる。優しくて大きな手で私の髪を撫で、私の頭に唇を落とし、呼吸をするように”好きだ”と漏らす。大好きな彼の腕の中。ここが世界で一番好きで、一番安心できる場所なのだ。

「悪かった」
「もういいよ、いつものことだし」
「優しいな」
「まぁそこはもう、惚れたもん負けってやつだよね」
「なら俺はお前にずっとこれからも完敗だぞ」
「…何言ってるんですか」
「照れてるのも可愛い」
「うるさいよ」
「悪ぃ」

さっきまでの愛おしむような感じじゃない、子供をあやすような手つきで、私の頭を撫でる焦凍。

それ絶対悪いと思ってないでしょ。面白くないな。

「でも、好き」
「あぁ、俺も好きだ、なまえ」


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この彼女さん手放したらあかんで轟くん。いい女や。
2020.10.7

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