kiss me


「ホワイトデー、なんか欲しいもんあるか」

向かい側から聞こえたその質問に、課題を解く手を瞬時に止めて、私は勢いよく顔を上げた。

「なんでそんな驚いてんだ」

私の反応が意外だったのか、轟くんは少し不思議そうな表情を浮かべながら、小さく首を傾けた。

「あ…なんて言うか…お返しを、くれるんだなって思いまして…」
「貰ったんだから、普通に返すだろ」
「でも、轟くん大変じゃない?」
「何がだ?」
「何がって…お返しが…」
「お返し?」

まだ記憶に新しい、ひと月前のバレンタイン。
朝から色んな女の子に声を掛けられていたし、休み時間の度に、彼にバレンタインのプレゼントを渡しに来ている女の子を何人も見た。
きっと学内ぶっちぎりのチョコ獲得数に違いないし、優しい轟くんのことだから、きっと私にお返しを考えてくれているように、他の人にもお返しを考えているのだろう。

「沢山貰ってるから、お返しも沢山しなきゃだろうし、大変じゃない?お財布空っぽになっちゃうよ」

彼が他の女の子からのチョコを受け取っていることも、お返しを考えていることも、本音を言えばモヤモヤする。
だけど、さすがにそれはわがままというものなので、胸の内に渦巻く嫉妬心を悟られないよう、冗談を纏わせて誤魔化した。
こんなことで嫉妬に蝕まれているようでは、この人の彼女で居続けるなんて、到底無理だ。

「俺はひとつしか貰ってねぇから、その心配は必要ねぇぞ」

取り留めもない話をするかのように、轟くんはさらりとそう言った。
あまりに普通にそう話すので、一瞬聞き流してしまいそうになったところを、慌てて踏みとどまって、その言葉を脳内でリピートさせた。

「えっと…?」
「俺が貰ったのは、みょうじのやつだけだ」
「…え!?」
「いや、そんな驚くことか?」

ダメ押しのように言う轟くんに、ようやく先程の言葉の意味を正確に理解した。
思わず大きな声を出した私に、さすがの轟くんも少し困惑した表情を浮かべた。

「だ、だって…朝とか、お昼休みとか、色んな子が轟くんのとこに来てたの見たし…」
「確かに渡されたけど、全部断ったから。お前以外のは貰ってねぇ」

お世辞にも料理が上手とは言えない私が作った、お世辞にもクオリティが高いとは言えないチョコなんかより、もっと見た目も味も良いものは、きっといくらでもあっただろうに。
嬉しさ半分、申し訳なさ半分。でもやっぱり嬉しくて、自然と上がりそうになる口角を、必死で両手で覆い隠した。

「何で今度は泣きそうになってんだ」
「いや…ちょっと、予想外だったので…」
「俺が他の奴から貰ってると思ってたのか?」
「え、うん。そうだけど…」

私がそう口にすると、轟くんはなぜか少しムッとした顔をしてみせた。
なにかまずいことを言ってしまったのかと思い、内心少し慌てていると、彼はテーブルについた私の右手を少し強く握ると、急に顔を近づけてきた。

「ひでぇな」
「な、何が…?」
「みょうじに、そんな奴だと思われてたのは心外だ」
「え…」
「好きな女がいるんだから、他の奴から貰うわけねぇだろ」

そう言いながら頬に手を添えられると、心臓のドクドクという音が、身体中に鳴り響く。
異なる色をしている綺麗な目に見つめられて、自然と頬に熱が溜まっていくのを感じた。

「す、好きな女って…」
「お前以外に誰がいんだよ」

ほんの少しイラついた様子でそう呟くと、彼の顔がさらに近づいて来る。
心臓の音はより大きくなり、轟くんに聞こえてしまうのではないかと不安になりながらも、ぎゅ、っと目をつぶると、すぐに唇に柔らかい感触がやって来た。
ちゅ、っと、軽いリップ音を一度だけ鳴らして、彼の唇が離れていき、そっと瞼を開けると、すぐ近くにはまだ彼の綺麗な顔があり、熱を帯びたようなその視線に、目が逸らせない。

「みょうじ、顔真っ赤だな」
「だ、だって…轟くんが…キス、するから…」
「俺のせいか」
「そうだよ」
「可愛いな」

そう口にしながら、少しだけ口角を上げて笑う彼に、今までで一番心臓が大きく揺れ、思わず顔を両手で覆い隠した。
そんな不意打ちは反則だ。
普段表情に乏しい彼が見せる笑顔は、遠くから見ているだけでもドキドキするのに、こんな至近距離で見せられたら、心臓がいくつあっても足りない。

「も…ほんとに、勘弁して下さい…」
「可愛い。すげぇ可愛い」
「…轟くん、わざとやってるでしょ」
「バレたか」
「……もう、知らない…っ」

恥ずかしさのあまり、轟くんに背を向けると、今度は後ろから彼の両腕にぎゅっと抱きしめられた。

「悪かった。可愛いから、つい虐めちまったんだ。許してくれ」

抱きしめられたまま、耳元でそう呟く彼の低い声に、既に色々と限界を感じている。

「こっち向けよ」

もう知らないと口では言いつつも、頭の中は当然のように彼のことでいっぱいで、意識の外に追いやることなど、到底できるはずもない。
轟くんに言われるがまま、顔を後ろに向けると、肩を掴まれて身体の向きも彼の方に戻された。

「許してくれるか?」

あぁ、もうずるい。轟くんは色々ずるい。

「……うん」
「じゃあ、仲直りな」

彼は私の後頭部に手を回すと、今度は少しだけ強引に私の唇を奪った。
軽く触れただけの最初のキスとは違う、長くて甘いキスをしながら、私の頭の後ろにある手とは反対の手で、私の身体をさらに自分の方へと引き寄せた。
長いキスを終えて、再び唇が離れると、後頭部にある轟くんの手に、少しだけ力が込められて、彼の肩に顔を埋めるような位置に誘導された。
そのまま両腕でぎゅっと抱きしめられ、トドメの一撃に、好きだと囁く低い声が耳を掠めた。

こんなの、絶対私の方が好きだ。

ときめきなんて、そんな生易しいものじゃない。好きな人から与えられるキスは、まるで麻薬のようだ。
骨の髄まで彼に依存させられて、気づいた時には、彼なしでは生きていけない私になっている。
確信めいた、そんな予感が脳裏にチラついて、ほんの少しだけ怖くなった。

「で、話途中になっちまったが、欲しいもんあるか?」

私を抱きしめ、髪をゆっくりと撫でながら、轟くんは何事も無かったかのように、最初の質問に話題を戻した。

「欲しいもの…」
「物じゃなくても、やりたいこととか、行きたいとこでもいいぞ」

実を言うと、それらは結構沢山ある。
お気に入りだった手鏡が壊れてしまったので新しいのが欲しかったし、最近公開されたアクション映画も観たいし、新しく出来たケーキ屋さんのガトーショコラが食べてみたい。
彼と行きたい場所、見たいもの、やってみたいこと、まだまだ沢山ある。
だけど、今一番欲しいものが何かと聞かれたら、それはちょっと違っていて。

轟くんから、今一番欲しいものは。

「キス、したいな」

ぽつりと何気なくそう呟くと、彼の身体がぴくりと小さく揺れた。
不思議に思って、少し距離をとって彼の顔を見ると、轟くんは頬を少し赤く染めながら、とても動揺したような表情で俯いていた。

「何、言ってんだお前…」

彼の言葉に、自分の発言を改めて振り返ると、とんでもないことを口にしていたことに今さら気づく。

「ご、ごめん…忘れて…ごめんなさい…」

恥ずかしすぎて死にたい。
なんてことを口走ってしまったの私。

はしたない女だと思われて、引かれたかもしれない。嫌われてしまったかもしれない。
そんな不安が湧き上がり、思わず彼から離れ、逃げるように立ち上がろうとすると、腕を思い切り掴まれて、そのままぐっと、強く引っ張られた。
ほんの僅かな間に、視界が目まぐるしく変化して、それに順応するのにおよそ数秒。気づいた時には目の前に再び轟くんが居て、背中には畳の感触があった。

「と…」

彼の名前を呼ぼうとしたその口は、すぐそばに居る本人によって塞がれた。
ちゅ、ちゅ、とわざとらしく音を立て、角度を変えて、啄むように何度もキスをされる。
腕を掴んでいた轟くんの手が、指を絡ませるようにして私の手を包み込み、それに答えるように、彼の手を握り返すと、彼の唇がそっと離れた。

「忘れられるわけねぇだろ」

唇が今にも触れそうな、ほんの数センチの距離を保ったまま、またあの射抜くような視線で見つめられる。

「…引いてない?」
「そんなわけねぇだろ。驚きはしたけど」
「ほんとに?」
「あぁ。でもこれだと、俺も貰っちまう感じにならねぇか」
「それは…考えてなかった…」

正直にそう口にすると、轟くんは喉の奥をくつくつとさせたように笑い、それに釣られて私も笑ってしまった。

「何回すればいいんだ?」

具体的な要望をヒアリングされ、再び恥ずかしさが湧き上がる。

「え…いや、それも…特には…」
「じゃあ、とりあえず今日は100回くらいしとくか」
「ひゃ…!?」
「当日はその倍くらいすればいいか?」

元はと言えば自分のせいだけど、しれっととんでもないことを言い出す轟くんに、嬉しさはあるものの、なんと返せばいいか言葉に詰まる。

「いや、あの、さすがに…そこまでは…」

躊躇うようにそう返事をすると、彼は軽く頬にキスを落としてから、そのまま唇を私の耳元に寄せた。

「遠慮すんなよ。何百回でもしてやるぞ」

轟くんはそう囁くと、火を噴きそうなほどに熱くなった私の顔を見下ろしながら、少し意地悪く笑ってみせた。


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Happy Whiteday♡
私にしては短くまとまりました。私にしては。

2021.03.14

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