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珍しく仕事が早くあがれるからと、今日は久しぶりに、彼の家で一緒にご飯を食べようという話になった。忙しくて外食が続きがちな勝己に、何か作ってあげようと思い、私は商店街にある待ち合わせ場所のスーパーに向かっていた。

「お姉さん、揚げたてのコロッケはどうかな?」
「...ひとつ下さい!」

夕方の商店街は活気があって好きだ。そこら中からおいしい匂いがして、今日は何を食べようかと会話を弾ませる親子とすれ違えば、どこの誰かも知らない家族の、幸せな食卓を想像して、心がほっとする。
鼻をくすぐる美味しそうな匂いに耐えきれず、これから夕食を作って食べるというのに、今私の右手には何故か揚げたてのコロッケがある。口に含むと、さく、とした軽やかな音と共に、ほくほくとしたジャガイモの甘みが広がる。少しだけピリッとする黒胡椒のアクセントが、もう一口、更に一口と食欲を誘い、手の中のコロッケはあっという間に無くなった。

見つかったらきっと勝己に怒られるので、食べたことは内緒にしておこう。




「......晩飯前に買い食いたぁ、いいご身分だな。なまえちゃんよぉ」

背後から聞こえる彼の声に恐る恐る振り返ると、そこにはキャップを深々と被った恋人が立っていた。ひと月ぶりに顔を見ると言うのに、その表情はまさしく仏頂面そのものだ。もう少し嬉しそうにしれくれてもいいと思うのだけど。

「な、何のことやら...」
「惚けてんじゃねぇ。口の端に衣ついてんぞ」

内緒にしておこうと思った矢先に、秒でバレた。なんてこったい。相変わらずめざとい。

「...いやその...おじさんが、揚げたてのコロッケを勧めてくれまして...」
「他になんか言うことないんか」
「嘘ついてごめんなさい。夕飯前に買い食いしてごめんなさい。怒らないでプリーズ」
「さっさと行くぞこのデブ」
「ひどっ」

いつもの様に暴言を吐きつつも、勝己は私の手を取り、歩き出した。私が彼の手を握り返すと、自然と指を絡め取られる。酷いことを平気で口にするのに、彼の手はとても暖かくて、単純な私はこうして手を繋ぐだけで、いとも簡単に幸せにされてしまうのだ。

「勝己」
「んだよ」
「会いたかった」
「...そうかよ」

ぶっきらぼうにそう返事をすると、勝己は少しだけ手の力を強めた。







「勝己、何食べたい?」
「辛いもん」

スーパーに着いてカゴを手に取って、勝己にリクエストを聞くと、予想通りの答えが返ってきた。その言葉を待ってましたとも。

「ふっ」
「んだよ、きめぇ声出すな」
「そう言うと思って、メニューは私が決めてきたの!」
「...そのドヤ顔腹立つからやめろや」
「何にするか聞きたい?聞きたい?」

意気揚々とそう尋ねると、勝己はめんどくせぇ極まりないといった顔を見せる。

「聞きたくねぇわ」
「ペンネのアラビアータにします!」
「聞きたくねぇっつってんだろ」
「あと、タコのマリネと、サラダと」
「シカトしてんじゃねぇぞ」
「あっ、これ食べたことないやつだ...デザートに食べたい」
「コロッケ食ったなら我慢しろや」

取るに足らない、こんな些細な会話がすごく嬉しい。スーパーでの買い物なんて、普通の人からすれば当たり前のことだ。けれど私にとっては、こんなふうに彼と過ごせる"ごく普通の時間"は、一番大切で、愛しくて、幸せな時間なのだ。

「ふふ、楽しいね」
「ただの買い出しじゃねぇか」
「まぁそうなんだけど、勝己と一緒だからさ」
「...バーカ」

そう言いながら私の髪をぐしゃっとさせた後、彼は無言で買い物かごを奪い取った。さっきは我慢しろと言っていたのに、私が食べたいといったデザートをかごに乱雑に入れると、そのままスタスタと先に行ってしまう。
何だかんだ私に甘いんだよなぁ、この人。それを口に出したら確実にデコピンかチョップが待っているので、絶対に言わないけれど。







「調味料とか調理器具は適当に使え」
「なんか...毎度の事ながら男の人とは思えない揃いっぷりで、逆に引く」
「喧嘩売っとんのかてめぇは」

粗暴な言動からは想像しがたい、きちんと掃除されたキッチンに、ずらりと並んだ調理器具と調味料。凝り性な彼の性格を表しているなぁと、見る度にそう感じる。男性の一人暮らしだと、調味料や調理器具なんかは結構無かったりするものだと思うんだけど。

「じゃあ勝己はあっちで座っててね!台所は女の聖域ですから!」
「てめぇは何時代の人間なんだよ」

悪態をつきつつも、私の言う通りに彼はリビングに行き、ソファに座ってテレビを見始めた。私はスーパーで買った材料を取り出して、料理を始めた。
料理の準備をしながら、カウンター越しに彼の姿を見る。今更なことだけど、これはモテるよなぁ、と改めて思う。ボサボサのベージュの髪に、切れ長の綺麗な赤い瞳。がっしりとした肩や腕。粗暴な言動が目立ちがちな彼だが、すっと伸びた背筋やふとした時の所作に育ちの良さを感じる。

「おい、ジロジロ見てんじゃねぇぞ。料理すんなら余所見すんな」
「えぇ...何でテレビ観てるのにわかるの?」
「これくらい出来なくて、ヒーローなんかやってられっかよ」
「まぁご立派」
「てめぇ、やっぱ喧嘩売っとんのか」

こちらに視線をむけることなく、勝己はテレビリモコンのボタンを繰り返し押しながら、ロクなのやってねぇな、と不満をひとつ漏らした。彼がテレビを観ながら、私の作るご飯を待っている姿に、自然の口の端が上がってしまう。

一緒に住んだり、結婚したりしたらこんな感じなのかな...。

そんな乙女チックな妄想が、私の脳内で繰り広げられる。

「わぁっ!ニンニク、めっちゃ跳ねっ...あっつっ...!!」

そんな妄想に浸っていると、フライパンの中でオリーブオイルに浸されたみじん切りのニンニクが跳ねて腕に当たる。
腕を咄嗟に引っ込めると、その腕は勝己によって掴まれて、シンクのところに無理やり連れてこられた。さっきまでソファに座っていたはずなのに、忍者なのかこの人は。

「馬鹿かてめぇは!!」
「す、すみません...」
「いいからさっさと冷やせこのアホが!!」
「は、はいっ...!」

勝己に言われた通り、すぐに水を出して、腕を冷やす。たかが数ミリのニンニクが跳ねてきただけなのに、そんなに心配してくれるんだなぁ、と、怒られたのに何だかちょっと嬉しいのは、更に怒りを買いそうなので黙っておこう。

「ったくよ...ニンニクは弱火で炒めんだよ。常識だろうが」
「すみません...」

勝己はそう言いながらコンロの火を一番弱くしてフライパンの様子を伺う。このやり取りって普通は男女逆な気がする。私が腕を冷やしていると、勝己は慣れた手つきで調理の続きを進める。

「ちょっと勝己、今日は私が作るって言ってたのに...」
「てめぇは向こうで火傷に薬塗ってこい。んで付け合せ作れ」
「えぇ...メインは勝己が作っちゃうの?」
「火はダメだ」
「もー...過保護だなぁ...」
「うっせぇな!!さっさと薬塗ってこいや!!」
「はーい」

せっかく私が作ろうと思って張り切っていたが、こうなった勝己は絶対に私に火を使わせてくれないので、大人しく塗り薬をリビングに取りに来た。チェストの引き出しを開けて火傷に使える薬を手に取り、それを腕に適当に塗りつけた。

「...おい、もっと丁寧に塗れや。傷残んぞ」
「なんか...勝己って時々お母さんみたいだよね」
「あ?」
「うちのお母さんもよく、"嫁入り前なのに傷跡が残ったらどうするの!"ってよく言ってたなぁ」
「...そうかよ」
「あれ、怒んないの?勝己ママ」

調子に乗ってそんな呼び方をすると、ビキビキと音を立てそうなくらい青筋を立てて睨まれた。

「次それ言ったら、殺すかんな」
「調子乗ってホントすんませんした...」







勝己が手伝ってくれたおかげで、思っていたより早く晩ご飯ができあがった。鼻をくすぐる微かな唐辛子の香りが食欲をそそる。

「んー美味しい!お店開けそう!!」
「こんくらい普通だろ」

そう言いながら、彼は出来上がったペンネにものすごい量のタバスコをかける。いつものことではあるけど、そんなに辛くして味が無くなったりしないのだろうか。

「ねね、マリネとサラダ美味しい?」
「...まぁ、悪くはねぇ」
「そこは美味しいって言おうよ」
「うっせ」

あ、今ちょっと照れたな。美味しいと思っているくせに。素直じゃない奴め。

二人で作ったご飯はあっという間に無くなった。私の立場がなくなるほどに、勝己の作ってくれたアラビアータは絶品で、そこそこ辛いのに、一口、また一口とフォークを動かしていた。たくさん食べてほしいからと、ちょっと作りすぎてしまった大量の付け合わせを、勝己はふざけんな、と文句を言いながらも、結局全部食べてくれた。




「よくそんな甘ったるいモン食えるな。つーか、コロッケ食っただろ。デブかよ」
「えー...デザートは別腹だよ〜。あ、勝己もいる?」
「いらねぇわ」

ご飯を食べ終えて、勝己が買ってくれたデザートを食べる。いつもよりずっと甘く感じるのは、ペンネの辛さのせいもあるけど、きっと目の前に好きな人がいてくれるからだ。

「...ニヤニヤしてんじゃねぇぞ気色悪ぃ」
「いやぁ、一緒にご飯食べたの久しぶりだからさぁ...」

最後にこうして、一緒にゆっくりご飯を食べたのはいつだっただろうか。プロヒーローである彼とは、なかなか会う時間は取れないし、ましてデートなんて写真を撮られでもしたら大変なので、大体会うのは互いの家になる。私たちが一緒にいようといまいと、事件や災害は待ってくれないので、ドタキャンもまぁザラにある。
滅多に会えない毎日は、寂しくないと言えば大嘘で、誰にも言ったことはないけど、何度か離れようと思ったこともあった。それでも我慢出来たのは、こうして一緒にいる時間が、離れている時間以上に愛おしいものだからだ。

「...勝己がいるなぁって、思って」

私がそう言うと、勝己は黙ってしまった。いつもなら、"きめぇ"とか"うぜぇ"とか言ってくるはずなのに。しまった。なんか重く捉えられてしまったのだろうか。

「あ、いや、その別に深い意味で言ったわけじゃないからね?」

慌てて弁明すると、彼は真顔で私の方をじっと見た。




「...一緒になるか」

数秒間、彼が何を言っているのかがよくわからなかった。でも、彼にしては珍しい(失礼)穏やかなその口調と、大事なことを話す時に見せる静かだけど強いその目に、彼の言葉の意味を理解した。先ほども妄想の中で"そうなること"は意識していたが、ただあまりに唐突にその予兆が現れたので、だいぶ私は混乱している。

「い、今って、そういう空気だった...?」

精一杯言葉を絞り出すと、勝己は呆れたような表情を見せる。

「空気読めねぇ奴が何言ってんだ」
「うん、否定はしないけどね...」
「...で、どうすんだ」
「ちょ、ちょっと待って!えっと、ごめん、一応確認なんだけど、その...プロポーズってことでいいんだよね?」
「...マジで空気読めねぇな、てめぇ」
「いや、だって!"一緒になる"じゃ色んな解釈できちゃうじゃん...!」
「ごちゃごちゃうっせぇわ」
「うわぁ...プロポーズした相手にうるさいとか言いやがったよこの人...」
「てめぇは"はい"か"Yes"だけ言ってりゃいいんだよ」
「待って。それ選択肢になってないから」
「うるせぇっつってんだろ。俺のモンになんのか、なんねぇのか、どっちだ」

この俺様め。でもかっこいいとか思っちゃうんだよ、ちくしょう。

「なっ...なりますけどもぉ...!」

私が投げやり気味にそう答えると、勝己は一度立ち上がって自分の鞄から何かを取り出すと、もう一度椅子に座って、むかいにいる私に見えるようにそれをテーブルに置いた。

「これ書いとけ」

"婚姻届"と書かれた紙。既に勝己の書く場所は全て埋まっていて、ご丁寧に捺印も終わっている。これを彼が自分で用意して書いたのかと想像すると、ちょっと笑ってしまいそうになる。

「出す日はてめぇが好きに決めていい」
「ほ、本当に私でいいのでしょうか...?」

恐る恐るそう聞くと、彼の手が私の方に伸びてくる。何だろうと思って動かずにいると、私の額にコツン、と彼の指が跳ねた。

「痛っ...!!ちょっと...デコピンするなんてひどくない!?」
「意味不明なことぬかすからだろ」
「はぁ...?」

意味がわからない、と勝己を睨むと、彼は顔を背けてから、とても小さな声でデコピンの理由を教えてくれた。

「...てめぇしか考えたことねぇわ」

つまりそれって、俺にはお前しかいねぇ愛してるってことでOK?そういうことでいいですか?ねぇやばいって。幸せの処理が追いつかない。
嬉しくて嬉しくて席を立ち上がり、向かい側に座る勝己に、渾身のスピードと力で抱きつきに行く。

「勝己超好き!愛してる!結婚して!」
「口にソースつけたまま抱きつくんじゃねぇよガキか!!...あとその顔やめろや、きめぇ」

勝己はそう言いながらも、私をちゃんと抱きとめて、髪を撫でてくれる。素直じゃないなぁもう。

「またまたぁ、そんなお前も愛してるって、言ってみ?ん?」
「死ね」
「...ほんとに死んじゃったら、悲しいくせに」

ほんの冗談のつもりだった。しかし私のその言葉に、勝己は眉間のシワを更に深め、私の身体に回していた腕の力を強めた。

「冗談でも、んなこと言うんじゃねぇ」
「いや、最初に言ったのは勝己の方で...んっ」

私が文句を言い終える前に、勝己は私の顎をぐっと掴み、自分の唇で私の唇を塞いだ。びっくりして反射的に離れると、勝己はムッとした顔をして、今度は逃げられないように後頭部に手を回してから、深く口付けてきた。

「ん...も...なに、急に...」
「うっせぇ」
「...勝己が先に死んじゃ、やだよ」
「あ?」
「だって、私は勝己より先に死にたいもん」

職業上、彼が突然居なくなることは、有り得ることだと理解している。だけど頭で理解していることと、心でそれを受け入れられるかどうかは、別の問題だ。

「ひとりぼっちになりたくない」

勝己がいない世界を、ひとりで生きていくことなんて出来ないし、本当はそんなこと、考えたくもない。

「...つまんねぇこと考えてんじゃねぇよ」

そう呟くと、彼は私の頭を軽く叩いた。

「てめぇは俺を信じてりゃいいんだよ」
「...あはは、これだから勝己のこと好きなんだよなぁ」

無愛想でぶっきらぼうな癖に、どうしていつも私の欲しい言葉がわかるんだろう。会えない寂しさも、未来の不安も、いとも簡単に吹き飛ばしてしまう。

「...なまえ」
「はい?」
「信じろ。俺は絶対誰にも負けねぇ。つまり死なねぇ」

真っ直ぐに前を見据えるその目は、まさしくヒーローのそれだ。それなりに付き合いは長いのに、この目にいつもドキドキさせられる。この人なら、本当にやってのけてしまいそうだ。

「うん。勝己なら、本当にそうなりそうだよね」
「なりそう、じゃねぇ。なるんだよ」
「はいはい。分かってますって」

彼は私の言葉遣いがお気に召さなかったらしく、眉間にシワを寄せて、わざと痛くなるように、力一杯抱きしめてきた。

「一番近くで一生見てろ。でなきゃぶっ殺す」
「ふふ、言ってることめちゃくちゃだよ、それ」

私が笑うと、うるせぇよ、と言いながらそっぽを向く。そんな彼の頬にいたずら心で唇を寄せると、彼は一瞬呆けた顔をして、また眉間に深いシワを作った。

「てめぇ、いい度胸だな」
「え、何で今ので怒るの?」

戸惑いながらそう尋ねると、彼は私を勢いよく抱き抱えて、スタスタと歩き始めた。

「ちょっ...ご飯は!?」
「あ?んなもん後に決まってんだろ」
「いや待って!何がどう決まってるの!?」
「うるせぇわ」

そう言うと、勝己は寝室のドアを足で乱暴に開けて、私をベッドに下ろす。

「か、かっちゃん...?」
「"デザートは別腹"なんだろ?」
「さっきはデザート要らないって、んっ」

彼は先ほどと同じく、こちら返事など待たずに、再び私に深く口付けながら、私の上に覆いかぶさってくる。あぁもうこうなったら逃げられない。後は彼の気が済むまで、私はいいようにされるだけだ。

「なまえ」

一瞬唇が離れると、彼はぽつりを私の名前を呼ぶ。

「ん...?」
「ずっと俺の側にいろ」
「うん...!」

迷わずそう返事をすると、彼は満足そうにニヤリと笑って、今度は軽く私の額にキスを落とす。その顔はちょっと意地悪なのに、触れる唇はとても優しくて、自然と涙が溢れた。
ねぇ勝己。約束よ。私を置いていなくなったら、絶対許さないから。

「私のこと、幸せにしてくれる?」
「あ?」

何言ってんだてめぇは、とでも言いたげな顔で私を見た後、勝己はふ、と笑う。そしてあの容赦のないデコピンを、再び私の額に放ってから、こう続けた。




「てめぇを幸せにすることなんざ、朝飯前だわ」


−−−−−−−−−−

最後のセリフを言わせたかっただけ。

2020.11.09

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