こんな僕でも、そばに居させて


※未来捏造。苦手な方はご注意ください。

血液と、何かが焼ける匂いが充満していた。薄れゆく意識の中で、胸糞悪いヒーローへの歓声を聞きながら、戦いの最後に見えたのは、泣きそうな顔をしたあいつの顔だった。
その顔を見て、俺は初めて自分たちが"負けた"ことを理解した。







「弔くん、今日は天気がいいから、ちょっと散歩にでも行かない?」

あの場所から、どうやって逃げ出すことが出来たのかは、俺には分からない。ただ一つ、はっきりしていることは、ここへ連れてきてくれたのは、他でもない、こいつだということだけだった。

「行かない」

俺がそう返事をすると、なまえは軽くため息を吐いて、困ったような笑顔を見せた。

「もう、少しは身体を動かさないと、あっという間におじいちゃんになっちゃうよ?」
「いいよ別に。どうせもう、大したことなんか出来ない」
「そんなこと言わないの。今日はちょっと遠いけど、湖の方に行きたいなぁ」
「...あんなもの見て何が楽しいんだ。ただのでかい水溜まりなのに」
「弔くんと一緒に見るから、楽しいんだよ」

なまえはそう言って笑うと、俺の手を無理やり引きずって立ち上がらせた。

「行こうよ。一緒に」
「...わかったよ」
「ありがとう」
「...だって、仕方ないだろ。お前意外としつこいし」
「ふふ、よくご存知で」







目が覚めると、目の前は知らない天井だった。まだ身体は動かせず、顔をゆっくりと動かして、辺りを見回すと、知らない場所のはずなのに、何故かとても懐かしく、そこは温かみのある世界だった。

『弔くん、起きた?おはよう』

聞き覚えのある透き通った声。先程まで身体は全く動かせなかったのに、俺はその声のする先に、反射的に手を伸ばした。俺の指先がなまえの頬にわずかに触れた瞬間、何かが弾ける音がした。
それは触れたものが、なまえ自身が崩壊した音ではなかった。根拠はないが俺の中には確信があって、右腕で彼女を勢いよく抱き寄せた。全ての指がなまえに触れても、彼女は壊れたりしなかった。

『おはよう』

全てを終えた後、俺は左腕と個性を失った。
左腕は戦いの中で失った記憶があるが、個性については、どうして失われたのか、その理由はわからなかった。
彼女に触れた時に聞こえたあの音は、もしかしたら、俺自身の中の個性が壊れた音だったのかもしれないと、今になってみれば思う。

『はい、弔くん。あーん』

起きて早々に飯なんか食えるかと言ったのだが、俺は一週間も眠っていたらしく、とにかく何でもいいから食べろと、起きて早々に怒られた。

『やめろ、恥ずかしいな』
『だって仕方ないでしょ?結局あれから、また動けなくなっちゃったんだから』
『別に食いたくないし...』
『ダメです。ちゃんと食べなさい』
『...俺、これ嫌い』
『子供じゃないんだから、こんな1センチにも満たないピーマン食べようよ』
『そんなもん最初から入れんなよ』

ほんと子供みたい、と吹き出しながら笑う彼女に、俺は何故だが胸が苦しくなった。







後で聞いた話だが、俺たちが今過ごしている家は、なまえの死んだ祖父母が、ずっと昔に暮らしていた家で、少し前から彼女が管理を任されていたらしい。
日本からは遥か遠いこの場所に、どうやってこいつが俺を連れてきたのかは分からなかったが、全てが終わったあの日から、今日でちょうど三ヶ月。信じられないほどに穏やかな時間が、俺たちの間には流れていた。

「地元の人が言ってた通り、すごく綺麗な湖だね」
「...普通」
「素直に綺麗って言えばいいのに」
「うるさい」

目の前に広がる、水。穏やかに吹く風が、微かに水面を揺らすのが、辛うじて見えるくらいだ。透き通る水はまるで鏡のようで、目を逸らしたいのに逸らせない、そんな美しさを携えていた。

「この辺でお昼にしようか」

そう言うと、彼女は鞄から10人は座れるであろう、巨大なレジャーシートを取り出した。

「...サイズおかしくね?」
「これしか倉庫になかったんだもん」
「畳めばいいだろ」
「あ、そっか...でもせっかくだし、広々寛いでも...」
「広すぎだろ」
「まぁまぁ、いいじゃない」
「...何でもいいから、早くしろよ」
「はいはい」

なまえが敷いたシートの上に座る。彼女はいそいそと鞄からサイズの違う保存容器を何個も出した。気まぐれにそのうちの一つを手に取って開けると、中には切られたリンゴが入っていた。こんなに大量に、一体いつの間に作ったのだろうか。

「こんな食えるわけねぇだろ」
「大丈夫大丈夫。きっとこの美味しい空気の中なら、食べ切れる!」

意味不明な根拠だが、珍しく外に出たからか、それなりに空腹であることは間違いなかった。大きめの容器に入れられたサンドイッチを手に取り口に含むと、もう随分と慣れた、いつもの味が口の中に広がった。

「美味しい?」
「いつもと一緒」
「もう...作りがいのない感想だなぁ...」
「...不味いとは言ってない」
「あはは、確かにそうね」

飯を食べ終わると、徐々に睡魔が襲ってきて、そのまま横になる。予想通り食べきれず、残った飯を片付けるなまえを、俺は黙って見ていた。

「弔くん、寝る?」
「ここ、硬い」
「まぁベッドじゃないからね」
「それ貸せ」

なまえの膝を指さしてそう言うと、彼女は一瞬きょとん、とした顔をするが、すぐに俺の要求を理解して、優しく笑って俺に近づいた。

「はい、どうぞ」
「ん...」

どうぞ、となまえがポン、と軽く叩いた場所に、頭を乗せる。柔らかくて、暖かくて、落ち着く。なまえの顔を見上げると、俺が自分のことを見ていることに気づいた彼女は、笑って俺の頬を撫でた。

「どうかした?」
「...ここ、人いねぇな」
「あぁ...そう言えば、前ここを教えてくれた人も、ほとんど地元の人しか来ないって言ってたよ」

これほど美しい場所なのに、あまり知られてはいないのか、俺たちの他には、あと数人ほどしかその場所にいない。

「勿体ないよね、こんな綺麗な場所なのに」

なまえの言葉を聞いて、ぼんやりと辺りを見ていると、ある一組の男女が目に止まった。俺たちと同じくらいの歳の二人。手を繋いで、並んで歩くその二人は、とても穏やかに笑い合い、何かを話していた。
女の方がうっかり躓くと、男の方はすかさず、両腕で女の身体を支え、ほっとしたような表情を見せた後、女をゆっくりと抱きしめた。女の方は恥ずかしそうに顔を赤らめたものの、幸せそうに微笑みながら、そのまま自身の身体を男に委ねた。

いちゃつきやがって。
いや、傍から見たら俺達も、もしかして似たようなものなのか?

その様子を一言で表すなら、それはまさしく"幸福"だった。それ以外の言葉など思いつかない程に、二人の姿からは、相手と共にいられる喜びが溢れていた。
そんな二人を見ていると、妙な焦燥感が湧き上がり、俺は堪らず身体を起こした。

「弔くん、歩けそうなら、ちょっとあっちにも行ってみようよ」

そう言ってなまえは立ち上がり、俺に掌を差し出した。俺は特に何も疑問を持たず、その手を掴み、彼女の行く方へ俺も足を進めた。そして視界の端にまだ映る、あの恋人たちを見て、俺は思った。

俺たちは、どうだろうか。

手を繋いで、ハグをして、キスをして、それ以上のこともして。やっていることはきっと同じはずなのに、俺たちとあいつらの間には、言葉には言い表せない、何か大きな隔たりがあった。
敵として生きて、戦って、必要なら人も殺してきた。それが俺達の道で、俺達にはそれしか無かった。こいつはそんな俺のそばに居続けた。毎日が生と死の狭間にあった。だからだろうか。俺とこいつの関係について、今までそんなことを考えたことなど、一度もなかった。
だけど今、あの二人を見て、俺は気づいてしまった。俺がこいつを望めば望むほど、こいつは幸せになれないことに。

「弔くん?どうしたの?疲れちゃった?」
「...なぁ」

急に立ち止まった俺を、心配そうに見るなまえの目は、もう片側しかない。

「俺、もう何も持ってない」
「そんなことないよ」

そう言って笑う彼女の左目には、黒い眼帯が付けられている。ずっと側で、歪みきった俺を側で見ていてくれていた、その二つの碧色のうち、なまえはその片方を、俺のせいで失った。
個性を失った俺はもう戦えないし、きっとこの先も、もう戦わない。それでも俺の人生には、きっとこれからも血の匂いが付き纏い、何度でもその深い闇へ引き摺り込まれそうになるのだろう。
俺を選ばなければ、普通の男と普通に幸せになって、普通に年をとっていく未来が、こいつにだって、あったはずだ。

「だから、俺の事なんか捨てて、どっか行けよ」

穏やかに年を重ねて、死んでいく。俺と一緒にいる未来には、そんな当たり前の幸せでさえ、これっぽっちも存在はしない。俺の行き着く場所は、生きていようと死んでいようと、いずれにしろ地獄しかないことは明白だ。
今すぐこいつの手を離せば、もしかしたら神様ってやつも、こいつだけなら見逃してくれるかもしれない。取り返しのつかない、今更な祈りでも、持ち前の慈悲深さで、聞き入れてくれるかもしれない。

「弔くんは、ひとりで寂しくないの?」
「...寂しくない」
「本当に?」

綺麗な碧色が、俺を真っ直ぐに見ている。その色は、目の前に広がるこの湖のように美しく、目を逸らしたいのに逸らせない。

「泣いてるよ」

泣いてなんかいない。そう言い返す前に、彼女は俺の頬に触れながら、とても悲しそうな顔をした。そしてその細い指で、俺の目尻をなぞると、確かになまえの指先には、水滴がついていた。

「私は、弔くんがいないと、寂しいよ」

そう言う彼女の右目からも、すっと涙が落ちる。
俺たちの間にあるものが、依存なのか、愛情なのか、正直なところ、それは俺にも分からない。だけど頬を伝うその涙を見て、俺はどうしようもなく、何かがしたくなった。こいつのために、今の俺ができることなんて。

「どっか行け、なんて言わないで」

残された右腕で、自分の元に引き寄せて、なまえの髪を撫でた。

「これくらいしか、出来ない。俺、お前に」
「充分だよ」
「あんなふうには、もうなれない」
「......私たちは、私たちだよ」

俺が何の話をしているか、なまえは正しくそれを理解し、今度は彼女が俺の髪を撫でた。

「もう守ってやれない」
「大丈夫。私結構強いから」

なまえは俺の右手を取って、両手で包み込む。その手は俺よりずっと小さいのに、とても大きくて暖かく感じる。

「弔くんが、こうしたいって思うこと、聞きたい。こうするべきだ、とか、そんなんじゃなくて」

なまえが触れる、自分の右手を見る。個性を失い、初めから生み出すことなど出来なかったこの手は、ついに壊すことすら出来なくなった。それでも俺は生きていて、目の前には、そんな俺がいないと寂しいと、泣いてくれる人がいる。
そんな資格は無いとわかっているのに、こいつの存在を、俺は求めずに居られない。誰も信じず、誰も愛さず、一人で歩いたあの日々に耐えられるほど、俺はもう強くない。

「...ずっと、一緒にいたい」

だから、どうか、あと少しだけ。こんな俺でも、そばに居させて。


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どうか彼にも生きる幸せが訪れますようにと、願いを込めて。

2020.12.20

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