本日晴天


「今年も晴れて良かったなぁ」

空を見上げると、どこまでも続く青が広がっている。今日は雲ひとつない快晴だ。少し遠くの方から波の音が聴こえるだけで、周囲に私以外の人は誰も居ない。そういう場所を選んだ。
彼が"眠る"この場所に、私は時々こうして足を運んでいる。

『私が先に死んだら、死体は海が見えるところに埋めてね』

そう言った私に、弔くんは心底面倒臭いといった様子で、当然のように拒否の言葉を返した。そんな彼にちょっと腹を立てて、じゃあ弔くんが先に死んじゃったら、私の好きな場所に埋めちゃうからね、と縁起でもない悪態をついた。今までの経験上、ふざけるなと一蹴されるか、軽く頭を殴られるかのどちらかかな、と思っていたが、彼は不機嫌そうな顔を見せたものの、意外なことに反論ひとつすることはなく、まぁ別にいいけど、と言うだけだった。

冗談のつもりだった。その場限りの、もしもの話のつもりだった。しかしそんな話をしてから、ほんのひと月後、彼は"会えない人"になった。恋人が死んだというのに、何故か涙は出なかった。そんな時間さえも与えてもらえなかったというのが正しいだろうか。追手を振り払いながら、連合の残党に手伝ってもらいながら、どうにかして動かなくなった彼をここまで運んできた。初めてここに彼を運んだあの日も、こんなふうに雲ひとつない快晴で、誰もが平等に目にすることのできるその美しい青に、ようやく堪えていた涙を流すことが出来た。

あれからもう、3年か。

連合のメンバーと関わりがあったといっても、弔くんたちのように顔が知られているわけでもなかったからか、あれから3年経ち、私は案外普通の生活を送れてしまっている。
普通に朝起きて、仕事に行き、帰ってきて眠る。お腹が空いたらご飯も普通に食べるし、何か欲しいものがあれば、買い物に行く。あの頃の自分からは想像もできないほどに、穏やかな生活を送っていた。

「今日は珍しく、ちょっとおしゃれしてみましたよ、弔くん」

彼が眠る場所にそびえ立つ木にもたれかかり、聞く人など誰もいないこの場所で、こうして言葉を紡ぐ。弔くんが死んで3年。"死柄木弔"という男の存在は、世界にとって、もう過去のものになっていた。
私自身も、時間が経つにつれて、彼を思い出さずに1日を終える日が少しずつ増えてきた。記憶は思い出になり、悲しみは懐かしさへとその形を徐々に変えていく。生きることは、忘れることだ。

「...なんで私だけ、生きてるんだろうね」

あなたは止まったままなのに、私は進む。
変わっていく自分が嫌で、繋ぎ止めるようにこの場所へ足を運ぶ。そんなことをしても、時間は止まってくれないと、分かっているのに。

「会いたいよ、弔くん」

ひと目会うことが出来たなら、一瞬でも触れることが出来たなら。きっとあの頃のようにまた、あなたを四六時中想っていられるのに。




「勝手に来て、勝手なこと言ってんなよ」

誰もいないはずのその場所に、そしてもう聞くことのないはずのその声が聴こえるその方向へ、恐る恐る視線をむけた。そこには絶対に居てはいけないはずの人が、不機嫌そうにそっぽを向いて立っていた。

「と...むら...く...?」

言葉にならない声を発すると、彼は呆れたような顔で私を一瞥して、また視線をそらした。

「しばらく見ない間に、随分普通の女になったな、なまえ」

何事もなかったかのようにそこに居る彼に、私は何度も瞼を擦った。

「嘘...なん...っ、だってあの時...確かに...」
「会いたいって言ったの、お前じゃん」

だから会いに来てやったのに、と、ふてくされた顔で彼はそう言い、ゆっくりと私のいる方へと足を進めた。一体何が起きたと言うのだ。これは都合のいい私の夢なのだろうか。それとも本当に、彼が会いに来たとでもいうのだろうか。

「俺のことは、忘れられそうかよ」

混乱する私のことなどお構いなしの、相変わらずぶっきらぼうなその口調に、ちょっと笑いそうになってしまう。
そうだ、彼はこんなふうにしか話せない人だった。

「...忘れたくないよ」
「相変わらず、なまえはバカだな。忘れた方がずっと楽なのに」

馬鹿だと笑われてもいい。滑稽だと吐き捨てられてもいい。この顔も、この声も、全部全部、本当は思い出になんかしたくない。思い出になんかできない。あなたと過ごした時間、あなたと戦ったこと、あなたに会えたこと。その全てが、今の私を形作って来たものだ。
だけど時間は残酷で、あなたを過去へと追いやっていく。私は髪が伸び、前より少し背も伸びた。それは私がこの世界で生きていて、確実に時の流れに乗っていることを表している。
弔くんの言葉に何も返せずにいると、なぜか彼は嬉しそうに笑った。

「でも、忘れさせてなんかやらないからな」

彼はそう言うと、目の前に屈んで私を抱きしめた。触れているはずなのに、そこに温度はなく、まるで空気に触れているかのように、軽い。

「俺は良い人間じゃないから、お前の幸せなんて願わない」
「...そこは、嘘でも俺を忘れて幸せになれ、って言うんだよ。普通は」
「嫌だね」
「ふふ、弔くんらしいけどね」
「...もう一度、手に入れるから。お前のこと」

そう言うと、彼は私の頬を、細く長いその指で撫でた。まるで風が頬を掠めたように、彼が撫でたところだけが少し冷たくなった。

「だから、絶対待ってろよ」

伝えたいことはたくさんあるはずなのに、私は言葉を選ぶことなく、本能的に思わず手を伸ばした。するとまるで魔法のように、私の指先が彼の青白い頬に触れた瞬間、私の愛しい人は光の粒となって消えた。







「おい、大丈夫かよ」

肩を揺らされ、瞼をゆっくりと開くと、珍しく心配そうな顔が私を覗き込むように見下ろしていた。反射的に目の前にいる彼に抱きつくと、彼は"急に何だよ"、と言いながらも、私の身体をそっと抱きとめてくれた。

「なんで泣いてんの」
「...わかんない」
「は?」
「怖い夢、だったような気がする」
「何だよそれ。意味わかんない」
「思い出せないの...でも、大事なことだったような気がする」

確かに夢を見ていた。けれどそれがそんな夢だったのか、もう思い出せない。どうしようもない悲しみと寂しさだけが心に残って、必死に彼にしがみ付いた。

「...よくわかんねぇけど、俺はここに居るから。もう泣くな、なまえ」
「どこにも...行かない?」
「行かない」
「ずっと一緒?」
「...頼まれたって、もう離れてやんないし」

ぶっきらぼうにそう言う彼が、私を抱きしめている腕の力を少しだけ強めると、彼の心臓の音が聞こえてくる。規則的なその音と、彼の腕の中のぬくもりに、どうしようもなく安心する。

「出かける」
「え...どこに?」
「決めてない。天気いいから、散歩」

ほら、と、彼が指を差す方へ視線を向けると、空は雲ひとつない晴天だ。目眩をおぼえるようなその青さに、どこか懐かしいその青さに、頬をもう一度涙が伝った。


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死が二人を分かつまで、とよく言ったりしますが、
きっと本当の運命の相手は、そんなものすら超えてくるような気がします。

2021.01.07

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