片想いの終着点


「それで、何か言いたいことはありますか」

わざと他人行儀にそう言い放つと、目の前に立つ彼は、勢いよく顔の前で両手を合わせた。

「わ、悪い...!ちょっと道に困ってる人が居たからよ!道案内してて...」
「メッセージの1通も送れないほど、ヒーローさんはお忙しいんですね」
「いや...それについては、マジですまん!理由は色々あるんだけどよ、言い訳になっちまうから...ホント悪かった!」

彼が勢いよく頭を下げると、もうだいぶ見慣れた赤い髪が大きく揺れるのが目に留まった。
染め上がった髪を初めて見た時は、彼がグレてしまったのではないかと、本気で心配になってしまったが、今ではすっかり、彼のトレードマークだ。
良くも悪くも中身は全く変わっておらず、ただ髪の色が変わっただけだというのに、あの頃と比べるとずいぶん明るくなったように見えるし、自信もついたようにも見える。
今は何とも、情けないポーズをしているけれど。

「はぁ...もう良いよ」
「いや、良くねぇ!」
「どうせ、道に困ってた人が腰の悪いお婆さんとかで、その人をおぶって目的地まで行ってたから、スマホ触れなかったとか、そんなところでしょ」

私の見立てはどうやら正しかったらしく、彼は目を輝かせ、何かに感動した時のような顔を私にむけた。

「すげぇななまえ!軽く感動してるぞ俺は!」
「人を助けるのは良いことだけど、それで他の人に迷惑かけたり、心配かけてたら本末転倒じゃない」
「そ、そうだな...すまん...」
「遅れるのは別にいいけど、ひとまず連絡入れるようにしてよ。1時間も何の連絡もなく待たされたら、何かあったかと思っちゃうでしょ」
「...すまねぇ。反省は、してる」
「お詫びにご飯奢ってよね。待っててお腹空いちゃったから」
「おう!任せとけ!何でも奢ってやるぜ!」
「じゃあ高級フレンチが良いな」
「え...!?」
「ふふ、嘘だよ。そんなおしゃれなお店じゃ、逆に緊張しちゃうし」
「脅かすなよ...」
「いつものファミレスでいいよ」
「よし、じゃあ駅前のファミレス行こうぜ!」

そう口にすると、彼はそうあることが当たり前かのように、私の手を取って歩き出した。半歩ほど前を歩く鋭ちゃんの顔を覗き見ると、彼は至っていつも通りの様子で、前を真っ直ぐに見て歩いている。
そんな彼にがっかりしたような、安心したような、何とも言えない複雑な気持ちになったのは、一体これで何度目だろう。あの頃のように、躊躇うことなくこの手を握り返す勇気はなく、ただただ加速する鼓動の理由を、彼に気づかれないように取り繕うことが、今の私の精一杯だ。
自分の気持ちを誤魔化すように、視線を別の場所に移すと、道沿いに植えられた桜の木が、いくつもの蕾をつけて春を待っている。
真っ直ぐで、お人好しで、ちょっと不器用で。だけどとても優しい、私の幼なじみ。そんな彼のことを、ただの幼なじみだと思えなくなってしまってから、もう何度目かわからない春が、またやってくる。







「はいひん、ほっひはほうは?」

まだ湯気の立つステーキを口に頬張りながら、彼は私に"最近、そっちはどうだ"、と尋ねた。

「飲み込んでから聞いても遅くないでしょ、その質問。まぁ良いけど。最近は…あ、普通科は大学か就職かで、来年のカリキュラムだいぶ変わるから、来月進路面談あるよ」
「そっか、そっちは人それぞれ進路だいぶ違うもんな」
「そうだね」
「で、お前は何になんだ?」
「んー...どうしようかな...私は鋭ちゃんみたいになりたいものがある訳じゃないから、とりあえず大学行こうかなって感じで」
「じゃあもし大学行ってもなりてぇもんなかったら、俺のとこに来いよ!」

受け手によっては勘違いされる上、どう考えても肝心な部分が抜け落ちているその発言に、静かに動揺をねじ伏せた。

「...何で?」
「なんつーか、例えば事務員とかになまえが居たら、なんかいいなって思ってよ!要領いいし、俺のこともよく分かってるしな!」

あぁ、やっぱり。そういう意味か。

「いや...ヒーロー事務所なんて、就職倍率やばいじゃん。無理無理」
「お前なら絶対大丈夫だって!」
「一体どこにそんな根拠が...」
「長年付き合ってきた、男の勘だな!」
「つまり適当ってこと?」
「そんなことはねぇ!お前はすげぇ良い奴だ!だから大丈夫だ!!」

勢いよくガッツポーズを決めつつ、ちょっとよくわからない理屈を力説する彼に、思わず吹き出して笑ってしまう。

「ふふ、何それ。めちゃくちゃじゃない」
「そうか?良い奴と働きたいって人の方が多いだろ」
「それはそうだけどさ」
「まぁ何にせよ、早く見つかると良いな。お前のなりてぇもん」
「そうだね。頑張って見つけるよ」
「おう!頑張れよ!」

眩しいくらいの真っ直ぐな笑顔に、また心臓が小さく跳ねた。何度も見ているはずなのに、何度でもこの表情を見たいと思う。
そう遠くない未来、この笑顔に救われる人が、きっと沢山現れるのだろう。それはとても誇らしいような、だけど寂しいような。

「あれ、もしかしてみょうじさん?」

背後から聞こえた馴染みのある声に振り返ると、そこに立っていたのは同じクラスの佐藤くんだった。
振り向いた私の顔を見ると、彼は少しだけホッとしたような顔をしてみせた。

「あ、やっぱそうだった。違ったらどうしようかなってちょっとビビってたけど」
「偶然だね。佐藤くん、一人?」
「そう。さっきまで映画観ててさ、昼飯食いに来た」
「そうなんだ」
「…そっちは、デート?」
「そんなんじゃないから」
「ふーん?」

彼は何やら含みのある言い方をすると、私のむかいに座る鋭ちゃんに視線を向けた。視線を向けたられた鋭ちゃんは、一瞬きょとんとした顔をしていたが、何かを思い出したような顔をすると、席を立ち上がって佐藤くんの方へと足を運んだ。

「なまえと同じクラスだよな?見かけたことあるぜ。俺はヒーロー科の切島だ。よろしくな!」
「普通科の佐藤です。よろしく…って言っても、俺はお前のこと知ってるけど。体育祭で去年も今年も上位に入ってたし」
「そっか、ありがとな!なんか照れちまうけどよ…」
「はは、やめろよ。男に照れられても、気持ち悪いから」
「ひでぇな、おい!」

しばらく立ち話をしていた二人だったが、鋭ちゃんの提案で、佐藤くんも私達のいるテーブルで一緒にお昼ご飯を食べることになった。
せっかく久しぶりに二人で会えたのにと、少し残念に思いつつも、そんなことを口に出来るはずもなく、会話を弾ませる彼らを見て、気づかれないよう、そっとため息をひとつ吐いた。
今日がファーストコンタクトだというのに、二人はもうすっかり打ち解けていて、今はゲームの攻略法について語り合っている。
幼なじみとクラスメイトのよくわからない会話に、とりあえず耳を傾けながら、私は少し冷めてしまったパスタを口に含んだ。

「ところで、2人って知り合いなの?」

私と鋭ちゃんを交互に見ながら、佐藤くんは自然な疑問を口にした。

「俺ら幼なじみなんだよ。実家が近所で」
「あぁ、なるほど。そういうことか」
「今日は俺の買い出しに付き合ってもらうことになっててよ」
「まぁ、1時間待たされましたけどね」

我ながら意地悪だなと思うけど、せっかくのデートが三人になってしまった腹いせに、拗ねたようにそう呟く。
わざとらしく深いため息を吐いてみせると、鋭ちゃんは再び焦った様子でテーブルに両手をつき、私に向かって頭を下げた。

「いや、本当にすまねぇ…!」
「女の子待たせちゃダメでしょ、切島」
「もっと言ってやって、佐藤くん」
「悪かったって!ほらなまえ、デザートも頼んでいいぞ!」
「パフェでもいい?」
「おう!いくつでも食え!」
「じゃあ、俺も食っていい?」
「いや、何でだよ!」
「冗談だよ」
「あ、すみません。追加でいちごパフェひとつ」
「いや、お前も早ぇな!いいけどよ!」

すかさずツッコミを入れる鋭ちゃんに、佐藤くんはくつくつと喉を鳴らしながら笑いだした。
クラスの中でも大人しい方だし、同い年の割にかなり落ち着いている彼が、そんなふうに笑ったところを初めて見た気がする。

「なんか、ヒーロー科はお高くとまってるって皆言ってるけど、切島みたいな奴もいるんだな」
「やっぱ、他の科からはそんな印象なんだな…相変わらず…」
「俺はあんま興味ないけど、なんだっけ…爆弾みたいな苗字の…」
「爆弾…?」
「爆豪くんじゃない?」
「そうだ、爆豪。そいつの噂は結構聞く」
「爆豪か...あいつは確かにプライド高ぇからなぁ…。でも何だかんだ良い奴だぜ!ちょっと分かりにくいけどな!」
「ふーん。まぁ切島が言うなら、そうなんだろうな」

そう口にすると、佐藤くんは少し俯きがちに静かに笑うと、グラスの中にある氷を、カランと一度だけ鳴らしてみせた。







「今日はサンキューな、なまえ!佐藤もありがとよ!買い物付き合ってくれて」
「むしろ俺が居て良かったのかって感じだけど」
「いいに決まってるだろ!誘ったのは俺なんだし!」
「お前はね」
「は?」
「何でもない。こっちの話」
「そうか?まぁいっか。じゃあ、俺こっちだから!またな!」
「おう」
「またね、鋭ちゃん」

私たちに向かって手を上げ、歯を見せながらニカッと笑うと、鋭ちゃんはA組の寮がある方へと歩いて行った。

「俺達も寮に戻ろうか」
「そうだね」

反対方向に歩き出す佐藤くんの少し後ろを歩きながら、私は鋭ちゃんが歩いていった方へと振り返る。
どんどん小さくなっていく彼の背中は、一度もこちらを振り向くことはなくて、何とも形容し難い寂しさを感じてしまう。
彼から視線を外し、前を向き直した後も、一日の終わりを告げる真っ赤な夕日が、彼の髪の色と重なって、余計に寂しさを募らせた。

「みょうじさん、元気ないね」

そんなことを考えていると、前を歩いていた佐藤くんは、いつの間にか立ち止まっていて、私の方をじっと見ていた。

「そんなことないよ」
「切島のこと考えてた?」
「え…?」

淡々と、けれど正確に核心を突いた質問をしてくる佐藤くんに、心臓が大きく跳ねた。

「意外と分かりやすいよね、みょうじさん」
「…何の話?」
「別に隠さなくても。好きなんでしょ?切島のこと」

ダメだ。完全にバレてる。

自分では上手く隠せているつもりなのだが、それは単に鋭ちゃんが鈍すぎるというだけで、他の人から見たらバレバレなのかもしれないと思うと、なんだか急に恥ずかしくなる。

「告白しないの?」
「しないよ」
「何で?あっちだって、少なくとも好意的には接してるじゃん」
「怖い、から」
「怖い?」

自分で言うのもどうかと思うけど、鋭ちゃんに好かれている自信はある。
私は彼に、間違いなく好かれている。全幅の信頼を置かれている。でもそれは、幼なじみとしての私であって、女としての私じゃない。
この気持ちを彼に伝えたら、どうなるだろう。
そんな想像は今まで何度もしたし、実際それを伝えようと思っていた時もあった。
だけど今は、ただただ怖い。自分はただの幼なじみで、それ以上にはなれないと、はっきり思い知らされることが。言わなければ良かったと、後悔するその瞬間がやって来ることが。
それだけじゃない。時間が積み重なるほど、自分自身が大人に近づくほど、あらゆることが想像出来てしまうのだ。
仮にもしも、この気持ちを告げて恋人になれたとして、その先に待っている未来が、必ずしも明るいものとは限らない。

幼なじみのままでいれば良かった。
好きにならなければ良かった。
出会わなければ良かった。

後悔ばかりが残る、そんな関係になってしまったら。

「今の良い関係を壊してまで、自分の気持ちを伝える勇気はないんだよ」

自分の信じた道を真っ直ぐに走る彼が好きで、そんな彼とは正反対の、臆病で逃げてばかりの自分が嫌い。
夕陽に照らされたアスファルトに視線を落とし、情けない言葉を吐き出す口を、きゅっと結んだ。

「提案なんだけど」

何も言えなくなった私に、佐藤くんは意外な言葉をかけた。

「今の関係が壊れるとか、気にしなくて良い奴と、試しに付き合ってみるのはどう?例えば、俺とか」
「あの…それ、どういう…」
「あー...要はさ、俺と付き合ってみない?ってこと」

佐藤くんの言葉に、思わず勢いよく顔を上げると、彼は特に顔色を変えることなく、淡々とした表情で私を見ていた。

「でも...私は...」
「俺とだったら、ほぼゼロベースの関係だから、築き上げたものが壊れるリスクはないじゃん」
「それは、そうだけど...」

彼がどういうつもりでそんな提案をしてきたのか、その表情からは全く分からない。冗談を言うタイプにはあまり見えないが、本気で私と付き合いたいと思っているようにも見えない。

「今、どういうつもりで俺がこんな提案してるか、って考えてるでしょ」
「佐藤くんはエスパーなの?」
「全然気づいてなかったみたいだけど、結構前から、俺はみょうじさんのこと好きだったよ」

佐藤くんは淡々とした表情を崩すことなく、私の目をしっかりと見てそう言った。彼のことをそういう対象だと思ったことはないが、突然のクラスメイトからの告白に、顔が熱くなるのを自分でも感じた。

「今すぐ返事しろなんて言わないからさ。ちょっと考えてみてよ」

俺は先に戻ってるから、と、佐藤くんは私に背を向けて、そのままクラスの寮の方へと歩き出す。
彼が少し先の角を曲がり、その姿が完全に見えなくなってから、私はその場に膝を抱えてしゃがみこむ。あまりに突然の出来事に、頭は軽くパニック状態だ。
耳に残る佐藤くんの言葉と、頭の中にチラつく幼なじみの顔。独りよがりな、意味のわからない罪悪感を抱えながら、ようやく寮へと足を踏み出す頃には、空は群青色に染まっていた。







「HRは以上。気をつけて帰れよー」

先生がそう言い教室を出ていくと、クラスの大半が帰り支度を始めた。いつもなら、私も例外なくそそくさと帰り支度を始めているのだが、今日は生憎日直のため、日誌を出してから帰らなければならない。
昨日のこともあり、今日の授業はほとんど記憶になく、いつもならもう書き終わっている日直日誌は、見事なまでに真っ白だった。
ひとまず今日のノートを見返して、各授業の欄はその内容を適当に書いて埋めた。最後の全体的なまとめの部分は、当たり障りのない記載を過去の日誌から探し出し、それを真似して書いた。

「ふぅ...何とか書けた」

書き終わる頃には教室には誰もおらず、そう呟いた小さな声は、まだ肌寒い空気に溶けて消えた。

「お疲れ様」

教室の後ろの方から聞こえた声に勢いよく振り返ると、そこにはスマホを片手に、相変わらずのポーカーフェイスを決め込む佐藤くんの姿があった。

「い、いたんだ...気づかなかった」

誰もいないと思ったからこその、先ほどの独り言だったというのに。聞かれていたかと思うと恥ずかしい。

「終わるまで待ってようかなって、思って」
「え...?」
「もう告白しちゃったし、開き直ってみようかと」

どう返したら良いかわからない私を他所に、彼は立ち上がってゆっくりと歩き、私の隣の席に座り直した。

「ちょっとは意識とかした?」
「いや、えっと...」

どうしよう。こんな時どうすれば良いの。
意識したか、してないかの二択なら、その答えは前者だ。だけど。

「私は───」

ここではっきりと言わなくては。そう思って口を開くと、教室のドアがガラッと勢いよく開けられた。
音につられて思わずそちらに視線を向けると、そこに立っていたのはクラスメイトではなく、少し息を切らせた私の幼なじみだった。

「お、いたいた!ってあれ、佐藤もいんじゃん!」
「今日も元気だな、切島」
「おう!絶好調だぜ!」
「あの...鋭ちゃん、どうしたの?」
「あ、そうだった!知ってると思うけど、来週ウチの母親の誕生日だろ?でもプレゼントのネタ尽きちまってよ...何かねぇかなって、思って」
「え、それを聞くために、ここまで来たの?」
「そうだけどよ、それがどうかしたか?」
「えっと...それならメッセージで済むのに、わざわざ来たんだなって...」

私がそう言うと、鋭ちゃんはハッとしたような顔をしてから、彼自身の右頬を指で掻いた。

「確かにそれもそうだな...何か頭回ってなかったわ...悪い...」
「ふふ、良いけどね」

私に笑われたのが恥ずかしかったのか、鋭ちゃんは顔を赤らめながら、もう一度小さく悪い、と言った。

「俺は先に寮に戻るわ」
「え、先に帰っちまうのか?」
「あぁ。ちょっと用事あるから」
「そっか!じゃあまたな!」
「おう」

佐藤くんは鞄を肩にかけると、そのまま教室の入り口の方へと足を進めた。すると教室のドアを通り抜ける手前でピタ、と立ち止まり、あ、そうだ、と何かを思い出したような声を上げ、こちらを振り返った。

「返事、考えといてね」

昨日と同じく、真っ直ぐに私の目をみてそう言うと、彼は左手をヒラヒラさせながら、今度こそ教室を後にした。




「返事って、何のことだ?」

彼の言葉を不思議に思ったのか、鋭ちゃんは不思議そうな顔で私のことを見た。

「え...えっと...別に大したことじゃ、ないから」
「大したことじゃねぇなら、教えてくれも良くねぇ?」
「いや、その...」
「...もし違ったらあれなんだけどよ、もしかして、告白されたとかか?」

どうやって誤魔化そうかと言葉を選んでいると、鋭ちゃんはいきなり確信をついた質問をぶつけてきた。
この手の話題にはかなり鈍感だと思っていたけれど、露骨なあの言い回しに、さすがの彼も状況を飲み込んだらしい。こうなってしまった以上は、もはや否定する選択肢は残されていない。

「うん。まぁ...」

あぁ、嫌だな。どうせ、良かったじゃねぇか、とか、あいつは良い奴だから安心だな、とか、そんな台詞を言ってくるのだろう。
この先の彼の言葉によっては、今日この恋を諦めたいと思ってしまう可能性すらあるというのに。

「良かったじゃねぇか。あいつ良い奴だしよ」

いつもの笑顔でそう言う彼は、おそらく心からその言葉を口にしていて、それが毎回私の心を抉ってくる。
いつの頃からか、ずっとこうなのだ。私が誰かに告白されても、相手が悪い人間でなければ、鋭ちゃんは絶対に否定的なことは口にしない。
相手は超鈍感を絵に描いたような超鈍感だ。期待をしたところで、打ち砕かれることは目に見えている。だけどそれでも、もしかしたら。そんなふうに思っていなければ、恋なんてやっていられないのだ。

「そうだね。まぁ、うん...良い人だとは思う」
「付き合うのか?」
「まぁ、一応は考える」

はっきりと"断る"とは言わず、それをあえて濁す。これは、精一杯の強がりだ。
本当は自分の中で答えなんて最初から決まりきっているし、他の人を好きになれるのなら、とっくの昔にそうなっていただろう。
佐藤くんが言ったように、今の関係が壊れることを気にしなくていい相手を好きになれたら、確かにもっとシンプルに、恋を楽しめていたのかもしれない。
でも、それは無理なのだ。彼を好きでいることは、息をするのと同じくらいに当たり前のことで、それを別の誰かで補うなんて、絶対にできっこない。
どれだけ滑稽だとしても、私には多分、これが一生分の恋なのだ。

「そっか」

鋭ちゃんは小さくそう呟くと、珍しくそれ以上何も言わなかった。
てっきり、応援するぜ、とか余計な一言で私の心を打ち砕いてくると、覚悟していたのに。
互いの間に沈黙が流れ、今まで何度か繰り返したやり取りなのに、なぜかこの時間がとても気まずい。
いつもなら、こんな沈黙さほど気にもならないというのに。

「あ、そうだ。おばさんの誕生日のことだけど───」

どうせこれ以上この話題を続けたところで、待ち望んだ結果なんて得られない。
自分の中に渦巻く気まずさを、誤魔化すようにしてそう言い、机の横にかけた鞄を取ろうと手を伸ばすと、左腕を急に掴まれた。

「え...」

今教室に居るのは、私と鋭ちゃんの二人だけ。私の腕を掴める人は、私以外には一人しかいない。

「今から、すげぇ勝手なこと言うけどよ」
「な、何...?」
「付き合うのは、やめて、くんねぇか」

珍しく自信なさげにそう言う鋭ちゃんの声は、少しだけ震えていた。
掴まれていた腕を見ていた視線を、ゆっくりと彼の顔へ向けると、鋭ちゃんは頬を真っ赤にしながら、とても苦しそうな表情を浮かべていた。

「いや...鋭ちゃんさっき、"良かった"って、言ってなかった...?」

期待が募る。
だけどそれを打ち砕かれるのが怖くて、確信が欲しくて、可愛げの欠片もない言い方をしてしまった。
そんな私の問いかけに、鋭ちゃんは目を泳がせながら、いや、その、つまり、と言葉を必死に選んでいた。

「さっきのは...全部、本音だ。好きだって、言ってもらえること自体は良いことだし、実際佐藤は良い奴だと思う...けど」
「…けど?」
「何つーか、なまえが他の奴の隣に居るのは嫌っつーか」
「じゃあ断るよ」
「あ、いや!!断れって言ってるわけじゃなくて...っ」
「さっき、"付き合うのはやめてくれ"って言ってたけど?」
「そうだけどよ…でも、良く考えたら、それは俺が決めることじゃねぇし…だから、それは...忘れてくれ」
「じゃあ、佐藤くんと付き合っても良いの?」
「......お前がそうしてぇなら」
「私が聞いてるのは、鋭ちゃんの本音なんだけど」

彼を追い込んでいる自覚はある。でも、それくらいは許されたって良いはずだ。
だって今、この瞬間が来ることを、私はもう何年も、ずっとずっと待っていたのだから。

「...嫌だ。やっぱり、お前が他の奴と付き合うのは、嫌だ」

追い詰められた鋭ちゃんは、相変わらず顔を真っ赤にしながら、私の腕を掴む手とは反対の手で、今の顔と同じく真っ赤な髪をぐしゃぐしゃと乱しながら、半ばやけくそ気味にそう言った。
そんな姿に、少し申し訳ないなと思いつつも、今これ以上ないくらいの幸せな気持ちに満たされている。
どうやら本人は、この後に及んで自覚なしという、非常に厄介な状態だが、今までの経緯を考えれば、これは大進歩だ。

「うん。じゃあ断るよ」
「お、お前はそれで良いのかよ...」
「良いよ。だって私には鋭ちゃんがいるし」
「は!?」

これは仕返しだ。長い長い間、彼に翻弄され続けた、執念深い片想いの反撃だ。
せめて今日くらい、私のことで困ってみせて。

「鋭ちゃんが好きだから、他の人とは付き合わないよ」
「おま、え...っ、何を、急に...っ!!」

私の言葉を聞いた鋭ちゃんは、掴んでいた腕を勢いよく離し、そのまま数歩後退りをした。付き合いはかなり長いのに、こんな彼を見たのは初めてだ。

「あ、そうそう。また話逸れちゃったけど、おばさんの...」
「いや、そんなの今はどうでも良いだろ!!」
「え、だって、鋭ちゃんその話をしに来たんでしょ?」
「そうだけど…って、いや!そうじゃねぇだろ!今のすげぇ大事な話だったじゃねぇか!」
「そう?」
「...ちょっと待ってくれ...。あれ、もしかして、今のは俺の聞き間違いだったのか...?」
「私が好きって言ったこと?聞き間違えなわけないでしょ。おバカさんなの?」
「いや、だってお前...今までそんな素振り全くなかったしよ...」
「あー、もう良い。言った私がバカだった」

察しが良い彼なんて想像もできないけれど、何でこうも鈍いのだろう。
自由になったその腕で、私は今度こそ、自分の鞄を手に取って、教室の入り口までそのまま歩き出した。

「ちょっ...!待てって!!」

私が怒ったと思ったのか、鋭ちゃんは昨日遅れてやって来た時と同じく、焦ったような様子で私の腕をもう一度掴んだ。

「はぁ...今度はなに?」

私の腕を掴んだはいいものの、次の言葉は何も考えてなかったらしい。鋭ちゃんは真っ赤な顔をしたまま俯き、私たちの間に再び沈黙が流れた。

「…待ってたら、日が暮れちゃいそう」
「言う!言うから!ちょっと待ってくれ!」

彼はその場で深呼吸をすると、頬は依然として赤く染まっているものの、まるでこれから戦場に行くかのような神妙な面持ちで、私の目を真っ直ぐに見た。

「正直まだ…好き、とか、そういうのはわかんねぇ…」

いや、どう考えたって私のこと好きでしょ。今さら何を言ってるのよ。
逆にそれ以外で、彼は今までの言葉をどう説明するつもりなのか、今すぐここで問いただしてやりたい。
うっかり溢れそうになったその本音を、喉の奥へと押しやり、代わりに深いため息をひとつ落とした。
いつもの男気を追求する姿はどこへやら、その赤らめた頬と揺れる瞳は、まるで別人と対峙しているようだ。これではどちらが恋する乙女か、わかったものではない。
長い付き合いで、今日まで知らなかった彼の顔をいくつも見た。彼のことなら何でも知っていると、そう思っていたのに。

「けど、一番そばにいて欲しいのは、お前しかいねぇって、思う。だから...」
「...だから?」
「ちゃんと、返事すっから...待ってて、欲しい」

そう言うと、鋭ちゃんはなぜか悔しそうな顔をして、膝を折ってその場に蹲った。

「え...なに?どうしたの?」
「ちくしょう...めっちゃかっこ悪ぃじゃねぇかよ俺...男らしくねぇし...」
「そうだね。結構かっこ悪いと思うよ」
「お前そういうとこ、容赦ねぇよな、昔から...」
「でも、好きだよ。かっこ悪い鋭ちゃんも」
「お前な...っ!つーか、それ...っ、わざとやってんだろ...!!」
「あ、バレた?でも本心で言ってるから」

男らしくなんかなくたって、私は鋭ちゃんが好きだ。
今更かっこ悪いところを一つ二つと知ったところで、私の気持ちは変わらない。
この恋は元より長期戦だ。延長戦になることなんて、別に大したことじゃない。

「待ってるから、迎えに来て」

待ってるから、早く来て。
真っ直ぐ迷わず、走って来て。
片想いの終着点で、あなたが来るのを、ずっと待ってる。


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Twitter記念リクの切島くん夢でした。
久しぶりすぎて彼の書き方を忘れましたが、個人的には女の子の性格がとても気に入っています。

2021.03.14

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