まいごのおうじさま


※短編「あの子が欲しい」「Trick and Treat」の続編です。
(未読でも特に問題はありません)


「うわぁ...すごい人...」

甘い香りが漂うその場所は、まだお昼前だというのに、たくさんの人で賑わっていた。店内には、私と同じ高校生くらいの女の子は少なく、どちらかというと社会人、もしくは主婦層が主な客層のように感じる。
ワンフロアのほぼ全域に置かれたいくつものショーケースには、それぞれのお店の個性が現れるお菓子が並べられていた。

「すげぇな」
「暇人しかいねぇのか、この国の女はよ」

溢れ返る人の波を見て、さてどこから見ようかとパンフレットを手に取る私の横で、やや引き気味でそんなことを言い出す彼らの顔に、思わず吹き出すように笑ってしまう。

「ふふ、だから言ったでしょ?ついてきても多分二人は面白くないよって」
「んなモン最初から期待してねぇわ」
「マジで全部チョコの店なんだな」
「すごいよね...毎年こうだと知ってはいたけど、いざ来てみるとやっぱり違うなぁ」

2月14日。
肌を突き刺すような寒さに、思わず外に出るのを躊躇ってしまう日々を送る季節だが、この日だけはきっと特別だ。
ある人は心に秘めた想いを、ある人は日々の感謝を、それぞれ贈り物に込めて伝える日だ。

「ねぇねぇ、これはどう?」
「うーん...美味しそうだけど、彼氏甘いのあんまり好きじゃないから...」

そんな会話がすぐ近くで聞こえてきて、声のする方に視線を送ると、大学生くらいの女の人が二人でショーケースを覗き込んでいた。会話から察するに、恋人に渡すプレゼントを選びに来たのだろう。
恥ずかしそうにしている片方の女の人に、つい応援の言葉をかけに行きたくなる。

「おい、何ボサっとしてんだよ」
「え、あぁ、ごめんね」
「それで、どっから見て回るんだ?」
「んー...特に買うお店決めてないから、とりあえず端から順に見てってもいい?」
「あぁ」
「...めんどくせ」

端から順に見ていきたいと言った私に、爆豪くんが少し面倒臭そうにそう吐き捨てると、それを待っていましたと言わんばかりに、轟くんが私の左手を引いて、自分の方に寄せた。

「何のつもりだ、この舐めプ野郎」
「めんどくせぇなら、お前は別の場所で待っててもいいぞ」

轟くんがなぜか誇らし気にそう言うと、爆豪くんは轟くんを思い切り睨みつけながら、空いていた私の右腕を掴んできた。

「てめぇと二人っきりになんかさせるかよ」

今度は爆豪くんが私の腕をぐ、っと少しだけ力を入れて引っ張る。すると轟くんが負けじと、今度は少し強めに私の手を引いた。

「遠慮せずにどっかで休んでろよ、爆豪」
「誰がてめぇに遠慮なんかするか!!っとに人の神経逆撫でする天才だなてめぇは!!」
「だったらいちいち文句言うなよ。勝手についてきたのはお前だろ」
「そりゃあてめぇも一緒だろうが!!」
「二人とも…ここお店だから…」

デパートのバレンタインコーナーで、みっともなく喧嘩を繰り広げている二人の男子高校生に、次第に周囲の人がこちらに視線を向ける。
クスクスと笑いながらこちらを見ている人。目をぱちぱちとさせながら驚いた様子でこちらを見る人。はたまた、呆れたような顔でこちらを見ている人。
反応は様々だが、少なくとも良くない意味で目立っていることは間違いない。

「つーか、いつまでそうやって手ぇ握ってんだ。離せや」
「お前こそさっさと離せ。両方から引っ張られて、みょうじが困ってんだろ」

二人ともおそらく加減はしてくれているだろうが、それでもヒーロー志望の男の子の力は強く、掴まれた左手と右腕が少し痛い。
しかしそれ以上に、そんな私たちの様子を見る周囲の人の視線が痛い。

「いいこと教えてやるよ。てめぇがその手を離せば、万事解決だわ」
「断る。お前が離せ」
「俺に命令すんな。てめぇが離せや」
「嫌だ」

あぁもう、どうして彼らはいつもこうなんだ。まだどこのお店も見ていないというのに、既に頭が痛くなってきた。私はただ、美味しいチョコが買いたくて来ただけなのに。

両隣で見えない火花をバチバチと散らす二人に、そろそろ苦言を申してやろうと思った、その瞬間だった。

「お兄ちゃんたち!」

私が口を開きかけたところに、背後から可愛らしい声が響く。
思わず声のした方に振り向くと、6、7歳くらいの小さな男の子が、仁王立ちで腕組みしながら立っていた。男の子はムッとした顔をしながら、その小さな人差し指を、勢いよく私の方に向けた。

「そのお姉ちゃん困ってるよ!離してあげて!」

突然の出来事に驚いたのか、爆豪くんと轟くんは、それぞれ掴んでいた私の右腕と左手をすっ…と離す。
轟くんはともかく、爆豪くんがこんなに素直に誰かの言うことを聞いているところなんて、私が知る限りは初めてのことだ。
二人が私の手を離したのを確認した男の子は、そのままトコトコと私の方にやって来ると、私の手を取って二人から引き離す。咄嗟に小さく声をあげた爆豪くんたちを睨みつけながら、守るように私の前に両手を広げ、2人の目の前に立ち塞がった。

「女の子を困らせたら、ダメでしょ!」

どうだ!と言わんばかりの顔でそう口にした男の子に、私たち含め、周囲が静まり返る。
突然現れた男の子に怒られた爆豪くんと轟くんは、口をぽかん、とさせてその場に立ち尽くしている。

「お姉ちゃん、大丈夫?」

男の子はくるっと振り返ると、私の方を心配そうに見上げて、そう話しかけてきた。

「え…う、うん…!ありがとうね…」
「おいてめぇ、何が"ありがとう"だ」
「いや、実際この子の言う通り、結構困ってたし…」
「こいつ、みょうじの知り合いか?」

私の手を掴んだままの男の子に視線を落としながら、轟くんは彼のことを指さして、私にそう尋ねた。

「ううん、知らない子だけど…ねぇ君、今ひとりみたいだけど、お父さんやお母さんは一緒じゃないの?」

私が男の子にそう尋ねると、さきほどまでの威勢の良さはどこへやら、急にしょんぼりした様子で俯いてしまった。

「……どっか行っちゃったの」
「んだよ、偉そうに説教垂れといて、迷子かよ」
「爆豪くん、そういう言い方やめなよ」
「どの辺ではぐれたか、覚えてるか?」
「妹のおもちゃを買った時までは、一緒だった」
「そっか…。でもここにいてもアレだし、ひとまず迷子センターに一緒に行こうか」
「それはダメ!!」

俯いていた顔を勢いよく上げて、男の子は大きな声でそう口にした。

「いや、何でだよ」
「12時からのヒーローショーに間に合わなくなっちゃう!!」
「ヒーローショー?」
「屋上でやるんだ!僕それがみたくてここに来たの!ほら、そこにポスター貼ってあるやつ!」
「あぁ、これか…」

轟くんは壁に掲示されたポスターを見ながら、納得したように頷いた。今子供に人気のヒーロー番組のタイトルが大きく書かれたそのポスターには、確かに今日の日付と、このデパートの屋上で開催されることが書かれている。

「どうしよっか…」
「どうしようも何も、然るべき場所に連れてく以外の選択肢ねぇだろうが」
「でも、今迷子センターに連れてっちまったら、どうやっても12時からのやつ間に合わねぇぞ」
「俺が知るかよ、そんなもん。勝手に迷子になった、このガキが悪ぃんだろが」

私たちのやり取りを聞きながら、男の子は再び、しょんぼりとした顔になってしまった。そんな彼の様子を見て、私は恐る恐る、二人にあることを提案した。

「私たちがヒーローショーが連れて行って、その後に迷子センターに連れていくのじゃダメかな…?」
「ほんと…!?」

私の提案に、男の子はパァっと表情が明るくなった。

「ダメに決まってんだろうが」
「やっぱり、ダメかな…」
「勝手に連れ回すのは、さすがにまずくねぇか」
「それはまぁ、そうなんだけど…」
「僕が頼んだことにするから!お願い!」

男の子は両手を合わせ、目をぎゅっと瞑って、祈るようなポーズをとった。

「ショーが終わったら、ちゃんと迷子センターに連れて行くから、私からもお願い」

そう言いながら、隣にいる轟くんと爆豪くんを見ると、二人は珍しく互いに目配せした後、少し長めのため息を吐いた。







その後、エレベーターに乗って屋上に行くと、広場の中央には大きなステージがあり、上部にはショーのタイトルが書かれた看板が設置されていた。
さすがは人気のヒーロー番組のショーだけあって、まだ開演までは30分ほどあるのに、広場は沢山の親子連れで賑わっていた。
私たちはステージの前に置かれたベンチに座り、開演までそこで待つことにした。

「お姉ちゃんも、妹がいるの?僕と一緒だ!」
「そうなの。ユウタくんと一緒だね」

男の子の名前は"ユウタくん"というらしい。
四月からは小学校に通うことになっていて、下の妹は昨年の秋に生まれたばかりだという。

「妹さん、可愛い?」
「うん!ちっちゃくて可愛いよ!」
「ふふ、私から見たら、ユウタくんもすごく可愛いけどね」
「僕もうお兄ちゃんだもん。可愛くなんかないよ」

私の言い方がお気に召さなかったのか、ユウタくんはムッとした顔をしてみせると、ぷい、と顔を横に向けてしまった。

「うそ嘘、冗談だから怒らないで。そうだよね、もうお兄ちゃんだもんね」

そう訂正すると、ユウタくんは顔の向きを元に戻してニコニコと笑った。
やっぱり、とっても可愛いと思うけどなぁ。また怒ってしまうだろうから、言えないけど。

「ねぇ、ばくごー!お腹空いた!」

ユウタくんそう言いながら、隣に座っているにも関わらず、先程から一切会話をしない爆豪くんと轟くんの方へと身体を向けた。
ユウタくんの言葉を聞いた爆豪くんは、眉間に皺を寄せ、いかにもイライラした様子で、舌打ちをひとつしてみせた。

「おい、歳上に対する態度がなってねぇぞ。"さん"をつけろや」
「なんか買ってきて!僕の分とお姉ちゃんの分!」
「あ、いや…私は別に…」
「ざっけんなクソガキ。俺はてめぇの兄ちゃんでも父ちゃんでもねぇんだよ」
「爆豪、俺も腹減った」
「てめぇはマジで黙れ。つーか死ね」
「じゃあ、とどろきの分も!」
「"じゃあ"、じゃねぇんだよ、誰がこんなクソ舐めプの分なんぞ買ってくるか」

爆豪くんが冷たくそう言い放つと、ユウタくんは両目をパチパチさせたあと、何かに気づいたかのような、ハッとした様な顔をする。そして何故か気まずそうな顔で、彼は恐る恐る口を開いた。

「ばくごーって…」
「…ンだよ」
「もしかして、"びんぼー"なの?」
「は?」
「びんぼーだから、お金持ってないの?」

ユウタくんは可哀想なものを見るような目で、爆豪くんを見ながらそう尋ねる。彼の思わぬ問いかけに、気の抜けた声を上げる爆豪くんの姿を見て、私は必死に笑いを堪えた。

「ざっけんなクソガキ!!ンなわけねぇだろうが!!」
「爆豪、お前苦労してたんだな」
「てめぇそこ動くんじゃねぇぞ。今すぐ殺す」
「まぁまぁ、爆豪くん落ち着いて…」
「違うの?あ、びんぼーじゃなくて、けちなの?」
「ケチじゃねぇわ!!てめぇ奢り殺したろか!!」
「ほんと…!?じゃあね、僕ホットドッグが食べたいな!」
「じゃあ、俺もそれ2つ」
「おーおー、5個でも10個でも好きなだけ買ってやらぁ!」

そう言いながら、半ばヤケクソ気味で立ち上がると、爆豪くんは売店に向かってズカズカと歩いて行く。
しれっと轟くんも注文していたが、それについてスルー出来てしまえるほどに、"ケチ"と言われたことにプライドが逆撫でされたらしい。

「行っちゃったね」
「そうだな」
「ふふ、轟くんがちゃっかり注文してたの、面白かったよ」
「そうか?」

爆豪くんが歩く後ろ姿を見ながら、そんな話をしていると、ユウタくんが急に座っていたベンチから飛び降りた。

「どうしたの?」

私の質問には答えず、ユウタくんはベンチに座る轟くんをじっと見つめた。
轟くんは不思議そうな顔をしながら、目線をユウタくんに合わせるようにして少しだけ屈んだ。

「どうした?」
「とどろきは、お姉ちゃんの彼氏なの?」
「は…!?」

真顔でそんな質問をするユウタくんに、思わず大声を出して立ち上がると、轟くんは特に驚いた様子もなく、少しだけ俯いてから、もう一度ユウタくんの方を見た。

「彼氏じゃねぇけど、おれはこいつが好きだ」

恥ずかしげも無く、ハッキリとそう口にした轟くんの視線は、ユウタくんから流れるようにして私に向きを変えた。左右で色の異なる綺麗な目と視線がぶつかり、思わず顔を逸らしてしまう。

「でも、ばくごーもお姉ちゃんのことが好きだよね?」
「あぁ」
「じゃあ、らいばる?」
「そうだ。負けねぇけどな」

轟くんはそう言うと、立ち上がった私の手に触れ、ぎゅ、っと握った。左手だからなのか、2月だというのに、その手はとても暖かく、むしろ熱いくらいだった。

「と…」
「絶対、負けねぇから」

力強い彼の言葉と視線に、握られた手を咄嗟に引っ込めると、意外にもその手は容易く離れた。自由になった手にはまだ彼の熱が残っていて、それと同じくらい顔が熱くなる。
普段はとても優しくて、どこかちょっと抜けているのに、ふとした瞬間、急に男の子から男の人の顔になる。おそらくこれを意識せずにやっているのだから、轟くんは恐ろしい。

「お姉ちゃんは?」
「え…」
「お姉ちゃんは、とどろきとばくごー、どっちがすきなの?」

ユウタくんのその質問に、完全に言葉が詰まる。
最近は三人で過ごすことも増えたが、よく考えると奇妙な関係性だ。
爆豪くんも轟くんも、私に直接的に答えを求めるようなことは言ってこないが、どちらかなのか、もしくはどちらでもないのか、いつかはその答えを出さなければいけない日はやって来る。

「おいガキ、その辺にしとけや」

後ろから聞こえた気怠げな声に振り向くと、そこには売店の袋を手に提げた爆豪くんが立っていた。彼は袋を持つ手とは反対の手を私の肩に回して、自分の方に引き寄せた。

「"女を困らせたらダメ"なんだろ」

口は悪いし態度も悪いし、いつも私を困らせてくる張本人のくせに、本当に私が困っている時は、こうして必ず助けてくれるのが、爆豪くんだ。
普段の様子から忘れてしまいそうになるけど、彼の触れる手や仕草のひとつひとつが、言葉とは裏腹にとても優しくて、自分が彼にとっての"特別"であることを実感する。
爆豪くんは私の肩から手を離すと、売店の袋をベンチに置いてから、轟くんの顔をじっと見た。

「なんだ」
「てめぇのさっきのセリフは、そっくりそのまま返してやるわ」

爆豪くんの言葉を聞いた轟くんは、少し不機嫌な表情になったものの、そのまま黙って首を縦に振った。爆豪くんはそんな轟くんに舌打ちをひとつ落とすと、先ほど座っていた場所にどかっと再び腰を下ろす。
二人の周囲に漂う、少しピリピリとした空気を感じ取ったのか、ユウタくんは私のスカートをきゅっと掴んだ。そんな可愛らしい様子を見て、私は先ほどの彼の質問を思い出した。

"お姉ちゃんは、とどろきとばくごー、どっちがすきなの?"

どっちもただの友達だよ。

ほんの少し前までなら、はっきりそう答えられたはずなのに。どうしてあの時、完全に言葉を詰まらせてしまったのだろうか。
いや、その理由はもうわかっている。わかっているけれど、自分でそれを認めたくないだけだ。

「厄介だなぁ」

思わず苦笑いを浮かべて、そんな言葉を吐き出すと、目の前にいた二人がこちらを不思議そうな顔で見た。

「何言ってんだてめぇ」
「どうかしたのか?」

もしも今、二人のことを考えてたの、なんて言ったら、彼らはどんな顔をするのだろうか。ちょっと見てみたいような、見たくないような。
乙女心は複雑だ。

「なんでもないよ」

でもやっぱり、まだ言わない。
思い通りに翻弄されているのは、なんだかちょっぴり悔しいから。








「そういえば、お姉ちゃんたちはなんで今日ここに来たの?」

ヒーローショーが終わり、屋上広場から迷子センターに向かう道中で、ユウタくんが思い出したように、私たちにそう尋ねた。

「今日バレンタインデーでしょ?だからチョコを買いに来たんだよ」
「二人にあげるチョコ?」
「ううん。自分で食べるチョコ」
「え...お姉ちゃんが食べるの...?」
「うん」

私がそう答えると、ユウタくんは爆豪くんと轟くんのことを、とても悲しそうな目で見つめた。

「おい、んな目で見んじゃねぇよ」
「だって、二人はお姉ちゃんが好きなのに、お姉ちゃんからチョコ貰えないんでしょ...?」
「改めてそう言われると、ちょっと落ち込むからやめてくれ」
「ねぇ、そう言えば、ユウタくんは好きな女の子とかいないの?」
「え...」

冗談半分で聞いたその質問に、ユウタくんは顔を真っ赤にさせた。

「ふふ、いるんだね」
「まぁ...」
「マセガキが」
「俺らも似たようなもんだろ」
「あ?」
「ちょっと二人とも、うるさい。それで、どんな子なの?あ、幼稚園の子?」
「う、うん...。家が近いから、よく遊んでて...。でも...」
「でも?」
「遠くの小学校に行くから...もうすぐ引っ越しちゃうんだって...」
「そっか...」

しょんぼりと俯く小さな頭に、こういう時なんと声をかけてあげるべきなのだろう。

「自分の気持ち、言わなくていいのか?」

ストレートにそう尋ねた轟くんに、ユウタくんは困った顔をして見せた。

「でも、急に言ったらびっくりするだろうし...」
「あ、じゃあユウタくん、その子にバレンタインあげたら?お家が近いなら、今日渡せるだろうし」
「え...でも、バレンタインは女の子がチョコをあげる日でしょ?」
「日本ではね。でも海外だと、バレンタインは男の子が好きって気持ちを伝える日なんだよ」
「そうなの?」
「うん。だから男の子があげても、別に変じゃないんだよ」
「お姉ちゃんは、もらったら嬉しい?」
「もちろん!嬉しいよ!」

私がそう言うと、ユウタくんは嬉しそうに笑う。
すると少し遠くの方から、駆け足でこちらへ向かってくる女の人が見えた。女の人は私の向かいにいるユウタくんを見て、泣き出しそうな声で彼の名前を呼んだ。自分を呼ぶその声に、ユウタくんは嬉しそうに振り返ると、その女の人の方へ駆け出して行った。

「迷子センターには、行かなくて済みそうだな」
「そうだね」
「あー...やっとガキのお守りから解放されたわ」
「またそんな言い方して...」

そんな会話をしていると、お母さんに手を引かれたユウタくんが、再び私たちの元へとやって来た。

「すみません、この子が大変ご迷惑を...ショーもお付き合いいただいたとか...」
「あ、いえ...一緒に行こうと言ったのは私ですし。それに、とてもいい子でしたよ」
「ねぇママ、後でさ、あかりちゃんのお家に行ってもいい?」
「え?いいけど...どうして?」
「ばれんたいんでーだから!」

ユウタくんのお母さんは、彼の言葉にあまりピンと来ない様子だったが、嬉しそうに話す自分の子供を、とても愛おしそうな目で見つめていた。







「お待たせしました」

ユウタくん達と別れた後、本来の目的であったチョコレートを買うために、バレンタインの特設コーナーへと戻った。
一通りお店を見てから、何を買うかを決めた。二人には少しの間、休憩も兼ねて待っていてもらい、そして私はついに、お目当ての自分用チョコをゲットしたのであった。

「おっせぇわ」
「いや、10分くらいしか離れてないけどね」
「欲しかったやつ買えたのか?」
「あ、うん。おかげさまで。付き合ってくれてありがとうね」
「いや、勝手について来たのは俺らだし。買えて良かったな」
「うん!」
「用が済んだなら、さっさと帰んぞ。いい加減この甘ったるい匂いに吐きそうだわ」
「あ、ちょっと待って...」

デパートの入り口に向かって歩き出そうとした爆豪くんと轟くんを呼び止めると、彼らはいつもと変わらぬ表情で、私の方に振り返った。

「はい。これ、二人にあげる」
「え...」
「...自分の買いに来たんじゃねぇんか」
「そのつもりだったんだけど...付き合ってもらったし、ユウタくんのことでも、二人のこと振り回しちゃったし...そのお礼」
「相変わらず、そういうところは律儀だな」
「んなこったろーと思ったわ。どうせクラス連中にも買ったんだろ。てめぇのことだから」
「買ってないよ」
「「は?」」

私の返答が意外だったのか、二人は先ほどユウタくんに怒られたこの場所で、同じように口をぽかんとさせた。

「他の人の分はないから、みんなには内緒ね」

じゃあ帰ろっか、と彼らを追い越し、今度こそデパートの入り口に向かって歩き出すと、後ろから勢いよく右腕と左肩を掴まれた。

「ちょ...っ」

突然のことに振り返ると、左側の頬に何か柔らかいものが当たる感触が残った。それは一瞬の出来事だったが、残像に映るベージュ色に、今誰に何をされたのかをはっきりと理解した。

「な、なな...っ、何してくれちゃってんのよ!」
「あ?なんか文句あっかよ」
「あ、あるに決まってるでしょ!」
「じゃあ、俺はこっちな」

右腕を掴んでいた轟くんは、ゆっくりと私の目の前に来ると、さも当たり前のように、私の額にちゅ、っと唇を寄せた。

「と...っ!?」
「悪ぃな。生憎プレゼントは用意してねぇんだ。だからこれで今日は勘弁してくれ」
「べ、別にそんなの求めてないし...!」
「あのガキに言ってたじゃねぇかよ。自分もバレンタイン貰えたら嬉しいってよ」
「...もう知らない!!帰る!!」

全くもう、これだから。ちょっとこっちが下手に出ると、すぐこれだ。調子に乗って、こっちの気も知らないで、やりたい放題してくれちゃって。
っていうかここ、まだ店内なんですけど。誰かに見られてたら、どう責任とってくれるのよ。

二人を置いて早足で店を後にするも、当然二人の方がコンパスは長いわけで。
あっという間に追いつかれて、轟くんに手を掴まれた。

「...何ですか」
「悪かった。怒らないでくれ、みょうじ」
「...次にやったら、本当に怒るから」
「キレてんじゃねぇよ、減るもんでもねぇのによ」
「場所を考えなさい場所を!」
「じゃあ、他に誰もいなかったらいいか?」
「ダメです!!」

轟くんに掴まれた手を振りほどき、駅へと続く道を一人再び歩き出す。
しばらくすると、後ろの方から聞き慣れた二つの声が、何かを言い争っているのが聞こえてきた。話している内容までは聞き取れないが、間違いなく下らない理由で繰り広げられているそれは、お世辞にも16歳の男子高校生が取る行動とは言い難い。

「はっ、俺に先越されたやつが何言ってんだ。だからてめぇは舐めプなんだよ」
「俺がキスした時の方が、あいつ顔赤かったぞ」
「あ?てめぇいっぺんの眼科行って来いや!そんで死ね!」
「死なねぇ」

あぁ、やっぱりとてつもなく下らない、さらにこの上なく恥ずかしい内容の言い争いをしている。
駅に着くまで、あと5分足らず。この恥ずかしい言い争いを何とかして止めなければ、私の自尊心はズタボロだ。

「二人とも、いい加減にしないと、もう二度と一緒に出かけないからね」

痺れを切らし、振り向いてそう言うと、先ほどまで睨み合っていた二人は、すっと顔を背け合う。片方は盛大な舌打ちをしながら、片方は少しだけしょんぼりとした顔をしながら。

「ほら、もう帰るよ。晩ご飯までに帰らないと」

電車に乗り、特に何かを話すでもなく、ぼーっと外を眺めていると、ポケットの中のスマホが小さく揺れた。何となくそれを取り出すと、写真付きのメッセージが1件、今日知ったばかりの名前と共に表示されていた。
中身を開いて確認すると、そこには可愛らしい女の子と一緒に、満面の笑顔で映り込む、小さな王子様の姿があった。


−−−−−−−−−−

バレンタイン用にもう一本書いていたのですが、とんだ大遅刻になりました。

2021.02.19

BACKTOP