緑谷くんの面倒な1日


※リクエスト「緑谷くんの災難な1日」の続編です。
(未読でも特に問題はありません)



春。
朗らかな日差しが世界を包み込み、ついどこかへ足を運びたくなってしまう季節だ。
頭上で咲き誇る薄桃色の花は、今まさに満開を迎えており、もう何度見たか分からないその美しさに、思わず顔を綻ばせた。柔らかな風に揺られ、ふわりと舞い散る花びらはどこか儚げで、だからこそこの美しさをこの目に収めておきたいと、誰もが足を止めてしまうのだろう。
かくいう僕も、その一人だ。こうして腰を下ろし、あらゆる五感を使い、全身で春を感じている。

そして、そんな僕の目の前には───




「てめぇはそうやって、いちいち鼻につく言い方しか出来ねぇのかよ。この半分野郎が」
「別に普通だろ。お前こそいちいち突っかかってくんなよ。疲れねぇのか」
「あ!?」




とんでもなく面倒くさい光景が広がっていた。




「大体、何でてめぇとこんな近くに座らなきゃなんねぇんだよ」
「俺だって別に、お前の近くに座りたいわけじゃねぇ」
「じゃあどっか行けや」
「断る」
「てめぇが居ると、飯が不味くなんだろ」
「俺が居ても、飯の味は変わんねぇだろ。何言ってんだお前」
「やっぱてめぇそこ動くな。マジで殺す」

適当に座る場所を選んでしまった、15分前の僕を殴り飛ばしたい。
よりによって、なんて厄介な三人の向かいに座ってしまったのだろう。両手から火花を散らす幼なじみと、それを心から不思議そうな顔で首を傾げる僕の友達。そして。

「ふ、二人とも…せっかくのお花見だし、喧嘩はやめようよ…」

そんな彼らに挟まれ、二人を交互に見ながら不安そうな顔を浮かべる、一人の女の子の姿があった。

「みょうじ、俺は喧嘩してるつもりはねぇぞ。こいつが勝手に突っかかってきてるだけだ」
「そのすました態度がイラつくんだよ、クソが」

彼女の制止に聞く耳など持たず、かっちゃんと轟君は相変わらずの調子で言い合いを続けた。
いつも通りといえばいつも通りだが、今日のかっちゃんはいつにも増して罵詈雑言に切れ味があり、よくもまぁそんなに罵倒のレパートリーがあるものだと、うっかり感心してしまいそうになる。
一方、始めはそれを無自覚に受け流していた轟君も、かっちゃんの言葉にイライラしてきたのか、口調が段々荒くなっていき、声を荒げたりはしないものの、その威圧感はかっちゃんに勝るとも劣らない。
そんな二人の様子に困り果て、彼らの間に縮こまって座るみょうじさんは、助けを求めるような視線を僕に送ってきた。

"緑谷くん、何とかして。お願い"

僕にはわかる。彼女の目はそう言っている。
あんな威圧感溢れる二人に挟まれたら、誰かに助けを求めたくなるのも無理はない。心中お察しする。
しかしながら、僕は確信している。ここに介入していくことは、僕にとって百害あって、一利なしだ。
轟君はともかく、かっちゃんに至っては僕が話しかけた瞬間、僕の身体が吹き飛ばされかねない。

"ごめん。僕には荷が重すぎるよ"

視線だけでそう返すと、僕が言いたいことは伝わったようで、みょうじさんは諦めたように肩を落とした。

「そんなに嫌ならお前がどっか行けばいいだろ」
「俺に命令すんじゃねぇ!このクソ舐めプが!」

一緒に来ていたA組のみんなだけでなく、近くでお花見を楽しむ知らない人までがチラチラと二人に視線送る。
そんな視線をものともせず、徐々にヒートアップしていく二人の口論に、間に座らされている彼女は少し泣きそうだ。
そんな彼女の様子に、ついに僕は覚悟を決めた。

ヒーロー志望だろ、緑谷出久。
沢山の人を助けるって、そう決めたじゃないか。
目の前にいる泣きそうなクラスメイトを救えずして、どうしてヒーローになれるというんだ。

「あ、あのさ…!」

二人の鋭い視線が僕を捉えた、その瞬間だった。
僕の向かい側から、ぐぅぅぅ、という、何とも間の抜けた音が聞こえてきた。
三人で顔を見合せたあと、ゆっくりと音のした方に目を向けると、先程まではかっちゃん達の威圧感に泣き出しそうだったみょうじさんが、今度は腹部を押さえながら、顔を真っ赤にさせて、恥ずかしそうに涙を浮かべていた。

「あー…なんつーか、悪かった…ぶふっ」
「つられるからやめろ爆豪…ふ、ごめんな、みょうじ。腹減ったよな。早く食べような」
「二人してニヤニヤしないで…いっそ爆笑してくれた方がまだ救われるから…!」

真っ赤な顔を両手で覆い隠すみょうじさんを見て、二人はついに堪えきれずに吹き出して笑い、愛おしそうな顔で彼女を見た。
僕の勇気は一体なんだったんだと思いつつも、ひとまずかっちゃんから爆破されずに済んだので、これはこれで良しとしよう。







「ほらよ。適当に取ってやったから、とりあえずこれ食え」

かっちゃんはそう言うと、料理を盛った紙皿をみょうじさんに差し出す。
紙皿に並べられた料理を見て、何故か彼女がびっくりしたような顔をすると、それを見たかっちゃんは少し怪訝な顔をしてみせた。

「…んだよ、その顔は。何か嫌いなもんでもあったんか」
「あ、いや…その逆で…。私が食べたいなって思ってたの、全部入ってたから、すごいなって、ちょっと感動しちゃって...」
「んなことで感動してんなよ。浅ぇわ」

言葉自体はぶっきらぼうだが、声のトーンや表情は、もはや僕の知っているかっちゃんではない。
紙皿の中の食べ物を美味しそうに食べるみょうじさんの隣で、"ったく、しょうがねぇな"とでも言いたげな表情を浮かべるかっちゃんの目は、信じられないくらい優しげだ。
そんな眼差しを彼女に送りながら、かっちゃんはみょうじさんの逆隣に座る轟君を、馬鹿にしたような不敵な笑みで一瞥した。そんなかっちゃんに、轟君はムッとした顔をしていたが、次の瞬間、ふと何かに気づいた様子で、そこに吸い寄せられるように手を伸ばした。

「花、ついてるぞ」

みょうじさんの髪についた桜の花びらをす、っと取ると、轟君はそれを彼女に見せてから、先程より少し強くなった風の流れに花びらを乗せた。

「ありがとう。さっきよりちょっと風強くなったから、結構花びら飛んでくるよね」

少し肌寒いのか、両手を擦り合わせながら小さく笑うみょうじさんを見て、轟君は少し何かを考えてから、自分の着ていたジャケットを脱いで、彼女の肩にかけた。

「え…」
「寒ぃんだろ。着てろ」
「でも、それじゃ轟くんが…」
「俺は知っての通り、自分でどうとでも出来るから」
「そう…?じゃあお借りしようかな…」
「あぁ、ずっと着てていいぞ」

"ずっと"の部分をやけに強調しながら、轟くんは自分のジャケットに袖を通す彼女を見て、満足気に顔を綻ばせた。
まるで付き合っているかのようなそのシュチュエーションに、普段は冷静で感情の機微が掴みにくい彼が、その手のことには疎い僕が見ても分かるくらいには嬉しそうだ。

「てめぇこの舐めプが。彼氏ヅラしてんじゃねぇよ」

そしてそんな轟君を、当然かっちゃんが放っておくわけもない。

「別にそんなつもりはねぇ」
「どこがだ。普段表情筋全く動かねぇくせに、ヘラヘラしやがって」
「お前だって、普段は無愛想なくせに、さっきはヘラヘラしてたじゃねぇか」
「してねぇわ!!てめぇと一緒にすんな!!」
「もー、どうしてまた喧嘩になっちゃうの…」

いや、どうしてもこうしてもあるか。

目の前で言い争いを繰り広げている二人は当然厄介として、本気で二人の諍いの根本原因がわかっていないのだから、彼女もかなり厄介だ。
正直僕から言わせれば、二人の喧嘩の理由にみょうじさんが全く気づかないことの方が、よっぽど不思議でたまらない。
そんなことを思いながら、暫く向かいの三人を眺めていた僕だったが、事件は突然起こった。

「え…?」

どうしたことか、急にみょうじさんがその場で立ち上がると、向かい側の僕の隣にやって来て、そのままそこに腰を落とした。
向かい側のかっちゃんと轟君は、その様子を呆けた顔で黙って見ていたが、それが逆に僕を戦慄させた。

「あ、あの…みょうじさん、一応聞くけど…どうしたの…?」
「だって轟くんと爆豪くん、喧嘩ばっかしてるし…緑谷くんの近くの方が平和かなって…」

みょうじさんがそう言って僕に笑いかけると、先程までフラットだった向かい側の空気が一気に変わった。

「デク」
「緑谷」

僕はまだ何も見ていない。けれどわかる。

烈火のごとく怒り狂っているであろうかっちゃんと、流水のごとく静かに怒る轟君が、そこにいることが。
しかし、彼らのいる方に目を向けてはならない。何故なら僕の本能が告げている。
そちらを向けば、お前はタダでは済まないと。
いや、ちょっと待って。僕が何したっていうんだ。
ただここに座っていただけなのに、どうして今僕は命の危険を感じているんだ。

「あっ、おーい!女子でバトミントンするから、あんたもおいでー」

少し遠くの方から聞こえた耳郎さんの声が、一瞬女神の声に聞こえたのは言うまでもない。
突然僕の隣にやってきたみょうじさんは、耳郎さんの声に振り向くと、"はーい!"と明るく返事をして立ち上がり、僕たちの元から去って行った。
小さくなっていく彼女の背中を見送り、少し目線を下に落とすと、向かいに座る二人の紙皿には、乗せられた料理を隠してしまうほどの花びらが積もっていた。







「バドミントンって、ガキかよ」
「みょうじ、楽しそうだな」
「話しかけんな。てめぇと雑談する気はねぇ」
「…可愛いな、あいつ」
「見てんじゃねぇよ、殺すぞ」
「嫌だ。それにお前だって、人のこと言えねぇだろ」

いや、花を見ようよ。花を。

思わずそうツッコミそうになった言葉を、僕は勢いよく飲み込んだ。
もしもこの二人が花を見ながら朗らかに談笑なんてしていたら、それこそ天変地異の前触れか何かだ。

「「お」」

二人合わせて発した小さな声につられて、二人の視線の先に顔を向けると、地面に腰を落とし、少し照れたように笑うみょうじさんの姿があった。
どうやら遊んでいる間に転んでしまったらしい。

「またかよ。だっせ」
「みょうじ、よく転ぶよな…こないだも階段から落ちかけて、俺が助けたし」
「急にマウント取ってくんじゃねぇよ」
「心配だから、ちゃんと見ててやらねぇと…」
「喧嘩売っといてシカトしてんじゃねぇぞてめぇ。あと見んな」

相変わらずのやり取りを続ける彼らに、僕は恐る恐る自分の足の指に触れた。
みょうじさんが席を立ったついでに、僕も席を外してしまえばよかったのだが、タイミング悪く訪れた足の痺れに立ち上がることが出来ず、色んな意味で泣きそうになりながら、僕はまだ同じ場所に留まっていた。

「あ、どっか行った」
「…あの馬鹿は普通に真っ直ぐ歩けねぇのか。フラフラしやがって」
「何も無いとこで転ぶしな」
「ヒーロー志望が聞いて呆れ…チッ、また知らねぇ奴にぶつかりやがった」
「普通の母親っぽいから、今回はまだいいが...危ねえ奴とぶつかったらどうすんだ、あいつは...」

全く知らない人が聞くと、まるで子供の心配をする親同士の会話のようだ。
そんな彼らの心配など露知らず、みょうじさんはぶつかった人に向かって何度も頭を下げていて、相手の女性も笑顔で対応しているようだった。

「ねぇ二人とも...そんなに心配なら、いっそついて行けばいいんじゃないの...?」

僕のその言葉に、二人は怪訝な顔で僕の方に振り返ると、示し合わせたように数回瞬きを繰り返してから、かっちゃんは眉間のシワをより深め、轟君は少し困惑気味な顔をしてみせた。

「いや...さすがにそれは過保護すぎねぇか?」
「何甘ったれたこと言ってんだてめぇは。んな甘やかしてたら、ヒーローになんかなれねぇだろうが」

わかってはいた。でもあえて僕は叫びたい。
どの口がそれを言っているんだ、と。

僕よりずっと優秀なはずなのに、なぜみょうじさんのことになると、途端にIQが下がるのだろうか。
そもそもの話、同い年の高校生の女の子に食事を取り分けてあげたり、ジャケットを貸してあげたりしていたのは、どう考えても過保護だろう。あれを過保護を言わずして、何と言うんだ。
大体インターンの時もそうだ。毎回毎回、みょうじさんが少しでも傷を負うと、かたや彼女を肩に担いだり、かたやお姫様抱っこしてみたり。すぐ近くの役所に報告に行くだけなのに、帰ってくるまで何十回もスマホのディスプレイで時間を確認していたり。
だいぶ前から、すでに十分過ぎるくらいの過保護っぷりを発揮しているというのに、一切自覚のないところがかえって恐ろしい。
しかし、そんなことは当然口に出来るはずもなく、僕は痺れが治まった足で立ち上がり、彼らを見下ろしながら口を開いた。

「...まぁ、二人がそう言うなら、別に僕はどっちでもいいけどね...」

そう言い残して、僕はようやくその場を立ち去ることに成功した。







「緑谷くん」

花見を終え、まとめたゴミ袋をいくつか手に持ってゴミ捨て場の方に向かおうとしたところを、後ろから聞こえた鈴のような声に足を止めた。

「みょうじさん、どうしたの?」
「ゴミ捨て行くなら手伝うよ」

彼女はそう言うと、僕に向かって両手を差し出した。そんな彼女に、数秒あの二人の顔が浮かんだものの、特に断る理由もないので、僕は持っていたゴミ袋の中で軽いものを二つみょうじさんに差し出した。

「ありがとう。助かるよ。...ところで、かっちゃんと轟君は?一緒じゃないの?」
「ふふ、いつも一緒なわけじゃないよ。あの二人は、あっちで小学生の男の子たちとサッカーやってる」

ほら、と彼女が指を差すその先には、確かに小学生くらいの子供達と一緒にサッカーをする二人の姿があった。他にも切島くんと上鳴くん、瀬呂くんも一緒のようだ。

「かっちゃんも参加してるのは意外だね...かったるいとか言って嫌がりそうなのに...」
「緑谷くんの言う通り、確かに最初は嫌がってたんだけど、瀬呂くんに煽られて」
「あぁ...なるほど...さすが瀬呂くん」
「ね!」

そんな話をしながらゴミ捨て場に向かい、持ってきたゴミ袋をそれぞれ指定のゴミ捨て場に置いた。
空はほんのりと赤く色づき始め、僕らと同じ目的でここにやって来た多くの人で、ゴミ捨て場の辺りはかなりごった返していた。

「結構凄い人だから、気をつけてね」
「う、うん...」

僕が前を歩き、逸れないようみょうじさんに僕の鞄を掴んでおいてもらう。
この光景をもしもあの二人に見られでもしたら、僕は今日死ぬことになるかもしれないが、彼女に万が一のことがあれば、死ぬ"かもしれない"ではなく、確実に僕は殺される。
僕はまだ死にたくない。

「あ…っ」

そんなことを考えていると、後ろから小さな声が聞こえた。
僕は急いで振り向いたものの、時すでに遅し。僕の鞄を掴んでいたみょうじさんの手は離れ、既にそこに彼女の姿はなかった。
普段なら、相手に電話をかけて合流する方法を選ぶところだが、かっちゃんや轟君の会話を聞く限り、一人にしておくのは些かリスキーだ。
辺りを見ると、ガラの悪そうな人や酔っ払いも数人見受けられるし、あの類の人達に、あの調子でぶつかりでもしたら。その後の展開が容易に想像できる。

しかしなぜだろう。
まだ可能性の域を出ないその予感に、確信めいたものを感じるのは。

「あ…っ!」

神経を研ぎ澄ませて辺りを見回すと、意外にも呆気なく彼女は見つかったものの、やはり僕の悪い予感は見事に的中した。
かなりの人混みにも関わらず、みょうじさんをあっさりと見つけることが出来たのは、彼女とその目の前にいる人物の周囲だけを避けるように、一定の空間が出来上がっていたからだった。

「なぁ、おじょーちゃん。ぶつかったお詫びにちょっと付き合ってくれよぉ」

そこには、顔を真っ赤にさせた20代後半くらいの男に見下ろされ、困り果てているみょうじさんの姿があった。
男の方は足元がおぼつかず、口調もどこか定まらない様子で、明らかにタチの悪い酔っぱらいだった。
一方の彼女は、何かを考えているような顔つきではあるが、男に対して反撃に出る様子はない。相手は酔っぱらいの男といえど、仮にも一般人であるため、個性による撃退が躊躇われるのだろう。
僕は慌ててその場所へ向かい、みょうじさんの前を塞ぐように二人の間に割り込んだ。男は僕と同じくらいの背丈で、彼女の前に立った僕と、顔を赤らめているその男の視線が、ちょうど同じ位置でぶつかり合った。

「すみません、彼女がどうかしましたか?」

僕が男に向かってそう尋ねると、相手の男はさらに不快そうな顔をしてみせた。

「あ?んだガキ、てめぇこのおじょーちゃんの彼氏かぁ?」
「違います。ただの友達です」
「俺は今このおじょーちゃんとお話してんだよぉ。ただのオトモダチは引っ込んでろ!」

そう言うと、男はとてもイライラした様子で僕を押し退けて、みょうじさんの腕を掴み上げた。

「い、や…離して…っ、離してください…っ」
「あー…ぴーぴーうるせぇなぁ…」

うっすら涙を浮かべながら、抵抗したみょうじさんが気に入らなかったのか、男はさらに顔を歪ませ、今度は彼女に向かって手を振り上げた。

「危な...っ」

男の腕を掴もうと伸ばしたその手を、僕は咄嗟に止めた。男の背後に立つ"彼ら"を視界に捉え、もはや僕の助けなど必要はなく、もうすぐ事態の収拾がつくことを、僕は瞬時に悟ったからだ。
僕の視線の先には、彼女を守る二人のヒーローが立っていた。

「みっともねぇことしてんじゃねぇぞ、この酔っぱらいが」

地を這うような低い声で話しかけると、かっちゃんは振り上げられた男の手を勢いよく掴み上げた。
男が唸るように痛みを訴える声を上げると、かっちゃんは盛大な舌打ちをしてから、その手を勢いよく離した。

「みょうじ、大丈夫か?赤くなってるから、ちょっと冷やすな」

男がかっちゃんに腕を掴みあげられているその隙に、轟君はみょうじさんの腕を掴んでいた男の手を振り払い、掴まれていた彼女の腕に右手で触れながら、心配そうに顔を歪めた。

「あ…ありがと…。全然大丈夫だよ」
「痛むようなら、ちゃんと言えよ」
「う、うん…」
「ったく...つくづく世話のかかる奴だな」
「ごめんなさい...」

かっちゃんは溜息をつきながらそう呟くと、その現場を黙って眺めていた僕の方に、鋭い視線を向けた。

「ひ…っ」
「てめぇへの話はひとまず後だ。クソデク」
「………はい」

"何勝手に連れ出して、危険に晒してんだ殺すぞ"という、かっちゃんの心の声がダイレクトに頭に響いたような気がした。
ごめんなさい、お母さん。オールマイト。やっぱり今日が僕の命日かもしれません。

「緑谷、一旦こいつ頼むな」

轟君は僕にそう声をかけると、かっちゃんと男がいる所へとゆっくり足を進めた。
普段なら、"俺の隣に立つな"、とまず一言かっちゃんからの小言があるはずだが、今回はそれがなく、珍しく互いに目配せをし合って、互いの認識を無言で擦り合わせているような感じだ。

「…で、こいつに何の"お話"があるって?あ?」
「代わりに聞いてやるぞ。最も内容によっては、こっちも対応が変わってくるけどな」

かっちゃんに掴み上げられたその場所がまだ痛むのか、腕を押えながら膝をついているその男を、二人は冷たく見下ろした。双方種類は違うものの、とんでもない威圧感を放つ二人に、始めは彼らを睨みつけていた男の顔が徐々に青ざめていく。

「いや…あ、あの…」
「そういうことは、女がいる店で金払ってやれや!このカスが!!」
「いい大人が高校生困らせて何やってんだ。しっかりしろよ」

ぐうの音も出ない正論を叩きつけられた男は、その言葉によってか、あるいは別の理由か、彼らに踵を返して、逃げるように僕らの前から姿を消した。

「はぁ…良かった…どっか行ってくれた…」

事態の収束にほっと胸を撫で下ろすと、隣にいたみょうじさんが、申し訳なさそうな顔で僕を見た。

「緑谷くん、ごめんね…迷惑かけて…」
「ううん、全然。僕は何もしてないし…」

僕がそう返事をすると、わざとらしい舌打ちの音と共に、かっちゃんと轟君が僕らのいる場所にやって来た。
もちろんこの舌打ちは、かっちゃんのものだ。

「全くだわ!この役立たずがよ!!」
「うっ…」
「まぁとにかく、大事にならなくて良かったな。二人とも怪我してねぇみたいだし」
「クソデクがどうなろうと、俺は知ったこっちゃねぇがな。つーか死ね」
「ちょっと、爆豪くん…!そんな言い方…」
「いいよ。いつものことだから…」
「よかねぇわ!!何勝手に連れ回してんだてめぇ!挙句の果てにこんなトラブルに巻き込みやがって!!」

かっちゃんはそう捲し立てると、両手にバチバチと火花を散らしながら、僕の方へとさらに近づいてきた。

「ひ…っ、す、すすすみません…!!」
「やめろ爆豪。緑谷が居なかったら、もっと面倒なことになってたかもしんねぇんだぞ」
「そ、そうそう…!それに、巻き込んだのはどっちかっていうと私の方で…」

みょうじさんが僕を庇ってくれたお陰か、かっちゃんは小さく舌打ちし、ゆっくりと両手を下ろすと、今度はすぐ隣にいた彼女の頬を、右手でぎゅっと抓った。

「い、いひゃい…っ」
「は、ぶっさいく」
「ひ、ひど…」
「この馬鹿が。ヒヤヒヤさせやがって」

不細工だと言いながらも、その顔はとても穏やかで、触れる手や、視線が彼女を好きだと言っている。
幼稚園からの付き合いだが、彼のこんな顔が見れるのは、みょうじさんがそばにいる時だけだ。

「なんか…ほんとごめんね…迷惑ばっかりかけちゃって…一応ヒーロー志望なのに…全然ダメだね…」
「ダメなんてことねぇよ。一般人相手に手ぇだしたらダメだって思ったから、反撃しなかったんだろ」

轟君はみょうじさんの行動について推察を述べると、かっちゃんとは対照的に、その手を優しく彼女の頭に乗せた。
しかしその表情は、かっちゃんと同じくとても穏やかで、彼女をとても大切に思っていることが伝わってくる。

「けど危ねぇから、あぁいう時はちゃんと反撃しねぇとダメだぞ。俺達も、いつでも助けてやれるわけじゃねぇからな」

轟君の言葉に納得したのか、みょうじさんは小さく頷くと、申し訳なさそうに僕らを見て、助けてくれてありがとう、と恥ずかしそうに笑った。







「お花見楽しかったね。桜も綺麗だったし」
「そうだな」
「お前、食うか遊ぶかで花なんかほとんど見てなかっただろうが」
「そ、そんなことないよ…!ちゃんと見てたよ…!」

結局そのあとほかの皆とは合流せず、僕らはそのまま四人で雄英まで戻ることになり、僕は前を並んで歩く三人の背中を見つめていた。

「あ、でも、砂藤くんが作ってくれた桜のケーキは、すごく美味しかったなぁ…」
「は、やっぱ食いもんじゃねぇかよ」
「甘いもの好きだもんな、お前」

穏やかなそのやり取りに、僕は改めてみょうじさんの存在の大きさを実感する。
寮でもインターンでも、かっちゃんと轟君は売り言葉に買い言葉の応酬を繰り広げている(片方にその自覚はない)イメージだが、彼女がいると普通に友達同士で会話をしているような、そんな和やかな雰囲気が漂っている。

「あの…今更だけど、二人ともごめんね。いつも色々助けてもらっちゃって…」
「気にすんな。好きでやってんだ」
「てめぇはいちいち危なっかしくて、見てらんねぇわ」
「す、すみません…」

二人は何も言っていなかったが、おそらくみょうじさんがその場にいないことに気づいて、クラスの誰かに、僕とごみ捨てに行ったことを聞いたのだろう。
さっきは過保護だと言っていたものの、この人混みで彼女に何が起こるのか、僕と同じく確信めいた予感があったのだろう。

まぁ、ついて行こうが行かまいが、どっちにしたって過保護だと思うけど。

「でもすごくかっこ良かったよ。私ももっと頑張らないとなぁ…」

その言葉に、みょうじさんの両隣にいる二人の肩がぴくりと揺れたのが見えた。その表情は後ろにいる僕からはみえないが、相当嬉しいであろうことは雰囲気で何となくわかる。

「特に緑谷くんは、いつも穏やかだからかな。そのギャップが特にかっこ良かったよね」

その一言に、和やかだった空気は一瞬にして凍りつき、そして僕の心臓が一瞬活動を停止した。

「いやいやいやいや…!ぼ、ぼぼぼ僕はほんと何もしてないし…!かっちゃんみたいに酔っ払い撃退してないし!轟君みたいにスマートに助け出したりしてないし…!」

とめどなく溢れる冷や汗と共に、必死に二人を持ち上げる言葉を溢れさせると、振り向いた彼女は眉を下げ、とても不思議そうな顔をしてみせる。

「えー、そんなことないよ?一番最初に助けに来てくれたし、酔ってる人相手でも対応が丁寧で素敵だったし、もっと自信を持つべきだよ!」

にこやかな笑顔を僕に向けてそう言うみょうじさんに、僕は自分の人生を振り返った。
16年と数ヶ月か。短い人生だった。

「でもやっぱり一番安心するのは、爆豪くんか轟くんがいてくれる時だなぁ…申し訳ない話だけど、いつも助けて貰ってるからか…」

へへ、と照れたようにそう言うみょうじさんの言葉に、冷たく凍りついた空気が一気に溶けていくのを感じた。
ゆっくりと彼女の方に振り返ったかっちゃんと轟君は、少しだけ頬を染めながら、見ている僕が少し恥ずかしくなるくらいには嬉しそうな顔をしていた。

「俺も、みょうじと一緒にいる時が一番落ち着くな」

轟君はみょうじさんの手に触れて、とても愛おしそうな目で彼女を見る。そんな彼の行動を見たかっちゃんは、負けじと彼女の反対の手を、少し強引に握りしめた。

「下らねぇこと言ってねぇで、さっさと帰んぞ」

ぶっきらぼうに、だけど口元を綻ばせながらそう言うと、かっちゃんはみょうじさんの手を引き、それにつられて彼女と轟君も歩き出す。
再び並んで歩く三人の後ろを、息を潜めるように歩き始めると、それとほぼ同時に道沿いの桜がライトアップされ、昼とはまた違った趣を感じさせた。

「はぁ…疲れたな…」

前を歩く三人には決して聞こえないよう、微かな声でそう呟くと、まだ肌寒い春の風が僕の背中を押す。
ひと足早く夜を迎えた東の空には、名前も知らない小さな星が、慎ましくも美しく瞬いていた。


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Twitter企画リクエストより。
以前サイトの10000HIT記念リクで書かせていただいた、「緑谷くんの災難な1日」の続編でした。
三角関係に振り回されるデクくん、お疲れ様です。

2021.04.04

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