彼氏の条件 轟焦凍の場合


無個性であることにハンデを感じたことは無かった。勉強もスポーツもまぁそれなりの成績を修めていたし、入試でも就職活動でも、無個性であることで不利になったことはない。無個性であっても、何不自由なく生きられると思っていた。
"あの人"に出会うまでは。

「ショートさん、頼まれていた資料です」
「あぁ、助かる。相変わらずみょうじは仕事が早ぇな」

大学を卒業後、縁があってプロヒーローであるショートの事務所で事務員として働くことになった。ヒーローには一切興味がなかった私だが、内定を貰った中で最も待遇がいいからという理由でここに就職した。テレビをほとんど観ない私は、彼がどれだけ有名人で、彼に憧れている人がどれだけ多いかを当時全く理解しておらず、友達に"ショートっていうヒーローの事務所で事務をやることになった"と言った時、その友達は飲んでいた紅茶を吹き出しそうになっていた。

「あと、すみません。今週末までに先日の出張の経費を経理に申請して頂きたいのですが...」
「あぁ、そうか。悪ぃ、今日中に出すな」
「あ、いえ...今週中であれば大丈夫ですので、お手隙の際で結構です」

事務員の採用は人事担当が面接を行ったため、ヒーロー"ショート"と初めて会ったのは入社してから2ヶ月ほど経った後だった。
初めて彼を見た時は、あまりの顔立ちの良さに芸能人がお客さんとして事務所に来ていたと勘違いして、その人がこの事務所を束ねるプロヒーローだと先輩に聞かされた時はすごく驚いた。
それから半年ほどは、彼と関わることはほとんど無かったが、たまたま他の事務員が出払っている時に、仕事を頼まれたことをきっかけに、直接仕事を貰うことが増えていった。

「では、私はこれで失礼しますね」
「......なまえ」

ショートさんに背を向けると、後ろから私を呼び止める彼の声が聞こえた。この感じはまずい。そう思っているのにどこか期待もしてしまって、そんな自分に嫌気がさす。

「...何ですか?」
「何でそんな他人行儀なんだ。他に誰もいねぇぞ」
「...仕事中なので」
「冷てぇな」
「いいから仕事してください」
「嫌だって言ったら」
「困ります」
「だよな。じゃあ俺の頼み事聞いてくれるか」
「...内容によります」
「なまえがキスしてくれたら仕事する」

そう言うと、座っていた仕事用の椅子から立ち上がり、ショートさんが近づいてくる。私が後ずさると、彼はいとも簡単に私の腰に手を回して、自分の方に抱き寄せる。

「ちょっ...冗談やめて下さい...怒りますよ」
「冗談じゃねぇって、いつも言ってんだろ?」

抱き寄せたまま耳元で囁くように言われて、頭がクラクラする。ショートさんの低くて妙に色気のある声がまるで毒のように身体を熱くさせてくる。

「なぁ、何で俺じゃダメなんだ」
「だから...何度も言ってるじゃないですか...ショートさんにはもっと相応しい方がいますから...」
「...俺も何度も言ってるだろ、"お前がいい"って」
「それは...」
「どうしたら、信じてくれるんだよ。俺はそんなに信用出来ない男に見えてんのか」

不器用ながらも優しく、ヒーローとしての熱意や覚悟を心に秘めた強い人。そんな彼を信頼しているし、この人の下で働いていることを今はとても誇りに思う。
でもふとした瞬間にいつも思い知る。彼の生きている世界と、私の生きる世界は違う。時々仕事で同行する度に感じる、疎外感。ショートさんの周りには、彼と同じくらい眩しくて輝かしい人達で溢れていて、彼の隣に立つのに相応しい人は、きっとそういう人達の中にいる。無個性で、オフィスの片隅で事務処理を毎日繰り返している私には、到底追いつけない場所に、この人は居るのだ。

「と、とにかく、私は雇い主とそういうことになるつもりはありませんので...!」

仕事が残っているので、と半ば無理やり彼の腕から逃れ、逃げるように部屋を出る。抱き寄せられた時のショートさんの腕の感覚や、耳元で感じた熱は身体に残ったまま、行き場のない想いは苦しく私の心を蝕む。
もしも私がもっと強い人だったなら、彼の隣に立つのに相応しい人間だったなら。好きな人に好きだと伝えられるのだろうか。何も考えず、あの人に全部委ねられるのだろうか。

無個性であることに、こんなに歯がゆい思いをする日が来るなんて、思ってなかった。







昨日の夜はあまり眠れなかった。あの後の仕事でも、家に帰ってからも、忘れようと思えば思うほどショートさんのことを考えてしまって、ようやく寝れたのは深夜3時を回った頃だった。

「ふぁ...」
「みょうじ、寝不足?」
「色々考えてたら寝るのが遅くなっちゃって...」
「若い内は沢山悩んだ方がいいわよ」
「ふふ、先輩と私、2つしか違わないじゃないですか」
「いやいや〜その差はでかいよ?あ、そうだ!テレビつけなきゃ!」
「あー...確か今日はドキュメンタリーの制作発表でしたよね」
「制作発表でテレビ中継って珍しいよねぇ〜、さすがうちのショートさん」

昨日のことがあったせいで、画面越しでも今はショートさんの顔を見るのは辛いものがあるが、先輩に観ないで下さいと言う訳にもいかないので、目の前のパソコンの画面に視線を向けたまま、なるべく彼を見ないようにした。
とは言え耳からは音声が入ってくるので、司会の人や他のヒーローのインタビューの内容は仕事をしつつもしっかりと聞こえてきた。

「あ、次ショートさんの番だ!いつ見てもやっぱイケメンだわ...」




"ショート個人としては、今回の見所などはありますか?"
"ありのままを撮ってもらったので、あまりここが見所ってのは特にないです"
"そ、そうですか...では..."

インタビュアーの人がタジタジになりながらも質問を続けているのが耳に入る。相変わらず、全く媚を売らないコメントで、聞くつもりはなかったのにちょっと笑ってしまった。

"今回はのドキュメンタリーではヒーロー活動における悩みや葛藤なども描かれているそうですが、最近の悩みなどがあれば教えて頂けますか?"
"......悩み、ですか"

急にショートさんの声が途絶える。どうしたのだろう、とパソコンの画面に向けていた視線を、ついテレビに向けてしまった。

"...好きな女に振り向いて貰えないことですかね"

ショートさんが真顔でそう答えると、会場がざわつき、インタビュアーが興奮気味に彼に詰寄る。

"そ、それはつまり、片思いの方が居るということですか!?"
"はい"
"差し支えない範囲で、どのような方なのかお聞きしても...?"
"うちの事務所の事務員です。2年前に入ってきた奴で、初めて仕事をした時から、ずっと好きで"




「2年前に入った事務員って一人しかしないけど...ねぇ、もしかしなくても、これあんたのことじゃ...」
「いや、えっと......」

ショートさんが言っていることが、内容は理解できるのにその行動の意味が理解できない。ヒーローは当然人を救うのが仕事だが、人気商売でもある。そんなことを口にしたら、世間や周りは彼をどう見るか。彼ほどのヒーローの相手がまさか無個性の事務員だなんて、誰が納得するだろうか。
恐れていたことが起こってしまい、動揺を隠せない。

"ご本人にはお伝えになったのでしょうか?"
"何度も。でも信じて貰えなくて。だからこの場を借りて改めて言おうと思います"
"え..."

そう言うと、彼はインタビュアーのマイクを奪い取り、カメラに向かって言い放った。




"観てるよな?戻ったら直接言うから、今度こそ逃げるなよ"







その日の夜。ショートさんの発言を受け、事務所の周辺はマスコミで溢れかえり、鳴り止まない電話応対に広報のメンバーは必死に追われていた。
一刻も早くこの場から立ち去りたいのに、マスコミが落ち着くまで危ないので事務員は待機するようにと正式に広報課から指示があり、私も例外ではなく、そのまま事務所に待機となった。

「まさか、そんなことになっていたとは...」
「すみません、ご迷惑をおかけして...」
「いや、あんたは何も悪くないでしょ。ショートさんが大胆って言うか、強引って言うか...」
「これから...どうすればいいでしょうか...」
「ちなみに聞くけど、何でダメなの?イケメンだし、強いし、まぁ優しいらしいし?ダメなとこないじゃん」
「......それは、」

私が先輩に答えようとした時、オフィスが急にざわめき出した。



「お、居た」
「.........ショート、さん」
「その様子だと観てたみたいだな」
「...はい」
「悪いけど、こいつ借りるぞ」
「えぇ、どうぞどうぞ」
「ちょ、先輩!?」
「あんたは何も悪くないけど、収拾つけられるのはあんただけだから、腹括って行ってきなさーい」
「そんな...っ」
「行くぞ」







私の話など聞かず、ショートさんは私の腕を掴んでどんどん歩いていく。ちょっと強引なところがあると思っていたけど、ちょっとどころではない、だいぶ強引だ。

「ショートさん...!何であんなこと言っちゃったんですか!?」
「あぁでもしねぇと、ずっと堂々巡りだろ」
「それは…」
「もし俺がああしなかったら、お前はずっと俺から逃げてただろ」
「でもあんな、全国放送で...」
「俺は自分の思ってることを言っただけだ」
「......だから、それは...」
「お前の言う俺に釣り合う奴ってのは、どんな奴だ」
「えっと...」
「それはお前が決めることなのか」
「...違います、けど」
「だよな。だったら、」
「でもっ、私なんかじゃ、絶対周りはなんであの子なのって、なるじゃないですかっ!」

今は好きだと言ってくれている彼が、ずっとそうであり続ける保証なんて、どこにもない。仮に恋人になれたとしても、私より素敵な人なんて沢山いる。あんな子が、何でショートの隣にいるんだ。そう言われたら。そして彼自身も、もっといい人がいるんじゃないかと、そう思ってしまうようになったら。そんなの耐えられない。怖い。

「ショートさんは格好良くて、個性もすごくて、優しくてっ、でも私は何も無い...から」

近づいて、もっと好きになって、離れていかれたら、もう立ち上がれない。だったら最初から、そんな夢など見なければいい。そう思っていたのに。

「ショートさんのこと好きです...好きなんです。でも、怖くて。もしいつか離れていかれたら、って思うと、それが、不安なんです...」

私は私しか持っていない。ちっぽけで、臆病で、ショートさんが傷つきながら戦っていても、何も助けてあげられない。そんな自分が側にいて、彼に何を与えられるというんだ。

「それで全部か」
「...え?」
「なまえが俺を受け入れられない理由は、それで全部か」
「.........はい」
「思ってたよりめんどくせぇこと考えてたな」
「なっ...!」
「俺はなまえが好きで、お前も俺が好きなら、それでいいじゃねぇか」
「でも...」
「俺自身が嫌だって言うなら潔く諦める。けどそうじゃねぇよな。そんなもん、はいそうですかって、納得出来るわけねぇだろ」

私が何も言い返せないでいると、ショートさんは私の髪を撫で、そのままゆっくりと私を抱きしめた。その手は今まで触れられた中で一番優しくて、さっきまでの強引な彼とは別人のようだ。

「なまえ、好きだ」
「ショ...トさ...」
「絶対守る。不安にさせねぇ男になる。だから俺を選んでくれ」

その言葉は強くて、真っ直ぐで、だけどなぜか縋り付く子供のような脆さを感じる。私よりも歳上で、ずっと背も高い彼の広い背中に手を回すと、私を抱きしめる腕に少しだけ力が篭ったのが分かった。
絶対なんてないことを大人はみんな知っている。それでも信じてみたいと思った。不安も恐怖も、どうでもいいと思ってしまいそうなほど、私はこの人のことが好きで、この人に愛されたい。

「.........私もショートさん、好きです。ずっと...好きでした」

ショートさんはもう一度私の髪を撫で、”もう逃さないからな”、と耳元で静かに呟いた。







「なぁ、頼み事していいか」
「な、何ですか...急に」
「キスさせてくれ」
「......ダメです」
「何でだ」
「いや、あの...えっと...」
「何だ」
「...今されたら、なんて言うか...いっぱいになっちゃうので...」
「なればいいだろ」

そう言うと、私の髪を撫でていたショートさんの手に力が篭もる。互いの額が触れ、彼の綺麗な目がすぐそこにある。薄く開いた唇も。




「なっちまえ」

投げやりにそう言って重ねられた唇に、全ての思考回路を奪われた。


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hrak男子の中で一番強引なのは、きっと彼だと思います。

2020.10.11

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