彼氏の条件 切島鋭児郎の場合


幼い頃から、何を考えているかよくわからない子だと言われた。それは高校生になった今でも変わらず、今まで付き合った人達も、もれなくその言葉を吐き捨てて、私の前からいなくなった。

「みょうじ先輩、お疲れ様っす!!」

勢いよくドアを開けたその人物は、私を見るなり真っ直ぐに背筋を伸ばした。威勢のいい挨拶とともに、綺麗に直角なお辞儀をする。

「お疲れ。あと毎回言ってるけど、その挨拶要らないから」
「いえ!先輩相手に挨拶なしなんて、失礼なんで!!」
「運動部じゃないんだから。あと声のボリューム下げて...偏頭痛に響く...」
「す、すんません...っ」
「まぁまぁ、元気があってええやないか!ファットさんは好きやで!」
「あざっす!!!」

彼は先ほど以上のボリュームでそう言い、歯を見せて笑った。同じ雄英生で、2年生の切島くん。私と同じく卒業した天喰先輩の紹介で、ファットガムの事務所にインターンに来るようになった男の子だ。

「あっ!すんません...!俺、また...」
「...もういいから、早く着替えておいでよ」

切島くんとは、彼がこの事務所のインターンにやってきてからの付き合いだ。彼が初めてここにやってきた時は、何度もここに足を踏み入れているのに、何故か挙動不審な天喰先輩に対して、切島くんは初めて来たとは思えない堂々たる振る舞いで、あまりに対照的な二人に、思わず笑ってしまいそうになったのを覚えている。

「相変わらず、お前は愛想ないなぁ」

ファットさんが私の肩をポン、と叩いて苦笑いする。

「いいじゃないですか。ファットさんと彼が居れば、事務所のコミュ力は確保されてますし」
「後輩には優しくしてやらなあかんで?」
「じゃあ聞きますけど、私がにこにこした笑顔で朝事務所に来たら、ファットさん、どうしますか?」
「......怖っ!!アカンわ!考えただけで怖いわ!!」
「ほらね。いいんですよ。私みたいなのがいた方が、組織のバランスは保たれます」
「お前、ホンマに高3かいな...」

最近の子は怖いなぁ、とファットガムは肩を竦めながら両手を広げる、アメリカのコメディならお馴染みのポーズをとる。見た目のせいもあるけど、この人がやると本当にアメコミみたいだ。

「お待たせしてすんません!!着替えてきました!!」

そんなことを考えていると、先程も勢いよく開けられたドアが再び開いた。開けたのは先程と同じ人物で、今度は赤と黒を基調としたヒーロースーツを身にまとっている。

「...だから、ボリューム」
「す、すんません...」
「じゃあファットさん、私たちはパトロールに行ってきますね」
「おう。気ぃつけてなぁ〜」
「じゃあ、今日は西側のエリアから行こうか」
「あの、みょうじ先輩」
「...どうかした?」
「いえ、その...頭痛、大丈夫っすか?」
「あぁ...これはもう体質だからしょうがないの。気にしないで」
「でも...その、」

切島くんは少し頬を赤く染めながら、何か言いたそうにしている。そしてその表情に、私の胸は少し苦しくなる。

「先輩が辛いのは嫌っつうか...」
「...切島くん」
「あ、いや!!すんません...今のナシで!!忘れてください!!」

彼は更に顔を赤くすると、早くパトロール行きましょう!と言って、私を置いて足早に前を歩いて行く。前を歩く切島くんは、事務所に初めて来た頃よりも、背が高くなった。腕や肩幅も、1年生の頃より逞しくなったと思う。

「早く諦めちゃいなよ...」

私は誰にも聞こえない声で、そう呟いた。大きな声でそれを口に出来ないのは、私が彼を少なからず意識している証拠だ。切島くんが顔を赤くするその理由は、他の誰でもない。私のせいなのだ。







『俺、みょうじ先輩が好きです!!』

夏休みのインターンを終え、大阪から久しぶりに雄英の学生寮に戻る帰り道で、真っ赤な顔をした彼は、それでもしっかりと私の目を見てそう言った。

『突然すんません!!でも、あの...俺は、初めて事務所に来た時から、みょうじ先輩のこと、ずっと好きで、その...一目惚れってやつで...っ』

正直とても驚いた。まさに水と油、光と影のように、私たちは正反対で、何を話していても、気が合うと思ったことは記憶の限り一度もない。一目惚れだと言っても、彼が告白をして来た時点で、私たちが知り合ってからもう1年近くは経過していて、それなりの時間を共に過ごしていたはずだ。私の性格は多少理解しているはずの彼が、お世辞にも性格の相性がいいとは言えない私に、そんな感情を抱いていることが不思議だった。

『だから、俺と付き合って下さい!!』

彼は開き直ったようにそう叫んで、深々と頭を下げた。頭を下げているので表情は見えないが、少しだけ手が震えているのがわかって、この子は本気で私を好きだと思ってくれているんだな、と思った。
それがわかっていたのに。誠意を込めて想いを伝えてくれた彼に、私はまるで誰かの言葉を切り取ったような台詞を吐き捨てた。

『ごめん。私、そういうの興味ないから』

少しの沈黙の後、彼はわかりましたと言って、笑った。







冷たい言葉を吐き捨てた私に対して、その後も彼は変わらずに誠実だった。学校でたまたますれ違う時も、インターンで顔を合わせる時も、失恋の傷など一切表に出さず、今まで通りに接してくれた。時に過剰なほどに元気に振る舞う彼を見て、少し胸が苦しくなったりもしたが、彼の気持ちを無下にした私が、彼に何を与えられるわけもなく、時間だけが過ぎていった。

切島くんが好きだと言ってくれたことは、正直嬉しかった。だけどそれと同時に、彼の気持ちを受け入れた後のことを考えて、怖くなった。今は好きだと言ってくれている彼が、いつか私から離れていくその瞬間を想像してしまったのだ。今まで私から離れていった人たちと同じように、彼もいつかは居なくなってしまうのではないかと。
極端な話、今日好きだと思っていたものを、明日嫌いになることだってある。心を持った人間である以上、絶対なんてことはない。例えそれが、どれだけ真っ直ぐで誠実な切島くんだったとしても。
切島くんのことは嫌いじゃない。むしろ私に無いものを持つ彼は、年下といえど尊敬できる人だと感じる。それは告白を断った今でも変わらない。それでも、私の心に残るその綻びは、そう簡単には無くならない。繰り返すたびに、私の心の中にある壁は、高く、分厚くなっていった。
"いつか離れていかれる日が来たら"。そんな不安を抱えて誰かと過ごすくらいなら、いっそ誰も望まなければ、あんな悲しい想いを何度もすることなど無かったのだから。

それなのに、ふとした瞬間に彼が時折見せる顔や仕草が、まだ私を好きだと言っているのがわかる。彼自身それは意識的にやっているものではなく、まさしく本音がぽろっと出たという状態で、先ほどのように、それを口にした切島くん本人が一番驚いたような顔をするのだ。

「ごめん、一旦トイレ行ってきてもいいかな?」
「あ、はい!もちろんです!どうぞ!!」

トイレに行くというのは、彼の視界から消えるための口実だ。視界から一度消えて、彼の心を落ち着かせる時間を作る。大抵こうすると、私が戻る頃にはいつも通りの切島くんに戻っていて、互いに先ほどのことには触れず、いつも通りの会話をする。

何で、こんなの好きになっちゃったんだろうね。君は。

明るくて、誠実で優しくて、馬鹿がつくほどにお人好しな彼ならば、彼女の候補なんてたくさんいるだろう。それでも何故か彼は私をまだ好きでいる。いっそのこと、私がもっとひどい言葉をぶつければ、彼は割り切って前に進めるのだろうか。




「あの、すみません。君、ファットガムのとこのヒーロー...だよね?ちょっと道を聞きたいんだけど」

そんなことを考えながらトイレを出ると、20歳そこそこの男二人組に話しかけられた。見た目から察するに、これは良くない展開だということが、経験上わかる。

「あ、はい。どこまで行かれますか?」
「この店まで行きたいんだけどさ...道がよくわかんなくって」
「あぁ、ここでしたら、この道を真っ直ぐ行って、3つ目の信号を左に...」
「俺ら二人とも初めての場所に行くのって苦手で。悪いんだけど、ついてきてくんない?」

彼らが目的地に指定している店は普通のカフェだが、その住所は歓楽街のあたりだ。さらに、さほど複雑なルートでもないのについてきてくれという男二人組。あまりに分かりやすいやり方だ。

無理やりどこかに連れ込もうとしてるな、これは。

さてどうしよう。真っ向から拒絶して、逆上するタイプだったら面倒だ。インターン生といえど、ファットガムの看板を背負っている以上、事務所の信頼を損なうようなことは出来ない。

「わかりました。では一緒に行きましょうか」
「マジ?助かるよ!ありが...」


「その人になんか用すか?」

一人の男が私の肩を抱いてお礼を言い終わる前に、少し離れたところから聞き慣れた声がする。

「な、何だよお前」
「同じ事務所のモンです。すいませんけど、パトロール中なんで、その人離してもらえますかね」
「ちょっと...」
「あ?なんだその口の聞き方はよ。こっちは道聞いてただけだっての」
「道を聞くだけなのに、肩を抱く必要あるんすか?」
「てめぇこのガキ」
「道なら俺も案内できるんで、俺がついて行きますよ。それとも、俺じゃなんか不都合っすか」

切島くんがそう言うと、二人組の男は言葉を詰まらせた後、舌打ちをしてその場を後にした。そして私が切島くんを見ると、彼は罰が悪そうに私から視線を逸らして俯いた。

「...切島くん。私が今何を言いたいか、わかるよね?」
「...すんません」
「言ったよね?前にも。インターンでお世話になる以上、こういう揉め事は最小限に避けなきゃいけないって」
「はい...覚えてます、けど」
「"けど"、じゃない。それに、私が馬鹿正直にあんなのについていくわけ...」
「そんなのわかってます!!」

私は動けなくなった。私に諭されて俯いていた彼が、急に大きな声を出したことも理由の一つだ。でもそれ以前に、私は今何故か彼の腕の中に押し込められていて、物理的にも身動きが取れない。

「わかってます...。でも...俺が嫌なんです。ああいう奴らに先輩が"そういう目"で見られてんのも、触られてんのも...みょうじ先輩に他の男が近づくのが、嫌なんですよ」

突然のことに、身体も思考も追いつかない私を置き去りにして、切島くんはそう言う。その声はとても苦しそうで、いつもの彼とは別人のようだ。
私が何も言葉を返さずにいると、急に我に返ったのか、勢いよく自分の身体から私を引き剥がし、彼は見慣れた綺麗な姿勢で深々と頭を下げた。

「すんません!!こんな、無理やり...」
「い、や...大丈夫...」

嘘だ。本当は全然大丈夫なんかじゃない。だって今までにこんな前例なんてなかった。データがないものは処理できない。

「本当にすいません...でも」

それ以上、お願いだから言わないで。だってあんなことをされた後に、もし私が今予想している言葉を言われたら、どうしたって心を大きく揺さぶられてしまう。

「フラれましたけど、俺まだみょうじ先輩のこと、好きなんです」







その日の帰り道は、いつもよりも太陽が高い場所にあった。

パトロールを終えて、事務所に戻ってきてからの私は、自分でも自覚があるほどにおかしかった。いつもなら絶対にしないようなミスを立て続けにした。そんな私の様子を見かねたファットさんから、"今日はもう上がってゆっくり休み"と言われて、私はそれを聞き入れた。いつもなら熱があっても休まない私が、素直にファットさんの言葉を聞き入れたことがショックだったらしく、"お前のこと、働かせすぎやったかもな..."と落ち込ませてしまう始末だった。
ファットさんには、申し訳ないことをしてしまったという気持ちはあるものの、今の私の心と脳内の大半は、彼によって占められていて、こんなことは未だかつてない経験だ。人並みに誰かを好きになったことはあるけど、こんなふうになってしまうことなど、今まで一度もなかった。失恋した翌日でさえ、私はインターンの仕事をミスなくやり切った。私はそういう人間なのだと、そう思っていたのに。

私のことがまだ好きだ、と。そう言った彼の顔がずっと頭から離れない。その顔を思い出すだけで、顔が熱くなるのがわかるし、どこかに逃げ出したくなる。

「はぁ...」
「そんなため息ついてたら、せっかくの美人が台無しだよ?」

急に声がしたことに驚いて、一瞬反応が遅れた。気づくと腕を掴まれていて、逃げられないように背中で固められた。今日は想定外のことばかり起きて、持病の偏頭痛が悪化しそうだ。

「...まだ何か用ですか?」

私の腕を締め上げているのは、パトロール中に会ったあの二人組の一人だった。

「やだなぁ、ちょっとまた助けてもらおうと思っただけなのに」
「私は既に勤務時間外ですので、必要でしたら事務所の方にいるメンバーにお願いします」
「いいねぇ。クールなデキる女って感じで、やっぱりすげぇ好み」

そう言いながら、男は私の両手を締める手とは逆の手で、私の身体を触り始めた。手つきが蛇のようにねっとりとして気持ちが悪い。もうここまで来たら、手を出したところで正当防衛は主張できる。この道には防犯カメラもついているし、証拠は充分だ。そんなことも知らずに、自分の欲を満たそうとするその男を、冷たく睨み付ける。

「いい加減に...」

いい加減にしなさいよ。そう言ってやるつもりだった。しかし、その言葉は鈍い打撃音にかき消され、私の身体はいつの間にか、つい先ほどまで私の心を独占していた彼の腕に再び収められていた。冷たいアスファルトに叩きつけられた男は、突然の痛みに身体を動かせないでいる。私の代わりに男に一撃を食らわせた彼は、怒りに満ちた表情でアスファルトにうずくまる男を見下ろした。

「汚ねぇ手で、俺の好きな女に触ってんじゃねぇよ」

彼がそう言った瞬間、彼以外の全てが見えなくなった。周りの景色も、先ほどまでボコボコにしてやろうと思っていたあの男の姿も。ただそこにいる、ただ一人の男の子から、私は目が離せなくなった。

「先輩...!!大丈夫っすか!?」

先ほどと同一人物とは思えないほどに、今度は子供のような顔で、私の顔を覗き込んでくる。

「うん、平気。というか切島くん、まだ普通に業務中じゃ...」
「ファットガムから、様子がおかしいから早退させたって聞いて...追っかけてきて、それで...余計なことって思ったんすけど、でも先輩変だったんで...」
「え...」
「だって、こんな奴、いつもの先輩なら不覚を取られるなんて...」

正直言って、ショックだ。こんな奴に不覚を取られたことが。でもそれ以上にショックなのは、こんな奴に不覚を取られてしまうほどに、私の頭を彼に独占されてしまったことだ。

「切島くんのせいだよ」
「え!?す、すんません...!!やっぱさっきの...」
「だから、責任とってね」
「え...」

聴こえる。私の中にある心の壁が、ガラガラと崩れ落ちていく音が。

「好きになっちゃったみたい」

私の言葉を聞いた切島くんは、しばらく無表情のまま固まってから、見る見るうちに顔を真っ赤にさせた。

「あ、あのっ...!!それって、俺と付き合ってくれる...てことっすか...?」
「うん」
「ほ、本当に、俺のこと...好き、ですか?」
「好き」

"いつか離れていかれる日が来たら"。そんなことはもう、どうでもいい。私は今この瞬間、目の前の彼に惹かれている。例え離れる日が来たとしても、きっと私は後悔しない。後悔しない、恋がしたい。今度こそ。

「俺っ...!絶対に先輩のこと幸せにします!!」
「...結婚するとは言ってないからね?」

私を真っ直ぐに好きでいてくれる君を、私も真っ直ぐに、好きでいたい。


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彼氏の条件シリーズラスト、切島くんでした。
彼もそもそもいい人なので、無意識のうちに丸ごと救い上げてくれそうな気がします。

2020.11.15

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