雨のち雪のち恋


「轟くん、そろそろ晩ご飯の時間だって」

寮の中庭に続く扉を開け、そう声をかけると、彼は特に表情を変えることなく振り向いた。雨に濡れた鮮やかな赤と白の髪が、男の子なのにやけに色っぽい。

「今日も、"特訓"?」
「あぁ」
「これ、良かったら...」

私がタオルを差し出すと、轟くんはありがとな、と言ってそれを受け取る。ここ最近、いつも同じようなやり取りを繰り返している気がする。

「もう12月だし、さすがに雨に濡れるのは身体に良くないんじゃないかな...」
「左側で調節してるから、大丈夫だ」
「前から思ってたんだけど、一体なんの特訓をしてるの?」
「それは...」

私が尋ねると、彼は少し気まずそうな顔で、答えるのを躊躇った。







彼が特訓と称しているそれは、2週間ほど前から急に始まった。学校の授業を終えて寮に戻ってくると、中庭で一人、右手をじっと見つめながら、その場に立ち尽くす轟くんの姿を見つけた。何となく気になって、中庭へ続く扉を開けると、それに気づいて振り向いた彼は、少しだけ驚いた顔をしていた。

『轟くん、こんなところで何してるの?』
『.........特訓』

私の問いかけに、かなりの間を置いてから、彼はそう答えた。

『特訓?個性の?』
『あぁ、まぁ...そうだな』
『何で中庭でやってるの?』
『外じゃねぇと出来ねぇんだが、雨だとグラウンド使えねぇだろ』
『あぁ...そういうことか...。でもそれなら、晴れの日にちゃんとグラウンドでやった方が捗るんじゃ...』
『いや...まぁ、そうだな...』

何だか煮えきらない返事に違和感を覚えつつも、特訓の邪魔をしては申し訳ないと、その日はその場を後にした。




その三日後も、彼はまた中庭で同じように特訓をしていた。

『今日も特訓してるの?』
『あぁ...何かあったか?』
『あ、ううん...ただ...風邪ひきそうだから、タオル、持ってきた』
『そうか。ありがとな』

彼は私からタオルを受け取ると、濡れないように寮と中庭をつなぐドアの側にそれを置いた。

『じゃあ、邪魔しないようにもう行くけど、風邪ひかない程度にね』
『あぁ』




その次の日も、彼は中庭にいた。そんな轟くんを見て、私はあることに気がついた。彼が特訓と称して中庭で何かをしている日、それはいつも、なぜか決まって雨の日だった。

『最近轟何やってんだろうな?』
『俺も気になって聞いてみたんだけどさ、あいつ教えてくんねーの!緑谷知ってる?』
『いや...僕も何も聞いてないなぁ...』
『それにしても、雨の中ボーッと突っ立ってんのに絵になるとか。すげぇなあいつ』
『イケメン滅びろ...』
『峰田くん!なんてことを言うんだ!』

雨の日に、しかも12月というこの寒い時期に、何故彼が中庭で特訓をしているのか、その理由を知っている人は誰もいなかった。
雨の日に中庭に出れば、当然濡れるし、身体も冷える。本人は左側の個性で調節できるから大丈夫、と言ってはいたが、やはりどうしても気になってしまい、それからしばらくは、今までほとんど気にしたことがなかった天気予報を、毎日見るようになった。雨が降りそうな日は、鞄の中に少し大きめのタオルを入れておくようになった。







今朝の天気予報は的中し、雨がしとしとと降る中庭で、今日もこうして謎の特訓をする彼に、私はタオルを渡しに来た。先ほどの私の質問に、相変わらず気まずそうな顔を浮かべる轟くんは、何だか少し可愛く見えた。

「あ、ごめんね。言いたくないなら無理に言わなくてもいいよ」
「いや...出来るようになったら、みょうじには教える」
「え...いいの?」
「あぁ。出来るようになったら見てもらえるか?」
「うん。もちろん、いいよ。楽しみにしてるね」
「ん」

あの轟くんがそんなに苦戦する特訓とは、一体何なのだろう。右手を使っているということは、氷結の個性に関わる特訓なのだろうけど、今日も相変わらず彼自身はそこに立ち尽くしていただけで、これといって変わった様子はなかったように思うけれど。

「君たち!そろそろ夕食の時間だぞ!」

寮の共有スペースから、よく通るテノールの声が響き渡る。飯田くんだ。

「あ、そうだった。轟くん、そろそろ中に入ろ?髪拭けた?」
「あぁ。洗って返すな」
「いいよ。勝手にやってるだけだから」

私がそう言うと、いつも悪いな、と彼は落とすようにして少しだけ笑った。







そんなやり取りを交わしてから、1週間。
今日は12月24日、クリスマス・イブ。クラスのみんなでクリスマスパーティをした。天気はあいにくの雨だったけれど、たくさん笑って、たくさん食べて、女の子同士でプレゼント交換もした。楽しい気持ちで胸を膨らませ、部屋に戻ると、ポケットに入っていたスマホが揺れる。しばらく続く振動音に、慌ててポケットからスマホを取り出すと、ディスプレイには轟くんの名前が表示されていた。

「もしもし?」
"今、大丈夫か?"
「うん、大丈夫だけど...」
"ちょっと、中庭来れるか"
「え...?あっ、もしかして、完成したの?例の特訓」
"あぁ。教えるって、約束だっただろ"

クリスマスイブにわざわざそんな連絡をしてくる彼に、少しだけ笑ってしまう。律儀だなぁ、轟くんは。そんなことを思いながら、一度ベッドに脱ぎ捨てたコートをもう一度羽織って、彼の特訓場所へむかった。

「急に呼び出して悪かったな」
「ううん。実はずっと結構気になってたから、楽しみ」

ここ3週間、ずっとその明かされなかったその特訓の正体を、ようやく知ることが出来る。謎の緊張感から、つい身体に力が入る。

「じゃあ、やるぞ」
「う、うん...!」
「...ふっ、何でみょうじが緊張してんだ」
「いや...だって...」

何もしないくせに、何故か緊張する私に、轟くんは珍しく吹き出したように笑う。

「そんなに長くは出来ねぇから、ちゃんと見ててくれ」

そう言う彼が右手を前に出すと、もともと冷たい空気がさらに冷やされていくのを肌で感じる。しかし、特にこれといって彼に変わった様子は見られず、右手から何かが現れるわけでもない。

「あの...轟くん...?」
「上」
「え?」
「上見ろ」

彼に言われた通りに、顔を上に向ける。すると、先ほどまでポツポツと降っていた透明な水滴が、白い氷の粒に変わっていた。真っ白なその粒は、ゆっくりと地上へ落ちると、濡れたアスファルトに溶けて消えていく。それはほんの一瞬の出来事で、とても儚くて、けれどだからこそ、とても美しく見えた。

「え...え!?雨を雪に変えたの!?」
「あぁ」
「す、すごいね...!あ、私実は雪って見たことなくて...今日初めて見たの」
「知ってる」
「え?」
「前に言ってただろ。見たことないから見てみたいって、寮で」
「そう、だっけ...」
「だから、特訓した」

その言葉に、思わず彼の顔をまじまじと見てしまう。轟くんはそんな私の視線が嫌だったのか、それとも気まずかったのか。少し拗ねた方に視線を逸らしてしまった。
彼の特訓の真相を知って、先ほどまで冷え切っていた身体が、じわじわと内側から熱を発していく。ちょっと待って。それって何だか、まるでそういうことみたいじゃないの。

「なぁ」

彼の言葉に戸惑って無言を貫いていると、痺れを切らした轟くんが再び私に話しかけてくる。念願叶って謎の特訓の正体を突き止めたのに、今の私はそれどころではなかった。

「は、はい...?」
「まぁ、そういうことなんだが」
「そ、そういうこと、とは...」
「わかってんだろ、お前」

わかっている。確かにそうだ。だって雪が見たいと言った私のために、わざわざ何週間もかけてそれを実現する動機なんて、普通に考えたら一つしか思い当たらない。
だけど、もしも、万が一。それが勘違いという可能性もゼロではない。だから確証が欲しいのだ。

「...言って、欲しいな、なんて...」

轟くんは少し言葉を詰まらせてから、逸らしていた視線をようやく私の方へむけてくれた。その頬が少しだけ赤く見えるのは、きっと寒さのせいでも、気のせいでもない。色違いの綺麗な目に映し出された私の顔も、きっと似たようなものだ。
彼が小さくひとつ息を吐くと、その白い吐息はまるで雪のように空気に溶けて消えた。

「...好きだから、頑張った」

どうだ、とでも言いたげなその表情に、思わず笑みが溢れた。

「何笑ってんだ」
「ご、ごめん...なんか...ちょっと可愛くて」
「みょうじの方が可愛いだろ」

轟くんは自分の告白を笑われたと思ったのか、ムッとした顔で私の顔を両手で覆い、急に甘い言葉を吐き出した。

「...轟くん、それは反則です」
「本当のことを言っただけなんだが」
「そう、ですか...」
「で、俺はいつまで待てばいいんだ」
「え...何を...?」
「...返事」

不貞腐れたようにそう言う彼に、また笑いそうになるのを必死に堪えた。次にまた可愛いなんて言ったら、今度はどんなカウンターを返されるか、興味はあるけど少し怖い気もする。

「もう1回、見せてくれたら、言う」

私の言葉に、わかった、と小さく返事をした轟くんは、落ちる雨粒を再び舞い散る雪へと変えた。

我ながら、ずるい返事だと思う。だけどほんの少しだけ、あと少しだけ待たせてしまうことを許してほしい。
平静を装っているけど、結構心臓はすごいことになっているのだ。ずっと見たかったその景色が霞んでしまうほどに、私は今、彼から目が離せなくなっているのだ。彼の気持ちを受け止めて、この胸の内を明かす勇気を出すには、あと少しだけ時間が欲しい。

この雪が溶けてなくなるその時が、きっと恋が始まる瞬間だから。
どうかそれまで、あと少しだけ。


−−−−−−−−−−

クリスマスにTwitterに掲載したお話です。
ちょっとワクワクした感じが出したくて。

2021.01.07

BACKTOP