口は災いのもと


「轟くんってモテるのに、どうして彼女作らないの?」

半分は好奇心、もう半分は純粋な疑問だった。たまたま帰りが一緒になった彼に、そんな質問をぶつけると、彼は特に表情を変えることのないまま、少し考えるように空を見上げた。




「居なくて困ることは特にねぇが」

モテ男がそれを言うと、普通は嫌味に聞こえそうなものだけど、彼ほどまでになってしまうと、もはや嫌味にすら聞こえないのはなぜだろうか。

「いや、まぁそれはそうだけどね」
「なんでそんなこと聞くんだ」
「せっかくモテるのに勿体ないなぁって、思って」
「好きじゃない奴から好かれてもな」
「ふーん。ってことはもしかして、好きな子いるの?」
「……まぁ」
「え、いるの!?」

ただの好奇心で尋ねた質問から、意外な収穫が得られたことに少しわくわくする。好みの異性のタイプが特にある訳でもない私でさえ、彼はカッコいいと思う。そんな彼が好きな人とは。どんな人なのかすごく気になる。

「告白とかしないの?」

私の質問に、彼はまた少し考えるような素振りを見せた。

「嫌われてはねぇとは思うが、好かれてる自信はねぇ」
「轟くんに告白されたら、断る子なんていなさそうだけどなぁ」
「そうか?」
「特に意識してなくても、告白されたら絶対意識すると思うし」
「そうなのか」
「極端な話、轟くんだったらいきなりキスとかしても許されそうだよね」

但しイケメンに限るってやつ。彼なら本当に適応されそうだから恐ろしい。これだからイケメンは。

そんなことを考えて歩いていると、先程まで隣にいた彼の姿が視界から消えていたことに気づく。不思議に思って振り返ると、数メートルほど後ろの離れた場所で、何かを考えるように立ち尽くす轟くんの姿があった。

「どうかしたの?」
「それはお前にも当てはまるのか」
「え?」
「今の話は、みょうじにも当てはまんのか」
「『今の』って……?」

彼の質問の意図がよくわからずに聞き返すと、彼は再び歩みを進めて、私の方に近づいてきた。そのままゆっくりと左手を私の頬に沿わせて、私の顔をじっと見た。

「あ、あの、轟くん、ちょっと」

さすがにそこまでくると、彼の質問の意図がわかってくる。今までの会話の流れを総合した上で、これが私の勘違いでないのなら、今私は自分がしてしまった軽率な発言により、ちょっとしたピンチに陥っている。

「言ったよな。俺なら好きな奴にいきなりキスしても、許されるって」
「い、や、あれは」
「じゃあ遠慮なく」
「ちょ、待っ」

私の言葉など待たずに、すぐに綺麗な顔が目の前まで迫ってきて、あっという間に唇を奪われた。恥ずかしくて目を閉じると、頬に触れた手はそのままに、轟くんは私の身体を引き寄せて、少し触れていただけの唇をしっかりと重ね合わせてきた。苦しくなって彼の胸を軽く叩くと、ちゅ、という生々しいリップ音と共に、ゆっくりと唇が離れていった。

「どうだ?意識したか?」

あっけらかんとした表情でそう尋ねた彼を、持てる全ての力で思い切り突き飛ばし、私は寮への道を全速力で駆け抜けた。




轟くんに、キスされた。

これが私のファーストキスだった訳だけど、あまりに突然すぎたその出来事に、その味はよくわからなかった。最近ではいちごの味、昔の歌ではレモンの味とか、そんな話を聞くけれど、実際にはなんの味もしなかった。というか、味わっていられるほどの余裕なんてなかった。





寮に戻り、身を潜めるように一通りのことを済ませてから、部屋の電気はつけずにベッドに沈みこんだ。
夕食を食べ終えたあと、轟くんが何か言いたげにこちらを見ていたような気がするが、それはきっと錯覚だと思い込み、逃げるようにその場を去った。今日の出来事は何かの間違いだ。夢でも見ていたんだ。そう自分に言い聞かせながら目を閉じた。

しかしそれが逆効果だった。目を閉じると余計に思い出してしまう。視界が閉ざされている中で触れた、彼の唇の感触。目を開けていても蘇り、目を閉じていても蘇り、まさに八方塞がりだ。そんなことを繰り返していたら、薄く柔らかな一日の始まり告げる光が、いつの間にか窓から差し込むのが見えた。







今日は散々な一日だった。寝不足のせいで頭は回らないし、課題は忘れるし、課題を忘れれば当然相澤先生に怒られるし。にも関わらず、そんな私とは違い、轟くんは至って通常運転で、今日もエリートっぷりを見せつけていた。

「解せない」

誰もいない図書室の自習スペースに、虚しい独り言が浮かぶ。課題を忘れたペナルティとして、今日の演習のレポートを提出するようにと、相澤先生に別の課題を出されてしまったのだが、目の前のレポート用紙はほぼ真っ白で、全くといって良いほど捗っていない。というか、演習の内容だって、正直もうそんなに覚えていない。

「それもこれも、全部轟くんのせいだ」

そこにいない人物に、完全なる八つ当たりの言葉を吐き捨てる。

「俺がどうかしたのか?」

誰もいないはずの自習スペースで、真後ろから響く聞き覚えのある低い声。びっくりして振り向くと、そこにはポケットに手を入れたまま、私を見下ろす轟くんの姿があった。

「何でいるの!?」
「お前がいたから、ついて来た」

さも当然かのように、そんなことを言い出す彼に動揺する。自意識過剰かもしれないが、昨日の出来事を思い出し、轟くんに対して無駄に身構えてしまう自分がいる。

「な、何かご用でしょうか」
「昨日の質問の答え、聞いてねぇなと思って」
「昨日の、って」

誤魔化すようにもう一度机の上に視線を落とすと、轟くんは後ろから覆い被さるように両手を机の上に置き、私を逃げられないようにした。

「なぁ、意識したか?俺のこと」

耳元で囁くようにそう聞かれて、思わず顔を机に伏した。意識したか?冗談じゃない。こっちは今日提出の課題が頭からすっかり抜け落ちてしまうくらいには動揺したし、今まで経験したことの無い少女漫画的展開に、あの時も今も、心臓はドクドクと色気のない音を立てている。そんな自分自身の変化に戸惑いながら、ぎゅっと身体を縮こませていると、意外なことに彼はあっさりと私から離れた。

「え?」

思わず顔をあげて間抜けな声を出すと、彼はいつの間にか隣の席に座っていて、不思議そうな顔でこちらを見ていた。

「どうした?」
「あ、いや……何でも、ない」
「離れない方が良かったか?」
「ち、違います!!」
「別に急いでねぇから、それ終わるまで待ってるな」

ムキになって否定する私に、轟くんは落としたように静かに笑い、自分の鞄から文庫本を取り出す。どうやら彼は私が課題を終えるまで、ここに居座る気満々のようだ。

「きょ、今日じゃないとダメ?」
「ダメだ」
「どうしても?」
「どうしても」

早く課題を終わらせたい。だけどもしも終わらせてしまったら。

再び頭の中に蘇るあの記憶に、顔が熱くなる。自意識過剰なのはわかっているけれど、正直もう課題どころじゃない。それがなんだか腹立たしくて、睨みつけてやるつもりで、ちらりと隣にいる轟くんを盗み見る。けれどすぐに、八つ当たりじみたその行動をすごく後悔した。頬杖をつきながら本に視線を落とす彼の姿に、心臓がとくん、とまた一つ跳ねた。ただ本を読んでるだけなのに絵になるとか。そんなのずるい。




「そんなに見られてると、落ち着かねぇんだが」

盗み見ていた私を見透かすように、彼は視線を本に落としたままそう言った。

「み、見てないっ」
「いや、見てただろ」
「見てません!」
「意地っ張りだな」
「そんなことないもん」
「俺がいると捗らないか?」
「……捗らない」

私は今まで、なぜこんな人と普通に話が出来ていたんだろう。ページをめくるその手、時折薄く開く唇、文字を追うその目。彼を構成するあらゆるものから、また昨日の出来事を思い出してしまう。頬を包む手のひらの熱に、唇に触れた柔らかい感触。重なり合った唇が離れていく時の、射抜くような視線。
昨日までこれといって特別に感じていなかったこの人が、今は頭の中のほとんどを占めている。

「なぁ」
「な、何?」

隣にいる轟くんのほうに顔は向けず、耳だけを傾ける。しばらくすると、視界に骨ばった大きな手が現れて、そのままその手が頬に触れた。

「な、に……」
「びっくりしたか。悪ぃな」

私の身体が反射的に跳ね上がると、彼は全く悪びれる様子のない謝罪の言葉を小さく呟き、そのまま私の顔を自分の方に向けさせた。

「やっぱ、今聞いてもいいか」

昨日と同じその視線に、元々うるさかった心臓の音がさらに勢いを増す。

「そ、そんなこと言われても、昨日まで轟くんのこと友達だと思ってたし……」
「じゃあ、どうしたら意識してもらえんだ」
「どうしたらって」
「今言ったよな。昨日まで俺のことは友達だと思ってたって」
「言ったけど」
「今日はどうだ」
「今日、は」

今日一日の自分を思い出して、言葉に詰まる。食事はろくに喉を通らないし、授業の内容も、いつもなら楽しいみんなとのお喋りも、その内容をほとんど思い出せない。頭の中はずっと轟くんのことでいっぱいだ。こんなの、まるで。

「本当に嫌なら、殴ってくれ」

答えに詰まる私に再び痺れを切らしたのか、轟くんはそう言いながら、私の額にこつん、と自分の額を合わせる。真っ直ぐで綺麗なその目から、今すぐに逃げ出したいのに目が離せない。ゆっくりと近づいてくる彼の唇を、抗う術なく受け入れた。二度は触れるだけの、とても優しいキスだった。

「殴んねぇのか」

重なり合った唇が離れると、互いの鼻が触れそうなほどの距離で、彼は笑ってそう言った。

「許されるって言ったの、私だから」
「許されたのか、俺は」
「まぁ、うん」
「そうか」

淡々とした返事。だけど轟くんはどことなく嬉しそうで、その表情にまた心臓がとくん、と跳ねた。

「もう一回、したい」

私の唇を親指でなぞるようにしながら、轟くんはそう言った。これを狙ってやっているわけではないのだから、彼は非常にタチが悪い。

「これ」
「ん?」
「レポート、手伝ってくれるなら、いいよ」
「まぁ、俺のせいだしな」

なんでバレてるんだろう。恥ずかしくて顔を背けると、今度は頬に柔らかい感触があたる。

「ちょ、っと」
「手伝うから」
「で、も」
「もう一回」

ぐい、っと肩を引き寄せられて、そのまま轟くんの方に身体を預ける形になる。鼓膜に伝わる彼の心臓の音にさえもドキドキして、自分が恋に落ちたことを再確認する。彼の整いすぎた顔がまた私に近づいてきて、私の唇を優しく奪っていく。ちゅ、ちゅ、と軽く、何度もキスをされた。キスをされる度に、彼を好きになっていく。そんな気がした。

「そういや、結局質問の答えを聞けてねぇんだが」

唇が離れると、今度は彼の腕が私をぎゅっと強く抱きしめた。

「も、もうそれはいいんじゃないですか」

薄々気づいてはいたけれど、彼は意外としつこい人だ。

「嫌だ。聞きたい」
「いや、でも」
「ダメか?」
「……ダメじゃ、ないです」
「じゃあ言ってくれ」
「意識、しました」
「それだけか」
「好きに、なりました」
「そうか。良かった」

表情は見えないけれど、彼の声色から、満足だという空気を感じ取った。ようやく納得してもらえたことに少しほっとしたのも束の間、そんな気の抜けた私の頬に、再び彼は自分の唇を寄せた。びっくりして彼の方を見ると、私の予想通り、彼はとても満足そうな顔をしていて、その笑顔にまたひとつ心臓が跳ね上がった。自分の軽率な発言が、まさかこんな急展開を招くことになるなんて、昨日の私は想像すらしていなかっただろう。

「まさかこんなことになるとは」

彼の腕の中で、負け惜しみのようにそんなことを呟くと、俺にとっては幸いだが、という前置きを入れて、轟くんは私を抱きしめたまま、嬉しそうにこう言った。




「『口は災いのもと』ってやつだな」


−−−−−−−−−

キスしてるだけ。
私の書く轟くんは、いつも突然キスしてきます。注意。


2021.01.07(2021.08.20修正)

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