欲しいもの


肌に刺さるような冷たい風が吹く季節。今朝観た天気予報では、午後には雪が降るかもしれないと言っていた。電車が止まってどこにも行けなくなる前にと、街に出てきたものの、私はひとりベンチに座り途方に暮れていた。今日何度目か分からないため息を吐くと、空気が一瞬白く濁り、そのまま冬に溶けて消えた。
今日は一年でたった一度の、好きな人の誕生日だというのに、私はまだその人に渡すプレゼントを用意出来ていないのだ。







彼の誕生日を知ったのは、つい先週のことだった。
冬休みを終え、少し久しぶりに寮に戻り、みんなに新年の挨拶をした。もちろん彼にも。彼の前に立つと緊張して、なかなか言葉が出てこない私を急かすことなく、彼は私のたどたどしい挨拶を聞いて、今年もよろしくな、と言ってくれた。
年が明けたら挨拶をしよう。自分自身に課した小さなミッションを何とかクリアして、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、共有スペースにいた飯田くんと緑谷くんの言葉が耳に入ってきた。

『そう言えば、轟君はもうすぐ誕生日じゃないか?』
『あ、確かにそうだね!』

盗み聞きをするようで少し罪悪感はあったものの、どうしても我慢できずに、耳を傾けてしまった。気づかれないように轟くんの方を見ると、彼は特に表情を変えることなく、いつもの調子で飯田くんと緑谷くんの話を聞いていた。

『まぁ、そうだな』
『11日だったよね?』
『あぁ』
『では何かお祝いを用意せねばな!』
『別に気を遣わなくていいぞ。もうそんな歳でもねぇだろ』
『そんなことないよ!おめでたい日だよ!』
『そうだぞ!緑谷君!一緒にプレゼントを買いに行こう!』
『うん。轟君、何か欲しいものはある?』

緑谷くんの質問に、それまで淡々と会話に応じていた彼の言葉が詰まった。轟くんは少しだけ俯き、何かを考え込むようにしていて、そんな彼を緑谷くんと飯田くんは不思議そうな顔で見ていた。

『まぁ...あることは、ある』

轟くんはしばらく考えたあと、曖昧な言葉を二人に返した。

『何か聞いてもいい?』
『いや...でも、お前らに頼むもんじゃねぇな』
『一体どんなものなんだい?それは』
『...ものではない』
『な、なんか...難しいね...』
『うむ。難しいな』
『悪ぃ。口が滑った。忘れてくれ。何でもいいぞ、別に』
『そう...?じゃあ美味しいお蕎麦でもみんなで食べにいく?当日は家族で過ごしたりするのかな?』
『当日は、姉さんが帰って来いって言ってたから...前日とかなら』
『うむ!では、前日の日曜日に行くとしよう!最高の蕎麦屋を探すぞ緑谷君!』
『あと5日で!?でも...うん、そうだね!せっかくの轟君の誕生日だしね!』

早速スマホを片手に、お蕎麦屋さんを探し始めた二人の姿を見て、轟くんは静かに笑みを落とした。結局のところ、彼の欲しいものが何だったのかはわからずじまいだが、好きな人の誕生日がもう来週まで迫っていることがわかり、たった今、新たなミッションが追加された。ミッションと言っても、私が一方的に渡したいというだけで、彼自身が望んでいるわけではないのだけれど。
問題は何をあげるか、だ。今日が6日で、11日まではあと5日しかない。お蕎麦以外で彼が好きなものを知らないし、轟くんは自分自身の嗜好についてを自ら語るようなタイプでもない。良い物をあげたいとは思うけど、あまり高価な物だと引かれてしまうかもしれないし、もしも気を遣わせてしまうようなことがあったら申し訳ない。手軽なお菓子などにしようかとも思ったけど、お誕生日は実家に帰るようなことを言っていたから、お家で家族とケーキを食べたりするだろうし、それなら甘いものは渡さない方が良い気もする。
ひとりでそんな思考をめぐらせながら部屋に戻り、机の上に置きっぱなしにしていたスマホを手に取った。滅多に使わないスマホのスケジュール帳を開き、誰がそこにいるわけでもないのに辺りをきょろきょろと見回してから、1月11日の予定に"轟くんのお誕生日"と打ち込んだ。予定のアイコンはケーキにするか、ハートにするかを散々迷った結果、何に対してかはよく分からない勇気を絞り出して、ハートのアイコンにすることにした。







そして結局、当日まで何を渡すかを決めることが出来ず、あっという間に1月11日を迎えてしまった。デパートや大型店舗が多い場所を選び、それらの開店時間に合わせて寮を出た。これだけたくさんお店があるのだから、何かひとつくらいはピンと来るものがあるだろうと期待したのだが、見れば見るほど何を渡せば良いのか分からなくなった。

どうしよう...もうこんな時間か...。

スマホのディスプレイを見ると、現在時刻は13時57分。轟くんが何時に寮に戻ってくるのかは分からないけど、明日は普通に授業だし、夜には確実に戻ってくるだろう。そうなると、残されている時間はどんなに甘く見積もっても4,5時間程度ということになる。
こういう時ほど、自分の優柔不断さが嫌になる時はない。彼に対してはいつもそうだ。話しかけるだけでも、嫌な思いをされないだろうか、自分の気持ちに気づかれないだろうかと、何気ない雑談の時でさえ悩んでしまう。そもそも、別に付き合っているわけでもないのに、こんなふうに悩んでいるなんて、なんて重たい女なのだろう。いっそのこと、さらっとメッセージだけ送ってしまう方が良いのではないだろうか。

「はぁ...困った...」
「何に困ってんだ?」
「何にって、そりゃあ...」

その理由をあと少しで反射的に答えてしまう直前だった。突然私に話しかけてきたその低い声に、私の世界の時間が止まった。聞き覚えのある声。聞き間違えるはずのない声。だってこの声は、私が世界で一番好きな声だ。
恐る恐るゆっくりと声のする方に目を向けると、色違いの瞳がこちらを不思議そうに見ていた。

「と、とと...っ、轟くん...!?」
「お、やっぱみょうじか」
「な、なんでこんなとこにいるの...!?」
「姉さんに頼まれて、買い出し」
「あ...そう...なんだ...」
「みょうじはこんなとこで何やってんだ?なんか困ってたみてぇだが...」
「え!?あ、えっと...その...」

言えない。絶対に言えない。言えるわけがない。あなたの誕生日プレゼントを買いに来ましたなんて。そんなことを口に出そうものなら、もういっそ告白してしまった方がまだマシかもしれない。いや、それは嘘だ。そんな勇気は到底私には出せない。

「まぁ別に、言いたくねぇなら聞かねぇけど」

私が困っていたからか、轟くんはあっさりとその場を濁してくれた。こういう彼の優しいところが好きで、申し訳ないと思いつつも、心臓の鼓動は勝手に速まる。女は勝手な生き物だと、どこかの誰かがよく口にするその言葉は、残念ながらその通りなのだろう。

「なぁ」

彼の言葉に何と返したらいいかと考えていると、轟くんは続け様に私に話しかけた。

「な、何...?」
「姉さんに、天ぷら作るから、それに使う粉買ってきてくれって言われたんだが」
「う、うん...?」
「なんか...粉って色々あるだろ」
「あぁ...薄力粉とか、強力粉とかのこと...?」
「俺はどれを買えばいいんだ」
「天ぷらだったら、薄力粉なんじゃないかな...もしくは天ぷら粉ってやつも...」
「あと、春菊って何だ」
「えっと...春菊は...なんかこう、良い香りのする葉物で...すき焼きとかに入ってる...」

私がそう答えると、轟くんは私に対して、初めて感心したような表情を見せた。話の流れから察するに、おそらくお姉さんから買ってきて欲しいと頼まれたものだろう。聞かれて不快な思いをするなんてことは全くないが、それならスマホで検索するとか、お姉さんに電話するとか、いろいろ情報を得る方法はあると思うのだけど、どうやら彼にはそういう発想はなかったらしい。
クールでかっこいい見た目に反して、ちょっと抜けているというか、なんと言うか。こういうところも彼の素敵な一面だと思っているけど、さすがにここまで来ると、お節介だなとは思いつつも、ちょっと心配になってくる。
というか、私は好きな人と、しかもその人の誕生日に、一体何の話をしているのだろう。

「えっと...他には、大丈夫かな...?」
「あとは...」

轟くんは自分のポケットからスマホを取り出して画面を見た。しかし数秒後、彼はなぜかスマホをポケットに再び戻してから、私の方をじっと見た。綺麗な色違いの目に真っ直ぐ捉えられていて、心臓がすごくうるさい。

「付き合ってくれねぇか」

彼の視線に釘付けになり、何も言えなくなっていた私に、轟くんは顔色ひとつ変えずに私にそう言った。

「え...!?」

今日いちばん、いやひょっとすると、今年いちばんになるかもしれないほどの大きな声を出した。さすがに轟くんも驚いたのか、一瞬きょとん、とした顔をのぞかせた。

「そんなに驚くのか」
「ご、ごめんなさい...あの...その、つ、付き合うって...」
「買い出し。付き合ってくれねぇか」
「あ、あぁ...買い出し!買い出しね!」

先ほどの言葉を正確に理解し、恥ずかしくて死にたくなる。先ほどまでの会話の流れから、急にそんなことになるはずはないし、そもそも私なんかに彼がそんな申し出をしてくることはないと分かってはいる。だけど意味はどうであれ、好きな人から言われるそのワードは、かなり心臓に悪い。
とはいえ、彼の方からこんなふうに声をかけられるなんて、初めてのことだ。彼について行けば、プレゼントを買いに行く時間はなくなってしまうけど、好きな人の誕生日に、その人の役に立てるのなら、これ以上幸せなことはないかもしれない。

「嫌だったら断ってくれ」
「い、嫌じゃないです...!私で良ければお供させていただきます...!」
「ふ...っ、いや...そんなたいそうなもんじゃねぇからな」

轟くんの気遣いに勢いよく返事をする私に、彼は吹き出したように笑ってそう言う。

やっぱり、笑った顔もかっこいいなぁ...。

ずっと治まらない、速度を増した心臓の鼓動がさらに速まる。今日一日で私の心臓は一生分くらいの働きをしてしまうかしれない。今日は彼の誕生日だというのに、こんな素敵な笑顔をもらってしまって良いのだろうか。

「じゃあ行くか」

そう言って歩き出す轟くんに駆け足でついていくと、彼は自然と歩く速度を緩めてくれる。そんな些細なことが、どうしようもなく嬉しい。少し前を歩く彼の背中にさえもドキドキして、こんな機会は滅多にないのに、無機質なアスファルトを見つめながら、私は彼の後ろを歩くことしか出来なかった。







「これが春菊です」

たくさん並ぶ野菜の中から、彼が探していたものを手に取り差し出すと、轟くんは納得したような顔をした。

「お、これか...確かに見たことあるな」
「多分天ぷらに使うんだろうね。今が旬だし」
「春菊なのにか?」
「確か、春に菊みたいな黄色い花が咲くから、とかそんな理由だったような...」
「なるほどな」

生まれて初めて好きな人と出かける場所が、まさかスーパーになるとは思わなかったけど、好きな人と並んで歩いているだけで、ただのスーパーが特別な場所に見えてしまうのだから、恋の力は絶大だ。
予想はしていたが、轟くんはほとんどスーパーへ買い物に来たことがないようで、珍しい野菜や最新の冷凍食品を目にするたびに興味津々と言った様子で、あれは何だこれは何だと、私に色々聞いてくれた。その都度見せる彼の目はまるで子供のようで、いつもはひたすらにかっこいいと思う轟くんを、その瞬間だけは何だか可愛いな、と思ってしまった。

「これで大体揃ったな」
「そうだね」
「すげぇ助かった。ありがとな」
「い、いえいえ...っ、お役に立てたなら...」

お役に立てたなら光栄です。そう伝えようとしたその言葉は、最後まで言うことは出来なかった。必要なものを一通りカゴに入れ、レジにむかって歩いていると、突然耳に響く大きな子供の泣き声が聞こえてきたからだ。声のする方へ自然と目をやると、小さな女の子が手に何かを抱えたまま、ボロボロと涙を流していた。目の前にいるその子のお母さんと思われる女性は、酷く困った様子でその女の子を見つめている。

「あれ何だ」

私と同じく、その女の子の様子を見ていた轟くんが、ふとそんな疑問を口にした。

「あれは...女の子用の食玩だね。懐かしいなぁ」

女の子が手にしていたのは、おもちゃのアクセサリーが入ったお菓子の箱だった。ピンク色の可愛らしい箱を胸のあたりで大事そうに抱えている女の子は、それを買ってもらいたくて泣いていたのだろう。

「私もよく買ってって言ってたなぁ、あれ」
「お前が?」
「うん。私もあの子みたいに駄々こねて、お母さんを困らせたりしてたよ」
「なんか、あんま想像できねぇな」
「うん。でも、それだけ欲しくて必死だったの。当時は」
「何に使うんだあれ」
「おもちゃのアクセサリーだから、普通に身につけて使うんだよ。まぁ、私は集めたやつを並べて満足してたけど」
「...それは楽しいのか?」
「なくなっちゃったり、壊れちゃうのが嫌で...。でもキラキラしてて可愛いものが並んでると、それだけでワクワクするといいますか...」
「そういうもんなのか」
「みんながそうじゃないとは思うけど...女の子はやっぱあぁいうキラキラしたもの好きな子多いんじゃないかなぁ。私もそうだったし」

そんな話をしていると、女の子の熱意に根負けしたお母さんは、彼女が持っていた小さな箱をカゴに入れてあげた。さっきまで大きな声を上げて泣いていた女の子は、とても嬉しそうな顔をした後、まるでお姫様のような可愛らしいお辞儀をして見せた。あんなに小さくても、女の子はやはり女の子だ。少しでも背伸びをしたくて、必死に大人に近づこうとしている姿は、とても一生懸命で可愛らしい。あんな頃が私にもあったなぁ、と、かつての自分の姿を重ねてしまい、ちょっと恥ずかしい気もするが、不思議と暖かい気持ちになる。
お菓子売場を去っていく、二人の親子の後ろ姿を見届けた後、私たちはレジにむかい、お会計を済ませてスーパーを後にした。







スーパーを出ると、空は分厚い雲に覆われていた。肌に触れる空気はさらに冷たくなり、今朝の天気予報は当たるかもしれない、という謎の予感がしていた。

「お」

そんなことを考えながら、ぼんやりと空を見ていると、轟くんがなにかに気づいたような声を上げる。

「...どうしたの?」
「あれ何だ」

本日12回目の質問タイムに、自然と笑みがこぼれる。轟くんがあれ、と指さす先を見ると、そこには1台のワゴン車と、それに並ぶたくさんの人が居た。轟くんが気にしていたのはあれだろう。

「あ、あれ...!」

ワゴン車に掲げられた見覚えのあるロゴマークに、今までとは違う意味で、私の心臓が高鳴った。

「お前知ってんのか、あれ」
「あれ、最近すっごい人気のクレープ屋さんだよ!」
「そうなのか」
「テレビで前やってて...!でも毎日出店場所が変わるし、お知らせもしないお店だから、すっごいレアなんだよ!」
「...そうか」
「本物初めて見た...!あ、そうだ、写真撮らなきゃ...!」

スマホを片手に何度かシャッター音を押したところで、すぐ真横から小さく漏れる笑い声が聞こえてきた。声のする方へ目を向けると、肩を小刻みに震わせ、必死に笑いを堪える轟くんの姿があった。

「あ、あの...轟くん...?どうしたの?」
「いや...それはこっちのセリフなんだが」
「え...」
「俺はお前がそんなになってるとこを初めて見たぞ」

彼はそんなことを言うと、ついに耐えきれなくなったのか、悪ぃ、と前置きしてから、くつくつと小さく笑いだした。そんな轟くんを見て、身体中の熱が顔に集中するのが分かる。
今回に限っては、彼の笑顔にドキドキしたからではない。ついさっきの、我を忘れてはしゃいでしまった自分を思い出して、とてつもなく恥ずかしくなったからだ。

「す、すみません...」
「いや、謝るな。俺こそ笑って悪かったな」
「ううん...高校生にもなって、クレープにはしゃいでる同級生がいたら、そりゃあ笑うよね...うん...」
「別にいいんじゃねぇか」
「ホントすみません...お見苦しいものを...」

恥ずかしい。穴があったら入りたいとは、まさにこのことだ。こんな子供っぽくはしゃぐ姿を、好きな人に見られるなんて。しかも笑われてしまうなんて。

「じゃあ並ぶか」
「え...?」
「いや、並ばねぇのか?」
「でも、沢山待ってる人いるし...」
「ならお前ここで座って待ってろ。買ってきてやるから」
「え!?いや、そんなのだめだよっ!」
「でも待つの嫌なんだろ?」
「あ、いや...そうじゃなくて...轟くんが...」
「俺?」
「轟くんはいいのかなって...思って...」
「嫌ならこんな提案しねぇだろ」
「それは...そうだね」
「で、どうすんだ」

あのお店を見つけたことも、彼と今こうして二人で休日に一緒にいることも、こんな機会はきっともうないだろう。クレープは食べてみたいし、彼と一秒でも長く一緒にいたいと思ってしまうのが、今の素直な気持ちだ。こんな贅沢があっていいのだろうかと、心の中で数秒葛藤を繰り広げたものの、少し離れたここまで漂う甘い香りに抗えず、彼の言葉に甘えることにした。
15分ほど並んでクレープを買った後は、すぐ近くの公園のベンチで食べることにした。手の中にはまだ温かい出来たてのクレープがあるが、今の気持ちは嬉しさよりも、申し訳なさの方が勝っていた。

「あの...轟くん」
「なんだ」
「やっぱりお金、払わせてくれない...?」
「だからさっきも言っただろ。買い物付き合ってもらった礼だって」

あろうことか、クレープのお金は轟くんが出してくれたのだ。何度もやんわりと遠慮したのだが、彼はなぜか自分が払うの一点張りで、結局彼の押しに負けて、クレープを奢ってもらってしまったのだ。

「でも...」
「いいから早く食え。せっかく並んだんだし」

この件について、彼がもう譲る気がないことを悟り、私は申し訳ない気持ちでクレープを軽く口に含んだ。

「わ...」

表面はカリッとしていて、内側はもっちりとしたほんのり甘い生地に、ちょうど良い甘さのクリームと中に入った苺の酸味が絶妙だ。味覚が特に優れているわけでもない私でも、素材が良いことは何となくわかる。口の中に広がる甘さがしつこくなくて、一口ずつ口に含むたびに幸福感を与えてくれる。

「美味いか?」
「う、うん...!こんなに美味しいクレープ初めて食べたくらいの衝撃が...!」
「そうか」

こうやってベンチに隣同士に座っている私たちは、周りの人たちからどう見えているのだろう。彼と私があまりに不釣り合いなことはわかっているけれど、百人に一人くらいなら、私たちのことをカップルだと勘違いしてくれる人もいるのだろうか。ほんの数時間を一緒に過ごしただけなのに、そんな図々しいことを考えてしまう。

「まぁ...良かったな。よくわかんねぇけどなかなか買えないんだろ、それ」
「ありがとね...一緒に並んでくれたりとか...」
「それを言うなら、みょうじだって買い物付き合ってくれただろ」
「でも、ほら...轟くん、今日お誕生日なのに奢ってもらっちゃったし...」

何気なくそう口にしたその言葉に、轟くんはとても驚いたような顔をして私の方を見た。

「何で、俺の誕生日知ってんだ?」
「あ...っ」

しまった。そうだった。私が轟くんの誕生日を知っていることを、彼自身は知らないのだ。うっかりと口を滑らせてしまった一分前の自分を殴り飛ばしたい。しかし既に本人にはバレてしまったし、一度出した言葉は戻すことは出来ない。このまま何も言わないのも不自然だし、ここは正直に打ち明けるしかなさそうだ。

「えっと...こないだ轟くんが緑谷くん達と話してるのが聞こえてきて...」
「あぁ...それでか」
「その...なんかこの流れでいうのもあれなんだけど...お誕生日おめでとうございます...」
「おう」

彼が小さく返事をした後、互いの間に何ともいえない空気が流れる。あまりの気まずさに耐えきれず、私は言葉を考える暇もなくもう一度口を開いた。

「その...本当は何か渡したかったんだけど、何が良いか全然わかんなくて...それで気づいたら今日になってて...。しかも私、お誕生日の本人にクレープ買わせてるし...」

あぁもう本当にかっこ悪い。こっそり買ってさりげなく渡すつもりだったのに、勢いに任せて結局全部喋ってしまった。ただのクラスメイトからこんなことを言われても、轟くんは困ってしまうだろうに。再び互いの間に流れる沈黙が重い。恥ずかしくて、情けなくて、轟くんの顔が見れない。

「なぁ」

いつもと変わらぬ声のトーンで、今度は彼の方が沈黙を破った。

「お前、俺が好きなのか」

その言葉に、今までで一番心臓が大きく跳ねた。彼はどういう意図でその質問をして来ているのだろう。驚きと恐怖と、ほんの僅かな期待。いろんな感情が混じり合って、その質問に答えなければいけないのに、言葉が出てこない。
今ここで、違うと一言口に出せば、きっと轟くんはそれ以上私に何も聞かないでくれるだろう。だけど確信がある。ここで私が自分の気持ちをごまかして、言葉を濁してしまったら最後、もう私の気持ちは永遠に彼には届かない。

「聞いてたんだよな」

彼の質問に答えることができない私に、轟くんは質問を変えた。

「え...?」
「俺が欲しいものがあるって言ったの、覚えてるか」
「あ、うん...覚えてるよ」
「もし俺がみょうじにそれ言ったら、くれるか」
「私があげられるものだったら...いいけど...」

核心から徐々に遠ざかっているような気がするが、続け様に彼の口から出てくる質問に答えていく。先ほどの核心を付いた質問を除き、彼は一通り聞きたいことを聞き終えたのか、急に口を噤み、視線を上の方へとむけた。そんな彼の横顔をしばらく見ていると、彼は何かを決めたのか、私の方へもう一度向き直り、再び口を開いた。

「じゃあ、目瞑ってくれ」
「え?」
「くれんだろ」
「そんなことでいいの...?」
「あぁ」

轟くんの欲しいものは結局わからないまま、私は彼に言われた通りに目を閉じた。目の前が真っ暗になり、聴覚が研ぎ澄まされたことで、自分の鼓動の音が余計に響く。彼に聞こえてしまうのではないかと不安になっていると、不意に何かが近づく気配がする。その違和感に思わず瞼を開けると、すぐ目の前に水色とグレーの美しい瞳があり、その目は真っ直ぐに私を捕らえていた。

「と...」

彼の名前を呼ぶ前に、その唇は目の前の人物によって塞がれた。反射的に顔を背けようとするが、それは頬に触れた彼の手によって阻まれる。唇を重ねながら、真っ直ぐに私を見つめる彼の視線に、耐え切れずに瞼を閉じる。頬に添えられていた手は頭の後ろに回され、私の髪を優しく撫でた。ゆっくりと唇が離れ、瞼を開けるとそこには彼の顔があり、あまりの恥ずかしさに視線を逸らしてしまう。轟くんはそんな私を許さないと言うかのように、私の顔を自分の方にむけさせた。

「くれるか。俺の欲しいもの」

いくらでも。好きなだけ。あなたが貰ってくれるなら。好きです。大好きです。言いたいことはたくさんあるのに、言葉よりも、涙ばかりが溢れてくる。ただただ頷くことしかできない私を、轟くんはゆっくりと自分の方へ引き寄せて、あやすように背中を優しく叩いた。これが夢だったらどうしよう。そんな不安が一瞬よぎり、自分の頬を思い切りつねると、確かにそこには痛みが走る。轟くんの背中に腕をゆっくりと回すと、彼はそれに応えるように、抱きしめるその腕の力を、ほんの少しだけ強めた。

「大事に、する」

耳元で低く、優しく呟くその声に、おさまりかけていた涙がまた溢れ出す。泣きじゃくる私の背中を優しく叩く轟くんにしがみついて、彼の温もりが夢でないことを何度も確かめた。
涙がようやく止まる頃、世界は夜を迎える準備を整え、微かに雪が散らついていた。


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轟くん、お誕生日おめでとう。生まれて来てくれて嬉しいです。
これからも全力で推していきます。

2021.1.11

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