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「それで、こないだの週末にその映画に行ってきたんだけど」

昼休みの食堂。目の前にいるのは轟くんではなく、先日告白された鈴原くんだ。
結局あの後、泣き腫らした顔で練習に戻ることは出来ず、体育館に戻っただろう轟くんがどう伝えたのかはわからないが、その日の夜はクラスメイトたちが次々と部屋に訪ねてきてくれた。相談に乗ってくれていた女の子達には事情を話したが、話している途中でさえ涙が溢れてきて、皆にすごく心配をかけてしまったのは、もう5日も前のことで、文化祭の本番はもう明日に迫っていた。
轟くんとはここ暫くほぼ毎日何かしらの連絡をとっていたが、あの日からは一度も連絡を取り合っていない。自分のスマホが鳴る度に期待しては、やっぱり違うか、と勝手に落ち込んでは自己嫌悪に陥る。そんな日が続いている。

「映画はちょっとイマイチだったんだけどね、その後姉と食べに行ったカフェのご飯が美味しくて」
「そうなんだ」

あれからと言うもの、こうして鈴原くんにお昼や放課後に誘われるようになった。と言うよりは連れ出されていると言った方が正確だが、クラスにいれば嫌でも轟くんのことが目に入ってしまうので、むしろ都合が良かったのかもしれない。

「ね、今度良かったら一緒に行かない?」
「え...」
「みょうじさんって女の子っぽいし、そういうの似合いそうだよね」

女の子っぽい?

そんなことはない。だってずっと片思いしていた好きな人と出かけた時でさえ、カウンターでラーメンが食べたいと言い出して、笑われてしまうのが私だ。全然女の子っぽくなんかない。
あぁ、ダメだ。そんなことを思い出したらまた轟くんの顔が浮かんでしまうのに。

「俺、また何か酷いこと言っちゃった?」
「え、どうして...」
「みょうじ今にも泣きそうな顔してるから」
「.........っ、」

下唇を噛む。痛い。でもこうしないと、本当に泣いてしまいそうだ。人も多いこんな場所で泣きだしたら、鈴原くんだって困るし、もしかしたらクラスの誰かがいるかもしれないのに。
轟くんのことを考えると、あの日言われた言葉を思い出して胸が張り裂けそうに痛くなる。近づけたと思っていた距離は、いとも簡単にまた離された。辛くて苦しい。それなのに、それでも会いたくて、声が聞きたくて、側にいたくて。こんなに苦しくなるくらいなら、ずっとあのままでいれば良かった。隣の席で、ただ時々会話をするだけの、あの関係で。




「そんなに好きなら、告白すれば?」
「...は?」
「みょうじさんに告白して引っ掻き回したのは俺だけど、みょうじさんって相当彼が好きだよね?だったら自分からそれを伝えようとは思わないの?」
「だって...」
「何も始まってすらいないのに、伝えないで逃げて泣いてるのって、結構卑怯じゃない?」
「それは...」

卑怯じゃない?と言われてグサっときたが、確かに彼の言う通りだと思った。結局私は1年生の時から何も変わっていない。
今の関係を壊したくなくて、クラスメイトとして近くにいられればそれで良いと、始めから自分で線を引いて、それ以上先には行かなかった。今も、結局自分から線を飛び越えることはしていない。勝手に傷ついて勝手に泣いているだけだ。轟くんは私のことを知ろうとしてくれたし、いつも彼の方から声をかけてくれていた。でも私は、ただ彼の行動を受け入れて、彼を待っていただけだ。

「告白しなよ、ちゃんと」
「...失礼を承知で言うけど、鈴原くんって変な人だね」

ここ数日で分かったのは、鈴原くんは変わった人だけど、悪い人ではないということだ。彼は自分の感情や周囲の事情よりも、客観的に見て正しいか否かで物事を判断するタイプだ。自分の感情に実直な轟くんとは正反対の。
まさか告白してきた相手に告白しろと言われるとは思わなかったが、なるほど彼らしい理屈だなと思った。

「え、何で?」
「普通言わないよ、自分の好きな人にそんなこと」
「ははっ、まぁそうなんだけど。でも代用品にされちゃたまったもんじゃないし」
「...ふふ、それは、そうだよね」
「まぁひとまず玉砕しちゃったら教えてよ。そしたらとりあえず、カフェで好きなだけ奢ってあげる」
「...そうだね。ちょっと...考える。ありがとう」
「どういたしまして。それじゃあね」

昼休みはあと15分も残っているというのに、鈴原くんは手をひらひらさせてご飯を食べていたテーブルから去って行った。







「ねぇ、みょうじは今日の夜って暇?」

食堂から教室に戻ると、耳郎さんが話しかけてきた。

「今日?練習の後ってこと?」
「そう、せっかくだからちょっとだけ明日頑張ろう会的なのやろうってことになってさ」
「前夜祭みたいな感じか〜、楽しそう!」
「じゃあ今夜21時に中庭ね」
「中庭...?共有スペースじゃなくて?」
「そ。暖かい格好してきなよ」
「わかった!21時ね!」

“じゃあ、宜しく”、と耳郎さんが自分の席に戻っていくと入れ替わるように、お昼ご飯を食べていたであろう轟くんが緑谷くんと飯田くんと教室に戻ってきた。あれから目を合わせるのも気まずくて、あんなに嬉しかったはずの隣の席が、今は少し辛く感じてしまう。

“何も始まってすらいないのに、伝えないで逃げて泣いてるのって、結構卑怯じゃない?”
食堂での鈴原くんの言葉を思い出す。
そうだ、このままではいけない。ちゃんと言わなくては。答えが怖くても、もう二度と話せなくなってしまったとしても。勝手に傷ついて泣いて逃げ回るのは、もう終わりにしなければ。







その日の放課後、相変わらず轟くんとは気まずいが最後の練習も何とか終わらせた。寮に戻って夕食を食べ、お風呂に入り、少し部屋でゆっくりした。
約束の21時までまだあと10分ほどあるが、特にすることも無いし、きっと誰かはいるだろうと思い、部屋を出て中庭に向かうことにした。

中庭で何するんだろう...花火とかかな...

11月に入り、外はすっかり寒くなった。少し前はニット1枚着ていれば十分だったのに、今は朝晩は息が少し白く見えるほどになっていた。

「あれ...」

言われた通りの時間、言われた通りの場所にやって来たのに誰もいない。中庭を少しウロウロしてみるが、人の気配は全くなく、聴こえてくるのは鈴虫の鳴き声くらいだ。

「耳郎さん、時間間違えてたのかな...」

仕方ないか、寒いし、一度室内に戻って電話してみよう。

そう思って室内の方へ身体を向けたその時、中庭と寮を繋ぐドアが開いた。




「あ...」
「お、」

ドアを開けたのは、今1番会いたくて、会いたくない人。扉を開けた時にちょうど吹いた風が、彼の赤と白の綺麗な髪をふわっとさせた。しかしその表情はいつもの無表情なものではなく、少し困ったような、焦ったようなそんな顔をしている気がして、また少し胸が痛む。

気まずい。

あれから5日、話すどころか劇の練習以外では、目を合わせるのすら怖くてずっと避けてしまっていたし、轟くんの方もたぶん私を意図的に避けている感じがする。

でも、ひとまず何か喋らないと。

「と、轟くん、ほかの人たち知ってる...?」
「いや...知らねぇ。上鳴に来いって言われたから来たんだが...」
「私は耳郎さんに...あっ」
「なんだ?」
「あ、いや...何でも...」

もしかして、いや確実に、この状況はそういうことだろう。どうりで誰もいないわけだ。耳郎さんと上鳴くんが一芝居売ったのだ。私達を会わせる為に。

「......あ、明日だね。文化祭っ」
「...そうだな」
「台詞もダンスも大分慣れたけど、やっぱり前日になると緊張するなぁ」

違う。こんなことが言いたいんじゃなくて。もっと言いたいことは、他にあるのに。

「あの、轟くん...」
「何だ」
「.........こないだの、教室でのこと...ごめんね」
「何でみょうじが謝るんだ」
「轟くん、すごい困っただろうなって」
「それはもういい」
「でもあの後の練習...」

「あの後、ずっと考えてた」

私の言葉を遮るようにして、轟くんが更に続ける。

「あれから、ずっと、何でお前が泣いてたのか考えてた。考えてたけど......」
「...けど?」
「正直今もよくわかんねぇ。でも半分は俺のせいだって、彼氏面すんなってあいつに言われて、確かにそうだなって思った。お前は嫌だって言わなかったけど、俺のしてたことが、本当は迷惑だったんじゃねぇかって、思って」
「そんなことは...!」
「そしたら、お前にどう接していいかわかんなくなっちまった」
「それは...今までみたいにしてくれれば...」
「本当にそう思ってるか?」
「え...」
「お前、言えなかっただけで、ホントは嫌だったんじゃねぇか。その、色々...」
「ち、違うよ、何で...」
「今日、あいつと飯食ってたよな?最初は浮かねぇ顔してたけど、最後の方はちゃんと笑ってた。...お前笑がってるとこ久しぶりに見た気がすんだ。俺のことは、見ると不安そうにしてたのに」
「それは...」
「俺と居るより、あいつといる方が、いいんじゃねぇか」

この人は何を言ってるんだろう。
何で?どうして私の気持ち、決めつけちゃうの?何もまだ言ってないのに。
というか、何も言わなくたって皆にはバレバレなくらいなのに、どうしてあなたはわからないの?こんなに分かりやすく、どうしようもないくらい、あなたが好きなのに。

なんかもう、悲しいとかじゃなくて、なんて言うか。ムカつく。




「...か」
「なん...」
「轟くんのバカーーーー!!」
「は…?」
「轟くんは何にも!ホントに何にも分かってない!!」

もういい。もうどう思われてもいい。この際だ。言いたいことを全部言ってやろう。

「轟くんは期待させたり突き放したり、何なの?私のことどうしたいの!?」
「いや、俺は...」
「突然可愛いとか言ったり!抱きしめてきたり、手を繋いできたり!轟くんが何考えてるか全然わかんないっ!」

鈴原くんの言った通り、それって、普通は好きな子にすることだ。こんな格好良くて、まして好きな人にそんなことされたら、期待するに決まってるのに。それなのに。

「鈴原くんと付き合いたければ好きにしろみたいに言われて、それ聞いて、あぁ私脈ないのかなって...だから別に鈴原くんのこと好きじゃないのにご飯一緒に食べてっ...」
「一旦落ち着...」
「嫌です!お断りします!!」
「なっ…」
「嬉しかった、のに」
「え...」
「......嬉しかったんだよ、すごく。練習一緒にやろうって言ってくれたの。一緒に出かけたのも、可愛いって言ってもらったのも、手を繋いだのも...全部、嬉しかった。嫌だなんて一度も!一瞬も思ってない!」

嫌だったわけない。嬉しかった。幸せだった。
だって、ずっとずっと、好きだった。今もこんなに、涙が止まらないほどに、大好きなんだから。




「轟くんが好きだから...っ、全部嬉しかったのに...なのに、他の人と付き合っていいって言われて、悲しかった...」

悲しかった。寂しかった。他の人のところになんて行くなって、言って欲しかった。保健室の時みたいに抱きしめて、そう言って、不安な気持ちを全部消して欲しかった。

なんて勝手。自分のことは棚に上げて。
だけど私にそうさせたのは絶対に轟くんだ。期待させたのは彼だ。踏み出さないし踏み出せない、意気地無しな私だって悪いけど、私だけが悪いわけじゃない。




「俺は、」
「...っ、もう寝ます!おやすみなさい!」
「は?...いや、ちょっと待てっ、俺の話...」
「聞きたくないです!!」
「おいっ...!」

中庭から、個性を使ってそのまま自室へ転移する。まさか寮で、自分の好きな人から逃げるために個性を使う日が来るとは思わなかった。
部屋に入ってしまえば、女子の部屋だ。もう追いかけては来れない。無事に部屋に辿り着いたことで、安堵と後悔が同時に押し寄せてきた。




「はは...なんてことをしてしまったんだ私は...」

こんなはずじゃなかったんだけどな。

怒って、泣いて、八つ当たりみたいな告白をしてしまった。
突然色々言われた轟くんは、今まで見た事ないくらい困惑した顔をしていた。色々まくし立てる私に戸惑い、きっと幻滅してしまっただろう。あぁ、やってしまったな、と胸が痛み、自然と自虐的な笑みが零れた。
いや、そんなことはないはずだ。結局逃げてしまったけど、ずっと心の内に溜め込んでいたこと、言いたいことは言ってきたのだから。何もしないでただ逃げてきたわけじゃない。これは戦略的撤退だ。たぶん。

でも、これで明日やり遂げたら、吹っ切れる気がする。何となく。




メッセージも着信も確認するのが怖くて、目をつぶったままスマホの電源を切り、そのままベッドに倒れ込んだ。
もう引き返せない。でもいいのだ。やっぱり胸は痛いけど、大丈夫。ちゃんと自分の気持ちは言った。色々言いすぎて何を話したかさえ、既にあまり覚えていないが、文字通り当たって砕けた。きっと暫く胸は痛いままだろうけど、時間が解決してくれるはずだ。

明日の文化祭が終わったら、もうこの恋は終わりにしよう。
シンデレラの魔法が解けるように。
落ち込むだけ落ち込んだら、笑ってまた歩かなきゃ。

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2020.10.13

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