12 さあ役者は揃った


「よし、お前ら、俺の演技指導を思い出してのびのびやれよ!」
「あんたは勝手にやってただけでしょうが」
「ふふ、でも上鳴さんのお陰で気づけたこともありましたわ」
「ヤオモモ〜!いいこと言う〜!」
「調子乗んな」

いよいよ文化祭当日。私たちの劇は11時から開始予定で、今の時刻は8時半。舞台のセットは開始一時間前の10時から搬入することになっており、大道具や演出のメンバーは効率よく進めなければならないため、既に準備でバタバタしていた。一方、演者の私達もそろそろ着替えとメイクをしなければいけない時間が迫っていた。

「演者のお前らは、そろそろメイクと着替えだよな!楽しみにしてるぜ!特に女子!」
「舞踏会のシーン、皆ドレス着るんだろ?楽しみだなぁ〜」
「胸元パックリ開いたやつで頼むぜ!」
「峰田ふざけんな」

いつも通りの峰田くんの調子に、耳郎さんのイヤホンジャックの鋭いツッコミが入る。だいぶ痛いと思うのだが、いつの間にか随分慣れた光景になったものだ。

上鳴くん達が楽しそうにする様子を少し離れてみていると、私が見ている方とは違うところから視線を感じてそちらを向くと、轟くんと目が合う。

どうしよう、目が合ってしまった。

私と目が合ったことで、轟くんは何を思ったのかこちらに近づいてきた。昨日の今日で目も逸らさずにいつもの表情なところが、彼らしいというかなんと言うか。

「はよ」
「あ、うん...おはよ...」

挨拶を交わし、沈黙が流れる。

「昨日の...」

「では、女子の皆さんは更衣室で衣装に着替えましょうか」
「メイクは私に任せてー!」

更衣室で準備をしていた八百万さんと葉隠さんが戻ってくると、女子に移動の合図がかかる。女子の衣装とヘアメイクは八百万さん、フェイスメイクは葉隠さんが担当してくれることになっている。

「ごめんね、聞こえなかったんだけどさっきなんて...」
「いや、いい。行ってこい」
「う、うん...じゃあまた後でね...」
「あぁ」

聞こえなかったなんて嘘だ。その続きに何を言おうとしたのかはわからないけど、今それを聞くのは怖い。
一方的に想いをぶつけて、あれからスマホの電源もずっとオフにしたままだ。もしかしたら轟くんからメッセージが来ていたのかもしれないが、それがもしも拒絶の言葉だったら、さすがに平常心は保てない。舞台の本番前にそれを確かめる勇気は出せず、結局電源を入れられないままでいる。勝手だとわかっていても、この想いを自分で完結させるのと、彼に終わりを告げられるのは話が違うのだ。







「前半の衣装、なんかすごい本格的だね...」

灰被りというその名の通りの、少し薄汚れたエプロンドレス。先日観にいった舞台のそれと正直あまり遜色ないレベルの完成度の高さだ。

「童話の絵を何度も見て、しっかり再現しましたわ!」
「さすがヤオモモ」
「ねー、後半のシンデレラのメイクなんだけどさー、なまえちゃん色白だからリップとチークはピンク系だと思って色々持ってきたんだけど、皆どれがいいと思う!?」
「わ、こんなにいっぱい!これは悩むねー!」
「並んでるの可愛いね〜」
「こちらのベビーピンクはどうでしょうか?」
「あ、これいい!ドレスに合いそう!」

まるでスタイリストさんのように真剣に、それでいてとても楽しそうにメイク道具を選んでいる葉隠さん達がとても可愛くて、つい笑みがこぼれてしまう。

「よし、後半はこのチークとリップで仕上げることにしよう!じゃあ前半の方のメイクしちゃうね!」
「うん、宜しくね!」







「はぁ...」
「なまえちゃん、やっぱ主役やし、緊張する?」
「う、うん。練習沢山したけど、やっぱりね...」
「みんなついてるわ、大丈夫よ」
「ありがとう、梅雨ちゃん」

台詞もほとんど間違えなくなったし、上鳴くん、もとい監督のスパルタ指導のおかげか、始めはあった演技への恥じらいも今はほとんど無くなった。
何より、轟くんが毎日物覚えの悪い私のために沢山練習に付き合ってくれたお陰で、それなりには形になったと思う。それでも実際に衣装に袖を通して、いざもうすぐ舞台の上で演じるとなると、やはり緊張する。

「そろそろ搬入が始まる頃ですし、移動しましょうか」
「だね!」
「うわぁ、いよいよって感じだー!」
「男子ももう着替え終わってるよね」
「じゃああれだね!ついに見れるね!轟くんの王子様姿!」
「ちょっと、葉隠...」
「あっ...」
「み、みんなそんな顔しないで!私全然もう大丈夫だよ!」

もしも、シンデレラの役になっていなかったら、今まで知らなかった彼を知ることもなかった。意外と不器用で強引なところ、時々見せる年相応の意地悪な笑顔、抱きしめてくれた腕の力、握った手の暖かさ。
役に選ばれなければ、きっとこの先もずっと知ることはなかったであろう、轟くんのこと。
大好きな人とたくさんの時間を過ごして、沢山幸せな気持ちをもらったこの舞台はちゃんと最後までやり遂げたい。だから今は強がりでも、精一杯頑張りたい。無駄にしたくない。

「......私、後半のメイク頑張るね!」

少しの沈黙の後、葉隠さんが一際大きな声でそう宣言する。

「え...?」
「そんで、轟くんに後悔させちゃおう!」
「その意気だ葉隠。それで行こう」
「私も、完璧な着付けとヘアメイクにしてみせますわ!」
「他の男になんか渡さねぇぞ!って思うくらい可愛くしようね!ヤオモモ!」
「もちろんですわ!」
「......みんな、ありがとう」

優しい人たちに囲まれて、私は本当に幸せ者だ。







「おー!いいじゃねーか!」
「みんな童話から出てきたみたいな感じでいいねぇ」

更衣室から戻ると、私たちに気づいた上鳴くんと瀬呂くんが話しかけてくれる。男の子たちは各々に台詞を確認したり、談笑したりしていたようだ。

「ヤオモモが作ってくれた衣装のおかげだよ!」
「男子も全員準備OK?」
「あとは...」

瀬呂くんが答えようとした時、私たちが今入ってきたドアが再び開く。

「おー、遅かったな、轟」
「悪ぃ。着るの手間取っちまった」




息を飲むほど、とはまさにこのことで。

王子様だ。

白を基調とした、西洋の軍服にも似た、まさに絵本の中の王子様そのものといった衣装だ。襟などの一部分に、黒みがかった青がアクセントカラーとしてあしらわれ、ボタンや装飾にゴールドのパーツが使われている。他のみんなの衣装も決して地味という訳では無いのに、別格の存在感がある。いつもはサラッとした髪をそのまま自然にしている轟くんだが、今日は後ろに流していて、いつもよりずっと大人っぽく見える。
彼が放つ、言葉では表せないその強烈な"何か"は、目を逸らすことを許さないというように、私を惹きつけて離してくれない。見ちゃダメ、これ以上はダメだ。そう思えば思うほど、彼に侵食されていくような感覚が全身に走る。

「かっけぇなオイ!!」
「くっそー!イケメン許さねぇ!!」
「さすが轟...予想以上の面の良さ...」

周りのみんなが口々に冷やかしにも似た賛辞を送る中、今も目を逸らせずにずっと轟くんを見てしまう。最後の最後でこんな彼を見てしまったら、決心が鈍ってしまいそうだ。

「ではみんな揃った事だし、体育館に向かうぞ!男子は演者も搬入のサポートを頼む!」

飯田くんの言葉でみんな一斉に体育館に向かう。現在午前9時54分。あと1時間と少しで開演だ。最後のリハーサルでかかった劇の時間は約50分ほど。つまりはあと2時間で、ここまで長かったような、あっという間だったような文化祭の本番は終わりを迎える。

「あと2時間か...」
「ん?なまえちゃん、どした?」
「...ううん、なんでもない」

この恋を終わらせるまで、あと2時間。







「よし、じゃあこれで舞台のセットは準備完了だな!」
「間に合って良かったですわ」
「開演まであと15分だ!みんなそれぞれの持ち場についてくれ!」

大道具や小道具、演出用の仕掛けの準備も整い、いよいよ開演まで15分となった。

「前半宜しくな、シンデレラ〜」
「監督のベールを脱いで、今俺は意地悪な姉役へと姿を変えるのだ...!さぁ、いじめ抜くわよっ!」

台本で台詞の最終チェックをしていると、後ろから瀬呂くんと上鳴くんが話しかけてきた。

「なんか...すごい二人とも似合ってるね」
「「それ褒めてんの!?」」
「ふふ、褒めてるよ。二人とも可愛い」
「あらやだ!そんなこと言っても優しくなんかしないんだからっ、ねぇ、お母様?」
「もちろん。いじめ抜くわよ〜?」
「あはは、お手柔らかにね」
「おーい、瀬呂、ちょっといいかー?」
「お、切島呼んでる。ちょっと行ってくるな〜」

後ろから見ると、もう女の人にしか見えない瀬呂くんの背中を一度見送る。

「上鳴くん、色々ありがとうね。私、演技ダメダメで...」
「そう?むしろみょうじはめっちゃリアルだったよ?轟のこと好きな感じがすげぇ出てて」
「えっ!?嘘っ!?」
「あ、やっぱそうなんだな〜」
「か、かか上鳴くん...っ」
「ははっ、大丈夫大丈夫!言ったりしねぇよ」
「そ、そう...」
「頑張れよ。...お前も」
「え...?」
「いや、何でもねぇ!成功させような、劇!」
「うん...!そうだね!」




その後すぐに戻ってきた瀬呂くんと共に舞台の袖へ進むと、ステージには既にシンデレラが住む家の建物の背景や小物がセットされている。客席には見えない細かいところまでこだわって作られており、作ったものには担当した人の名前がデザインにさりげなく入っているという遊び心もある。緊張していることは間違いないのだが、こういうところを見ると何だかほっこりして、気持ちがふわっとなる。

"只今より、2年A組による"シンデレラ"を開演致します"

「うぉ、アナウンス流れた!やべー!」
「初っ端頑張れよみょうじ!」
「う、うん...!」

梅雨ちゃんの最初のナレーションの後、幕が上がればもうすぐに出番だ。やばい、心臓が口から出そうだ。
落ち着かないと。こういう時こそ深呼吸だ。

目をつぶり、息を大きく吸い込んで吐くと、本番が近づくにつれて溜まっていた緊張が、少し抜けていくような気がする。目を開いてステージの方に目を向けると、反対側の舞台袖の、色違いの瞳と視線がぶつかった。
その表情はいつもと同じく落ち着いていて、これから本番だというのに、緊張を微塵も感じさせない。さっきまでは彼を見るだけで色んな想いが込み上げてしまいそうだったのに、いつもと変わらない彼の顔を見ると、今はすごく頼もしくて、何だか安心してしまう。そう思って彼の顔を見ていると、彼の薄い唇がゆっくりと開いた。

(頑張れよ)

ゆっくりとした口の動きのお陰で、何を言ったかがちゃんと伝わった。
その事にただ頷くしか出来ない私に、彼はふ、と笑った。いつもの優しい、ふわっと柔らかく落とすような、大好きな轟くんの笑顔が見える。あと1時間。あと1時間でこの気持ちを終わらせるとそう決めたのに、彼が私に与えてくれるもの全てが愛しくて、苦しい。

「好き」

思わずそう口にしてしまうほどに。
あなたが好き。好きです。

−むかしむかし、とても美しく優しい娘がいました。
でも悲しいことに、娘のお母さんは彼女が幼い頃に病気で死んでしまいました。そこでお父さんが2度目の結婚をし、娘には新しいお母さんとお姉さんが出来ました。ところがこの人たちは、揃いも揃ってたいへん意地悪だったのです。
新しいお母さんは自分の娘よりもずっと美しい、その娘のことが気に入りません。娘は家の辛い仕事を全て押し付けられ、娘の頭にはいつもかまどの灰がついていたのです。
そんな娘のことを、意地悪な母と姉はこう呼んでいました。灰被り、"シンデレラ"と。−


そして舞台の幕は、上がった。
ーーーーーーーーーー
2020.10.13

BACKTOP