14 午前0時のシンデレラ


彼は覚えていないだろうけど、初めて会ったのは実は雄英に入る前だった。
あれは中学3年の冬、雄英の合格通知を受け取ってから、1週間ほど経った頃。中学の友達が合格祝いにと企画してくれた集まりがあり、電車に乗って待ち合わせ場所に向かっていたが、その日はいつもより電車が何故か混んでいて、人が密集する時の、妙な熱気と空気に酔ってしまい、立っているのが少し辛くなっていた。

そんな時だった。

『あの、』

気持ち悪いのを我慢してずっと瞑っていた目を開いて見ると、赤と白の色あざかやな髪と、同じく左右非対称の綺麗な目が視界に飛び込んできて、急に声をかけられたことにも驚いたけど、目の前の男の子の綺麗さにすごくびっくりしたのをよく覚えている。

『次の駅で降りるんで』

そう言って席を替わってくれたのが、轟くんだった。

雄英に入学して、どんな子がいるんだろうと緊張しながら教室に足を踏み入れた瞬間、また視界に飛び込んできた赤と白の髪と、綺麗なオッドアイの目。その人は、退屈そうに頬杖をついてどこか遠くを見つめていた。
"あの時の人だ"。朧げになりかけていた記憶は一気に蘇り、同時に今まで感じた事がないほどに胸が高なった。それが恋だと気づくのに、それほど時間はかからなかった。

偶然隣の席になったものの、最初は少し近寄り難く、話すこともほとんどなかった。どことなく轟くんは人と距離を置いていて、これ以上は近づくなと言っているような、そんな感じがあったのだ。しかし1年生の体育祭以降、どういうきっかけだったのかはわからないが、徐々に話しかけてくれることが増え、元のクールで格好いいイメージとは裏腹に、ちょっと抜けているところや、優しいところを知って、もっと好きになっていった。元々目立つ人が多いヒーロー科の中でも飛び抜けた実力と知名度で、女の子にも人気があって、それを実感するたびにモヤモヤした。それでもすぐ側で、彼の存在を感じられる場所にいられることを、とても幸福に感じていた。







「まぁ、可哀想なシンデレラ、私があなたの願いを叶えてあげましょう。さぁ、言ってごらんなさい」

始めはただ、見ているだけで幸せだった。付き合いたいとか、近づきたいとか、そんな欲は一切なくて、彼のことをただ見ているだけで幸せだった。
けど今は、もうあの頃とは変わってしまった。

「舞踏会に、行きたい...王子様に、会いたい...」

彼の側に居たい。居たかった。それがいつか消えてしまう、魔法のようなものであったとしても。

「わかりました。優しい、シンデレラ。あなたの願いを叶えてあげましょう」

効果音と演出でステージ全体が幻想的な雰囲気に包まれる。舞台上の八百万さんの合図で、舞台に早足で歩き、代役の子と小さくハイタッチをして交代した。

「さぁ、この馬車に乗って王子様に会いにゆくのです」
「ありがとう、魔法使いさん」
「但し、私の魔法は0時までです。それを過ぎれば元に戻ってしまう。鐘が鳴り終わるまでに戻るのですよ」
「わかりました。行ってきます」

元に戻るんだ。彼を好きになる前の、私に。







セットが変わり、舞台はいよいよ舞踏会のシーンへと変わる。大広間には他の国の姫君や、王子の召使いたちが居て、各々にパーティーを楽しんでいる。退屈そうにしている、王子様を除いて。
舞台の袖からガラスの靴を履いた足を一歩一歩とステージに向かって歩き出すと、ザワついていたステージが静かになり、多くの人が私の方を見る。

このシーンが練習でも一番緊張したんだよね...。

すると、ステージの1番離れた場所に退屈そうに触っていた王子が急に立ち上がり、ゆっくりと、引き込まれるようにしてシンデレラに近づく。

「僕と踊っていただけませんか」
「...はい。喜んで」

少し戸惑いながらも、嬉しさのあまり王子の手を取るシンデレラ。それはまるであの日の公園での私のようだ。

轟くんの手を取ると、音楽が変わり、他の演者がステージから消える。シンデレラと王子様。まるで世界には二人しかいない様な時間が流れる。
始めは目を合わせて踊ることすら出来なくて、下を向いてばかりだったのに、今はしっかりと彼の目が見れるし、彼に触れても大丈夫になった。
しっとりとした穏やかな曲はやがて少しアップテンポの曲になり、ステップも変わる。この人といると楽しくて、いつまでもずっと一緒に居たい。二人がそう思いながら踊るシーンだ。だから正しい動きより、とにかく楽しそうにすることが大事。そう芦戸さんからアドバイスを貰った。

"笑顔で、幸せそうにね!"




「なぁ」

轟くんが急にとても小さな声で話しかけてくる。

「...な、何?」
「何でそんな、泣きそうなんだ」
「え...?」

おかしいな、ちゃんと笑ってるんだけど。

笑っている"つもり"なのに、彼にはそう見えていない。嫌だなぁ。最後くらい笑っていようと思ってたのに。やっぱり私は、強い人にはなれないらしい。

「俺、は...」




ゴーン、ゴーン、


体育館には不釣り合いな大きな鐘の音が鳴り始める。





「ごめんなさい、私、帰らないと...」

台本通りの台詞。でもそこには確かな想いもあって。
この鐘の音が鳴る間に、私はここから離れなくては。彼と、自分のこの気持ちと、お別れしなければ。
そう思って彼から離れようとした。




「嫌だ」

ここまで何の狂いもなかった。予定通りの段取り、衣装、演出に、台本通りの台詞。ここに来て、初めて聞く台詞に耳を疑った。

「あ、あの...王子、様?」
「"俺"は嫌だ」
「え...?」
「行くなよ」

舞台袖で焦るみんなの声も微かに聞こえてくる。轟くんは何を言っているのだろう。ううん、違う。わかってる。この人が何を言いたいのか、私はちゃんと分かっている。でもそれを確かめるのがずっと怖くて逃げていた。
王子様の一人称である"僕"ではなく、彼は今、"俺"と言った。話しているのは王子様じゃない。轟くんなんだ。

「それは、どういう、意味...ですか...?」

葉隠さんにせっかく綺麗にメイクしてもらったのに、目から頬へ、水が流れていくのが自分でわかる。
頬をすべるその水が、もうすぐ落下するその瞬間に、腕を引かれて暖かいものに包まれる。保健室で抱きしめられたあの日からずっと忘れられない、大好きな人の腕の中だ。

「みょうじ」

私を呼ぶその声は、少し掠れていて、とても苦しそうに聞こえた。そんな彼が愛しくて堪らなくて、咄嗟に右手を伸ばし、ゆっくりとその色違いの髪を撫でると、轟くんはほんの僅かに肩を落とす。



「他の奴のとこなんか行くなよ...ずっと俺の側にいて、ずっと、俺だけ...好きでいてくれ」
「...好きでいても...いいの?」
「そうじゃねぇと困る」
「どうして...?」

どうしてなんて、そんなのわかってるくせに。卑怯な聞き方だ。相変わらず私はずるい。でも聞きたい。ずっとそれを知りたかったんだから。

「それ聞いたら、もう逃げられねぇぞ、お前」
「...もう逃げないよ」

抱きしめた両腕を少しだけ緩めて、私の顔を見る轟くん。初めて会った時と同じ、視界に広がる鮮やかな赤と白の髪。吸い込まれそうに綺麗なアシンメトリーな色をした目。でもそれは、あの時よりずっと近く、ずっと愛しい。




「お前が好きだ」

そう言う彼の顔がもっと近くまで寄せられる。これから何をされるか理解して、そのまま目を瞑ってそれを受け入れた。重ねられた唇は、少しだけ乾いていて、少しだけしょっぱい味がする。

好き。好きよ。世界で一番あなたが大好き。

何度も何度も心でそう叫び、重ねられた唇が離れた時には、もう鐘の音は聴こえなくなっていた。

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2020.10.14

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