01 呼んで


「いやー...文化祭の時はそこまでだったのに、2週間でこんなに寒くなっちゃうなんて...」

文化祭が終わり、頬を刺すような冷たい風に冬の訪れを感じていた。個性のせいか、昔から暑さや寒さを特段気にしたことはなかったが、そんなふうに気温の変化について思うところがあるのは、隣にいるこいつが寒そうに両手を合わせているからだろう。

「中で食った方が良かったんじゃねぇか、やっぱ」

昼休み。文化祭の後からここしばらくの間、空はずっとどんよりとしていて、久しぶりに見せた秋晴れを見て、"せっかくだし今日は外で食べようか"となまえが言うので、俺たちは学校の中庭のベンチで飯を食っている。

「天気がいいからいけると思ったんだけど...失敗した...ごめんね轟くん、大丈夫?」
「知っての通り、俺は自分で体温調節出来るからな」
「ふふ、そうだよね。お陰で右側はちょっと暖かいよ」

そう言って微笑むなまえに、自然と俺の口角も上がる。

「ところで、味大丈夫?不味くない...?」
「前にも言ったけど、ちゃんと美味いから大丈夫だぞ。それにお前も同じの食ってるだろ」
「それはそうなんだけど...なんて言うか、味の好みは違うじゃない?人それぞれ。だから...」
「だから、何だ?」
「その、ちゃんと轟くんの好みの味で作りたいなって、思って...」

さっきまで寒いと言っていたくせに、頬を赤らめながらなまえはそう言う。

何なんだこの可愛い生き物は。俺をどうしたいんだ。

「可愛いな」
「は、はいっ...!?」
「俺のことでそうやって赤くなってんの、すげぇ可愛い」
「またそうやって恥ずかしいこと言う...」
「恥ずかしくねぇ。なまえが可愛いのは事実だ」
「そういうことをさらっと言っちゃうところが恥ずかしいの...」




俺の一方的な片想いだと思っていた、クラスメイトでもあるなまえと付き合うことになったのは2週間前のことだ。俺たちのクラスは文化祭の劇で"シンデレラ"をやることになり、配役はクラス投票の結果、こいつが主役のシンデレラに、俺がその相手役である王子に決まり、それを口実に練習に誘ったり、プロの演劇を一緒に観に行ったり、それ以外にも色々あったが、俺たちの関係はまぁ紆余曲折を経て、"クラスメイト"から"恋人"に変わった。
付き合うことになった経緯が経緯なだけに、俺たちが付き合っていることは、学校中の誰もが知っている。俺としては一々説明するのは煩わしいものの、知らない奴がこいつにちょっかいをかけてくるのは冗談ではないので、結果的に牽制も兼ねて丁度良かったのではないかと思っているが、一方でなまえは、他の生徒が俺達のことについて何かを言っている様子を察知する度に、恥ずかしそうに俯いたりしている。その時も今のように顔を真っ赤にしていて、なまえ本人はそれどころではないのだろうが、それすらも可愛いと思ってしまう俺は相当重症だ。


「美味かった。ありがとな、なまえ」
「ううん、全然!足りた?」
「......足りねぇ」
「えっ!?嘘、ごめん...!結構作ったつもりだったんだけど...」
「なまえが足りない」
「は...」

左隣に座っているなまえの肩を抱いて引き寄せると、彼女はまた顔を真っ赤にさせて俺を見る。可愛い。

「ちょ、っと...轟くん!ここ中庭...!他にも人居るから!」
「寒ぃんだろ?こっちの方があったけぇぞ」
「確かに寒いって言ったけども...!」
「...ダメか?」
「...轟くん、私がそれ絶対にダメって言わないって思ってやってるでしょ...」
「そんなことねぇ。ダメって言われたら我慢する」
「じゃあ、ダメ...」
「どうしても、ダメか?」
「......ダメ。じゃない...」
「ならいいよな、昼休み終わるまでこのままでも」
「もう...轟くんは、なんて言うか、なんか色々とずるい...!」

なまえが観念したように俺の肩に頭を乗せ、俺も彼女にもたれ掛かるようにする。今でも十分近くにいるのに、もっとこいつの存在を感じたくて、冷たくなったその手を握ると、すぐになまえも握り返してくれる。

「好きだ」
「うん...私も、好き」

こんなに幸せでいいのだろうかと思うくらいに幸せな気持ちで心が満たされていく。俺はなまえが好きで、なまえも俺を好きでいてくれている。超人的な力ではなくとも、それは間違いなく奇跡のひとつで、俺はその奇跡を今この瞬間も噛み締めていた。







「じゃあ、また後でな」
「うん。また晩御飯の時にね」

放課後寮に戻り、女子部屋のエレベーターまでなまえを送って一旦別れる。

「よ!今日も今日とてあまーい雰囲気醸し出してんなこの野郎〜」

俺も自分の部屋に戻るために男子部屋用のエレベーターにむかうところで、偶然上鳴と会った。

「今日もみょうじ送ってきたのか?」
「あぁ」
「つーか、ならいっそ部屋まで送ればいいんじゃねーの?」
「部屋まで送るって言ったら、なまえに断られた」
「もう既に提案済みかよ。つーか、今更だけどホントにみょうじが好きなんだなぁお前」
「...そうだな」
「お前さぁ...轟だよな?」
「他に誰に見えんだよ」
「いや自覚なしかよ!!幸せそうにしちゃって!!一瞬誰かわかんねぇ程の変わりっぷりだわ!!」
「あぁ。なまえと居るとすげぇ幸せだ」
「ブレねぇなぁ...お前。ま、でも幸せそうで何よりだわ。お前も、みょうじも」

上鳴がそう言いながら満面の笑みで笑うと、ちょうどエレベーターが来たので乗り込む。思えばこいつが舞台のチケットを俺に譲ってくれていなければ、俺となまえの距離が近づくことも、こうなることも無かったのかもしれない。

「ありがとな。色々」
「いーってことよ!つーかお前、みょうじのこと名前で呼んでんだな」
「まぁ、付き合ってるからな」
「あれ。でもみょうじはお前のこと"轟くん"って呼んでね?」
「......そういやそうだな」

思い返してみると、付き合い始めてから2週間。俺は当たり前のように名前で呼び始めたが、なまえから名前で呼ばれた記憶はない。別に強制したいわけではないが、俺だけが名前で呼んでいて、なまえはそうじゃないということになんとも形容し難い感情が湧いてくる。悲しみとは違う、でもいつか感じたことがあるこの感覚。

理由はなんだ。俺の名前が呼べない理由。

「なまえは俺の名前が嫌いなのか...」
「んなわけねぇだろ!アホか!」
「けど他に呼んでもらえねぇ節が思いあたらねぇ」
「単純に恥ずかしいんじゃねぇの?ずっと名字で呼んでたんだし」

"恥ずかしい"。そう言われれば昼休みにも同じ言葉をなまえ本人から聞いた気がする。

「俺の名前は恥ずかしいのか」
「いやそうじゃねぇよ!照れくさいってことだよこの天然が!同情するわ!みょうじに」

呼んで欲しいなら本人に言ってみろと言い残して、上鳴は自分の部屋のある階で降りてしまった。
俺がなまえを名前で呼びたいと思ったのは、あいつが俺の特別だからで、他の奴とは明確に区別をつけたかったからだ。なまえが俺のことを特別だと思っているのは知っている。他の誰にも見せない顔や言わないことを、俺だけに見せてくれるし、俺だけに言ってくれる。そこには何の疑いもない。それでも俺だけがなまえと名前で呼んでいることが、何だかよくわからないけど、嫌だ。

他人にどう呼ばれるかなんて、気にしたことも無かったのに。







「あの、轟くん...?」
「何だ」
「そんなに見られていると、気になるんだけど...」

昨日と比べ、少し暖かい昼休みの中庭で、俺達は今日も一緒の時間を過ごしていた。

「...悪ぃ」
「...どうかした?なんか心なしか元気もないような気もするし...嫌なことあった?」

なまえは優しい。普段から俺のことをよく見てくれていて、訓練の後に思うところがあったり、少し悩んでいたりすると、決まってこうして気づいて声をかけてくれるのだ。俺以外の周りの奴らのこともよく見ていて、以前はそれが腹立たしかったりもしたが、今はこうして恋人になったこともあり、前ほどイライラはしなくなった。

「嫌なことはねぇ」
「じゃあ何か...悩み?」
「......なまえ」
「何?」
「俺は誰だ」
「え...轟くん、でしょ?」

困惑した顔でなまえはそう聞き返す。当たり前だ。そんな聞き方をして、真意が彼女にわかるわけもない。でもそんな周りくどい聞き方しか出来ないのは、名前で呼んでくれと言って、拒絶されるのが怖いからだ。ずっと好きで、やっと手に入れたこいつに、拒絶されるのが俺は怖いのだ。どんなに些細で、ちっぽけなことだったとしても。

「なまえは俺のヒーロー名、知ってるよな」
「う、うん..."ショート"でしょ?」
「...じゃあもう一回聞くぞ。俺は誰だ」

そこまで聞いてなまえも何となく俺の言いたいことを察したらしい。

「...轟、焦凍くん」

遠慮がちに、確かめるように俺の名前を呼ぶなまえ。好きな女が俺の名前を呼ぶその声に、胸の奥がふわっとする。今まで何度も口にしてきた自分の名前を、好きな奴が呼ぶだけで、こんなにも胸がくすぐったくて、嬉しい。今まで16年生きてきて、何も感じたことがなかった自分の名前が急に特別なものに思えた。

「もう一回」
「え...や...何か改めてお願いされると...恥ずかしいよ」

そう言って顔を両手で隠そうとしたなまえの手を掴み、逃げ場を奪って俺の方をむかせると、もう何度見たかわからない真っ赤な顔で困ったように眉を下げる。

「えと...あの...」
「もう一回、呼んでくれ」
「と、轟くん...」
「違ぇ」
「いや、轟くんって言うのは間違いではないよね...?」

そうだった。こいつは意外と意地っ張りだったことを今思い出す。さてどうするか。

あ、そうだ。

「あの、轟くん...?」

なまえが俺を苗字で呼ぶことを否定したのを最後に、俺はなまえから顔をわざと背けて口を噤んだ。ガキみてぇな手段だと自分でも思う。始めはそんなつもりは無かったが、今の俺はどんな手を使ってでもなまえに名前で呼ばれたい。さっき感じたあの満ち足りた気持ちをもう一度、いや何度でも味わいたい。

「ねぇ、轟くん...怒った...?」

俺が何も答えないことに、なまえもさすがに不安そうな声を出し始める。そろそろ止めないと泣かせてしまうだろうか。名前で呼ぶ以前に、嫌われてしまったら元も子もない。よし、あと1回。もう1回だけ挑戦して、それでダメなら俺の負けにしよう。

「とど...」

俺を呼びかけて、なまえも口を噤む。やっぱりやりすぎちまったか。そう思ってなまえの方を見ると、意外にもその表情に不安の色はない。そして俯きながら少しの間を置いて、彼女は一度だけ深呼吸をする。

「......しょうと、くん」

さっきよりも更に赤くなって、一文字一文字を置くようにして俺の名前を呼んでくれる。そんななまえを思い切り抱きしめると、彼女は一瞬驚いて身体を強張らせたが、そのまま俺を受け入れる。そんななまえに、俺は何故だかすごく安心して、そして気づいた。あの時エレベーターの中で抱いた感情の正体に。

「...焦らされたから、もう一回」
「...焦凍くん」
「もっと」
「焦凍くん」

俺は寂しかったんだ。なまえの気持ちは疑いようがないとわかっているのに、彼女が俺と同じじゃなかったことに。だからそれを埋めたくて、こんな馬鹿みてぇなことをしてるんだ。

「ガキみてぇなことして、呆れたか」
「呆れてないよ」
「こんな奴でもいいか」
「...とど...焦凍くん、じゃなきゃ、ダメなの」
「あぁ。俺もお前じゃねぇとダメだ」

抱きしめていた手をなまえの両肩に置いて、彼女の髪に顔を寄せる。指摘されて初めて知ったことだが、それは俺がキスしたい時に無意識にやってしまうものらしく、いつもならなまえから"学校ではダメ"だと制止されるはずなのに、今日はそれを咎める言葉は無い。
互いの鼻が触れそうなほど近い距離で、俺がなまえの名前を呼ぶと、彼女も同じように俺の名前を呼ぶ。互いの名前を呼んだその唇は、自然と近づいて重なり合い、ここがどこかも、この後また周囲に何を言われるかも考えず、なまえは俺に身体を預け、俺はなまえを抱きしめて、ただひたすらに互いを求めた。

どうしてくれんだ。こんなに好きにさせやがって。

「焦凍くん...そろそろ、お昼終わる、から...」

名残惜しく唇が離れると、少し気まずそうになまえがそう言う。まだまだ全然足りなくて、このまま時間が止まってしまえばいいと、生まれて初めてそう思った。

「なまえ、好きだ」
「...私も、好きだよ」
「ん。じゃあ、あともう一回だけ」




その声で。俺を、呼んで。

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はい。もう、あまーーーーーい。
2020.10.19

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