04 約束


「はぁ...」

隣で小さくため息をつくなまえの手を握ると、彼女は不安そうな顔で俺の方を見た。

「そんな緊張しなくても大丈夫だぞ」
「だって...」
「ただ家に行くだけだろ」
「焦凍くんはね...?でも私にとっては、その...つ、付き合っている人の、お家だから...」
「...慣れてもらわねぇと困るんだがな」
「え...どうして?」
「なまえにとっては、いずれもう一つの家になるんだぞ」
「なっ....ななな何言ってるの!?」

静かな電車の中に、なまえの高く透き通った声が響く。その声に、車内にいた多くの人が俺たちの方を見た。その視線になまえは恥ずかしそうに俯いて、すみません、と呟いた。

「何か変なこと言ったか?」
「へ、変って言うか...その...さっきのだと...まるで...」
「何だ?」
「け...」
「"け"?」
「...結婚、する...みたいな...感じになりませんか...」
「なんか問題あんのか?」
「問題、っていうか...まだ早いような...」
「そうか?俺はずっと考えてるけどな」
「...何で焦凍くんは、いつもサラっとそういうこと言っちゃうの...?」

耳まで真っ赤にさせながら、か細い声でそう言うなまえに、自然と顔が綻んだ。俺の言葉一つでくるくる変わる表情は、何度見ても飽きない。どうしようもなく可愛くて、溢れそうなほど愛おしい。

「相変わらずだな、お前も」

雄英での学生生活も、残すところあと3ヶ月ほどとなった。俺は親父の事務所に、なまえは災害救助専門の事務所に所属することになり、高校を卒業した後は、それぞれの所属先でプロヒーローとして実務にあたることになっている。
学生生活、最後の冬休み。久しぶりに実家に帰ることを姉さんに連絡すると、なまえも一緒に連れて来いと言われた。前々からその存在については話していて、数回ほど写真も見せたことがあるが、直接会わせたことは一度も無かった。なまえにはああ言ったものの、自分の実家に連れて行くとなると、彼女にも気を遣わせるだろうし、いずれは、くらいの感覚だったのだが、姉さんから、"今回こそは連れて来て!お母さんも会いたがってるから!"とダメ押しをされてしまったため、今回は一泊だけ、なまえも一緒に帰省することになったのだ。

「今更なんだが、嫌じゃなかったか」
「え?」

姉さんとの電話の後、なまえに実家に来て欲しいことを伝えると、彼女は着ていく服がないとか、菓子折をどうしようとか、目の前にいる俺は放ったらかしで、すぐさま帰省に備えた情報収集を始めていた。

「姉さん達はともかく、親父も帰ってるだろうから」
「嫌っていうか...私で大丈夫かな、と...」
「どういう意味だ?」
「その...相応しくない、とか...思われたらって...」
「そんなこと言いやがったら、あいつとは縁切る」
「ちょ...っ、それはだめだよ...!」
「そんくらい、お前は俺に勿体ないくらいの奴だ」
「...あ、や...それは...言い過ぎかな...」
「言い過ぎじゃねぇ。優しいし、料理も上手いし、字も綺麗だし、笑ってても、怒ってても、泣いてても、全部可愛いし、あとは...」
「しょ、焦凍くん...っ、わかった、わかったから...っ」

もう恥ずかしいからやめて、と言うなまえに、俺は渋々その続きを喉元にしまう。まだまだ沢山言いたいことはあったのだが、彼女に嫌われては困る。

「でも...」
「ん?」
「そう言ってくれるのは、すごく...嬉しいよ」

頬を染めながらも、顔を綻ばせて幸せそうな顔をするなまえに、俺の心臓は跳ねる。毎日顔を合わせて、毎日こうして手を繋いでいるのに、俺の心はいつもこいつに揺さぶられてしまう。
そんな彼女に、可愛いな、と耳打ちすると、今度は困ったような顔をしてから、俺の肩を頼りない力で叩いた。




電車を降りて、駅を出ると、空はぶ厚い雲に覆われていた。そういえば、今朝たまたま観たテレビの天気予報で、今日は雪が降ると言っていたことを思い出す。

「雪、降るかな?」

まるで俺の心を読んだかのようなタイミングで、なまえがそう言う。

「どうだろうな」
「降って欲しいなぁ」
「好きだもんな、雪」
「うん、好き」
「俺も頑張れば雪作れるぞ」
「あはは、なんで雪に対抗してるの」
「してねぇ」
「焦凍くん、私が一番好きなもの、知ってるでしょ?」
「...言ってもらわねぇと分かんねぇ」

俺がそう言うと、なまえは一度俺の手を離し、すぐさま俺の腕にぎゅ、としがみついた。

「焦凍くんが、一番、大好きだよ」

俺だってそうだ。大好きだ。
お前が俺を好きな気持ちより、多分ずっと俺の方がお前を好きだ。

言葉で伝えるその僅かな時間すら勿体なくて、俺はなまえの肩を掴んで、そのまま一度だけ、軽く唇を重ねた。

「しょ、焦凍くん...っ、ここ、駅前...っ」
「ん...すまねぇ。でも、お前が可愛いのも悪いと思う」
「も...本当に...焦凍くんはずるい...」
「悪ぃ」
「悪いと思ってないでしょ...」
「...悪ぃ」

何に謝っているのかだんだんわからなくなってきた俺に、なまえは仕方ないなぁ、と言いながら、困ったように微笑んだ。







「ただいま」

玄関の戸をガラッと開けると、奥の方からパタパタと足音を立てながら、姉さんが走ってきた。

「おかえり焦凍。約束通り連れてきてくれたのね!」
「あぁ。なまえ、これが姉さん」
「あ、あの...みょうじなまえです...初めまして...」
「なまえちゃん、いらっしゃい!!姉の冬美です!焦凍の言うとおり、可愛いね!」
「え...っ!?いや...そんな...っことは...」

ちら、と俺の方に目をやるなまえ。一体どんな話をしてるの、とでも言いたげな顔をしている。

「ふふ、そんなに緊張しないでね。上がって?お母さんと夏も待ってるから」
「あ...はい。お邪魔します」
「どうぞどうぞ!」
「姉さん...あいつは?」
「お父さんは今ちょっと出かけてるの。夕飯には帰って来ると思うけど」
「わかった」
「なまえちゃん、こっちだよ」
「は、はい...っ!」

玄関を上がり、歩き出すなまえはやはりかなり緊張しているようで、右手ど右足が同時に出ているし、表情もいつもよりかなり堅い。

「ここが居間だよ。ホントに、緊張しなくて大丈夫だからね」
「は、はい...」

姉さんが部屋の襖を開けると、お母さんと夏兄がこちらをむいた。

「おかえりなさい、焦凍」
「ただいま」
「焦凍、それが噂の彼女?」
「あぁ。みょうじなまえ...さん」
「みょうじなまえです...!よ、よろしくお願いしま...」

なまえがそう言いながら頭を下げると、ドサドサッと何かが連続して落ちる音が鳴った。名前を名乗ってから、勢いよく頭を下げると同時に、肩にかけていた鞄の中身が勢いよく畳に落ちたのだ。なまえは顔を真っ青にしたかと思えば、数秒のうちに今度は顔を真っ赤に染め上げた。人間というのは、ここまで短時間でこんなに顔色を変化させられるのだということを知った。

「す、すみませ...っ」

謝りながら、その場にしゃがんで荷物を拾って行くなまえ。俺も同じようにしゃがんで拾うのを手伝いながら、彼女の顔をちらりと見ると、今まで見た中でも一、二を争うくらい、顔を真っ赤にさせていた。

「...ふっ」
「ちょっと、焦凍くん...!笑わないで...っ」
「悪ぃ。...ふくっ」
「もう...焦凍くんひどい...」

拗ねたようにそう言うなまえの頭に手を置くと、彼女は不満げに俺を上目遣いで見た。

「悪かった。怒らないでくれ。可愛いから、つい笑っちまっただけだ」
「うー...」

あぁもう、可愛い。何がどうとか、俺自身もよくわからないが、とにかく可愛い。

「あの...俺たちのこと、見えてる?焦凍」
「ふふ、仲良しさんなのねぇ...」
「ラブラブだね!」

俺たちのやり取りを見ていた三人は、いずれもすごく嬉しそうな顔をしながら各々の感想を述べる。なまえは恥ずかしそうに俯きながらも、少しだけ口角を上げて笑ってくれた。




「なまえちゃんは、嫌いな食べ物とかある?」
「あ...いえ、特には...」
「トマトは苦手だぞ」
「ちょっと、焦凍くん...っ、何で言うの...っ」
「嫌いなもん無理して食うことねぇだろ」
「で、でも...」
「ふふ、トマトね。でも大丈夫!今日はお鍋にするから!」
「あ、あの...何かお手伝いを...」
「いいのいいの!なまえちゃんは今日ゲストなんだから!夏、焦凍、ちょっとだけ手伝ってもらってもいい?」
「あぁ」
「オッケー」

俺が立ち上がると、なまえは少しだけ不安そうな表情を見せる。おそらく他の奴にはわからない、俺だけがわかるくらいの、微妙な変化だ。

「なまえちゃん、良ければ私のお話相手になってくれるかしら...?学校のお話とか、焦凍のこととか聞きたいわ」

俺が声をかけようとする前に、母がそう言う。穏やかに微笑みながらなまえにそう尋ねると、彼女は安心したように顔を綻ばせた。

「は、はい...私でよければ...」

遠慮がちにそう答えるなまえを背に、俺は夏兄と姉さんと一緒に台所へむかった。







「焦凍は居間にいた方が良かったんじゃないの?」
「実は...お母さんが、なまえちゃんと話してみたいって言ってたの」
「あぁ、そういうことか。でも別にそれなら焦凍いてもよくない?」
「焦凍がいると、話せないこともあるかもしれないでしょ?」
「俺がいると話せないことって...」
「例えば、焦凍の不満とか」
「え」

俺への不満、と言われると、心当たりは結構ある。ここに来る途中の一時間足らずの間にも、俺の言動に関しては、何度か注意されている。学校でも、人前ではダメだよ、と言われているのに、なまえが可愛くて、つい触れてしまうことが多々ある。その度に、なまえは仕方ないなぁという顔で許してくれてはいるが、実は俺が想像しているより、ストレスになっていたのかもしれない。

だとしたら、やべぇな。

「姉ちゃん...それ、多分焦凍には通じない冗談だと思う...」
「え...っ!?あ、ご、ごめん焦凍!冗談だからね!?あんなラブラブなら、絶対そんなことないから...!」
「......ちょっと行ってくる」
「え、いや...ちょっと焦凍...!?」

台所から足音を立てずに、ゆっくりと居間の方へと戻る。我が家は日本家屋だし、居間の扉は薄い襖だ。全部とは言わずとも、おおよその会話は聞き取れるだろう。盗み聞きなんて悪趣味だとは思うが、俺に悪いところがあるなら、きちんとそれは改善しなければ。

内容によっちゃ、正直改善できる自信はねぇけどな...。




「ふふ...じゃあ焦凍は相変わらず、毎日お蕎麦ばかりなの?」

偶然にも、俺か夏兄がきちんと襖を閉めなかったのか、居間の戸は数センチ程開いていて、中から母の笑い声が聞こえてきた。

「そうですね。あ、でも時々一緒にお弁当を食べたりとかもします」
「冬美が言ってたわ。なまえちゃんが作ってくれるんでしょう?お料理上手なのね」
「え...っ!?いや...そんな...!全然!」
「素敵な彼女が居て、焦凍は幸せね」
「と、とんでもないです...むしろ、その逆...と言いますか...」
「逆...って?」
「...焦凍くんは...すごく優しくて、いつも私のことを考えてくれます。頭も良いし、運動神経もすごくて...それに、か、かっこ良くて...。だから、私には...勿体ないくらいで...」

なまえは姉さんが出した湯呑みを、両手で包むようにしながら、その中身を覗き込むようにしてそう話す。

「たまに、自信がなくなる時があります。私でいいのかな、って...だから...」

その言葉を聞いて、反射的に襖に手をかけようとすると、部屋の中にいた母と目が合った。いつから気づいていたのかは分からないが、母は聞き耳を立てていた俺に対して、特に驚く様子もなく、なまえに気づかれないように、口の前で人差し指を立てた。黙って聞いていろ、ということなのだろう。母の言いたいことを汲み取り、そのまま一旦その場に留まるが、俺は気が気ではなかった。

俺と付き合ってることが負担だったら、どうすりゃいいんだ。




「だから、もっと頑張らなきゃ、って思います...」

その後に続くなまえの言葉は、予想外のものだった。

「そんな必要ないと思うわ」
「ありがとうございます。でも、私がそうしたいんです。これからも、焦凍くんと...ずっと一緒にいたい、から」

少し不安そうに、だけど真剣に、確かな意思を持って。なまえは静かにそう言った。すごく嬉しい気持ちと、ほんの少しの泣きたくなるような気持ちが、俺の心をいっぱいにする。今すぐにこの戸を開けて、不安そうな顔をする彼女を抱きしめて言いたい。俺もそうだ。ずっと一緒にいたい。お前以外なんて考えられないし、考えたくもない。そう言いたい。

「...焦凍は、素敵な子を好きになったのね」
「へ...っ!?いや、あの、そんなことは...!というか、そもそもこんなお話、お母さんにすることじゃないですよね...すみません...」

母はそんな彼女の謝罪に一瞬きょとん、とした顔を見せるも、すぐにいつもの穏やかな表情に戻り、嬉しそうになまえの名前を呼んだ。

「これからも焦凍のことを、よろしくね」
「あ...は、はい...っ!頑張ります!」

なまえが珍しく力強くそう言った直後、ぐぅ、と間の抜けた音が居間に響いた。なまえは先程の真剣な顔から一変、また顔を真っ赤に染め上げて、その林檎のようになった顔を両手で覆った。

「ふふ、お腹空いたね」
「...あの...本当に...お見苦しい姿ばかりで...すみません...」
「良い匂いがしてきたから、きっともうすぐよ」

母はなまえにそう言うと、気づかれないようにそっと俺の方をみた。そして小さく頷き、"もう入っても大丈夫"という合図をくれた。感情の処理はまだ済んではいなかったが、そんなことはどうでもいいほどに、すぐになまえの近くに行きたくて、俺は素早く、だけど何くわぬ顔を装って襖を開けた。

「あ、焦凍くん」

ふわっと笑って、俺の名前を呼ぶなまえを、どうしようもなく抱きしめたいという衝動が、再び湧き上がる。今はダメだ。湧き上がるその感情を無理やり抑えつけて、俺は自分の左手をそっと彼女の頭上に置いた。

「どうしたの?」
「何でもねぇ...ただいま、なまえ」
「うん...?おかえり、焦凍くん」




「お待たせー!お鍋できたよー!」

程なくして台所のから姉さんと夏兄が戻ってきた。姉さんは慣れた手つきで、居間のテーブルに置かれたガスコンロに鍋を置く。そしてとても嬉しそうな顔で、その蓋を開けた。

「わぁ...!美味しそうです...!蟹大きいですね!」
「なまえちゃん来てくれるから、フンパツしちゃった!」
「あ、ありがとうございます...」
「たくさん食べてね!」
「は、はい...っ」







「長いこと使ってなかったけど、ちゃんと掃除はしておいたから!」

明るくそう言う姉さんに、なまえは少し困惑した顔を見せた。

「ありがとうございます...あの、それはそうと...私もここでいいんでしょうか...」
「え?どうして?」
「いや、流石に同じ部屋はまずくねぇか」
「でも、お父さんもお母さんにも顔合わせ済みで、もう公認みたいなものだし...別々な方が不自然じゃない?」
「それもそうか。わかった」
「え...!?」
「なまえは嫌か?俺と一緒だと」
「そ、そんなことはないけど...」

なまえは何か言いたげだったが、そんな彼女の様子に姉さんは全く気づかず、じゃあ、ここに置いておくから、と、嬉しそうに2枚の布団を畳に置いた。

「朝はいつ降りてきてくれてもいいからね!」
「え...あの......はい」
「じゃあ、おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」
「お...おやすみなさい...」

姉さんが襖を閉めると、急に部屋が静かになる。なまえはどうして良いかわからない、といった様子で、目を泳がせている。

「...なぁ」
「は、はい...っ」
「お前、結構疲れてるか?」
「え...ううん、そんなことないよ。ほとんど座ってお話してただけだし...」
「ちょっと、外行かねぇか」
「え...今から?」
「あぁ。別に明日でも良いから、無理にとは言わない」
「大丈夫、行こうよ。夜のお出かけって普段できないし、ちょっとドキドキするね!」
「...そうだな」







出来る限りの防寒をして家を出ると、外は少しだが雪が降っていた。頬をかすめる風は冷たく、すぐ隣にいるなまえに目をやると、彼女の白い鼻が少しだけ赤くなっていた。

「平気か?」
「焦凍くんの左側にいるから、大丈夫」

もうすぐ今日が明日になる。辺りには俺たち以外の人間はおらず、俺たち二人の靴音だけが響いていた。実家から歩いて10分もないその場所の前で、俺は立ち止まった。

「ここって、公園...?」
「あぁ。昔はもうちょっと遊具とかあったけどな。いつの間にかなくなってた」
「ここに来たかったの?」
「ガキの頃、家から抜け出して、時々来てたんだ」

5歳の時、唯一の救いだった母は、俺の前からいなくなった。母があんなことになっても、親父の俺に対する態度は相変わらずだった。繰り返される鍛錬の日々は、いつも孤独だった。俺自身も、母との出来事があってから、意識的に他人を避けるようになった。

「でも、俺がここに来ると、みんな居なくなった。だからいつも一人だった」

俺がそう言うと、俺の左手を握るなまえの手の力が強くなった。なまえの方に目をやると、彼女は今にも泣き出しそうな顔をしていた。

「悪ぃ。そんな顔させたかった訳じゃねぇんだ」
「うん...それは、わかってるよ」
「...だから、嬉しかった」
「え?」
「初めて一緒に出掛けた時に、公園寄っただろ。お前の実家の近くの」
「そういえば...雲梯で勝負したね!結局どっちが勝ったかわかんなくなっちゃったけど...」

先ほどまでは泣き出しそうだったが、懐かしいね、と嬉しそうに話すなまえの顔を見て、俺は胸を撫で下ろした。

「あの時、思ったんだ。このままずっと、お前と一緒にいたい、って」

俺の言葉に、今度はすごく驚いたような顔をするなまえ。くるくる変わる彼女の表情は、いつまで経っても俺を飽きさせない。目を丸くするなまえの手を、今度は俺が強く握る。先程の彼女の話を聞いて、いつかは言おうと思っていたその言葉を、俺は今日、この場所で言うことを決めた。

「一緒にいて欲しい。この先も、ずっと」

俺がそう言うと、なまえは口をパクパクさせながら、声にならない声をいくつかポツリと落とした。

「ほ...本当に、私で...いいの...?」

辿々しく、遠慮がちに、なまえは俺に尋ねる。

「なまえがいい。なまえじゃなきゃ駄目だ」

朝起きて、カーテンを開ける。朝の光が優しく身体を包むその瞬間、必ずなまえの顔が浮かぶ。
もう起きただろうか、何をしているだろうか、今日はどんな話をしようか。そんなことを考えて、足早に支度を済ませて、いつもの待ち合わせ場所にむかっている。早く会いたくて、顔が見たくて。気づいた時には、いつも待ち合わせより早くその場所に着いている。少し急ぎ足で俺の元へやってくるなまえの顔を見て、あぁ、やっぱり好きだな、と思う。隣にいると、嬉しくて、楽しくて、幸せで、一緒に過ごす時間は、あっという間に過ぎていく。一人で部屋に戻ると、無意識の内に彼女の名前を呼んでいて、宙に浮いたその名前の音でさえ愛しくて、また会いたくなる。そんな気持ちを持て余して、眠りにつく。
あの頃からは想像もできなかった日々。今は毎日がその繰り返しだ。朝起きて、夜眠りにつくまでの間、一秒だって、俺は彼女を忘れられない。

「お前を幸せにできるように、俺も、頑張る。必ず一人前のヒーローになる。そしたら...」
「そし、たら...?」

空気を肺に溜め込むように、吸い込む。付き合い始めてから、ずっと考えていたことだけど、それでも心臓の鼓動がどんどん速くなっていくのが、自分でわかる。

緊張すんだな、やっぱ。こういうのって。




「俺と、結婚してくれ」

俺の言葉に、何度も頷くなまえの目から、溢れるようにポロポロと涙が落ちる。そんな彼女が愛しくて、先ほど抑え込んだ衝動を、俺は解き放った。細い肩を自分の方に引き寄せて、自分の腕に閉じ込める。

「ずっと、大事にする」
「うん...、うん...っ」
「なまえ」

名前を呼ぶと、なまえは俺の方を見上げる。目を涙でいっぱいにしながらも、俺の目を真っ直ぐに見ている。頬に触れ、涙を指で拭いとると、いつものようにふわりと笑う。この笑顔が、世界中の何よりも大切だ。

「愛してる」

どちらかともなく、自然と唇を重ねた。このままずっと離れたくないと、心が叫ぶ。それはきっと、彼女も同じだ。永遠にこの約束を忘れない。身体に、心に浸透させるように、長い長いキスをした。
ようやく唇が離れた後、彼女の肩に積もった粉雪をはらうと、彼女も俺の右肩に積もった雪をはらう。すっかり冷たくなった互いの頬を、互いの両手で包み込んで、笑い合う。

「帰るか」
「うん」

手を繋ぎ、もと来た道を歩き出す。何となく後ろを振り返ると、ガキの頃は孤独の象徴でしかなかったその場所が、今はどうしてか、優しくて暖かい場所に見えた。きっとこの先もこうやって、なまえの存在は、俺の精算しきれない過去を、ひとつずつ、けれど確実に救い上げていってしまうのだろう。
いつかもう一度この場所に訪れた時は、今日とは違う景色が広がっているのかもしれない。この場所だけじゃない。形あるありとあらゆるものは、時間と共に移り変わっていく。きっと俺自身も、なまえも、それは同じだ。
だけどそれでも、またもう一度ここにくるその時は、彼女が隣にいて欲しい。

「焦凍くん」

そんなことを考えていると、不意になまえが俺の名前を呼んだ。

「どうした?寒いか?」
「あ、ううん...何か、考え込んでるみたいだったから...」
「なまえのこと、考えてた」
「私?」
「...ずっと、隣にいて欲しいって、考えてた」
「いるよ」

そう言うと、彼女は握った手にきゅっと優しく力を込めて、俺の方へと身体をむける。

「ずっと、一緒にいるよ」




真っ直ぐで優しいその瞳に応えるように、俺はもう一度、彼女を抱きしめた。


HAPPY END


−−−−−−−−−−

シンデレラシリーズ、ついにAfterStoryも完結となりました。
ベタベタなプロポーズも考えたのですが、この二人はちょっと違うかも...と思って、捏造エピソードですが、轟くんが清算しきれていなかったものを乗り越えてのプロポーズ、という形をとりました。
轟くんは彼女を幸せにするために、きっとめちゃくちゃ頑張ってくれると思うので、多分20代前半で確実に結婚すると思います。単発的に、結婚した後のお話とかも書いてみたいですね。

ずっと書いてきたこのシリーズですが、今度こそ終幕です。
最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。

2020.12.20

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