うさぎロマンス


きっかけは、本当に些細なことだった。




「悪いんだが、轟かみょうじ、どっちか買い出し頼まれてくれねぇか?」

文化祭まであと3週間。寮の共有スペースで、それぞれ作業するその手を止めて、俺とみょうじは声のする方へ顔をむけた。俺達以外の演出を担当するメンバーはたまたま出払っていて、みょうじは俺の方をちらりと見たあと、買い出しを頼みに来た切島にむかって小さく手を挙げた。

「私行ってくるよ。何を買ってくればいいかな?」
「マジか!助かる!このリストにあるやつを買って来て欲しいんだけどよ」

切島から買い出し用のメモを受け取ったみょうじが、一瞬怯んだような顔をしたように見えた。

「どうかしたか?」
「う、ううん...!これならホームセンターで全部揃いそうだね。じゃあ今から行ってくるよ」
「今日中に買って来てくれりゃ、大丈夫だからな!本当は俺が行こうと思ってたんだけどよ、天喰先輩に呼ばれちまって...悪いな」
「ううん、大丈夫!早く先輩のところに行っておいでよ」
「サンキュー!じゃあ後でな!」

天喰先輩に呼ばれているという切島が急ぎ足で寮を出ていくと、みょうじは再び俺の方を見て、遠慮がちに口を開いた。

「じゃあ...ちょっと行ってきますね」
「みょうじ、ちょっとそれ、見せてみろ」

ほんの一瞬だった。だから気のせいかもしれない。しかし俺はどうしても気になっていた。切島に買い物リストを渡された時に、僅かに見えたあの顔が。

「え...うん...いいけど...」

みょうじは不思議そうな顔をしながら、俺に買い物のリストを渡した。一通り目を通すと、分量的に女子が一人で持つのには少し無理があるような内容が書かれていた。この内容を見て断らないこいつもこいつだが、切島は一体みょうじを何だと思っているんだと、なぜか少し腹立たしくなった。

「お前これ、一人じゃ無理だろ」
「だ、大丈夫...!まだ自分は飛ばせないけど、荷物はテレポートさせれば...」
「重いものは出来ねぇって言ってなかったか?」
「う...」

俺がそう尋ねると、彼女は図星をつかれた顔をして見せた。みょうじは大人しい方だと思うが、表情は割と豊かなので、考えていることがわかりやすくて助かる。

「俺が行ってくるから、お前は待ってろ」
「え...!?そ、そんなの悪いよ...っ」

"俺が行く"と言ったのは、紛れもない親切のつもりだったが、どうやらみょうじにとってはそうではなかったらしく、彼女はとても焦った様子で両手をバタバタとさせながら、俺の提案を棄却した。

「けど、俺の方が力あるだろ」
「そうだけど...引き受けたのは私だし、轟くんだってやることあるし...」
「それはお互い様だろ」
「でも...」

客観的に見て、俺の意見は正しいと思う。おそらくみょうじ本人もそれはわかっているのだろう。しかし自分が引き受けた手前、俺にそれを任せるのが申し訳ないのか、それとも嫌なのか。みょうじは苦い表情を浮かべて俯いてしまった。

「じゃあ、一緒に行くか?」
「え...」
「俺はお前一人で行かせたくない。お前も俺一人で行かせたくない。だったら二人で一緒に行けばいいだろ」
「な、なるほど...?」
「決まりだな。じゃあ鞄とってくるから、ちょっと待っててくれ」

改めて俺が提案した内容に一応は納得したのか、なぜか少し緊張したような顔で、彼女は静かに首を縦に振った。







「なんでそんな離れてんだ」

交渉は成立し、みょうじと二人で学校を抜けて、街まで買い出しにやって来た。ところが一緒に買い出しに来たはずなのに、俺とみょうじの間には2メートルほどの距離があり、かれこれ10分ほどその状態が続いている。着ている制服も行き先も同じなのに、この状態はどう考えても不自然だ。

「ご、ごめんなさい...!ちょっと、考えごとを...」

彼女は俺のその言葉にハッとして、離れていた距離を駆け足で詰めた。

「考えごとって、何考えてたんだ?」
「え!?あ、いや...別に...そんな大したことでは...」
「大したことじゃねぇなら、言えんだろ」
「え、えっと...それは...」

言いたくないなら、別に言わなくたっていい。普段ならそう言っているところだと思う。だけど何故か、みょうじが俺に何かを隠していることに、何となく嫌な気持ちになる。自分でもよくわからないが、妙に胸のあたりがざわざわして、居心地の悪い感じだ。無理に聞き出すのは良くないとわかっているのに、問い詰めるようなことをしてしまう。
みょうじはとても困っていますと言わんばかりの表情で、俺にむけた言葉を探しているようだった。

「...悪ぃ。言いたくなかったら言わなくていいぞ」
「あ、いや...そうじゃないの...本当に大したことじゃなくて...ただ...」
「ただ?」
「何か、こうやって轟くんと二人で歩いてるのって珍しいから、緊張しちゃって...何を話したらいいかなって...考えてました...」

頬を赤らめながら、恥ずかしそうにそう言うみょうじに言葉を失った。先ほどと同じように胸がざわつくが、今度は全く不快じゃない。むしろ彼女にそう言われたことを、前向きに捉えている自分がいるのだ。少なくとも距離が空いていたこの10分の間、彼女はずっと俺のことを考えていたことになる。そう思うと、妙に気持ちがはやって落ち着かない。

何だ、これ。

「ご、ごめんね!変なこと言って...忘れてください...」
「いや...俺も、話題とか...あんま持ってなくて悪ぃな」
「そんな...轟くんが謝ることじゃないよ...!」
「それで、考えた結果はどうだったんだ?」
「あ...うん。えっと......」

一体どんな話題を考えついたのだろう。少しだけ期待をしながら答えを待つが、みょうじは再び困った顔を見せた。

「どうした?」
「何か、今ので忘れちゃった...」

ごめんね、と気まずそうに言いながら、みょうじは両手を合わせ、俺の方にほんの少しだけ頭を下げた。ただそれだけのことなのに、再び心がざわつくのを感じた。

「あ...話題探してたら着いちゃったね...ホームセンター...」
「...そうだな」

二人で並んで歩き、話題探しを話題にしながら、そんなやり取りをしていると、いつの間にか目的地はすぐ目の前にあった。







「あの、轟くん...」

ホームセンターで必要なものを買って店を出ると、少し後ろからみょうじの遠慮がちな声が聞こえて来た。

「どうした?」
「何か...荷物、ほとんど轟くんが持っているような気が...」
「そうか?」
「私ガムテープとカッターしか持ってないんだけど...」
「別に俺は大丈夫だぞ」
「でも、これだと二人で来た意味が、あんまり無いんじゃないかなって...」
「じゃあこれ持ってくれ」

俺が自分の肩にかけた小さな鞄を指差すと、みょうじは再び遠慮がちに口を開いた。

「そんな小さいのでいいの...?」
「あぁ。今両手塞がってるから、取ってくれ」
「あ、うん。わかった」

彼女は俺の言葉に頷くと、失礼します、と一言声をかけてから、俺の胸の辺りにある鞄のバックルに手をかけた。ゆっくりとみょうじの手が近づいて来て、なぜかそこから目が逸らせなかった。

手小せぇし、指も細ぇな。

自分の手とは明らかに違う、柔らかそうで小さな手。至近距離で意識して見ると、改めて性別の違いを感じる。目の前にいるみょうじと俺は、頭ひとつ分か、それ以上に身長差もあって、彼女は自分を見下ろす俺の視線には一切気づかなかった。

「じゃあ、これお預かりします」
「あぁ、よろしくな」
「じゃあ帰ろっか」

みょうじは真っ当だ。目的は果たした。切島は今日中でいいと言っていたが、早いに越したことはないだろう。しかし俺は寮に帰ろうと言った彼女の言葉に、なぜか妙に逆らいたくなった。

「ちょっと、どっか寄ってかねぇか」

そして気づいた時には、そんなことを口走っていた。彼女は小さく声をあげ、とても驚いた様子で俺の方を見た。

「買い出しにパシられてんだから、ちょっとどっかで寄り道するくらい、いいだろ」

それは彼女に対しての言い訳でもあり、自分に対しての言い訳でもあった。まだ一緒にいたい。もっと一緒にいたい。理由は自分でもよくわからないが、そんなことを考えている俺が頭の中に居て、どうにか引き止めろとそう言っているような気がした。
彼女はそんな俺の言葉に小さく笑うと、じゃあどこかで休憩してから帰ろうかと、穏やかな口調でそう言った。







「んー...どれにしようかな...」

買い出しを終え、ホームセンターから歩いてすぐの場所にあるカフェに入った。荷物を置き、席を確保してから、注文カウンターの側に置かれたメニューの前に立つと、みょうじは珍しく眉間にしわを寄せ、難しそうな顔をしていた。

「何で迷ってんだ?」
「えっと...期間限定のほうじ茶のやつにするか、このキャラメルのやつにするか...」
「じゃあお前どっちか頼め。俺が逆の方頼むから」
「そ、そんな...悪いよっ、轟くんは自分が飲みたいもの飲んで...?」
「俺は別に何でもいいし、俺がどっちか頼めば、お前は両方飲めるだろ」
「でも...」
「ほら、早くしねぇと、後ろ詰まるぞ」
「あ...っ、うーん...じゃ、じゃあ、今回はお言葉に甘えてもいい...?」
「あぁ」

みょうじは、まだ少し躊躇っているようだったが、自分の後ろに数人並んでいるのを見て、焦った様子で俺の提案を受け入れた。

「お前はどっちにすんだ?」
「じゃあ...私キャラメルのやつにする」
「わかった。じゃあ俺はほうじ茶の方にするな」
「甘いけど、大丈夫?」
「え」
「え?」
「...ほうじ茶なんだよな?」
「うん...ほうじ茶ラテ...」
「甘いのか?ほうじ茶なのに?」
「ほうじ茶ラテは、ほうじ茶に牛乳とお砂糖を入れた飲み物なので...」
「それ美味いのか?」
「あはは...っ、飲んでみればわかるよ」

純粋な疑問をぶつける俺に対して、みょうじは吹き出したように笑い出した。買い出しに出かけてから一時間半ほど経ち、初めてちゃんと笑っている彼女の顔を見た気がする。

「よくわかんねぇけど、じゃあ注文は任せた」
「うん。もしお口に合わなかったら、交換しよう。結局甘いけど...」
「おう」
「じゃあ、すみません。ほうじ茶ラテと、キャラメルマキアートを一つずつお願いします」

みょうじが注文を伝えると、カウンターにいた店員は笑顔で返事をする。すると奥にいたスタッフがカウンターにやって来て、俺が飲む(のかみょうじが飲むのか微妙なところだが)予定になっている商品は少し時間がかかるらしく、席で待っていて欲しいと頼まれた。ひとまず飲み物を一つだけ受け取り、俺たちは席に戻った。

「ふー...」

席に戻って椅子に座ると、向かいに座るみょうじが深く息を吐いた。

「疲れたか?」
「あ、ううん。私ほとんど荷物もないし...。一息ついたなぁって思って」
「そうか」

軽くそんな会話をした後は、互いに何を話すでもなく、ただ静かな時間が流れた。みょうじが少し気まずそうにしているのは何となくわかったが、特にこれと言って話したことがあるわけでもない。
こういう時、他の奴だったらもっと話を弾ませたりできるのだろうか。切島や上鳴のように、愛想のいい奴だったら、こいつに気まずい思いをさせたりすることなく、楽しませてやれたりするのだろうか。
そんなことを考えると、突然何の前触れもなく、腹の奥から何か嫌なものがフツフツと湧き上がって来た。切島や上鳴と一緒にいるみょうじを想像して、言葉では言い表せない不快感が募る。二人ともいい奴だと思うし、俺よりもずっと親しみやすい人間だ。客観的に見てもそうだと思う。それなのに。

何か、嫌だ。

「轟くん、どうかした...?」
「は?」
「何か...難しい顔をしてるから...」

向かいに座るみょうじに話しかけられ、声がした方へ視線を向けると、彼女がとても心配そうな顔で俺を見ていた。

「悪ぃ...気にすんな。お前がどうとかじゃねぇから」
「そう...?」
「よくわかんねぇけど、何か落ちつかねぇんだ」
「何か悩み事とか...?」
「...多分、なんかの病気なんじゃねぇかと思う」
「え!?だ、大丈夫...!?どこか痛いところは...っ」
「いや、それはねぇ」
「あ...そうなの...じゃあどこが調子悪いの?」
「なんか...モヤモヤするっつーか、感情が定まらないっつーか...」
「む、難しいね...」
「だよな。俺自身にもよくわかんねぇ」

俺自身でさえよくわかっていない話を聞かされたみょうじは、心配そうな顔のまま考え込んでしまった。互いの間に再び沈黙が流れると、ちょうどそれを見計ったかのようなタイミングで、もう一つの飲み物が運ばれて来た。

「大変お待たせしました...!ほうじ茶ラテおひとつです」
「ありがとうございます」
「それと、限定メニューを注文された方には、こちらのストラップを差し上げていますので、宜しければ」
「あ、はい。どうも...」

ごゆっくり、と言い残して店員が去っていくと、俺は"差し上げます"、と言われたストラップを何気なく手にとった。ストラップの先には飲み物と同じく少し黒味がかった茶色のうさぎがぶら下がっている。何かのキャラクターだとは思うが、そういうものにあまり興味のない俺には、このうさぎの正体はわからない。

「なぁ、これ...」

みょうじなら知っているかもしれない。そう思って視線を向かいにいる彼女に合わせると、なぜかみょうじは惚けたような顔で俺の方を、というより、俺が手にしているストラップを見ていた。その理由はよくわからないが、少なくともみょうじの表情から、このうさぎに対して嫌な気持ちは感じられない。むしろ逆だ。

「好きなのか?このうさぎ」

俺がそう尋ねると、彼女はハッとしたような顔をした後、恥ずかしそうに小さく頷いた。

「なんでそんな顔してんだ?」
「いや...なんか...子供っぽいかなって...」
「そうか?俺が好きだったら気持ち悪いかもしれねぇが、お前は別にいいんじゃねぇか」
「そ、そうかな...?」

別にそんなに恥ずかしがることでもないような気がするのだが。何となくだが、双方似ている気もするし。これもある意味、類は友を呼ぶ、というやつかもしれない。
いずれにしても、俺にとってはただのおまけでしかないこのストラップも、こいつにとっては価値のあるものなのだろう。それならば、俺が今とるべき選択肢はひとつだ。

「お前にやる」

素っ気ない一言を口にして、みょうじの顔の前にそいつを持っていくと、彼女は少しの間ポカン、とした顔をしてから、ギュッと、勢いよく俺の手を両手で掴んだ。そしてその直後、花が開いたようにその表情が明るくなっていく。

「いいの...!?」
「お、おう...」
「嬉しい...!ありがとう...!!」

彼女にしては珍しく大きな声が店内に響いた。だけどそんなことはどうでも良かった。それどころではなかった。たった今見た、目の前にいるクラスメイトの笑顔に、痛いほどに心臓が大きく動いている。今まで感じたことのないくらい早いスピードで鼓動が鳴り、全身の血液が湧き上がるような感覚が襲う。

すげぇ可愛い。

素直にそう思った。心の中でさえ、こんな言葉を口にしたことは一度もない。それなのに、今この瞬間、俺の頭の中にある語彙はそれだけになっている。可愛い。笑ってる顔が、すごく可愛い。依然として痛いくらいに大きく動く心臓に右手を当てると、まるで自分のものではないかのようだ。少しだけ冷静になった頭で、俺はついに、自分の定まらない感情の正体に気づいた。

「あ、でも...これ轟くんがお金出してもらった特典だよね...本当にいいの?」
「...あぁ」
「というか、あれだね...お話の途中だったよね...えっと、確か轟くんが病気かも、みたいな...」
「いや、それはもういい」

俺がそう言うと、みょうじは不思議そうな顔をして見せた。

「もういいって、どういう...」
「病気じゃなかった」
「え、そうなの...?それなら良かったけど...でも、それなら結局何だったの?」
「...さすがにまだ言う勇気はねぇ」

思わず溢れた俺の本音を聞き、不思議そうな顔をして首を傾げる彼女に、再び鼓動がスピードを加速させる。そして思い知る。あぁ、好きだ。俺はお前が好きなんだ。
生まれて初めて抱いたこの感情を、いつかこいつに伝えたら、どんな顔をするのだろうか。もうすでに溢れ出しそうなこの気持ちを、その瞬間がやってくるまで、俺はしまっておくことが出来るだろうか。

「じゃあ、言える時が来たら...教えてくれると嬉しい、です」
「...わかった」


そんな自問自答の答えがわかるのは、もう少し先の話だ。


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轟くん生誕記念として、番外編を書かせていただきました。
女の子のとびきり笑顔にハートを射止められちゃったわけです。笑顔は無敵。

以前、拍手コメントにて、「轟くんが女の子を好きになったエピソードを」というリクエストをいただいておりましたので、今回のお誕生日に合わせました。
皆様に喜んでいただけると幸いです。

2021.01.12

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