04 瞼の向こう


昨日の轟くんとの電話の後、土曜日に着ていく服をどうしようと悩んでいたら、気づけば朝になっていた。
午前中の座学は迫り来る睡魔に何度も負けそうになり、昼休みに少し仮眠を取ったものの、それは逆効果だったようで、眠気はかえって助長されてしまい、もうすぐ午後の演習が始まる、というところだ。

「なまえちゃんどうしたん?具合悪い?」
「昨日...夜更かししちゃって...」
「大丈夫?保健室行った方が...」
「ただ眠いだけだし、さすがにそれで休むのはあれかなって...」
「そっか...でも、無理せんといてね。なんかあったら言ってね」
「ありがとう、麗日さん」

心配そうに私の顔を見る麗日さんにお礼を言い、ヒーローコスチュームに着替える。完全に自分で蒔いた種だが、重たい体を引きずるようにして、USJへ向かう。




「今日は救助訓練の応用編です。複雑な条件設定の中での演習ですから、皆さんの判断力が試されーーー」

座学と違って演習は体を動かす必要があるので、まだ睡魔にはなんとか耐えられそうだ。

「では、2人1組でやってもらいますので、好きな人とのペアになって下さい」

さて、どうしようか。なるべく組んだことない人と組まないと。実際の現場はその場で連携しないといけないわけだし...。




「なぁ、」

後ろから急に話しかけられてビクッとなる。昨日の夜も聞いた、あの声が耳に届く。今度は機械じゃない、本物だ。

「びっくりした...轟くん、どうしたの?」
「演習、俺と組まねぇか?」
「えっ!?」

確かに轟くんとは複数人のチームになったことはあるけど、ペアで組んだことはない気がする。ただこんな最悪のコンディションの時に組んでもし迷惑をかけてしまったらと思うと...。

いや、でも待って。

轟くんと居れば眠くなることはまず無い。絶対に無い。緊張でそれどころではないからだ。であれば、むしろお言葉に甘えてもいいのではないだろうか。

「...ほか組みたい奴が居るなら、いい」
「あ、いや、違くてっ、ちょっと考え事しちゃって。うん。是非!」
「そうか。じゃあ宜しくな」




それぞれのペアの担当エリアはくじ引きで決めることになり、私たちは水難エリアの担当になった。
担当のエリアに向かい、救助用の道具を準備して、先生からの指示を待つ。動いていないと途端にだるさが襲ってくるが、もうすぐきっと指示が来るだろう。

「おい」
「.........」
「おい、大丈夫か?」
「え...?何?」
「...具合悪いのか?」
「あ、ううん。ちょっと眠いだけ...」
「昨日あの後寝なかったのか?」
「え、と...あの...あっ、昨日言ってた虫がね、ちゃんと逃がせてなかったみたいでまた部屋に居てね!窓を開けて置けばすぐ出てくかなーって思ったんだけど、全然出てってくれなくてっ、電気消しても気になっちゃって、なかなか寝られなくて...」

我ながら、昨日咄嗟についた言い訳をよくここで再利用しているなと思う。

「...それなら俺を呼べ」
「へ?」
「虫くらい、どうにかしてやるから。今度からそうしろ」
「い、いや...でもたかが虫で...そんな...悪いし」
「たかが虫で演習中にフラフラされるよりはマシだ」

轟くんの言葉が胸にグサッと刺さる。舞い上がって夜更かしして、みんな真剣に授業を受けている時にこんな有様で。しかも本当はそうじゃないのに嘘までついて。

私は何をやっているんだろう。情けない。轟くんの言う通りだ。こんな状態で今日ここに来ちゃいけなかった。

「私...やっぱり、」




ピー、ピー、ピー

演習開始の合図だ。ザザ...と少しだけノイズが聞こえた後、"それでは演習スタートしてください"という13号先生の声が聞こえる。

「行けそうか?」

先程より鋭い目。本気の時の彼の目だ。ヒーローの顔。この顔が、どんな時よりもかっこいい。

「うん、行こう」

こうなってしまったら仕方ない。今のベストを尽くそう。それしかできることは無いのだから。







水難エリアの設定は、崖に衝突したクルーザーに乗った人の避難だ。乗っている人は全部で5人。要救助者を想定した人形をが配置されており、人形には救出までのタイムリミットがわかるタイマーがついている。
うち2人はクルーザーの上、残りの3人は中に閉じ込められている、という状況だ。中に入るためのドアは1つだが、水圧で開けることが出来ない。ひとまずクルーザーの上に居る2人をすぐに安全な陸地に運ぶが、問題はここからだ。

「崖にぶつかって空いた穴ってあれだよね?水の中だから大きさ正確にはわかんないけど...割と小さい...。水中に潜って人が通るサイズくらいまで拡張して、そこから救ける...しかないかな...」
「それしか無さそうだな...急がねぇと」
「じゃあ私潜るから、轟くんは出られた人を運んであげて」
「わかった」

水中に潜り、穴を拡張して1人、2人、穴から救出して、ライフジャケットを着せて轟くんのいる方へ誘導する。閉じ込められた最後の1人もクルーザーの外へと誘導し、何とか無事に5人救助出来た。タイマーも時間内だ。

「轟くん、全員大丈夫?」
「あぁ、大丈夫だ」

轟くんはちゃんと5人を安全な陸地に運び、適切な処置をしてくれている。良かった。無事に終わりそうだ。クルーザーから少し離れた、適当な岩場に捕まって水から上がる。その刹那、視界がぐにゃりと曲がる。あ。そうだ。忘れていた。私本調子じゃなかったんだった。何だか身体もだるいと言うより熱い。ダメだ。ふらふらする。

「おいっ...!!」

倒れる。そう思ったのに痛くない。

なんでだろう?

朦朧とした意識の中、閉じかけた瞼を精一杯開くと、轟くんの物凄く焦った顔が微かに見える。あぁ、そうか。受け止めてくれたのか。だから痛くないんだ。
何かを轟くんが通信機に向かって言っているのはわかるけど、その言葉は聞こえない。必死そうな彼の横顔をぼんやり捉え、そんな顔もするんだなぁとやけに冷静に思いながら、私の意識はそこで途絶えた。







目が覚めると、白い天井。視線を横にずらすと、窓から差し込オレンジ色の光と、ずっと遠くには夕焼けが見える。

「起きたかい?」

優しくも心配そうな声で話しかけられる。消毒液の匂い。そうか、ここは保健室だ。

「...リカバリーガール...私...何で」
「なんでも何も無いよ、39℃もあるってのに演習に参加した上、水に潜るなんて。バカなのかい」
「...すみません、熱があること...自分で気づいてませんでした」
「呆れた...ちょっと今から出てくるけど、起きれるようなら支度して寮に戻りな」
「はい...わかりました」
「全く...そこ寝てる奴にも、礼を言っとくんだね。あんたを運んだ後ずっとここに居たんだから」
「え...」

リカバリーガールが指を指す方向を見れない。

まさか。いやそんな。でも。

期待と申し訳なさが入り交じる気持ちで恐る恐るそちらを向く。




「轟くん...何で...」

保健室の椅子に座って、壁にもたれかかったまま腕を組んで眠っている、私の片思いの相手。

「できることは無いからさっさと戻んなって言ってんのに全く聞きゃしない...おまけに寝るし...」
「そ、う...ですか...」
「ついでにその子も起こしてから帰りな。同じクラスだから、どうせ帰る場所は一緒だろう」

そう言い残して、リカバリーガールは保健室から出ていく。




部屋はとても静かで、時計の針が時間を刻む音だけが響いている。
リカバリーガールがやってくれたのだろうか。私の服は演習で水に濡れていたためか、私の服はTシャツと学校のジャージのズボンにいつの間にか着替えられている。
一方で彼の服はヒーローコスチュームのままだ。彼も濡れていたはずなのに。私を運んでくれたあと、着替えにも行かず、ずっと、ここに。どうしよう。こんなに迷惑をかけてしまった。それなのに。

「嬉しい...」

好き。大好き。
どうしよう。これ以上好きになったら、私はどうなってしまうんだろう。

そんな感情と一緒に涙が出てくる。嬉しいのに、怖い。少し前までただ話せるだけで幸せだったのに。こんなことされたら期待してしまうのに。

「...っく...、ふっ......」

あぁどうしよう。止まらない。




「...お前、なんで泣いてんだ」

とめどなく流れてくる涙が一瞬にして止まる。俯いていた顔をばっとあげると、先程と変わらず腕を組んでいるが、目はしっかり開けている彼の姿がある。

「どうした?どっか痛いのか?」
「い、いや...そうじゃ...なくて...」
「みょうじ」
「な、に?」
「...悪かったな」
「...?何が...?」
「虫なんかで寝不足なんて何やってんだって、最初思ったけど、体調不良だったんだな」
「......え、と...いや...それは...」
「でもそれとこれとは別だ」

立ち上がり、こちらに歩いてくる彼。
腕を捕まれ、軽く引っ張られると、何が何だか分からない私は簡単にバランスを崩して彼にもたれ掛かる体制になる。背中には私のものではない腕。びっくりして動けないでいると、背中にある腕にぎゅ、と力がこもるのがわかった。

今私は、轟くんに抱きしめられている。

「ちょ、え、あの...と、どろき...くん」
「心臓に悪いから、もうやめろ。あぁいうの」
「え?」
「お前が倒れた時、心臓止まるかと思った」
「あ...」
「だから、もう具合悪い時に無理したりするな」

彼の腕にさらに力がこもる。力強くて、優しい、世界でたった2つしかない、大好きな人の腕の中にいる。互いの間に距離はなく、私の視界には彼の青い服が見えるだけ。心臓の音が彼の耳に届いてしまいそうなほど煩くて、恥ずかしくて、でも逃げ出すことも出来なくて、彼の腕の中でギュッと目をつぶる。そして一度小さく息を吐く。このままずっとこうしていて欲しい。そう思ってしまいそうだけど、まずはちゃんと謝らないと。恋心に飲み込まれそうな自分を制して、ひとまず言うべきことを言わなくては。

「迷惑、かけて...ごめんなさい」
「そうじゃねぇだろ」
「.........心配、かけてごめんなさい」

私がそう言うと、轟くんはゆっくりと私から離れる。互いに何も喋らず、今度こそ心臓の音が彼に聞こえてしまうのではないかと思うほど、静かな、少し気まずい空気が流れる。

何か、何か言わないと。




「あ、のね、私本当に自分ではただの寝不足だと思ってて...、熱あったの、さっき初めて知って...だから...」
「そうなのか」
「だから、私がバカなだけで、」
「そうか」

私から視線を逸らし、何かを考える顔をする轟くん。そしてまた私に視線を戻し、口を開く。

「.........じゃあ今度からは俺が見てるようにする」

真っ直ぐに、迷いなく、彼は私を見てそう言った。

「見てるように...って...」
「お前がそういうの鈍いから、俺が見てる。お前のこと」
「いや、えと…」
「ダメか?」

そんなのダメだよ。期待する。
私のこと、特別に思ってくれているのかもなんて。そんな期待を持ってしまう。それなのに。

「ダメ、じゃないよ…」
「そうか」

好きな人にそんなふうに言われたら、逆らえない。抗えない。例え彼にそんなつもりが無かったとしても。
そのまま何も言えなくなった私の頭に、轟くんがぽん、と手のひらを置く。



「着替えてくるから、ここにいろ」

すぐにその手は離れていき、轟くんは保健室から出ていった。
どうしようもないくらい轟くんを好きな気持ちで、押し潰されてしまいそうな私を残して。

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2020.10.7

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