08 記憶


「止まねぇな」
「止まないね...」

ラーメンを食べ終えて店を出ると、朝の晴れ模様はどこへやら、ちょうど通り雨がアスファルトを濡らしていた。
お店の方のご好意で、止むまでお店の中で待っていていいよと言われたのだが、さすがにお客さんもいる中申し訳ないので、店先で待たせてもらうことにしたが、かれこれ1時間が経っていた。日差しが雲にさえぎられ、風も冷たい。

「大丈夫か」
「え?」
「寒いんじゃねぇのか」
「あ...まぁ少し」
「こっち側に居ろ」

轟くんはそう言うと、今私がいる方とは左隣を指さす。言われるがままに移動すると、少しだけ身体の右側に熱を感じる。




「そんな離れてたら意味ねぇだろ」

そう言うと、轟くんは再び私の手を引いて自分の方に寄せる。先程はうっすらと感じた熱が、轟くんに近づいたことではっきりと身体の右側に伝わる。彼の個性によるものなのか、私が発しているのかは正直定かではないけど。店内での熱がやっと冷めてきたところだったのに、また振り返してしまったではないか。

「手、すげぇ冷たくなってる」

そう言うと、彼はまた私の指を絡めとる。何を言えばいいのかはわからず、自分の指に少しだけ力を込めると、彼の手の力が少し強くなる。

ねぇどうして、そんなことするの?
轟くんにとって私ってどういう存在なの?
さっきの可愛いって本気で受け取っていいの?

知りたいことは積み重なって、それと同じくらい好きな気持ちも心に積もっていく。




「お」
「え?」
「止みそうだ」
「あ...ほんとだ...」

轟くんが視線を向ける方を私も見る。少し遠くの空に光が刺し、青空が覗いているのが見える。雨が上がった直後の、この空気が私はとても好きだ。瑞々しい空気に包まれている街は、いつもと変わらないはずなのに、特別なものに感じられる。
まだ何にも汚されていない澄んだ空気を感じてたくて、無意識に深呼吸をする。

「何やってんだ?」
「え?あぁ...なんかやっちゃうんだよね...雨上がりの空気って綺麗で、好きで。つい」
「そうか」

短い返事の後、彼も試してみたくなったのだろうか。轟くんも深呼吸をする。

「どうですか?」
「...よくわかんねぇな」
「ふふ、そっか」
「でもまた一個、知れた」
「?、何を?」
「みょうじの好きなもの」

“私がいちばん好きなものは轟くんだよ”と、そう言えたら良いのに。

そんなことを考えていると、握った手にまた少しだけ力が込められたのを感じる。落とすように笑い握った手はそのままに、彼は私の手を引いてゆっくりと歩き出す。先ほどは前を少し前を歩いていた轟くんだったが、今は隣り合わせで歩いている。嬉しいさと気恥ずかしさの狭間で、わずかに軍配が上がった後者の気持ち。
ふと下を向くと、雲の切れ間から差し込む光に照らされた水たまりが、キラキラと輝いているのが見えた。







雨が上がり、駅まで歩いて行くと、何故か改札前には人だかりが出来ていた。

「なんだろ...」
「...電車止まっちまったみてぇだな」

轟くんがスマホの画面を私に見せてくれる。画面には私たちが乗ってきた電車の遅延情報が表示されている。どうやら事故ではないようだが、復旧までには時間がかかりそうだった。

「人身事故とかじゃなくて良かったけど...どうしよっか...」
「別の路線で途中まで行けそうだが、この駅からは歩きだな」

再びスマホの画面で迂回する経路を轟くんが見せてくれると、見慣れた駅名が表示されていた。

「その辺りなら実家の近くだから、雄英までの道なら大体わかるよ」
「そうか、助かる」



朝乗ったのとは違う電車に揺られ、久しぶりに地元の駅に降りる。今年は夏休みがインターンで忙しく帰省していなかったので、成り行きとは言え、春休みぶりにこの辺りを訪れる。

「みょうじどっちに行けばいいんだ?」
「南口から出た方が近いから、こっちだね」
「わかった」

先程まで居た駅とは違い、駅前にはスーパーとコンビニがあるだけで、少し歩くだけで随分静かになる。

「ちょっと久しぶりに来たけど全然変わってないなぁ」
「そうなのか」
「うん。あ、ここの公園抜けていくと近道だから」
「さすがよく分かってんな」
「ここくらいしか近所で遊べるところってなかったの。小さい頃もだし、中学でも友達と駅前のコンビニで何か買って、暗くなるまで喋ったりとかしてて」
「楽しそうだな」
「轟くんも小さい頃は公園とかで遊んだでしょ?」
「...あんま覚えてねぇ」
「そうなの?」
「ガキの頃は...鍛錬ばっかしてたからな」

少し間を置いて答えた彼に、何だか聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がした。
エンデヴァーの息子として生まれた彼は、今も、きっとこれからもいつだって特別だと線を引かれ、期待され、注目されていくのだろう。それは幼い頃も同じで、私が過ごした"普通の"子供時代とは随分違うものだったのかもしれない。




「...あれ見える?えっと...何だっけ...雲梯だっけ?」
「あぁ」
「あれね、私渡るのすごく速かったの」
「そうか」
「今もできるかな」
「やってみればわかんじゃねぇか」
「じゃあ轟くん勝負ね」
「は?」
「負けた方が、公園の自販機で飲み物を奢る」
「俺とお前でやったら、ほぼ俺が勝つだろ」
「じゃあハンデとして轟くんは全部のポールを掴んでゴールしなきゃダメってことにしよう。私は1個飛ばしまでアリ」
「...わかった」
「じゃあ先私やるから、轟くんタイム測ってね!」

こんなことをした所で、彼の過去が変わるわけでもないし、失った時間は取り戻せない。だけど、いつかの彼が今日のことを思い出してくれることがあったら。高校生にもなって変な女子にそんなことをさせられたなって、笑って話せる思い出になれたら。
彼の記憶の、ほんの片隅でも。そこに居られたら。




「...やっぱ轟くんの方が全然速かったね」
「まぁ...それは普通なんじゃねぇか」
「...なんか、悔しい」
「ふっ」
「あー...馬鹿にした...」
「してねぇ」
「もう1回やらない?」
「勝つまでやめる気ねぇだろお前」
「あと1回!あと1回でラストにするから!」
「別にいいぞ。何回やっても」
「え...」
「こういうのは新鮮で、楽しい」
「じゃあ、今度は私は2個飛ばしまでアリで!」
「...それはずるくねぇか」




その次は私が勝って、その次は轟くんが勝った。
どちらが何回勝ったのかは数えていないけど、公園を後にする頃には、2人とも手にマメが出来ていて、空は既に薄暗く、遠くの方に微かに見てるオレンジの光が、やけに眩しく感じた。

「.........なぁ」
「何?」




「帰りも、いいか?」

そう言って差し出される彼の手を、今度は迷うことなく私は掴んだ。

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2020.10.11

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